真空管オーディオを愛して止まない皆様へ向けて、令和に入ってから4年分の真空管業界動向を総特集!とのコメントが気になり購入した「令和の真空管オーディオ」の雑誌を購入したが、全く中身は薄く今後入手出来る真空管についてが紹介されていた、この程度記事の薄いの内容はマニアな方なら誰でもご存知の当たり前の雑誌に呆れる思いであった。最近はオーディオ雑誌に益々興味は薄れていく一方である。
いちばん困ることは日本のマスゴミ(TV・朝日/毎日新聞・大手代理店)は殆どまともな情報は流さず、全く嘘情報を流している事に尽きる、このような情報は子供達にも大いに悪い影響を与えるようである。
最近の現在の小学生に取り柄はと聞くとお金持ちになりたいとか、偉い人になりたいと言うグローバル化が激しいのであろう、昔は日本は明治時代から教育勅語として「素直で優しくて勇気があることが取り柄だと教えている教育勅語」があった事を忘れた国民になってしまった様である。
「教育勅語」意味について、
国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。
そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
明治天皇は明治元年、国是五箇條を神々にお誓いになり、新生日本の大方針を明らかにされました。政府はこの方針にそって、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に努めました。しかし当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にありました。
戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢(おういつ)し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません。
最近日本の教科書問題が気になり、調べましたが、大変な問題が見つかった、敗戦後70年以上も過ぎわが国も敗戦国意識は捨ていち早く独立国家に改める時期でもある現在近隣諸国条項があり、まともな歴史認識しか出来ないが戦後発掘された磨製石器発掘調査で証明され関東地域でも1万箇所の石器の発掘事実のある国は実に珍しい国なのであろう。一般的に日本の歴史は縄文時代から始まると答える方が一般的に多く5万年以上前の旧石器時代から続く国と認識されている方が少ない事も事実である。日本のルーツを再度見直すべきである。
大変残念な事にこのような教育勅語を教えられた人間も人生を踏み外せば、戦前影のフィクサーと言われた旧ソ連(現ロシア)に日本を売った男、罪深い伊藤忠「瀬島龍三」のような人物が戦後も中曽根に取り憑き日本を操っていたと言われる、影の部分を知る男が彼の他にもいた事です、しかしいずれにせよ戦後伊藤忠は共産国との取引を未だ続けて稼いでいる様である。
また近隣諸国条項とは、日本国の教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という規定のこと。 この規定は、教科用図書検定規則に基づいて定められている義務教育諸学校教科用図書検定基準と高等学校教科用図書検定基準にある。
調べると下記のような報告が掲げられていた。
この文章は間違えると大変なのでネットからコピーさせて頂きました。
近隣諸国との領土に関わる係争を抱える我が国の現状及び将来を展望するとき、我が国が将来にわたって主権国家としての国際的な発言力・発信力を正しい形で保持することは極めて重要である。また、国の将来を担う子供たちにどのような教育を施すかは、原則として他国の介入を許さない主権事項だということも明白な国際ルールである。上記の観点から見るとき、教科書の検定基準の一つとして定められた「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という規定、いわゆる「近隣諸国条項」は、根本的な欠陥を有する。現に、外国からの内政干渉・主権侵害を誘発しており、教科書検定において中華人民共和国や大韓民国等の主張に反する記述は修正を迫られ、他国の歴史観に迎合することを強いられている。近隣諸国との友好を増進させるための外交的配慮であるとするならば、外交の相互主義に基づき、近隣諸国に対しても「近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮」を求めるべきであって、現在、中華人民共和国や大韓民国等で行われている反日教育に対しても厳重なる外交措置を採るべきである。現在、尖閣諸島及び竹島についてその領有権をめぐって様々な報道がされている。「近隣諸国条項」に関わる検定基準では「社会科(地図)を除く」としているが、この島々が日本に帰属する理由を説明しようとすれば、地図の学習だけでは不十分であり、近現代の歴史的事象について言及せざるを得ないことは言うまでもない。自国の歴史を正しく学び、理解しておくことは、世界を舞台として活躍する国際人として必須の教養であると言って過言ではない。子供たちが正しく学び、理解するには、教科書が史実に即して記述されたものであることが必須の条件であり、何が史実であるかは、何事にも配慮することなく、科学的・実証的な論理や史料によって判断すべきものである。その判断をゆがめるおそれのある近隣諸国への配慮を撤廃することは、我が国の歴史教育の正常化のための喫緊の課題である。以前にも日本の石器時代問題をここでアップしたが調べた資料の文章に疑問点があり、公文書としては近隣諸国条項の項目が多いに怪しい文章になるようで正しく日本は敗戦国であり極東国際軍事裁判とは、1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われた、ポツダム宣言第10項を法的根拠とし、連合国軍占領下の日本にて連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことであるは間違った裁判と思った。今だにこの問題は今も大きな影日本に残している様である。お隣韓国問題は現在「尹 錫悦」ではあるが、隣国のため普通の挨拶はするがそれ以上になってはいけない、勿論支那にも同じことが言える、経団連関係は支那との付き合いがと言うが、支那と言うお国柄を良く弁えてのお就あいしなければならない、最近益々米国の支那批判は高まっているが売電次第ですが今後どのように変わるかは全く不明と判断する事が正しいのであろう。
いま日本が望む事は一刻も早く敗戦国のレッテルを取り去らなければならない。今の日本の教育は実に情けないと思うことが一番大切なことで、情けないと思わなくなった時が最悪の事態となる様に思う。
話は変わるが、1996年発売されたSPENDOR SP3/1Pであるが木目の色が冴えるようにフィーデンワックスを塗り木目の美観を整える、筆者が扱って未だ本来の音質を聴かせてもらえない、意外とセッティングが難しく手間取っていたが、置き方を替え音質向上になり、本格的に配置してみた、しっとりと緻密な音を紡ぎだすSPENDOR SP3/1Pの置き方を替え色々試聴するが厚み40mmの石板の上にAIRBOW ウェルフロートボードA4に更にソルボセインのインシュレーターをカットした物の上にSP3/1Pに載せた状態で、更にツイターを試聴する高さに調整しての試みたがいちばん良い効果を得た。LS3/5aよりふたまわりほど大きなスピーカーです。密閉型ではなくバスレフ型で、ポートは背面に設置されていますので後方の広さはある程度は必要であると思うが幾らか優しい音で低域も心地よい音が鳴る様です。
SP3/1PのP表記はおそらくプロ用であることを示しています。つまりスタジオモニター用途のスピーカーということでしょうか。音は繊細で緻密な感じで、しっとりと落ち着いた趣があります。小編成のクラシックや大人の雰囲気を持った女性ヴォーカルが最適。とても美しい音を聴かせてくれるスピーカーです。実際の音は中域が強いがあまり張り出さない、かと言ってアンプが弱いと暴れて箱鳴りドンシャリにもなりますアンプは勿論真空管でもおそらく良いと思います。
最近ジャズ系統を聴いていたがやはりバッハの音楽で視聴したいと思います。
管弦楽団ハイルブロン=ヴュルテンベルク室内管弦楽団
指揮:フリッツ・ヴェルナー(Fritz Werner、1898年12月15日 - 1977年12月22日)は、ドイツの指揮者・合唱指揮者・作曲家・オルガニスト。教会音楽の復活に尽力した。
ベルリン出身。ベルリン教会音楽教育アカデミー、ベルリン大学、プロイセン芸術アカデミーなどで学び、ゲオルク・シューマンらに作曲を師事した。1935年、バーベルスベルクのベツレヘム教会のオルガニスト兼音楽教師となった。1936年にポツダムのニコライ教会のオルガニスト・カントルとなり、1938年には教会音楽監督に昇進した。1939年にはラジオ・パリの音楽ディレクターとなった。第二次世界大戦後の1946年にハイルブロンのキリアン教会のオルガニスト・カントルとなり、1964年まで務めた。
ハインリヒ・シュッツ合唱団
1947年、ハイルブロンでハインリヒ・シュッツ合唱団を創設し、1973年まで指導にあたった。最初はハイルブロン周辺で知られた作曲家ハインリヒ・シュッツの音楽を集中して取り上げたが、後にはヨハン・ゼバスティアン・バッハの多くの受難曲・オラトリオ・モテット・カンタータの録音を残した。多くの声楽家や、トランペットのモーリス・アンドレ、ホルンのヘルマン・バウマン、オルガンのマリー=クレール・アランなどの独奏者を招き、ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団や南西ドイツ放送交響楽団などと共演している。ヴェルナーのバッハの録音は同年代のカール・リヒターのそれと比べられるものであった。
『目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ』は、1731年にバッハによって作曲されたカンタータ。全7曲から成る。曲名は『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』、『目覚めよと呼ぶ声あり』とも表記される。英語では『Sleepers, Wake』。
「目覚めよとわれらに呼ばわる物見らの声」BWV140——待降節第3日曜
第3曲のコラールがよく知られていて、バッハのカンタータの中でもとくに人気が高いのではないでしょうか。
この曲が初演された1731年11月25日。ライプツィヒの教会における礼拝で朗読されたのは、福音書マタイ25の1-13「花婿を迎える10人の乙女」。
マタイ伝の、有名な「10人の乙女のたとえ」。 花婿の到着を待つ、10人の花嫁のたとえ話です。 花婿の到着が遅れて、花嫁たちは皆、寝入ってしまう。 深夜、花婿の到着を告げる物見の声に、花嫁たちは起こされますが、灯火の油をちゃんと用意していた半分の花嫁だけが、婚礼の宴に参加することができた、というもの。
以前購入うした3セットのシリーズから試聴する。長年にわたり、CD発売が熱望されていたフリッツ・ヴェルナーのバッハ!一時代を画した名演奏の数々の体系的なリマスタリング・シリーズである。
フリッツ・ヴェルナーは1898年生まれ、1977年に没したドイツの合唱指揮者。戦前から教会音楽家としての活動を始め、1947年には、旧西ドイツのハイルブロンにて、ハインリヒ・シュッツ合唱団を創設し、後にオーケストラも組織しています。1960年代にエラート・レーベルに、バッハとシュッツの録音を数多く行い、その演奏は、カール・リヒターと並び、日本でも多くのファンを持っていました。リヒターの峻烈な演奏とは異なり、ヴェルナーのバッハは、常に温かみを持つ穏当な解釈を特徴とし、その「優しさと慈愛に満ちた」演奏は、古楽器演奏による優れた録音が数多く存在する現在でも、独自の価値を保ち続けています。
ヴェルナーのバッハ録音は、全200曲の約3分の1にあたる約58曲の教会カンタータ録音(2曲は新旧録音あり)、受難曲やオラトリオ、ミサなどの大規模宗教曲録音があります。これらの録音はステレオ最初期の1959年頃から1974年頃になされました。そのすべてが、全3巻CD全30枚の最新リマスターシリーズとして、オリジナルテープより復刻されます。これらの録音のほとんどは、エラート・レーベルがBMGから発売されていた時代を含めて、CD国内発売されたことがなく、そのCD化が待望されていました。オリジナルテープからの最新技術による今回のリマスタリング・シリーズは、ファンにとって大きな朗報となります。
私がバッハのカンタータをリヒター、トーマス等であれこれ聴いていた頃に、やはりカンタータ作品に詳しい先輩のレコード・ライブラリーにはF.ヴェルナー指揮によるLP盤がかなりあり当時はちょっと地味な確かに、F.ヴェルナー指揮を聴くわかるが、例えばリヒターの鋭烈な演奏とは異なり、ヴェルナーのバッハは温かで穏当な解釈を特徴として「優しさと慈愛に満ちた」演奏の印象を持ったものでした。
勿論その後もトンコープマン、Gustav Leonhardtも聴くがこの様な穏さは得られない、またスピーカーもLS3/5Aが優れたスピーカーには間違いないが、J.S.バッハのカンタータを聴く限り適度な温かみと穏やかさを持つzaika5300の三極管とある程度調整されたSPENDOR SP3/1Pの音は何時迄も聴きたくなる飽きのこない音だった様です。
基本的には暖かい包み込み様なフィーリングが聴き処だと推量されます。ありますがバッハ声楽作品演奏史上忘れてはならない演奏のように思います、
カンタータ Vol.2: Werner / Heilbronn Pforzheim.co, Heinrich Schutz.cho
フリッツ・ヴェルナーの芸術-2バッハ:カンタータ選集-2
・ハインリヒ・シュッツ合唱団プフォルツハイム室内
管弦楽団ハイルブロン=ヴュルテンベルク室内管弦楽団
(CD全10枚・全30曲)
収録予定曲目
BWV 8/BWV 10/BWV 19/BWV 21/BWV 26/BWV 50/BWV 51/BWV 53/BWV 56/BWV 70/BWV 78/BWV 79/BWV 80/BWV 85 *第1回録音/BWV 90/BWV 98/BWV 102/BWV 105/BWV 106/BWV 119/BWV 130/BWV 131/BWV 137/BWV 140 *第2回録音/BWV 140 *第1回録音/BWV 147/BWV 149/BWV 150/BWV 180/BWV 200
指揮:フリッツ・ヴェルナー
ディスク7
カンタータ第140番『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』(Wachet auf, ruft uns die Stimme)
この曲が初演された1731年11月25日。ライプツィヒの教会における礼拝で朗読されたのは、福音書マタイ25の1-13「花婿を迎える10人の乙女」。
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
新共同訳聖書より「マタイによる福音書」より
BWV140
12.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
13.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
14.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
15.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
16.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
17.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
18.Wachet Auf. ラフト・アンズ・ダイ・スティミー
J.S.バッハ カンタータ 第147番「心と口と行いと生活で」BWV147 名盤 ~主よ人の望みの喜びよ~
バッハ(1685年~1750年)が作曲した教会カンタータ147番です。合唱とアリアの全10曲で構成されています。筆者が特に好きなパートでゆったりと歌い上げる落ち着いた演奏の喜びを感じます、中でも第6曲と第10曲に合唱によって歌われる「主よ、人の望みよ喜びよ」は特に有名で、結婚式の入場時、単独のコンサートや他楽器の編曲ヴァージョンでも演奏されています。第5曲で歌われるソプラノのアリア「イエスよ、道をつくり給え」も透明感のある美しいアリアです。
『主よ、人の望みの喜びよ』は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1723年に作曲した教会カンタータ『心と口と行いと生活で』の終曲のコラール「イエスは変わらざるわが喜び」の、英語によるタイトル"Jesu, Joy of Man's Desiring"に基づくタイトルである。
BWV147
01.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
02.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
03.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
04.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
05.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
06.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
07.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
08.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
09.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
10.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.
確かに古い演奏ではあるが、最近のRudolf Lutz、ガーディナーやアルノン クールなどのピリオド楽器による演奏も良いがテンポが中途 半端に速く、変なアクセントがついいたり、イメージに難のある場合もある、特に06.Herz Und Mund Und Tat Und Leben.のパートはあえて9/8拍子にしている事も注目に値する。ゆったりした優しい音の中で過ごす時間がゆっくり味わえるシリーズでもある。このシリーズは1集~3集までは揃えたが全集がないことは誠に残念である。
全集を揃えたいと思うは筆者だけなのであろうか・・・ブラボー!