よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

九州観光マスターの合格証が届きました

2011-06-24 05:00:00 | その他
今年3月に受験した「九州観光マスター」は何とか合格することができました。
2月にこの検定試験を知ってテキストをすぐ発注し、テキストが着たと同時に
受験料を払い込みました。
それから1ヶ月間テキストを読みましたが、九州の観光地の地名なんかは
だいたいわかりますが、観光のプランニングという所はさっぱりわかりませんでした。
試験の後自己採点しましたが、合格点の70点いくかどうかでした。

商工会議所からの通知には、私の点数81点でした。
自分でした自己採点よりもはるかに上の点数でした。

これが合格証です。


4年ほど前から、趣味にウオーキングを加え、九州全県や近くの県などに
ウオーキングしてきたからではないでしょうか。




「佐賀錦」(街道番外編)

2011-05-26 08:36:17 | その他
先日長崎街道「佐賀宿」を歩いていたら旧福田家で佐賀錦の実演を行っていた。


この佐賀錦は、肥前国鹿島藩9代目藩主夫人が病に伏せ、部屋の天井の網代(あじろ)組みを
見るうちその美しさに惹かれこれを何か形に残すことは出来ないかと側近の方に相談されて
出来たものです。それから代々鹿島藩女中に受け継がれていきました。

佐賀錦は、金、銀漆を貼った特製の和紙を細かく裁断したものを経糸(たていと)とし、
絹の撚糸を染色したものを緯糸(よこいと)として丹念に織り上げられたもので
紋様は、網代、紗綾、菱形など多様なものがあります。
根気の要る手仕事で1日に2cmほどしか編むことができません。

50cmぐらいの織り機で糸を1本1本織っていきます。
出来上がった佐賀錦は絢爛豪華です。

佐賀錦は、帯地などに使われますが、現在では、ストラップ、財布,アクセサリーなどもあります。












間 寛平さんお帰りなさい。

2011-01-04 14:47:50 | その他
アースマラソンの間 寛平さんが、日本に帰ってこられました。
それも私の住む町「福岡」へ。
このアースマラソンは、ヨットで16000km、ランニングで20000km地球を一周廻るというもの。
寛平さんは、7:00~8:00ぐらいに西福岡マリーナに到着ということで私もこの偉業を一目見たくて
早起きし、到着場所のマリーナへ。

現地には6:00に着きましたが、もう既に100人ぐらいのファンの方が待っておられた。
今日福岡は朝から冷たい雨が降り続け傘をさして待っていました。
テレビカメラも入っており、私も映ったかな?



待つこと1時間40分
やっと寛平さんのヨットが着きました。
船上では、奥さん、お孫さん、吉本から山田花子さんなどが参加され歓迎セレモニーが開催されていました。

8時半、寛平さんが私達の前に姿を現しました。




寛平さんは、思ったより元気そうで即興で「パンプキン」のパフォーマンスも披露されました。

このあと寛平さんは、大阪までランニングされるそうです。ゴール予定は1/21です。

寛平さんもう少しでゴールです。
頑張ってください。

寛平さんが中国から乗ってこられたヨットです。




平野神社(福岡市中央区地行)

2010-03-13 19:15:29 | その他

 

福岡城跡から唐津街道を西に約1kmぐらい行くと鳥飼八幡宮の手前に
小さな神社があります。
平野神社」です。

幕末の勤皇志士の「平野國臣」を祀っています。
「平野國臣」といってもご存知の方は少ないかと思いますが、
彼の詠んだ歌
我が胸の 燃ゆるおもいにくらぶれば 煙は薄し 桜島山
この歌は、聞いたことがあると思います。


平野は、福岡藩脱藩後、薩摩の西郷隆盛と知り合いになり、特に西郷と月照の
錦江湾心中事件では、西郷を海の中から助け出します。
ですが、薩摩の藩主が斎彬から久光に代わり、久光が浪人排除の政策を
とった為、薩摩には入国できませんでした。
その時詠んだ歌がこの歌です。
今、大河ドラマ「龍馬伝」で坂本龍馬に脚光が浴びていますが、
平野國臣も龍馬と同じ時期に福岡藩を脱藩し、尊皇攘夷のため、東奔西走
しています。
調べてみると龍馬と平野は実際会ったことはありませんが、いつもニアミス
でした。下関の豪商「白石家」には、龍馬も平野も滞在しています。
平野は、福岡藩に薩摩との同盟を働きかけますが「筑薩同盟」、不調に終わり、
そのあと龍馬が薩摩と長州を結びつけ維新に繋がります。
若し、このとき福岡藩と薩摩藩の同盟がなされていれば、また、違った歴史に
なっていたのではないでしょうか?

平野は、生野事件の後、幕府に捕らえられ処刑されました。