5/18(土)ふくおかウォーキング協会のサタデーウォークは、「七寺川から野外センターを巡る」でした。
集合場所は、JR筑肥線今宿駅。参加者は、32名。
9:30 スタート
七寺川は今宿野外センターの方から長垂海岸の方に流れる川です。
俗に鯰川(なまずかわ)とも呼ばれ、地元の方にはその方が親しみやすいかもしれません。七寺川は河口近くの鯰川橋のところでもう1つの川と合流しますが、実は七寺川と
合流するこの小さな川が鯰川なのです。しかし、昔から七寺川全体を鯰川と思っている人も多いようです。
七寺川は高祖山、高地、叶ヶ嶽などいわゆる高祖山系を源流にもつ2級河川で、野外センター付近の2本の川がこの川の源となっています。
この七寺川の名前の由来は、今宿、上ノ原にある鉢伏山金剛寺が持っていた7つの子院(寺)から名付けられたとされています。
川の名の由来になった寺の名前については、諸説あります。「筑前国続風土記付録」の中の怡土群上原村の項に記されているのは、帰来寺・寿福寺・東光寺・常楽寺・寶憧寺(ほうとうじ)・金さん寺・長福寺の7つの寺です。この他にも、周船寺にある龍松寺なども名前があがっていますがはっきりしません。
風土記の中にある寺で現在、今宿に残っているのは常楽寺と金さん寺のふたつだけです。寿福寺は今津、東光寺は姪浜へそれぞれ移転し、長福寺は順光寺と改名しました。
残りの寺の消息は不明です。(今宿タイムスより)
今宿青木公園で休憩
ここから上り坂です。
約1時間で今宿野外センターに到着。
今宿野外センターは、これから夏休みにかけ子供たちのキャンプなどで賑わいます。また、高祖山の登山縦走コースでもあります。
休憩後再スタート
今日の目玉は、江戸時代前期「農業全書」を出版した「宮崎安貞書斎」訪問です。
安貞は、安芸国(現:広島市)の出身でしたが、25歳頃から福岡藩に仕えることになりました。28歳のとき、藩から京都に遊学するよう命を受け、そこで農業に詳しい儒学者の貝原益軒と
出会います。益軒から農業について学んだことがきっかけで、その後は自ら希望して農業に従事することを決めました。
やがて安貞は、大蔵永常(おおくら・ながつね)、佐藤信淵(さとう・のぶひろ)とともに江戸時代の三大農学者と呼ばれるまでになりました。安貞は農耕のかたわら農業技術の改良に努め、全国各地を回って経験豊富な老農からノウハウの聞き取り調査を行いました。
安貞は研究熱心な人でしたが、学問だけに没頭せず、農民たちと共に開墾したり作業したりしました。その合間に中国の農業書を読みあさり、時間を見つけては日本全国を回り、話を聞いてまとめることを繰り返しました。これらの背景には、師である益軒が社会のためになる学問を目指していたことが影響しているのではないかと考えられます。
そして、40年にわたるこの作業をまとめあげたのが『農業全書』だったのです。『農業全書』を刊行した年の7月、宮崎安貞は75歳で亡くなりました。
長年の農業への思いを遂げて往生したと言えるのではないでしょうか。(マイナビ農業より)
ちょうど西区歴史探訪の一行が訪れていましたので、一行が帰った後、宮崎安貞書斎管理人の三島氏に安貞のことを説明していただきました。
宮崎安貞書斎からゴールの九大学研都市に向かいます。
12:04 九大学研都市駅にゴールしました。
今日のGPS
今日は午後2時よりみずほPAYPAYドームでプロ野球のチケットをゲットしていましたので九大学研都市駅から直行しました。
ピンクユニフォームデーということで球場内は、ピンクに染まりました。