よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第22回指宿菜の花マーチ第2日目20km(鹿児島県指宿市)

2014-01-29 05:04:37 | ウォーキング

昨日(1/25)は、ウオーキングから帰ってホテル内の砂蒸し、露天風呂などに入り右足の指をマッサージしました。

そのせいか足の指の痛みもだいぶん薄らぎました。

今日(1/26)は菜の花マーチ20kmコース。朝6:30にホテルを出て会場に着いたのが6:50。もう準備体操が始まっていました。

昨日一緒に歩いた「Bちゃん&A」さんたちは既に来られていて私達を見つけると手を振ってくれました。

午前7:00また今日も30kmの方と一緒にフライングスタートです。

              

指宿ステージ20kmは、セントラルパーク指宿スタート~グリーンファーム~JR宮ヶ浜駅~錦江楼~魚見港~休暇村~指宿港~砂蒸し「砂楽」~はしむれ~指宿駅~セントラルパーク指宿ゴールです。

今日は朝の気温が12度ですが、風が強く体感温度は9度ぐらいです。私のDバックの後ろの風車も勢いよく回っています。

    

途中民家の庭先に「シコンノボタン??」みたいな花が咲いています。シコンノボタンは夏から秋にかけて咲く花なんですが、もう1月も末ですがまだ咲いています。やはり南国だからでしょうか?

JR宮ヶ浜駅が30kmとの分岐点です。宮ヶ浜は昭和初期まで指宿の中心地でした。今でも駅前の通りには、古い家並みが残っています。

海岸線には「長淵 剛ゆかりの地」の横断幕があります。長淵 剛のお母さんはここ宮ヶ浜の出身で長淵さんは幼いころよくこの浜で遊んでいたそうです。

宮ヶ浜駅には長淵 剛が書いた散文詩「母ちゃんの海 宮ヶ浜」が掲げられています。

    

 母ちゃんの海 宮ヶ浜

新しい指宿市が 生まれた。
私は、幼い頃、母スマ子に連れられて、
宮ヶ浜の海岸に 座った。
『・・・剛! ここが 母ちゃんの育った海だよ!』
よせては、かえす波の音。
灼熱の夏の山からは せみの声。
『・・・剛。いっしょに泳ごうか?』
『うん。』
私は、母ちゃんと宮ヶ浜の海で思いっきり泳いだ。
そして、小さな魚になって、はしゃいだ。
きれいな きれいな 海だった。
母は、幼い私を
肩にのせ、スイスイ 泳いでみせたり
ジャンプしてみせたり・・・・・・・・
若き母の白い柔肌のぬくもりが
たまらなく優しかった。
ずうっとずうっと いっしょにいたかった。
ずうっとずうっと いつまでも そこに いたかった。
浜の西に沈む夕陽が 赤くゆれていた。
やがて指宿・宮ヶ浜の海は 黄金に変わった。
今でも時々 私は鹿児島に帰る。
そして、浜の海岸に座る。
六年前、死んだ母ちゃんが生まれた海は、
いつも ないでいて、
あの時のまんまだ。
大好きな 母ちゃん。
大好きな 海。
大好きな 宮ヶ浜。
大好きな 指宿は、
私の原風景そのものだ。
熱く 白き噴煙たちこめる 指宿の湯の里と
私の血脈が ドクドク流れ生き続ける指宿の兄弟たちに、
今、
心から『おめでとう』を言いたい。
そして、
『ありがとう 母よ!
海よ!
浜よ!
指宿よ!』

      

錦江楼の前がチェックポイントです。これから「かごしまロマン街道」と呼ばれている海岸線を通ります。強風の為か海は少し荒れています。

知林ヶ島が見えてきました。干潮時には、砂の道が現れ陸続きになります。韓国の「珍島」みたいですね。ただ潮の干潮を調べておかないと戻れない場合があります。

 

休暇村を通り指宿港へ。休暇村の風景を見るとなんだか外国のリゾートに居るみたいです。

    

 指宿は今日から市長、市議会議員の選挙が始まってウオーキングコースにも選挙カーがきていました。手を振ると笑顔のお返しがありました。

    

11:20 20kmコースをゴールしました。私の足の指は、道中時々痛みはありましたが何とかゴールまで持つことができました。

ゴールの所では、お土産にとたくさんのサツマイモが振る舞われていました。

ゴール後、Bちゃんさんから頂いた「湯活」のサービス券を持って日帰り温泉に行きました。2日間の疲れもとれ福岡へ帰宅の途につきました。

    

 尚、2日目の参加者は、6425人。2日間で10613人の参加でした。