2/3(土)ふくおかウォーキング協会2月例会は「久留米・大善寺周辺を歩く」でした。
集合場所は、西鉄大善寺駅。参加者40名。今日のリーダーは、Tさん。今日は雨の心配はなさそうです。
今週は、これで3日目、明日日曜日も大会が組まれています。
9:30西鉄大善寺駅スタート。
傘橋(からかさばし)
久留米藩主有馬氏により、天明元年(一七八一年)社前の霰側に架けられた神幸橋は、一本の石柱に支えられ、川が氾濫すると両岸に曳き寄せ流失に備えたという奇功を極めた造りで、
「拔河曳橋(ばつかのひきはし)」と呼ばれた天下の名橋でした。その姿が一本の唐傘を開いた姿に似ていたので「傘橋」と名づけられましたが、惜しくも嘉永四年(一八五一年)の
大洪水で流失しました。境内には当時の石柱が記念塔として残されています。
玉垂宮(たまたれぐう)本日のリーダーTさんの説明。
久留米市大善寺町宮本に鎮座する玉垂宮は、古来、筑後国三潴庄鎮守、高良御廟院大善寺玉垂宮と称し、盛時には衆徒四五坊社領三〇〇〇町を有した朝野の崇敬あつい古社であります。
祭神は、玉垂命(藤大臣(とうのおとど)・高良玉垂大菩薩とも称した)八幡大神・住吉大神で創建は古く、凡そ一九〇〇年前の創祀と伝えられています。
神宮寺の高法寺(弘仁五年(八一四年)大善寺と改称)は、天武天皇ごろの白鳳元年(六七二)法相宗の僧、安泰和尚によって開基されました。
このように、大善寺の玉垂宮は長い間、寺院と神社が一体的に祀られた典型的な神仏習合の神社でしたが、明治二年(一八六九年)の廃仏毀釈により大善寺は廃され玉垂宮のみ残り、
現在に至っています。しかし往時の大善寺の遺構である鐘楼をはじめ阿弥陀堂(鬼堂)や旧庫裡が現存し、神仏習合時代の面影を色濃く残しています。
紅梅のとなりにあるのが、傘橋記念塔です。
玉垂宮から先へ進みます。
途中、保育園の園児から見送られます。歩いていると、いい匂いが・・・・・「うなぎ屋」さんです。思わずお腹がなります。
前方は、「天建寺橋」です。天建寺橋の中央が福岡県と佐賀県の県境です。Tさんの説明では、
天建寺橋が建設される前までは、「天建寺渡し」という渡し舟が運行され、筑後川改修工事で陸の孤島となった土井外地区と他の地区への移動手段となっており、小学生なども通学時に
渡船を利用していた。しかし1950年(昭和25年)2月13日、強風の影響で小中学生や教諭など45人が乗船していた渡船が沈没し、6人の小学生が亡くなった。
このため、この区間に天建寺橋が建設されることになった。
この天建寺橋では、毎年5月にみやき町と福岡県久留米市を結ぶ「天建寺橋」(426メートル)の上で、両県対抗の大綱引き大会が開かれます。。