10/28(水)のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「駕与丁公園を訪ねて」でした。
集合場所は、JR長者原駅。参加者48名。
粕屋町の町の花は、バラです。町中にもバラの花が咲いています。
駕与丁(かよいちょう)公園にやってきました。駕与丁というのは、日本の朝廷に属し、高貴な人物の乗る駕与を担ぐことを主たる任務とした下級職員です。
昔、このあたりに駕与丁座があったことに由来します。
駕与丁公園は、一周4,219km。これを10周廻ればマラソンコースと同じになります。
駕与丁バラ園には、1300㎡の中に180種2400株のバラが栽培されています。5月には、バラ祭が開催され、JR九州のウォーキングコースにも取り入れられています。
秋のバラを見ましたが、やはり春の方が華やかですね。
駕与丁公園から志免町に向かいます。
志免町、須恵町、宇美町などは、昔は「粕屋炭田」と呼ばれていました。糟屋炭田は軍港に近かった関係から、艦船の燃料確保のため海軍が開発したという特色があり、
それらは海軍直属の海軍採炭所、通称で海軍炭鉱と呼ばれた。1889年、須恵町に最初の海軍炭鉱である新原採炭所を設けた。その後、同組織は海軍燃料廠採炭部と名を変え、
良質の無煙炭を多く産出したため国の奨励もあり専属的に燃料開発に当たった。後に、糟屋炭田の主力となる第五坑の志免鉱業所を開発。ピーク時の1929年(昭和3年)には
年産38万トンを産出する(全国19位)規模にまで発展した。戦後になって軍部組織は解散したことで国鉄が事業を引き継ぐことになり、主として蒸気機関車の燃料確保のため採炭が
続けられたが、エネルギー革命の影響によって1964年、国有志免炭鉱を最後に大小50を数えた炭田は、糟屋郡からすべて姿を消した。なお、この志免に設けられた竪坑櫓は後の1995年、
国の登録有形文化財に登録され、2009年には国の重要文化財に指定されている。(Wikipediaより)
志免町に入りました。志免町には鉄道公園があります。志免町には、1985(昭和60)年まで石炭輸送のために作られた鉄道がありました。
香椎線の引き込み線と、勝田線です。
香椎線は、1909(明治42)年から開通した博多湾鉄道旅石線(後に博多湾鉄道汽船から西日本鉄道、日本国有鉄道へ変わった香椎線引き込み線・1984(昭和59)年12月31日廃線)のことです。
勝田線は、1919(大正8)年に開通した筑前参宮鉄道(後に西日本鉄道から日本国有鉄道へ変わった勝田線・1985(昭和60)年3月31日廃線)のことです。
石炭景気の需要による開通で、当時の一日乗客数は300名、石炭は750トンと、石炭輸送が主でした。
現在、勝田線は緑道として公園整備され、志免駅は志免鉄道記念公園となり、レリーフが当時を偲ばせています。(志免町HPより)
炭鉱が廃坑になってから志免町の人口は、減少しましたが、現在志免町は福岡市のベッドタウンとして発展し続けています。
若し、個人的な意見ですが、勝田線が廃止にならなかったら、志免町~福岡空港~博多駅のルートができたのではないでしょうか?
志免町から博多の森球技場を経て、ゴールの福岡空港に向かいます。
11:30福岡空港へゴール!
今日のGPSです。
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