よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

豊前街道歴史ロマンウォーク「肥後大津~坂梨宿」32km(熊本県大津町~阿蘇市)

2020-05-08 19:00:46 | ウォーキング

 もう10年ぐらい前ですが、2010年3月7日、大分県ウォーキング協会主催の「豊後街道歴史ロマンウォーク」に参加しました。

これは、豊後街道「熊本城~大分・鶴崎」までの133kmを5日間かけて歩くというもの。当時、仕事中ですので5日間は参加できず2日目の「肥後大津~坂梨宿」32kmに

参加することにしました。当日は8時半に熊本・大津町役場に集合とのことで福岡の自宅を5時半に出発し、JR特急を使い会場には8時10分に到着。

参加者は前日からの参加者を含め約200人の参加です。天気予報では曇りですが、阿蘇近くを通るため雨と気温の低下の為、防寒着とポンチョを持参してきました。

 この豊後街道は、加藤清正が天正16年(1588)初めて肥後に入国した際、通った道で、江戸時代豊後街道沿いの久住、野津原、鶴崎が肥後藩の飛び地となりました。

豊後街道を通って陸路で九州を横断した後、大分・鶴崎から船で瀬戸内海を経由して大阪に至り、それから東海道を通って江戸に向かいました。

勝海舟と坂本龍馬が通ったという記録は、文久4年(1864)四国艦隊下関発砲事件調停の幕命を受け、江戸から長崎に向かった勝海舟・龍馬一行は、大分・佐賀関に上陸後、豊後街道を

通って熊本経由で長崎に向かったとされています。

出発式の後、参加者を「ウサギチーム」と「亀チーム」に分け、9:00スタート。私と家内はウサギチームです。

豊後街道は、今でもほぼ昔の形で現存しており、熊本城から1里毎に里数木が設けられています。

大津の町を歩いている途中、街道がはっきりと方凹型になっているところがあります。この凹の真ん中が街道です。これは侵入した敵を両側の土手の上から攻撃するために造られています。

今では、公園になっており、桜の木が植えられています。桜のシーズンには多くの花見客が来られるのではないでしょうか。

  

街道は阿蘇に近づくにつれ、霧雨が降ってきました。吐く息も白くなってきます。

天気のいい日には、雄大な阿蘇の山々が見れるのですが、今日は雨の為、霧がかかっています。

二重峠に差し掛かりました。二重峠の頂上が標高683mです。途中に西南の役の石碑が建っています。

明治10年(1877)西郷隆盛率いる鹿児島士族が起こした我が国最初で最後の内乱「西南の役」、明治維新の総仕上げとしての役割を果たした戦争です。

協会の方の説明を聞きます。

  

明治10年(1877)西郷隆盛率いる鹿児島士族が起こした我が国最初で最後の内乱「西南の役」、明治維新の総仕上げとしての役割を果たした戦争です。

熊本、田原坂、山鹿、南関、玉名、御船、八代、人吉など熊本県下全域にわたって戦闘が繰り広げられ阿蘇地区も例外ではありませんでした。

宮崎県の飫肥藩士500名による飫肥隊は2月26日高千穂を越え阿蘇南郷谷を下り、俵山を越えて熊本入りしています。3月17日には二重峠の戦い、滝室坂での激しい戦いがありました。

薩軍に加わるため大分県中津隊百余名は、4月4日小国に入りました。そして薩軍が二重峠から撤退する4月21日まで阿蘇一帯は薩軍に支配されました。(案内文より)

 

二重峠頂上です。誰かが「気温4度」という声が聞こえます。

 

霧雨は一向に止みません。防寒着にはスタート前防水スプレーをしてきたのですが、もう効かなくなってしまいました。

ここからDバックからポンチョを取り出し着ていくことにしました。

ここから「二重の石畳」に入ります。この場所は、阿蘇外輪山に属しており、土は火山灰の黒土です。黒土は雨で流されるため、流されないよう峠道に石を敷いたそうです。

この石畳敷工事には、大津の岩坂村の農民が駆り出されました。峠道で今でこそ重機で運搬することができますが、江戸時代殆ど人力作業、さぞかし大掛かりな工事だったと思います。

  

この石畳、雨で濡れていて、滑りやすく、滑って頭でも打ったら大変なことになりますので、恐る恐る下りていきました。

昔は、お殿様を駕籠に担いでこの石畳を下りていくのも大変だったでしょうね。

 

  

お昼は、この街道で未だに現存している「的石お茶屋跡」でとることになっています。他の参加の方は前もってお弁当を注文したり、持ってこられたりしています。

私たち、朝が早かったため、お昼は何も用意しておらず、スタッフの方にお願いしてコンビニ弁当を買ってきてもらいました。

この的石茶屋跡は、肥後殿様細川家一行が、参勤交代で江戸へ東上の折、石畳の坂道を降りてきて休憩されたところである。屋敷内には、北外輪山からの伏流水で泉水が形づくられ、「御茶屋泉水」として、くまもと名水百選に選ばれている。(案内文より)

  

30分のお昼の休憩後再びスタート。外気が冷たいせいか、30分でも動かないと体が冷えてきて、すぐ全開モードにはいけません。

ここは、ゆっくりゆっくり歩くことにします。ゆっくり歩いているせいか先頭との差が広がっていきます。

霧雨は一向に止む気配はありません。むしろ小雨になってきました。

 

ゴールまであと10km。この分なら4時半にはゴールできそうです。

 

ゴールの後、温泉でも入って帰ろうと思って、お風呂セットを持ってきました。どの温泉がいいかな・・・・・

温泉から上がったらビールもおいしいだろうな・・・などとゴール後のことばかり考えている馬鹿な私。

そうこうするうちに内牧宿を通ってゴールの宮地駅に到着。(16:25)

  

同行の家内は少し疲れている状態。駅で時刻表を見ると16時37分の特急があります。温泉に入りたかったのですが、次の電車迄1時間以上待たないといけませんので

ここは、特急に乗って帰りました。

このコース雨で視界が悪かったけどまた行ってみる価値はあります。いつか、豊後街道を完歩したいですね。

 


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