1965(昭和40)年の今日(12月26日)、ナタの切れ味”と呼ばれた日本の競走馬「シンザン」が有馬記念を勝ち5冠馬となった。
1964(昭和39)年、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が営業を開始(ともに10月)した。まだ、経済的には明るい状況ではなかったが、この2大ニュースは戦後から完全に立ち直って新しい時代に突入したことを示す象徴的な出来事であった。当時の物価は週刊誌50円、大卒公務員の初任給が平均で約2万円、で、競馬の馬券一枚100円の価値は高かった。こんな時代背景のもとに、セントライト以来23年ぶりに、シンザンが史上2頭目のクラシック三冠馬になった。「シンザン」は、まさにこれからの時代を象徴するような馬として我々の前に出現した。そして、翌1965(昭和40)年、春の宝塚記念、秋の天皇賞(当時東京芝3200)を制して4冠馬となった「シンザン」は、堂々のファン投票1位で12月26日の第10回有馬記念に駒を進めてきた。このレースでは、陣営は、3年連続リーティングジョッキーになっていた関東の闘将加賀武見に騎乗を依頼するが、加賀は「シンザンに乗るよりもシンザンを倒したい」という考えから依頼を断りミハルカスに騎乗した。又、他の関東の有力騎手とも折り合いがつかず自厩舎の松本善登がシンザンに騎乗することになった。その事から「無敵シンザンに死角あり」とマスコミから騒がれたが、それでも、当日は単勝1.1倍の圧倒的1番人気だった。レースはシンザンがいつもの様に後方中団から進めてきたが、最後の4コーナーで、ライバル・ミハルカスの加賀武見騎手の奇策でシンザンは大外に振られて、TV中継のカメラの視界から消え、実況をしていたアナウンサーからも「シンザンが消えた!」と言うほどだったがこれはシンザンの松本善登騎手の好判断で自ら大外ラチ沿いからゴールを目指していたのである。そしてTVカメラが次にシンザンの姿を捉えた時は、シンザンが先頭でゴール板を駆け抜けていた。シンザンは見事な5冠馬となったのである。
競馬には現在、階級的に頂点のG1と呼ばれるレースがあるが、これは約20年前に導入されたものであり、シンザンの頃にはなかった。シンザンの頃にはG1に相当するものとして、八大競走と呼ばれるレースがあった。それは、皐月賞、日本ダービー(東京優駿)、菊花賞の3冠のほか、桜花賞、オークス(優駿牝馬)、天皇賞・春、天皇賞・秋、有馬記念の5レースである。このうち桜花賞とオークスは牝馬しか出走できないので「シンザン」は出走できない。更に当時は天皇賞に勝ち抜けという決まりがあり、一度天皇賞を制した馬は、もう天皇賞にでられない。だから、「シンザン」が5冠を制したということは、今で言う全てのG1を制したことになるのである。史上初の5冠馬となって、ミスターシービーやシンボリルドルフが出現するまで、日本競馬界の目標は長いこと、「シンザンを超えろ」であった。日本競馬史上有数の名馬「シンザン」は、通算成績は19戦15勝、しかももすべて連対(1着および2着)で、これは今も中央競馬レコードだそうである。内国産種牡馬としての功績も際立っており、競馬生活すべてにおいて、比類のない存在感を保った。競走馬の最長寿記録も作った不世出の名馬は、1996(平成8)年7月13日、35年の偉大な生涯を閉じている。
話変って12月25日に本競走が開催される時には『クリスマスグランプリ』と言われる。昨、12月25日’05年のフィナーレを飾る有馬記念(中山)が開催されたが、正にその『クリスマスグランプリ』に当たっていた。このクリスマスの日に本競走が開催されたのは、今年、2005年の第50回記念大会(5年に1度の記念大会として初開催)で5度目。
今年は、8日の有馬記念ファン投票の最終結果でも1位の座を獲得した無敗の3冠馬「ディープインパク」が主役だった。私は普段余り競馬を見ないが、話題の馬と話題のレースは見る。競馬で活躍する馬は、大きくてパワフルな馬というのがこれまでの常識であるが、三冠のかかった菊花賞で見た「ディープインパク」は、「ちっちゃい馬だなあ」と言うのが最初の印象であった。しかし、前半大きく離されていた「ディープインパク」が見せた最後の差し足は驚くほどの早さであった。ディープインパクトに騎乗の武豊騎手も、「空を飛ぶような走り」と表現しているが正にバネのある、常識を越えるほどの強い馬だった。ただ、1番人気 で単勝 7100 円では・・・。 『クリスマスグランプリ』有馬記念ではどうかと大いに期待していたが・・・。残念ながら、ハーツクライに半馬身及ばず、2着。デビュー8戦目で初黒星を喫した。ディープインパクは終盤の瞬発力が売り物だが、昨日は、最後の伸びが今ひとつであった。騎乗の武豊は「いつもの走りじゃなかった。こんなことは初めて、負けてはいけない立場で負けてしまい、ノルマを果たせなかった力のなさを感じます」(朝日朝刊)と感想を述べている。改めて、「シンザン」の強さを見直した感である。
(画像は、シンザン像。京都競馬場。以下参考のシンザン - Wikipediaより)
参考:
シンザン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%B3
名馬を振り返る50年/時代を駆け抜けた名馬たち/シンザン
http://www.jra.go.jp/50th/html/50horse/02.html
日刊競馬で振り返る名馬 - シンザン(1964年・菊花賞)
http://www.nikkankeiba.com/jra50/02/02.html
Yahoo!ニュース- ディープインパクト
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/deep_impact/
1964(昭和39)年、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が営業を開始(ともに10月)した。まだ、経済的には明るい状況ではなかったが、この2大ニュースは戦後から完全に立ち直って新しい時代に突入したことを示す象徴的な出来事であった。当時の物価は週刊誌50円、大卒公務員の初任給が平均で約2万円、で、競馬の馬券一枚100円の価値は高かった。こんな時代背景のもとに、セントライト以来23年ぶりに、シンザンが史上2頭目のクラシック三冠馬になった。「シンザン」は、まさにこれからの時代を象徴するような馬として我々の前に出現した。そして、翌1965(昭和40)年、春の宝塚記念、秋の天皇賞(当時東京芝3200)を制して4冠馬となった「シンザン」は、堂々のファン投票1位で12月26日の第10回有馬記念に駒を進めてきた。このレースでは、陣営は、3年連続リーティングジョッキーになっていた関東の闘将加賀武見に騎乗を依頼するが、加賀は「シンザンに乗るよりもシンザンを倒したい」という考えから依頼を断りミハルカスに騎乗した。又、他の関東の有力騎手とも折り合いがつかず自厩舎の松本善登がシンザンに騎乗することになった。その事から「無敵シンザンに死角あり」とマスコミから騒がれたが、それでも、当日は単勝1.1倍の圧倒的1番人気だった。レースはシンザンがいつもの様に後方中団から進めてきたが、最後の4コーナーで、ライバル・ミハルカスの加賀武見騎手の奇策でシンザンは大外に振られて、TV中継のカメラの視界から消え、実況をしていたアナウンサーからも「シンザンが消えた!」と言うほどだったがこれはシンザンの松本善登騎手の好判断で自ら大外ラチ沿いからゴールを目指していたのである。そしてTVカメラが次にシンザンの姿を捉えた時は、シンザンが先頭でゴール板を駆け抜けていた。シンザンは見事な5冠馬となったのである。
競馬には現在、階級的に頂点のG1と呼ばれるレースがあるが、これは約20年前に導入されたものであり、シンザンの頃にはなかった。シンザンの頃にはG1に相当するものとして、八大競走と呼ばれるレースがあった。それは、皐月賞、日本ダービー(東京優駿)、菊花賞の3冠のほか、桜花賞、オークス(優駿牝馬)、天皇賞・春、天皇賞・秋、有馬記念の5レースである。このうち桜花賞とオークスは牝馬しか出走できないので「シンザン」は出走できない。更に当時は天皇賞に勝ち抜けという決まりがあり、一度天皇賞を制した馬は、もう天皇賞にでられない。だから、「シンザン」が5冠を制したということは、今で言う全てのG1を制したことになるのである。史上初の5冠馬となって、ミスターシービーやシンボリルドルフが出現するまで、日本競馬界の目標は長いこと、「シンザンを超えろ」であった。日本競馬史上有数の名馬「シンザン」は、通算成績は19戦15勝、しかももすべて連対(1着および2着)で、これは今も中央競馬レコードだそうである。内国産種牡馬としての功績も際立っており、競馬生活すべてにおいて、比類のない存在感を保った。競走馬の最長寿記録も作った不世出の名馬は、1996(平成8)年7月13日、35年の偉大な生涯を閉じている。
話変って12月25日に本競走が開催される時には『クリスマスグランプリ』と言われる。昨、12月25日’05年のフィナーレを飾る有馬記念(中山)が開催されたが、正にその『クリスマスグランプリ』に当たっていた。このクリスマスの日に本競走が開催されたのは、今年、2005年の第50回記念大会(5年に1度の記念大会として初開催)で5度目。
今年は、8日の有馬記念ファン投票の最終結果でも1位の座を獲得した無敗の3冠馬「ディープインパク」が主役だった。私は普段余り競馬を見ないが、話題の馬と話題のレースは見る。競馬で活躍する馬は、大きくてパワフルな馬というのがこれまでの常識であるが、三冠のかかった菊花賞で見た「ディープインパク」は、「ちっちゃい馬だなあ」と言うのが最初の印象であった。しかし、前半大きく離されていた「ディープインパク」が見せた最後の差し足は驚くほどの早さであった。ディープインパクトに騎乗の武豊騎手も、「空を飛ぶような走り」と表現しているが正にバネのある、常識を越えるほどの強い馬だった。ただ、1番人気 で単勝 7100 円では・・・。 『クリスマスグランプリ』有馬記念ではどうかと大いに期待していたが・・・。残念ながら、ハーツクライに半馬身及ばず、2着。デビュー8戦目で初黒星を喫した。ディープインパクは終盤の瞬発力が売り物だが、昨日は、最後の伸びが今ひとつであった。騎乗の武豊は「いつもの走りじゃなかった。こんなことは初めて、負けてはいけない立場で負けてしまい、ノルマを果たせなかった力のなさを感じます」(朝日朝刊)と感想を述べている。改めて、「シンザン」の強さを見直した感である。
(画像は、シンザン像。京都競馬場。以下参考のシンザン - Wikipediaより)
参考:
シンザン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%B3
名馬を振り返る50年/時代を駆け抜けた名馬たち/シンザン
http://www.jra.go.jp/50th/html/50horse/02.html
日刊競馬で振り返る名馬 - シンザン(1964年・菊花賞)
http://www.nikkankeiba.com/jra50/02/02.html
Yahoo!ニュース- ディープインパクト
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/deep_impact/