こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

交 換 条 件

2018-09-16 07:41:51 | Weblog
生活を維持するための

基礎的条件

を満たすインフラ

となっている

ライフラインの一つ

である電力輸送システム

に重大なダメージが発生すると

当該地域でブラックアウト

が一瞬で発生する

その確率は大いに高まる

今回の北海道で起きた地震は

その事実を教訓として

残した


仮に都市部で懸念されていた

直下型地震

が発生した場合

被害の大きさは更に大きなものとなる

取り訳けこの日本では

至る所で巨大な自然災害

に襲われたとしても

仕方がない

という状況が予てから

設定されている


電力供給のネットワークが

二次的に惹起する

インフラの同時多発的喪失

という状況の出現



生命のみならず

社会資産をほぼ一瞬

で失わせ

経済機能のマヒ

を必然的に現実化する


今回の教訓を未来に生かす

ことが

日本の将来を

決定的なものにする


大電力に依存する比率を引き下げ

独立独行型の

二酸化炭素を発生させない

未知の小型電源による

意図的な分散配置を

実施する以外に

有効な対応法は見当たらない

だが

この仕組みに気付けば

エネルギーの安全保障だけでなく

国家の安全保障政策にも

決定的な影響を与え

日本を世界の指導国

へと押し上げる

契機となる


世界中が探し求めている

垂涎の的

こそCO2を発生させない

電力創出法であるからだ

その供給権を持つ

国だけが

繁栄を約束する資質

を只一人もつ


地下資源を燃やさなくても

電力を生み出すことは

十分可能

再生可能エネルギーがそうであるように

電力会社に依存しなければ

なりたたない旧弊な

環境電源の増設など

有害無益な行為であり

損失の源泉にしかならない


過去の環境投資のすべて

が無効であった

という事実を実証した

パリ協定の成立は

気候変動を止めることが

不可能

であるとそう断定した

だからこそ猶予期間を

最長で今世末

と措定せざるを得なかった


過去に実施された

無駄な投資のあれこれが

国際経済の成長を

抑圧する結果を招いた

事実が先進諸国へと

デフレ経済を

蔓延させた


環境投資による有効需要の創出

が実現していたのであれば

世界中から投資の波が押し寄せていて

それが国際経済を牽引する

動力源として

機能していた筈なのだ


この判断の誤りこそが

CO2濃度を着実に引き上げることとなり

気候変動を加速する経過

をこれほど早く引き寄せた


再生可能エネルギーへの

無分別な投資

の増加

が国際経済にいま

負の成長圧力

をかけている

度重なる投資の失敗は

判断能力の質の劣化

をよく物語っている


京都議定書へと至る一連の

準備期間

を含めて

過去三十年間の努力の総て

が無駄となり

増え続けていた二酸化炭素濃度

をより一層高め

それが気候変動を

地表へ発現せしめた


最大の原因が

火力発電という方式にあることを

文明社会は承知していながら

状況を改善することが

未だにできない


科学技術を急速に発達

させてきた時代が生んだ

この文明社会は

経済の成長を急がせて

繁栄を手に入れたのだったが

そのことこそが

電気エネルギーの需要拡大

を前提としたものだった

その結果

自然条件下で

完全に分解できていたCO2

を解消することができなくなり

閾値のレベルを超えた時から

濃度の蓄積が始まった


こうして温室効果

を一方的に積み上げる展開

が地表へと生じ

気候変動を急がせて

自然災害の狂暴化を

容認せざるを得なくした


温室効果ガスの代表的存在

である二酸化炭素が

大気中に滞留するようになり

その濃度を着実に

高めていったということが

温暖化を発現させたその経緯


フロンガスが

オゾンホールを広げている

事実が警告されたのと

ほぼ同じタイミング

で温暖化現象が

気候変動の原因となる

としたその警告が

発せられていた

経過の事実が存在する

70年代中ごろのことだった


この時代は

73年の第一次石油ショックと

79年の第二次石油ショックとが

相次いで起きた

気候変動条件のエポック

となった


石油の需給が逼迫する

ことを察した先進諸国が

石油の備蓄を急ぎ

流通在庫としてではなく

エネルギー安全保障政策の一環

として中間在庫を積み上げた


石油の対価を決済するための通貨

となっていたドルの需要

はその時を境にして

急速に高まった


石油備蓄を確保したあと

先進諸国はドルの調達

を産油国

就中OPEC加盟諸国

から迫られ

ドルの発行権をもつアメリカは

機軸通貨の供給量を

増やさざるを得なかった


需要が高まっている時に

その供給を怠れば

価格は勝手に高騰しはじめる

需給バランスを失ってしまうと

ドルの通貨価値は発行国の都合を超えて

勝手に暴走しはじめる


ドルを安定供給してきた

当時のドル資本(現在の国際金融資本)

と概括されていた勢力が

執拗なドル高状態の継続を

アメリカに嫌気させ

当時国際経済を主導していたG5

を臨時招集し

ドル売り

の協調介入へと踏み切った

経済史に記録を残したプラザ合意

は85年の出来事だった


こうしてドル売り外貨買いの潮流

が一斉に生まれ

その資本が

日本市場を目指して上陸してきた

この変化が

日本にバブル経済を

生み落す契機となった


エネルギー資本が

不動産投資へと向かった

最初の変化



こうして日本市場を舞台

として

引き起こされたものなのだ


経済成長は資本の流動化

を導いて日本経済を急進させた

だが

それは地球環境の劣化

と引き換えだった


交換条件が付いた

ということを

当時誰も悟れなかった

この事実こそ

後の止まらない温暖化

を生み出したその理由
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