山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

JR山中渓駅から岬公園駅へと歩く

2020年11月09日 | 山野歩
2020年10月31日(土) 
『山の会』
<ダイヤモンドトレールⅦ>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[JR山中渓(たに)駅] 8:46 → 9:29 [第一パノラマ展望台への分岐]→ 11:06 [雲山峰] 11:16 → 12:05 [井関峠] → 12:30 [懴法(せんぽう)ヶ岳・西峰] → 12:57 [大福山] 13:17 → 13:39 [奥辺峠] → 14:33 [札立山] → 15:41 [飯盛山] → 17:25 [岬公園駅]
<JR山中渓駅から岬公園駅へと歩く>
今日の山の会山行について、参加するとは皆に伝えていなかった。
初めて購入したスマホが上手く使えなくて、
なかでも、山の会の連絡手段となっているLINEも上手く使えなくて、
ここのところ、スマホを触るのが面倒だと感じていたからで、
集合時刻であるJR山中渓駅に、8時28分に行けば皆に会えるだろうとの判断であった。
ところが、情けないことが理由で、乗らなければならない電車に乗りそこない、
JR山中渓駅に到着したのが、集合時刻よりも15分くらい後になってしまう。
当然のことながら、僕がやって来るとは思っていない皆は、既に出立した後であった。
仕方ないよなと思い、地図を拡げ、県道64号線を歩き始める。
ハイキングコースへと入る入口を、その道を見落とさないようにと注視して200㍍ほど進むと、
首尾よく道標を見付ける。後は、道と道標が僕を導いてくれた。
前回と前々回の二度、山の会の例会山行に出席していなかった。
それは、我が足の靴擦れと腰痛などが原因だった。
それゆえ今日は、皆と一緒に歩きたいと思っていたのだが、また、独り山行になってしまったよなと思いつつ歩いていた。
スタート地点である山中渓駅を、皆より10分あまり遅れて歩き始めたので、
皆よりも歩くのが遅い僕の脚では、その10分はあまりにも大きく、
追いつく筈もないし、諦めて、我がペースでゆっくりと歩き続けた。
皆に追いつけるなんてことは、毛頭考えていなかった。
それゆえ、日没を迎えてからは、歩いたことがない見知らぬ山道を、
ヘッドランプの灯で足下を点しつつ、独りで歩かねばならないよな、
道は分かるのだろうか、道を間違わないようにしなければならないよななんて考えて歩いていた。
先月の霊仙山における二度にわたる道迷いを思い出しながら。
しかし、到着地点がバス亭ではなく鉄道の駅ゆえ、
バスの最終時刻を気にして、焦って歩き続ける必要がないことが嬉しいことであった。
電車だと22時が廻っても動いているだろうからと、
のんびりとした心根で、脚に痙攣が生じないように、我がペースでゆっくり歩みを進めた。
井関峠の手前くらいからだったと思うのだが、
高校生によるワンゲルの大会が行なわれているらしく、30名以上の若人が僕を追い抜いて行った。
リュックサックには、田辺、松陰などと学校名が書かれたゼッケンが貼ってあった。
その高校生達の一部が集う大福山で僕もお昼にした。
ハイキング道より数段階段を上ったところに大福山の頂があり、ちょっとした広場になっていて、幾つかのベンチが用意されていた。
ベンチにザックを置き、立った儘の姿勢で菓子パンを頬張るときに、後方より僕の名前を呼ぶ声があった。振り返ると其処に皆が居た。
それは信じられないことで、皆も信じられないという様子であった。
「連絡が無いから来るような気がしていた」と安部ちゃんが言った。
皆は僕の後方を歩いていたのだ。しかしそれには理由があった。
それは、暗くなるまでに岬公園駅に着くようだというリーダーである梅安さんの判断で、
俎石山(マナイタイシヤマ)を往復してきたのだという。
昭文社の案内によると、その往復には40分は掛かるようだから、皆は僕よりも30分ほど前を歩いていたことになる。
出会ってからはいつもの順番で歩き続けた。
先頭はリーダーの梅安さん、次は東さん、三人目は聖子さん、そして僕、最後は、僕の見守り役の安部ちゃんであった。
併しだ、皆と出会ったことで心配ごとが一つ持ち上がった。
それは、我がペースではなく、皆のペースで歩かねばならなかったことだった。
このペースだと“こむら返り”が生じるに違いないと思い、小休止を取るときに、用心のために芍薬甘草湯を一袋服用した。
飯盛山だったと思うのだが、小休止するときに、一頭のアカタテハが眼前に舞い降りた。
羽化してまだ間が無いのかも知れないと思うほどに、鮮やかな色彩の翅を有していた。
しかし、間も無くやって来たもう一頭のアカタテハと一緒に舞い上がり、我が視界から姿を消してしまう。
華やかな蝶の色彩を愉しんだのは瞬時のことであった。
秋の花も我が眼を愉しませてくれた。
春や夏の花と違って、落ち着いた色彩の花達なのだが、我が眼に留まった花の名前を順番に挙げると、
ヤクシソウ、センブリ、アキノキリンソウ、ヒヨドリバナ、ヤマシロギク、ヤマハッカ、ツリガネニンジン、シラヤマギクだ。
併しだ、岬公園駅までもう30分ばかりという所でカメラに収めた、二種類の黄花の名前が残念ながら分からない。
また、花ではないのだが、久し振りにサンショウに出合った。
それは、もう其処が井関峠という処であった。道の真ん中に、50cmくらいの高さまで伸び上がっていたのだ。
触るとサンショウ独特の芳しい香があった。

(写真上・名前がわからない黄花)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滋賀・霊仙山(29頭の鹿に出合う)

2020年10月07日 | 山野歩
2020年09月16日(水)
『山野歩』
<滋賀・霊仙山>
<榑ヶ畑~今畑~笹峠~霊仙山~経塚山~榑ヶ畑>
[コースタイム]
[榑ヶ畑・駐車スペイス]9:12 → 9:49 [榑ヶ畑・登山口] → 10:00 [売店小屋] → 10:19 [汗フキ峠] → 11:04 [落合] → 11:10 [今畑] → 12:18 [笹峠] 12:33 → 13:44 [近江展望台] → 14:53 [霊仙山最高点] → 15:05 [霊仙山] → 15:28 [経塚山] → 16:04 [霊仙神社] → 17:07 [汗フキ峠] → 17:31 [榑ヶ畑・登山口] → 18:06 [榑ヶ畑・駐車スペイス] 
◆所要時間:8時間54分
<29頭の鹿に出合う>
初めて霊仙山にやって来た。
昭文社の地図と小冊子を見て、案内にある通りに歩こうと決め、榑ヶ畑登山口より入山し、
一旦今畑へと下り、それより笹峠から西南尾根を辿り霊仙山頂を踏み、
経塚山経由でスタート地点である榑ヶ畑登山口へと下山する計画であった。
小冊子では、榑ヶ畑登山口まで車が入れるとのことであったが、
その手前で、林業関係者以外は乗り入れ禁止と書かれたゲートが設けられ、
それが叶わなかったことで、車を止めた処より、榑ヶ畑登山口まで舗装道路を歩くことになり、
それに37分も費やしてしまったのは、計算外であった。
閉まっている売店小屋を左に見て右折し上って行くと、間も無く汗フキ峠に到着したのだが、
それより落合へと向かう傾斜気味の下降路が至極怖かった。
トレッキングポールと設置してあったプラロープとが無ければ、僕の足腰では恐らく下れなかったに違いない。
今畑より笹峠への上り道で、予定以上に時間を費やしてしまい、
笹峠に到着したときには、既に12時が廻っていたので其処でお昼にする。
立った儘の姿勢で菓子パンを食べ、スポーツ飲料を呑み、15分後にはまた歩き始めた。
間も無く森林限界を過ぎ西南尾根に入ると、これまた歩き難い上り道が続きかなり疲れてしまう。
やっとのことで近江展望台に到着し、前方に連なる緩やかな山容を眺めると、
これでしんどい上り道から解放されるという安堵感が、我が心中に拡がったのだが、
それがそもそもの間違いだったのかも知れない。その安堵感の所為で二度も道を間違ったのだ。
今歩いている道は、踏み跡はあるのだが、どうも本来の道ではないようだと思い始め、
いずれも、来た道を引き返し、眼前のピークを目指すことにより解決したのだが、
予定外の時間と身体力を費やすることとなった。
それは、のっぺりした丘のような、同じような標高の山が周辺に幾つも連なっていて、
しかも其処彼処に道らしき道があるのが、道を間違った原因のように思えた。
道を間違ったお蔭でよいこともあった。それは29頭もの鹿に出合えたことだ。
霊仙山最高点前後くらいからだっただろうか、足下に沢山の黒くて丸い糞がころがっているので、
どうも鹿がいるようだと思っていたのだ。それは、道を間違えた二度目のことであった。
眼前のピークを目指し懸命に戻るときに、三頭の鹿が左手の尾根から僕の方を見ているのに気付いたのだ。
そしてだ、それより本来の道に戻り、これで今日中に我が家に帰れそうだと、愉楽の気持で歩き始め暫く経ったときのことであった。
眼前の尾根に沢山の鹿がいるのに気付く。
彼等は、好天を愉しんでいるが如くゆったりとした歩みで東へと進んでいる。
そうこうしているうちに軽やかに駆け始めたのだ。慌ててその頭数を数えると、なんと26頭にもなった。
それは既に15時半が廻っている時刻のことであった。鹿が我が視界から消えるのを待って帰路につく。
29頭もの鹿に出合えたことに嬉しさを感じ、それまでの疲れが吹き飛んだようだ。
歩き始めると、左手より鈴の音が聴こえてくるので、その方向に眼をやると、
30㍍ほど離れた処を僕と同方向へと進む独りの人がいたが、直ぐに僕の視界から消え去った。
鈴の音を聴いたときに、入山時に“熊出没”という看板があったのを思い出した。
今日の山行で見掛けた人はこの人も含めて三人で、笹峠より近江展望台へと懸命に上るときに、
南方を上から下りて来られた人と、今畑より笹峠へ向かうときに出会った人との三人だ。
今畑より笹峠へ向かう道で出会った男性とは言葉を交わす。
その中高年の男性は「彦根から来ました」「トレーニングが目的です」などと仰った。
今日の山行では、こむら返りに陥ることはなかった。
しかし、歩き難い西南尾根を懸命に上りやっとのことで近江展望台に到着したときに、
こむら返りの予感があったので芍薬甘草湯を一袋服用した。
この一袋が最後まで効いたのかも知れないし、終始、我がペースで歩いたからかも知れない。
車を止めた処より榑ヶ畑登山口へと舗装道路を歩くときに、我が眼を愉しませてくれたのは、
マツカゼソウとヘツカリンドウ、そしてタンナトリカブトだ。
なかでもマツカゼソウは、榑ヶ畑登山口より、今畑経由で笹峠までの森中では再三姿を現した。
その笹峠では、アケボノソウが眼に留まる。この花が咲くのに気付いたのは、後にも先にも此処だけであった。
汗フキ峠より落合へと向かう至極怖かった下降路では、足下にミズヒキが咲いていた。
笹峠より近江展望台へと続く傾斜のあるしんどい上り道は、ベニバナボロギクの天下といっても過言ではなかった。
それは花だけでなく白色の冠毛がかなり目立っていた。
その間隙に時折、黄花のカタバミが現れ、そしてもう一つ、ほんとうに小さな唇形の淡紅色の花にも何度か出合ったのだが、名前は分からない。
近江展望台より、石灰岩のカレンフェルトの道(小冊子による)を進むときには、トキワハゼやヒメフウロが眼に留まる。
また、エゾムラサキに似た小さな紫花も僅かに見ることができたのだが、残念ながら正確な名前は分からない。
霊仙山より経塚山への道ではタンナトリカブトがまた現れる。
それ以降は、陽が落ちるまでになんとか榑ヶ畑・登山口に着きたいと思い、花どころではなくなり、先を急ぎ歩き続けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤坂山・盛夏の暑さに負け疲労困憊に陥る

2020年09月07日 | 山野歩
2020年08月12日(水)
『赤坂山』
<盛夏の暑さに負け疲労困憊に陥る>
[コースタイム]
[自宅] 7:10 → 10:19 [マキノ高原駐車場] 10:31 → 10:49 [赤坂山・登山口] 10:53 → 13:44 [粟柄越] → 14:00[赤坂山(823.8㍍)] 14:35 → 16:30 [赤坂山・登山口] → [マキノ高原駐車場]
<蝶に助けられて歩く>
前回、赤坂山には2003年4月13日に訪れていて、
今年は、少し時節を後ろにずらして5月にやって来たいものだと、年初から考えていた。
しかし今年はコロナのこともあり、
また僕自身の日々の生活が赤坂山に来ることが可能な環境になかったので、今日の盛夏になってしまった。
その盛夏の暑さに負け疲労困憊に陥り、
一時はもしかすれば赤坂山に辿り着けないのかも知れないと思う程で、ほんとうにしんどかった。
本来なら、2003年の如く、赤坂山を経て、明王の禿から黒河林道へと進む計画で、
上さんにもそのように伝えてやって来たのだが、今日は赤坂山登頂で精一杯であった。
疲労困憊に陥ったからだろうか、狭い上り道で、足を取られ転んでしまい1本のトレキイングポールを折ってしまう。
さらに、下山時にこむら返りに陥ったのだ。
慌てて芍薬甘草湯をザックより取り出し服用して、その痛みから逃れられるまで、
暫くその場にジッと立ち止まらなければならなかった。
いつもなら、我がザック中には、芍薬甘草湯が4~5袋入っていて、
こむら返りに陥ったときには、然程時間を置かずに数袋服用するときも時折あるのだが、
迂闊にも今日はザック中に2袋しか入っていなかったのだ。
もしも下山し終えるまでに複数回こむら返りが生じたなら、それも酷い状態に陥ったなら、
芍薬甘草湯が不足してしまうのではないかと危惧し、最悪のときを想定して、
その後も何度かこむら返りが生じたのだが、残っていた一袋を服用することなく、
その度にジッと立ち竦み、痛みに耐え、痛みが自然と消滅するのを待たねばならなかった。
至極残念だったことがある。
それは、花の赤坂山と謳われるほどゆえ、夏に入っても開花する花に出合えるのだろうと期待していたのだが、
見掛けた花は僅かなキンミズヒキのみで、我が眼に飛び込んでくる花が皆無であったことだ。
2003年4月13日に赤坂山にやって来たときには、早春であったにもかかわらず、
僕の山日記に、イカリソウやスミレサイシン、丁子桜、タムシバ、イワナシ、ショウジョウバカマ、イワウチワ、
バイカオーレン、馬酔木、カタクリ、オオバキスミレ、イワウチワ、ミヤマカタバミという花の名前を記している。
ところが、そうでなかったこともあるのだ。
それはいずれも瞬時のことであったが、赤坂山へと懸命に足を進めるときのことだった。
一頭のモンキアゲハが我が眼前を飛翔したのだ。それ以降も2度、我が眼前に姿を現してくれたのだ。
また、帰宅して、蝶類図鑑(昭和35年発行)を見るが載っていなかったので、蝶なのか蛾なのかが分からないのだが、
一頭の蝶(蛾?)に出合え、その姿をカメラに収めたことだ。
さらに下山時に、一頭のクロアゲハが優雅な舞を見せてくれたことだ。
蝶に助けられて歩いたと言っても過言ではないような気がする。
赤坂山に到着したとき、頂には二人の方がおられ、彼等は今日山中で出会った唯一の登山者であった。
40歳代前半と思われる男女二人連れは、暫くすると、「明王の禿に行って、また帰って来ます」と言い残して出掛けられたのだが、
暫くすると「足下が悪くて怖くて」と言って女性だけ戻って来られた。
20分程でその男性は、明王の禿を往復して来られたのだが、僕には明王の禿へ行こうという選択肢はなかった。
彼等はその儘、マキノ高原へと向かわれた。
赤坂山山頂から、微かではあったが、霊仙山や伊吹山が確認できた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイヤモンドトレールⅢ・紀見峠~岩湧山~滝畑

2020年07月24日 | 山野歩
2020年06月14日(日) 
『山の会』
<ダイヤモンドトレールⅢ>
<紀見峠~岩湧山~滝畑>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[紀見峠駅] 8:52 → [越ヶ滝分岐] → 10:12 [三合目] → [根古峰] → [南葛城山への分岐] → 11:12 [五ツ辻] → 11:58 [岩湧山] 12:20 → 15:03 [滝畑]
<酷いこむら返りに陥る>
前回同様、リーダーの梅安さんは勿論のこと、東さんも快調に歩く。しかし聖子さんは少しばかり遅れ気味だ。
ところが僕は、先行く二人どころか、聖子さんにもついて行けない。
安部ちゃんはいつもの如く、僕のペースに合わせて最後尾を歩いてくれる。
三人は、分岐点などで僕が到着するのを待っていてくれるのだが、
今日も三人の歩みは、僕のそれと比してかなり速かったのは間違いが無い。
五ツ辻に到着したときには、まだ歩き始めて二時間ほどしか経過していないにもかかわらず、
我が脚には相当の疲労が存在し、岩湧山への登り道は辛いそれとなった。
もう其処が、岩湧山山頂だという急坂を懸命に上るときに、
前方からやって来られた男女二人連れの中高年の方が、草むら中に足を踏み入れ、ササユリを見付けられたようで、
「ササユリやけど、残念ながらまだ蕾」という女性の声が我が耳に届く。
しかし僕の心身には、それを見に行こうという余裕がなく、その場を通り過ぎ懸命に歩き続けると、
間も無く後方より、「咲いているよ」という歓喜の声が聴こえたのだ。
すると、僕の後を歩いていた安部ちゃんは、開花しているササユリの姿をスマホに収めたいと、そちらへと引き返したのだ。
本来なら僕も安部ちゃんに倣い、我がカメラにその清楚な姿を収めんと引き返すのだろうが、
その声を打ち消し、岩湧山の頂へと歩き続けた。
思わぬ好天に恵まれた岩湧山の頂での一休み後、滝畑へと続く下り道で、両脚の大腿部が酷いこむら返りに陥る。
慌てて芍薬芍薬甘草湯を取り出し服用するが、その痛みと言ったら、表現の仕様が無いくらいのそれだった。
立った儘、脚を真っすぐに伸ばし、暫し痛みに耐えるが逃れることが出来ない。
次は、その場に腰を下ろし、両脚を真っすぐ前へと投げ出す姿勢で、暫時痛みに耐えていると漸く和らぎ始める。
岩湧山に至る行程で、左足の親指が既に攣っていたので、もしかすればと思っていたのだが、案の定、歩けない状態に陥ってしまう。
この我が脚では、計画通り皆と一緒に槇尾山へは行けそうにないと判断し、
僕は滝畑で待っているゆえ、安部ちゃんは皆と一緒に槇尾山は行ってほしいと伝えると、安部ちゃんは直ぐにその場を離れた。
僕は10分あまり其処に坐っていたのではないだろうか。
痛みが消滅した脚で、至極ゆっくりとした足取りで下って行くと、皆は次の分岐点で僕がやって来るのを待っていてくれた。
この時刻から槇尾山に行くと、滝畑のバス時刻に間に合わないという梅安さんの判断で、
滝畑よりバスで帰路につくことになったのだが、また皆に迷惑を掛けてしまうこととなった。
今日出合った花は、歩き始めて間も無く現れたホタルブクロ やノアザミ、フヨウ。
そして、五ツ辻へと樹林中を懸命に歩くときに、足下に散らばっていたテイカカズラの花弁とタツナミソウやドクダミくらいだっただろうか。
紀見峠駅を離れたときより、皆に付いてゆくだけで精一杯で、僕の心身は花どころではなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の会・ダイヤモンドトレールⅡ

2020年07月03日 | 山野歩
2020年05月24日(日) 
『山の会』
<ダイヤモンドトレールⅡ>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[車道] 9:10 → [車道] 9:50 →(太尾道)→ 11:10 [太尾塞跡] → 11:43 [大日岳] → 11:56 [金剛山頂] 12:20 → [一ノ鳥居] → [伏見峠] → 13:28 [久留野峠] → 13:41 [中葛城山] → 14:25 [千早峠] → 15:06 [行者杉] → [杉尾峠] → 15:52 [タンボ山] → [西ノ行者] → [山ノ神] → 17:11 [紀見峠] → 18:04 [紀見峠駅] [所要時間:8時間14分]
<太尾道~金剛山~紀見峠>
水越峠バス停まで金剛バスで入り、それより歩き始め、水越峠より金剛山へとダイアモンドトレールを辿る計画であったが、
葛城登山口バス亭よりホンの少し入ったところで、バスから降りなければならなかった。
それは、乗用車が車道沿いに延々と止まっていてバスが通れないという事情があったからだ。
下車後、金剛山へと続くであろう道を探しつつ、車道を前進したり後退したりしながら、
安部ちゃんと梅安さんが最終的に選択したのが太尾道(僕は、この道が太尾道だとは最後まで理解していなかった)で、
先頭を梅安さん、次が東さん、そして聖子さん、その次が僕、最後尾を安部ちゃんという順で歩き続けた。
梅安さんと東さんの羨ましいくらいの軽快な歩行が続く。
ところが、コロナの関係で運動不足と思われる聖子さんにはいつものような足取りが見られない。
僕は前行く三人について行くことが出来ず、三人の姿が、僕の視界から消えることが度々生じるが、
三人は分岐点等で僕がやって来るのを待っていてくれた。
大日岳到着は意外に早かった。
「あ!もう大日岳や」という思いが脳裏を過り、我が心中に安堵感が拡がったのを覚えている。
歩き始めてから既に2時間程経過しているのだが、我が脚には疲労感があまりなく、痙攣が起こりそうな気配がなかった。
結果として今日は、紀見峠駅到着まで我が脚はこむら返りに陥ることなく歩くことが出来のだ。
ただ、どの辺りだったのだろうか、誰かの言葉により、予防という意味合いで芍薬甘草湯を1袋服用したのだが、それが効いたのだろうか。
それとも、前回の大和葛城山の縦走路の如き激しい起伏が無かったからなのだろうか。
ところで、金剛山ロープウエイが動いていないと聴いていたので、登山者は少ないに違いないと僕は思っていたのだが、
意外や意外、山頂は大勢の家族連れやハイカー等で賑わっていた。
水越峠へと繋がる車道沿いに数多の乗用車が止まっていたことで、その賑わいを納得することになったのだが、
その乗用車の路上駐車のために、葛城登山口バス亭よりホンの少し前進したところまでしかバスは入れず、我々はそこでバスを降りなければならなかった。
「バスが通れない」「消防車が通れない」という現実に僕は不安感を覚えた。もしかすれば、乗用車の乗り入れを規制する必要があるのかも知れない。
いつものことだが、山の会の山行は、独り山行と比して、花等、植物をゆっくりと愛でる機会が少なくなってしまう。
それは僕の歩みが、皆のそれよりも余りにも遅く、ついて行くだけで必死の状態だからだ。
また今日に限って言えば、金剛山系は樹林中を進む道が多く、花咲く野草をあまり見掛けなかったのも事実だ。
そんな中、我がカメラ中に収め我が家に持ち帰った花咲く植物の姿が幾つか存在する。
その中で、カメラに収めた一番目の花は“ユキザサ”だ。葛木岳西方の茶店やトイレがあるちょっとした休憩広場にユキザサは咲いていた。
またその傍らに咲いていた白花を見るや否や“クルマバソウ”やと思ったのだが、その横に“クルマグラ”という名札が立っていた。
帰宅して植物図鑑を眺め、その差異に納得する。
それより伏見峠へと向かうときに、華やかな色彩のツツジに出合う。
安部ちゃんが、スマホのアプリで調べると、“紅斑ツツジ”と表示されたようなのだが、
帰宅して図鑑を見ると、そのような名のツツジは載っていない。

僕はスマホを持っていないので、その様子は分からないのだが、さて、アプリが間違っているのだろうか。
それより、久留野峠を通り過ぎタンボ山に至るまでの2時間30分余りの間、花を見ることはなかったのだが、
タンボ山を通り過ぎ暫くした頃に特異な姿の“ムサシグサ”に出合う。
次に花を見たのは、それより1時間余り後であって、紀見峠を通り過ぎて舗装道路を歩くときであった。
先行く三人の姿は消え失せたのだが、もう其処が紀見峠駅だという安堵感があって、
僕に付き合ってくれた安部ちゃんと二人で暫くの間、花を愉しんだ。
僕の眼を捉えて離さなかったのは、久し振りに見る“スイカズラ”であった。
僕がスイカズラをカメラに収め、その花の存在を初めて知ったのは、仁川(ムーンライト)の岩場であったのを明確に覚えている。
併しだ、帰宅して植物図鑑を見ていると、“スイカズラ”にそっくりな“ハマニンドウ” という植物もあるのだが、さてどちらが正解なのだろうか。分からない。
その傍らには,白花のウツギやノイバラ、そして淡紅色のヒメフウロ、
その向こうにはノアザミが幾輪も咲いていて、最後の行程で時の経過を忘れ、花を愉しむこととなった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・高雄~愛宕山~水尾~JR保津峡駅

2020年03月25日 | 山野歩
2020年03月15日(日)
『山野歩』
<高雄~愛宕山~水尾~JR保津峡駅>
[コースタイム]
[槇ノ尾] 9:00 → 9:20 [高雄山・神護寺] 10:00 → 11:02 [梨ノ木林道分岐] → (堂承川) → 11:25 (梨ノ木谷) → [月輪寺への分岐] → 12:55 [月輪寺] 13:05 → 13:42 [大杉谷分岐] → 14:12 [愛宕神社]14:30 → 15:07 [水尾分かれ] 15:15 → [嵯峨水尾] → 17:20 [JR保津峡駅]
◆所要時間:8時間20分
<つらくとも こらえて登れ皆の衆>
15時40分頃にはJR保津峡駅に到着するであろうという予定であったので、
また、日没時刻がだいぶん遅くなってきたこともあり、
槇ノ尾バス停より直ぐのところに位置する、弘法大師縁の高雄山・神護寺を拝観する。
明王堂より五大堂、毘沙門堂、太師堂、金堂、多宝塔へとゆっくりと歩み、
ほぼ40分を費やするが、十分に観ることができなかった。
なかでも金堂内部を。いつの日にか一度、神護寺のみを目的にやって来たいと思う。

清滝の流れを見つつ、先週の山の会山行時の辛かった脚の痙攣を思い出しながら、いつもの我が足取りでゆっくりと歩む。

堂承川を確認し、月輪寺への分岐点で小休止して梨ノ木谷沿いの道をホンの少し進むと、立入禁止の柵が設けられている。
理由として、「倒木多数 難路・危険 梨ノ木谷」と記されている。

計画通りサカサマ峠を踏みたいと思ったが、
「倒木はきっと大変だろうと考え「無理をしたらあかん」と、月輪寺への分岐へまで戻り月輪寺へと向かう。
月輪寺参道はかなりしんどかった。脚が攣らないように気を配りながら50分近く歩いたころに、
「つらくとも こらえて登れ皆の衆 大師聖人にあうと思え」という木製看板に眼が留まった。
誰もがこの登り道はしんどいに違いないと納得し、
そこにあったベンチで小休止して再び歩き始めやっとこのことで到着した月輪寺は、
荒廃しているという景観でがっかりしてしまう。
「月輪」という名称の寺とは、どんなに綺麗なお寺なのだろうかと期待し楽しみにしてやって来たのだが、
その様子は鄙びたというものではなく、ただ手が入っていないだけという印象が強かった。

併しだ、改修のための寄付金として300円を木箱に納めた。
神護寺に立ち寄り、40分余り時間を費やしてしまったことを後悔しながら歩き続け、
登り道の傾斜が緩くなったと思ったら愛宕神社階段下到着であった。

長い石段を、トレッキングポールに身体を預けながら懸命に上がり、
愛宕神社到着は計画よりも1時間50分も遅い時刻であった。
お参りを済ませ、愛宕神社より出て来ると雪が風に吹かれ舞っていた。
それは暫時のことであったが、それ以降も大気は冷気に包まれた状態が続いた。
水尾分かれにあった小屋で小休止にして水尾へ向かう。
それより小一時間しっかりとした道を下ったころだろうか、
黄色い蜜柑が生っている樹木が目立ち始めると嵯峨水尾到着で、
看板に記されていたように、ゆず風呂の営業を営んでいる家屋が数軒あり、
黄色い柚子の果実を其処彼処に見ることとなった。

その水尾では柚子だけでなく、梅や桜、そしてシキミの薄黄色の花にも出合い、我が眼を愉しませてもらう。

また今日出合った花は、前記以外にアセビとヤブツバキと木本のみで、咲く草本に出合えなかったのが至極残念であった。
今朝出掛けるときになって、ザックに入れていた雨カッパを放り出し、ヤッケをゴアテックスのものに替える。
それはザックを少しでも軽くしたいという思いからだったのだが、
もう直ぐ保津峡駅というころになって冷たい雨が降り始めた。しかし傘も持っていたので、然程濡れることはなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の会・ダイヤモンドトレールⅠ

2020年03月14日 | 山野歩
2020年03月07日(土) 
『山の会』
<ダイヤモンドトレールⅠ>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
[二上山駅] 8:46 → 10:04 [二上山雄岳] → 10:31 [二上山雌岳] → [岩屋峠] → [竹内峠] → 12:08 [平石峠] 12:25 → 13:10 [岩橋山] → [岩橋峠] → 13:40 [忍海道分岐] → [北尾根登山道分岐] → 15:48 [大和葛城山] → [葛城山頂下トイレ前] 16:18 → 17:25 [葛城登山口] → 18:03 [東水分バス亭]
<二上山~平石峠~大和葛城山>
前回このコースを歩いたのは、2017年4月30日のことで独り山行であった。
スタート地点は今回と違って二上神社口駅で8時03分に歩き始めている。
そして大和葛城山到着が15時46分と山日記に記しているので、今日よりも40分ほど早いスタートなのだが、
今回の大和葛城山登頂時刻は前回と殆ど変わらないゆえ、前回よりも今日の方が歩く速度が速かったのは間違いがない。
しかし前回の山日記には、こむら返りが生じて辛い歩行であったとは記していないので実際は如何だったのだろうか。
2017年の山日記に「大和葛城山へと続く複数の長い急勾配の丸太階段に閉口し、
その一つの階段を避けようと、左へと続く巻き道らしき道を前進すると、
細いが明確な道に飛び出した。結果的にその道は北尾根登山道であったのだが…」と書いているので、
あのときも我が脚はやはりしんどかったのではないだろうか。
しかし今日と違って、独り山行ゆえマイペースで我が脚力に合わせて歩いていたので、
今回のような酷い筋肉痛に襲われることはなかったのかも知れない。
今日は、大和葛城山へと続く長い上り階段を仰ぎ見て、
脚が攣ることなく、さてこれを上り切ることが出来るのだろうかとつくづく考えたのを覚えている。
大和葛城山が近づいてから3度も芍薬芍薬甘草湯を服用しなければならなかった。それも連続で。その場面は何れも上り道であった。
歩けない事態に陥り、立った儘の姿勢で慌てて芍薬甘草湯を取り出し痛みに耐えながら服用する。
暫く経つと痛みが消えてゆくのだが。それは暫時のことであった。
今日のダイトレ山行は梅安さん主導で、僕は殆ど理解していなかったのだが、
夕方に水越峠までバスが一便入っていて、大和葛城山からダイヤモンドトレールを水越峠へと歩き、
バスに乗って富田林へと帰る予定だったらしいのだが、
また次回は、朝に水越峠までバスで入って、ダイヤモンドトレールを金剛山へと繋ぐ予定であったようなのだが、
僕の脚力の所為で、それらの計画を潰してしまうという結果になってしまったようだ。
その結果、下山場所を水越峠から葛城登山口へと変更し、大和葛城山より天狗谷道を下り、葛城登山口バス亭を目指したのだが、
そこでもバスの最終時刻に間に合わず、東水分バス亭まで、日没を迎え薄暗くなった車の多い国道309号線を歩くこととなった。
更に東水分バス亭では、17時台のバスに15分間に合わず、最終バスまで40分ほど寒い中バスがやって来るのを待つこととなり、僕の所為で皆に迷惑をかけてしまったのだ。
ところで、大和葛城山は360度の眺望だが、二上山駅より其処に至るまでは、ずっと視界の利かない樹林帯中の道であった。
また森中は、春はまだまだ遠いという印象で、眼に留まった花はオオイヌフグリのみであった。
しかし里に下りて来ると道すがら紅白の梅が時折眼に留まる。
そんな中、「あの白花は梅なんやろか、桜なんやろか」という声が上がる。
手が届く白花の前にやって来たときに安部ちゃんが立ち止まった。
暫くして追いついて来た安部ちゃんに「あれは何やったん?」と問い掛けると、「桜や」と答えた。
「何で桜と判るん?」と訊くと、「花弁と香りで判る」と応えた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生駒山系縦走路・私市駅~生駒山頂~高安山(三年連続の生駒山系縦走路の歩き初め)

2020年01月23日 | 山野歩
十三峠

2020年01月02日(木)
『生駒山系縦走路』
<私市駅~生駒山頂~高安山>
[コースタイム]
[京阪・私市駅] 7:25 →[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→ 8:05 [ピトンの小屋] →(さえずりの路)→(つつじの小路)→ 8:36 [展望デッキ] 8:46 → [やまびこ広場]→(まつかぜの路)→ 9:30 [飯盛霊園・境界鞍部]→ [飯盛霊園内] 9:53 → 10:10 [ビオトープ田原の里山・車止め] → 10:32 [堂尾池] → 11:02 [むろいけ園地入口]→[湿生花園]→ 11:20 [新池展望広場] 12:00 →[阪奈道路]→ (産業廃棄物処理場&農地)→ 12:45 [農地終了地点]→(カントリークラブ横)→ 12:56 [龍王神・祠]→ 13:07 [灯篭ゲート広場]→[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→[くさか園地バイオトイレ]→ 13:55 [辻子谷ハイキングコース北出合] 14:05 → 14:35 [生駒山頂(遊園地内)]→ 15:12 [暗峠]→[大原山]→ 15:51 [鳴川峠]→ 16:33 [鐘の鳴る展望台] 16:40 → 17:16 [十三峠]→ 17:15 [平群分岐]→[立石越ハイキング道分岐]→ 18:05 [高安山・ケーブル山上駅]
◆所要時間:10時間40分
<三年連続の生駒山系縦走路の歩き初め>
ヘッドランプが何となく暗い。足下が明確に見えない。調子が悪いのだろうか、それとも電池がないのだろうかと思いつつ暫く歩いていると突然消灯してしまう。
それはどの辺りだったのだろうか、時間に追われ高安山へは登らず、“高安山・ケーブル山上駅”を目指し懸命に歩いているときであった。
今日は半月の月明かりがあったので足下が微かに見えたので助かった。
ヘッドランプそのものは、17時頃にザックより取り出し頭に付けて一旦電源を入れてみるがあまり明るくない。
もしかすればこんなものかも知れないと考え直ぐに消灯して歩いていた。
日ごろ山に行っても日帰り山行のみゆえ、ヘッドランプを使用することが殆どないので、その調子が悪いのだろうと安易に考えていた。
ザック中に予備電池があるのだが、それが消灯したときは既にかなり暗かったので交換が儘ならなかったし、
ケーブルの最終便(18時10分)の時刻が迫っているので、交換している時間がなかったのも事実であった。
その証拠に、少しの時間であったが、殆ど見えてない道を、月明かりを頼りに懸命に歩き、
ケーブル山上駅に到着したのが最終便の僅か5分前だったのだ。
最終時刻に間に合わなければ、“立石越ハイキング道”を歩いて下山すればよいと当初は考えていたのだが、
消灯後には、ヘッドランプ無しでは歩いて下山できないかも知れないという思考が我が脳裏にあった。
「ヘッドランプの予備電池は、直ぐに取り出せるところに入れて置くべきだった」
「ヘッドランプの電光が弱いと思ったときに直ぐに電池を交換すべきだった」等と後悔した。
まさに遅かりし由良之助で、明るいうちに交換すべきだった。
“むろいけ園地”入口にある“瓢箪池”に架かる橋はまだ通行止めの儘であった。
前回此処を通ったのは暑い季節だったと記憶するゆえ、それより3~4月は経つ筈なのだが、まだ復旧していない。
あのときに、湿性花園上の木橋上に坐り込んでおられた男性が、「役所にお金がないから直せないらしい」と言っておられたのを思い出した。
木道を前進すると今度は木橋が一部崩壊していた。
それをやり過ごすとき、前方からやって来られた方がなんと、数ヶ月前に「役所にお金がないから直せないらしい」と言っておられた年配の男性であったのには驚いた。今日は奥様も御一緒であった。
それより直ぐにやって来た“新池展望広場”でお昼にする。
此処はメイン通りから少し左手に入った処に位置するからだろうか人があまり居ない清閑な広場だ。この広場を知ってから僕は、此処でお昼タイムを取るようになった。
今日も此処でお昼にしているとき、独りの中年男性がやって来た。
そしてその男性が、鞄より長くて細い紐を取り出し紐先に錘らしき物を付けると、樹木の枝を目掛けて放り上げる。
錘が地面に落ちると紐を手繰り寄せ、また枝を目掛けて放り投げるのだ。その動作を何度も繰り返しておられた。
其処で僕はその男性に、「何をしておられるんですか」「目的は何なんでしょうか」と訊ねてみると、
「この細紐を枝に掛けてから、それに太いロープを付けて、そのロープを支えにして木に登るんです」
「登って行って、枝を切ったり木を伐採したりするんです」「それが、僕の仕事なんです」
「暇なときに、投げる練習をするんです」「コツを忘れないようにやってるんです」
「こんなすっきりとした所はあまりないんです」「藪など木がいっぱい生えている所の方が多いんです」等と、男性は丁寧に答えてくださった。
「昨年の台風19号の後、山に行くと、倒木が多く見られましたが」と更に訊ねると、
「台風19号の後はたいへん忙しかったです」「線路や架線などに倒れかかったり、覆ったりした樹木の枝切りや伐採で忙しかったですね」
「最近、JRからの仕事が増えています」と続けた。こんな仕事があるんだと思い、知らなかった世界を覗かせて貰ったような気がした。
スマホで山歩きを楽しんでいる47歳の男性に出会った。
彼とは“辻子谷ハイキングコース北出合”より生駒山山頂を目指して急勾配の道を懸命に上るときだった。
「しんどいですね」と後からやって来た男性から声がかかったのだ。そこより僕の歩みに合わせて彼は歩きよく喋った。
「先月は“大普賢岳” へ行った」「明日は“岩湧山”へ行く」「大トレも歩く予定です」
「熊取の雨山は、標高は300㍍くらいの低い山ですが、いい山ですよ」等と、最近は山三昧という様子で、
「大普賢岳は雪は如何だったですか?」と訊ねると、「無かったです」と答えた。
また、生駒山山上駐車場に至る間際の道が崩壊していることも知っておられた。
それより、生駒山山頂の三角点を確認すると、「“鬼取山”は何処にあるんですか?」という問いがあったので、
「これより南方へと峰が繋がっていますから」と言いつつ、山上遊園地を通り過ぎる。その間も彼はスマホを見続けていた。
暫く歩き、“鬼取山”はこの辺りだったよなという処にやって来たとき、スマホを見続けている彼から「もう直ぐですよ」との言葉があった。
その言葉と同時に、僕が樹木に掛かっている“鬼取山”と書かれた標識に気付いたのだ。
その後、生駒信貴ドライブウェイを跨ぎ、そこにあった大阪平野などが一望できる駐車場に立ったとき、
「ここ知っている」「昔彼女と、嫁さんとも車でやって来たことがある」と彼は語った。
その後“暗峠”まで一緒に歩き、鳴川休憩所より枚岡へと下りる予定の彼と其処で別れた。彼は地図もコンパスも持つことなく、スマホのみで山に行っている様子であった。
相変わらず写真機の調子が芳しくなかった。生駒山山頂の三角点を撮ろうした時には、モニターが真っ暗で撮影することが出来なかった。
その20分ほど前、“辻子谷ハイキングコース南出合”では、紅色の山茶花の姿を写真機に収めたばかりだったのに。
そしてその後、1時間半後の鳴川峠や十三峠で写真機を構えたときにはまた稼働していた。我が写真機はほんとうに気儘だ。


ゆっくりと我がペースで歩いたからだろうか、京阪・私市駅から高安山ケーブル山上駅到着までの、
所要時間が10時間40分の山歩きだったのだが、こむら返りが生じる気配はなかった。
そう言えば、前回の京都一周トレイルのときも起こらなかった筈だ。
昨年の6月中旬より始めた早朝街中歩により、我が脚が鍛えられつつあるのだろうか。もしそうであるなら嬉しいのだが。
今日咲いていた花は山茶花だけで、紅と白の二種類であった。

“辻子谷ハイキングコース北出合”から、生駒山山頂を目指して懸命に歩くときに出合い、“十三峠”の手前、左手谷側には紅と白が見事に群生していた。
それら以外にも、何処だったのかは覚えていないのだが紅花を見掛けたように思う。
今日はほぼ快晴の好天の下、愉楽の中における三年連続の生駒山系縦走路の歩き初めとなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 京都一周トレイルⅥ(槇ノ尾~鳥居本~竹林の小径~渡月橋~松尾山~上桂駅)

2020年01月03日 | 山野歩
竹林の小径

2019年12月29日(日) 
『山の会』
<京都一周トレイルⅥ>
■参加者:安部ちゃん、梅安さん、聖子さん、東さん、ゆうさん
[コースタイム]
◆[槇ノ尾バス亭] 9:28 → 10:32[金鈴橋]→ [落合]→ 11:50 [鳥居本]→ 12:52 [トロッコ嵐山] → [竹林の小径] → 13:15 [渡月橋] → 13:30 [阪急嵐山駅] → 14:15 [松尾山頂] → 13:14 [苔寺・すず虫寺バス亭]→ 15:37 [阪急上桂駅]
山の会の皆と歩くのは、7月21日の“六甲山系・地蔵谷”山行以来で5ヶ月振りであった。
少なくても月に一度は例会があるのだが、休めないなど僕自身の条件で出席できていない。
今日の“京都一周トレイル”山行も、行けるかどうかが一昨日まで分からなかった。
打上げ時に梅安さんが作成した“2020年・山の会山行計画”なる書面を頂戴したのだが、
其処には延べ15回の予定山行記載が存在する。
しかし先ず僕が駄目なのは泊り山行だ。
9月の南アルプス山行には出席できないだろうし、
なかでも11月の“ヒマラヤトレッキング”に参加するのは不可能だ。
またその為のトレーニングとして、10月に記されている“海外の為のトレーニング”は、
富士山山行に違いないと思うのだが、それも僕が出席するのは不可能だろう。
そして5月にある“大台ケ原から大杉谷”という二泊三日の山行は、
自然環境保全のために入山者数に制限が設けられていて、
早く申し込みをしなければならないらしく、
行けるかどうかが、間際でなければ判断できない僕には出席はやはり無理なような気がする。
大杉谷というと思い出すのは、
8月のお盆休みに我が家族で歩いたときのことだ。
山日記を紐解けば、それがいつのことであったかが分かるのだろうが、
兎も角、我が二人の娘が、上が小学校1年生、下が4歳になったばかりの時だったと記憶する。
更に、上さんの親爺さんと甥の計6人で歩いたのだが、
上の娘はすべての行程を歩いてくれたのだが、
下の娘は、前半の危ないところは僕が片腕で前抱っこして、
後半を上さんが負んぶ紐で背負い、その行程の多くを歩いたように思う。
我が家の食卓横の壁には、
そのときに吊橋上で撮影した親爺さんが写っている懐かしい写真が掛かっている。
あのときは大台教会山の家で一泊し、二泊目は桃ノ木小屋だった。
ところで山の会は、3月からスタートする“大阪トレイル”山行を全7回で完歩する計画なのだが、
話によると、それを完歩するのは二年に亘るそうだ。
僕自身はそれらの多くを、2017年に独りで歩いているのだが、
山の会の皆と歩けるのなら、独りのときとは違った愉しみが味わえるに違いないだろうし、
季節が変われば異なる景観にも出合えるだろうから、
これには是非出席したいと思うのだが、さて、我が家庭環境が許してくれるのだろうか。
年末に山行に出掛けられるとは思っていなかったので、
半ば諦めていた今日の“京都一周トレイル”はいつもの如く、
山仲間の話し声や笑い声が飛び交う至極楽しいものとなった。
しかも、松尾山以外には山を登らねばならないところが殆どなかったので、
僕向きの山行であったがしかし、
それでも我が脚にもしかすればこむら返りが生じるかもしれないと感じるときも何度かあって、
先頭を歩く梅安さんに「ペースダウン!」と声を掛けるときもあった。
残念なことがあった。
それは山を歩くときには、いつも胸前にぶら下げている写真機の調子が芳しくなかったからだ。
数ヶ月前よりモニターが真っ暗になり、シャッターを切ることは出来るのだが、
写らなくて映像として残らないということが時折生じていた。
今日その現象が起こったのが渡月橋にやって来たときで、
多くの人が行き交う渡月橋を撮影し記念に残したいと写真機を構えるが、
モニターが真っ暗へと変化しそこには渡月橋の姿はなかった。
その後、松尾山を上るときには一旦は回復したのだが、

(写真・上)松尾山からの京都市街と山容
京都市街やその向こうの山容がもっとも明確に見える視界が拡がるところにやって来たときにまたその現象が生じたのだ。
そしてそれ以降、写真機は回復することはなかった。
昨日からお正月休みに入っているからだろうか、所々で人波に出会うこととなった。
なかでも“竹林の小径”と“渡月橋”は観光客で溢れていた。
また、それとは逆に、人に出会うのは時折という、
自然に包まれた中を愉楽の精神で歩いた道もあり、澄んだ清滝川の流れが記憶に残っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都一周トレイルⅤ・二ノ瀬~氷室~沢ノ池~高雄(悠久の時の経過を感じる)

2019年12月26日 | 山野歩
沢ノ池

2019年12月22日(日)
『京都一周トレイルⅤ』
<二ノ瀬~氷室~沢ノ池~高雄>
[コースタイム]
◆[叡山電鉄・二ノ瀬駅] 8:00 → [守谷神社] → 9:20 [夜泣峠] → 9:45 [向山(51-3)] → 10:50 [山幸橋氷室口] → 12:10 [小峠] → 12:25 [氷室] → 13:10 [京見峠登り口] → 14:05 [上ノ水峠] → 14:37 [沢ノ池] 14:45 → 16:05 [高雄・槙ノ尾バス亭]
◆所要時間:8時間05分
<悠久の時の経過を感じる>
最初から道を間違ってしまい40分余り時間を無駄にしてしまう。
二ノ瀬駅から貴船口駅へと向かう道を歩き、途中から左折し夜泣峠へと向かうのだが、
その左折するところにある筈の京都一周トレイルの道標を見落とし、貴船口駅近くまで進んでしまったのだ。
「道標までこんなに遠い筈はない、おかしいよな」と思い、道沿いにあった消防署の職員さんに訊ねることにより、
道標を通り過ぎてしまっていることを悟り、来た道を戻り道標を確認して夜泣峠へと向かう。

つぎにまた失策を犯し時間を無駄にしてしまう。左手に谷を見つつ夜泣峠へと向かうときであった。
“崩落により通行止”という標識が足元に現れたのだが、
しかしその右上樹木にかかっていた“迂回路”という標識が我が眼に留まらなかったこともあり、
“通行止”の標識を無視して直進してしまう。
従前、“通行止”という標識があっても無視して歩いて目的場所に至ることが多々あり、
今回もトラバースして進めるのだろうと気楽に考え前進すると、斜面が大きく崩れている。
右手を高巻きして向こうに至ろうと、枯れ葉が積もる斜面を、場所を変えて何度か上ってみるが、
枯れ葉のため滑り危険極まりない状態ゆえ諦め、先ほどの“通行止”の標識まで戻り、“迂回路”の標識に気付く。
それ以降も二度ほど“迂回路”という標識に出合ったのだが、そのときには勿論のことその標識に従い前進した。

それにしても今日の行程は、休憩時間を含めなくて8時間あまり掛かる予定ゆえ、明るい内に高雄に着けないかも知れないと思い、
大きな休憩時間をとることなく、休憩もそこそこにしていつもの如くゆっくりではあったが只管歩き続けた。
午後より降雨の可能性が高いという天気予報だったからだろうか、
冬至の山歩きとなった今日は、入山より高雄の町まで、僕のようなハイカーに誰一人出会うことはなかった。
併しだ、トレイルランナーには出会ったのだ。
夜泣峠より向山へと歩くときに前方より20歳代の三人組がやって来た。
次は、山幸橋を過ぎて暫くしたときに、独りの中高年の男性が前方よりやって来た。
「ランですか、素晴らしいですね!」と声を掛けると、「遅いんですよ」「7時に嵐山を出ました!」と答えた。
また、自転車のペダルを懸命に踏む三人の男性にも出会った。
京見峠登り口で道標を見詰めるとき、舗装道路を懸命に上って来る外人さんがいて、
通り過ぎるときに外人さんから「こんにちは」と声が掛かった。
次もやはり外人さんで、京見峠を過ぎ山道にかかって直ぐのときで、前方より上って来た。
それより暫くしたころに、京都市内が遠望できるところがあり、其処で写真を撮ろうとしているときに、自転車で若人が一人やって来た。

それより一時間後ぐらいだろうか、ポツリポツリと雨が落ち始め、
本降りになれば寒いだろうなと思いつつ歩いていると、突然眼前に沢ノ池が出現した。
其処には柿の木が一本立っていて、その柿の木と背後の謐謐たる沢ノ池を合わせて眺めていると、
何故か悠久の時の経過を感じた。
京都一周トレイルの案内よると、沢ノ池は菩提川を堰き止めて造った人工池とのことであったが、
けっしてそのようには見えない薄黄緑色の落ち着いた色彩が池面に拡がっていた。
池前の広場には車が三台止まっていて、池の左手より車止めを越えて前進すると、池の畔で幼児二人を連れた家族が悠悠と遊んでいた。
それ以降も有り難いことに本降りになることはなく、傘が必要になったのは槙ノ尾のバス亭に着いてからで、
行動中は気にならないくらいの微かな降り方であったのでほんとうに助かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする