◆撮影:2012年10月14日、比良山系・八雲ヶ原にて 2013年6月2日(日) 『T山の会』 <比良山系・獅子岩> ■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MIさん、SEさん、YUさん [コースタイム] [北小松駅]→[楊梅滝・雌滝]→[楊梅滝・雄滝]→[獅子岩]→[北小松駅] <岩肌の感触を楽む> 今朝目覚めたのは4時前、4時過ぎには布団から抜け出した。昨晩横になったのは23時半が廻っていたゆえ、睡眠時間は4時間半足らずというところだろうか。やらねばならない用事を済ませ6時過ぎごろには朝食を済ませ7時過ぎの電車に飛び乗った。 先日からの体調不良がまだ続いているのだろうか、昨日には食欲が戻ってきた筈だが、それとも寝不足の所為だろうか。身体が、なかでも上半身に気だるさがあり、身体全体が浮いている感じであったのはけっして気の所為ではない。 岩登りに興じる間は身体の気だるさを感じることもなかったし腰痛も無かったように思うのだが、獅子岩を離れ雑木林中を下るとき、大腿四頭筋と腰にかなりの疲労が生じ始める。皆の歩みに付いていけない状態に陥ったとき、「皆は何であんなに早く歩けるんやろ」と思うばかりであった。6時間足らずの行動時間にもかかわらず、我が身体が疲労困憊の態に陥ったのは、往路で獅子岩への道に迷い、中腰で前屈みの姿勢の藪漕ぎを強いられたことに直接的な原因があったのかもしれないが、今年の1月中旬以降の運動不足が最大原因であるのは間違いのない事実だ。 獅子岩で岩登りをするのは今日で三度目だ。一度目は数十年も昔のこと、二度目は昨年の5月20日だが、獅子岩の岩場がどのような様子であったのかを、まったく覚えていなかった。昨年もそうであったのだが、今日ももっとも左側の壁で岩登り講習会らしきものが行なわれていて、参加者は小学生男子二人を含む4人家族一組みであった。 先ずはMOくんがABちゃんとMIさんと組んで右側のルートを登り、続いて同じルートを僕はUMさんとSEさんと三人で楽しんだのだが、そのルート(2ピッチ)のグレードはⅢ級というところだろうか。その後MOくん達三人は左側の壁へと移動するが、僕達は再度右側のルートの岩肌の感触をゆったりとした気分で楽しんだ。 獅子岩から望む琵琶湖の模糊とした景観や森の緑の色彩に魅了され続けた数時間でもあった。また、森中の小鳥達の囀りに聞き耳を立て、岩肌に咲く黄花のイワニガナに愉楽を感じ、帰路、楊梅の滝(雌滝)を過ぎ、駅へと向かう森中で眼前を舞った蝶の姿に安寧感を抱いた。因みにその蝶とは、モンキアゲハとアサキマダラ、そして瞬時の飛翔で明確ではないのだが、それはツマグロヒョウモンであったように思う。また路傍雑木林中から白花のガマズミ(?)やエゴノキが何度か顔を覗かせてくれたのも心安らぐ事象の一つとなった。
◆写真撮影:2010年7月4日、仁川にて
(ムーンライト)
2012年5月19日(日)
『T山の会』
<仁川>
■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MIさん、SE子さん、YUさん
[コースタイム]
[仁川駅]9:10→[ムーンライト]→[三段壁]→[パール]→[じすべり資料館]→[仁川]
<恐怖心が頭をもたげる>
三段壁に到着して暫くでポツリポツリと雨が落ち始めた。その時刻が丁度12時ごろであったのだが、降り始めの時刻を、今朝のラジオが「昼ごろから」と語っていたゆえ、見事なまでの天気予報だと感心すること頻りであった。
昼から雨という予報ゆえ、それまでに出来るだけ練習しておきたいという思いが皆にあったのだろう、全員機敏に行動したように思う。先ずはムーンライトの岩場で、通称“ヘソ”と呼ばれるルートの左側のレイバック気味に上るルートをMOくんがリードしてトップロープをセットし、次に“ヘソ”の右側のルートを僕がリードして準備、次に最初にMOくんが上ったルートの直ぐ左側のルートをやはりMOくんがリードして準備する。結果として、6名全員が三つのルートを少なくても一度ずつ攀じることとなったのだが、岩登りをするのがほぼ一年振りとなる僕は、“ヘソ”の右側のルート(Ⅲ級)をリードするとき脳裏中に恐怖心が頭をもたげた。しかし、7月の夏山に向けて可能な限り例会に出席して岩に慣れなければならない。
ところで、MIさんが下降するとき、MIさんの確保をABちゃんから僕に代わった。「僕が確保するよ!」と僕の方からABちゃんに声をかけたのだが、テンションがかかるとズシリッという重量感が僕の身体に伝わった。「60kgよ!」と言って大きな声でMIさんは笑ったのだが、攀じるMIさんの姿を見ていて、体重48kgのABちゃんでは確保ができないかもしれないと考え交替したのであった。
ムーンライトで岩登りを楽しむときに川傍で戯れる蝶と蜻蛉の姿があった。蝶はクロアゲハとモンキアゲハ、クロアゲハはムーンライトの辺りを縄張りとしているのだろう。突然やって来たモンキアゲハを「僕の縄張りだぞ」というが如くの舞いでモンキアゲハを追い掛け、モンキアゲハは瞬時の内に姿を消した。蜻蛉はカワトンボ(ニホンカワトンボ?)だろう、三匹の蜻蛉が葉っぱから岩上へとヒラヒラと戯れ続けた。
三段壁はもっとも右側のルートをMOくんがリードしトップロープをセットし、僕、UMさん、ABちゃんの順で攀じり、雨が落ち始めてからは渓流靴に履き替え沢歩きと洒落込んだ。それは、「昼からは雨」の予報から、MOくんの提案で渓流靴を準備していたからであった。しかし仁川を詰めることができたのはパール壁の下部までで、それよりは右岸にある一般道を下山することになった。帰路強雨の中、“地すべり資料館”に立ち寄り館長さんの軽妙な会話を楽しんだ。
◆撮影:2013年4月1日、六甲・ロックガーデンにて
(地獄谷)
2013年4月1日(日)
『T山の会』
<六甲・ロックガーデン>
■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MKさん、SEさん、YUさん
[コースタイム]
[阪急芦屋川]9:15→9:45[高座滝]→[地獄谷・入谷]10:30→11:20[A懸垂岩]13:45→13:25[地獄谷・終了]→[高座滝]
<アイトレ&花見>
芦屋川駅に降り立ったときに降っていた雨は駅を離れるころには止み、それ以降、降られることはなく、計画通りロックガーデンにおけるアイゼントレーニングを行なう。僕を除く5名の面々は、アイゼンを装着して地獄谷を遡行し、A懸垂岩ではMOくんが壁を攀じりトップロープをセットしアイトレに励み、帰路もまた地獄谷を下った。しかし僕は運動靴での参加であって、登山靴は勿論のことアイゼンも準備していなかった。A懸垂岩では下から見上げるばかりであったのだが、ただ僕は、半年間ご無沙汰の山の会例会に出席することと、岩場が続く地獄谷を如何に歩けるのかを確認すること、そして、皆と花見を楽しむことに目的があった。
ところで、地獄谷遡行では腰に酷い痛みが生じることはなかったが、15時前から2時間近く楽しんだ芦屋川川原での花見は、我が腰にとっては辛い時間となった。胡坐をかく姿勢、腰を下ろす姿勢は僕の腰と大腿四頭筋に少々無理があった。後半には、足を投げ出し身体を横にさせてもらう破目に陥ることとなったのだが、狭いスペースの天幕生活は、やはり今の僕には不可能だろうという結論に至る。
今日は降雨の確立が高いという予報だった所為なのだろう、ハイキングや花見の絶好の日曜日であるにもかかわらず人出は少なく、高座滝前での賑いも、桜並木が続く芦屋川川原の賑いも今一つという様子で、A懸垂岩は我々の一人占め、芦屋川川原では隣のグループを気にする必要もなく気儘に楽しむことが可能となった。MOくんは鼻の手術、ABちゃんは痔の手術から一ヶ月余りだと思うのだが、二人とも病み上がりという様子は皆無で、アイトレにも飲酒にも果敢に取り組んでいた。羨ましい限りだ。
◆撮影:2012年10月14日、奥の深谷源流(比良山系)にて
(ヤマトリカブト)
2012年10月28日(日)
『T山の会』
<烏帽子岩>
■参加者:ABちゃん、MOくん、MK子さん、YUSUN
[JR道場駅]→[百丈岩]→(鎌倉峡)→[烏帽子岩]→[JR道場駅]
<20数年振り>
道場駅舎で皆がやって来るのを待つとき、既に雨が降っていた。計画は「不動岩で岩登り」であったのだが、降雨ゆえ鎌倉峡にハイキングに行こうということになった。今日の降雨は昨日から分かっていたことなのだが、そもそも、我々の山の会には「中止」という言葉が存在しない。僕は、京橋駅でJRの切符を購入する前にABちゃんにメールを送信した、「不動へ行くのですか?」と。すると「雨なので、百丈岩になると思います」との予想通りの返信があった。「明日雨なら“百丈岩”で脱出訓練なのだろう」と僕は昨日より考えていたのだ。
ところがである、皆が揃ったところで「鎌倉峡にハイキングに行こう」と計画が変更になったのだ。雨の岩場で脱出訓練を行なうことに気乗りがしていなかった僕は胸を撫で下ろした。それは雨や泥砂でロープが濡れ汚れるのは間違いが無いゆえ、帰宅してからの、陰干しや泥落しという手間暇を考えたからだ。
“鎌倉峡”の右岸の道を20分ばかり進んだとき、先頭を歩いていたMOくんが「戻ろう」と言った。それは、予想外に岩場が多く雨で濡れて足下が至極悪く、尚且つ、道から川面までかなりの高さの処が現れるので、滑落して怪我でもしたらつまらないと考えたからだろう。そのとき、「計画が不動岩のとき、もし降雨の可能性があるときには渓流靴も準備する」という話が持ち上がった。「雨の時は鎌倉峡で沢登り」と考えたのだが、しかしその流れはけっして清冽な流れという様子ではなかった。
その後、“烏帽子岩”を20数年ぶりに訪れることになった。「道場駅から然程遠くはなかった筈だ」「車道から直ぐの処に岩場があった」などの、僕の微かな記憶を頼りに歩き、直ぐに辿り着くこととなったのだが、「僕が攀じれるルートは皆無みたいだ」と、僕は岩場を見上げるばかりであった。併しだ、次回機会があれば、最も平易なルートでよいから二十数年ぶりに一度攀じってみたいと思った。
◆撮影:2010年6月20日、百丈岩にて
2012年7月1日(日)
『T山の会』
<裏六甲・百丈岩>
■参加者:Abちゃん、Moくん、Se子さん、Yusun
<脱出と救助訓練>
降雨の確立が極めて高いというところで、行き先と目的が変更になった。本来なら堡塁岩にて岩登りの計画であったが、百丈岩での脱出と救助訓練へと変わった。
Moくんの指導のもと、トップが墜落したという想定で、セカンドがユマールとチェスト、そしてテープ、シュリンゲを駆使してトップのところまで登り、先ずはトップを下ろし、その後自身も懸垂下降するのだ。
先ずはAbちゃんからスタートし、次はMoくん、そして僕、最後にSe子さんという順で行なった。なかでもAbちゃんは、強まる雨脚のなか、1時間近く壁と対峙していたのではないだろうか。その姿を見る僕は、Abちゃんの体力と精神力に感服するばかりであった。奮闘するAbちゃんの姿を、傘を差し見上げていた僕が寒気に震えていたのに対し、雨具を身につけていなかったAbちゃんは「寒いことはなかった」とケロッとした表情で語った。最くんが登るころには雨は上がり、僕のときもSe子さんが行なうときも、雨に降られることはなかったのは真に幸いであった。ところで、チェストの位置が難しい。それが高すぎても、また逆に低すぎても真に都合が悪い。
僕は、金曜日夕刻の酷い立ち眩み以降、何処となく気分が優れない。相変わらず胃の調子も芳しくない。そんななか脱出&救助訓練をするとき、右足を大きく持ち上げたときに足先と大腿四頭筋で痙攣が生じ、腰に電気が走った。
2012年6月3日(日)
『T山の会』
<裏六甲・不動岩>
■参加者:Abeちゃん、BAさん、MOくん、yusun
<心地好い緊張感と安堵感>
中高年四人組の登攀である。このメンバーのとき、リーダーであるMくんは僕のパートナーとして必ずBさんを指名するのだが、その理由は明らかだ。「yusunは墜落する可能性が高い」と考えているからで、リードする僕が万が一墜落したときに止めることができるのは、体重が50kgに満たないAbeちゃんでは無理という判断なのだろう。
午前中、Bさんと東壁を攀じるとき、微かな雨粒が我が肌に触れるのを感じたがそれは瞬時のことで、時間の経過と共に、岩登りに夢中になる間にいつしか止んでいた。そして漸次好天へと変化し、午後に入ると高積雲が天空を覆い始めていた。岩壁にテイカカズラの白花があった。
午前中に2本(3ピッチ)、午後にも2本(3ピッチ)の登攀であった。なかでも、最後に登った東壁ルンゼルートの左側の壁は僕にとって手強いそれとなった。墜落するかもしれないという感覚は皆無であったが、此処で落ちることはできないという意識が明確に働いた。1ピッチ目最後の一枚岩、その岩を左へと廻り込めば比較的容易に登れそうであったが、この一枚岩を無性に直進したくなった。何とか棚上に手がかかったのだがスタンスがない。両手で懸命に体を引っ張り上げようとするが、最後のピンにランナーをセットしてから5m以上登っているので、もしここで墜落しようものなら15mくらい墜落するのは明白であった。マントリングで棚上に身体を置いたときには、我が胸は躍っていたし顔面から汗が溢れ流れ出していた。また左手に痙攣が生じた。3本目の中央稜菱形ルートを登ったときには、このような心地好い緊張感と安堵感を味わうことはなかったゆえ、心底より堪能することとなった。
このルートに取りつくとき、右手岩隅に供華があるのに気づいた。それはすっかり枯れていたのだが、M くんが言うことには、今年に入って事故があり60歳台の方が亡くなったのだという。帰宅した20時、天空にまん丸い月があった。