山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

裏六甲・不動岩(あってはならない事故)

2015年08月12日 | 岩登り
2015年07月12日(日) 
『T山の会』
<裏六甲・不動岩>
■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、YUさん
<あってはならない事故>
東壁の平易な二つのルートを、2本4ピッチをリードして攀じる。12時前ごろ、二本目を登るとき、僕の位置から見えなかったのだが、東稜ルンゼルートをリードする男性が墜落するというあってはならない事故が発生した。かなり激しい音がしたが、背中にザックがあったことが幸いしたのかも知れない。怪我の詳細は分からないが、足の自由が利かないという様子で仲間に支えられ取り付きまで下降し、その後背負われ移動したようだ。
その事故のこともあり、至極暑かったこともあり、僕達は登攀を中止して帰路に着いたのだが、不動岩下の車道には救急車や数台の消防署の赤い車両がやって来ていたし、暫くするとヘリコプターも現れた。
今日の登攀は、前回のように高度感に圧倒されることもなく、僅かに2本ではあったが、難なくリードができたことにより、ささやかではあるが自信回復に繋がったのは間違いが無い。ところで今日は、近畿地方でも今年初めての猛暑日を記録したと報じていた。
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京都・金毘羅山(荷物を担いで歩けない)

2015年07月21日 | 岩登り
2015年6月13日(土)~14日(日)
『T山の会』
<京都・金毘羅山>
■参加者:ABちゃん、MOくん、YUさん
<荷物を担いで歩けない>
今回の山行で課題が見つかった。それは、岩登り以前の問題であって、荷物を担いで歩くことが出来ないということであった。なかでも13日、ボッカ目的で夕刻、金毘羅山頂より寂光院を目指して長い尾根を下降した結果、寂光院を通り過ぎバス亭に辿り着いたとき、我が両脚にはこむら返りが生じ、両脚の大腿四頭筋と脹脛内側の筋肉が悲惨な有様に陥ってしまっていた。
戸寺でバスを降り民宿に何とか転がり込み、早速お風呂を頂戴したのだが、両脚を曲げて椅子に腰掛け汗を洗い流すことができない。疲労し切った脚を休めようと、浴槽に長時間脚を浸けてみた結果、食事を頂戴するときには腰掛けを拝借したので大事には至らなかったのだが、部屋に戻り畳上に坐ろうとするとこむら返りが生じ、仲間に敷いて貰った布団上でのた打ち回ることとなった。その状態が一時間近く続いたのではないだろうか。「夜中にこむら返りが起こったら如何しよう」と不安であったが、幸い朝まで生じることはなかった。それはもしかしたら、仲間が用意してくれていた漢方薬(シャクヤクカンゾウトウ)を服用したお蔭かも知れない。
「今日も昨日のような悲惨な状態に陥ったら如何しよう」と思いつつ、漢方薬(シャクヤクカンゾウトウ)を頂戴し、再び金毘羅山に入ったのだが、昨日のような酷い状況に陥ることはなかった。しかしそれでも我が脚の筋肉は、何時こむら返りが起こっても不思議ではない筋緊張状態が常に続いた。
岩場や取り付きが分からず山中を彷徨うことに時間を費やし、二日間で結果的に攀じったのは「ワイケン」「北尾根の上部」「ホワイトチムニー」くらいだったろうか。僕はセカンドに終始し、二人について行くことのみで心身は疲弊し切ってしまった。
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裏六甲・不動岩(テングチョウの吸水)

2015年07月02日 | 岩登り
2015年5月31日(日) 
『T山の会』
<裏六甲・不動岩>
■参加者:ABちゃん、UMさん、MTくん、SKさん、YUさん
<テングチョウの吸水>
東壁のルートをセカンドで2本、4ピッチを攀じただけだが、二本目終了地点に辿り着いたときには息が乱れていた。用事があって早めに帰路についたのだが、不動岩より道場駅への僅かな道程を、両足の裏側、なかでも親指が至極痛むのを感じながら歩いた。岩登りをしてこれ程に足裏に痛みを覚えたのは初めてのことかも知れない。
先日の仁川(ムーンライト)と違い不動岩は高度感があるため恐怖心が我が脳裏を席巻し、自身の手指や足を信用してリードが出来る心理状態ではなかった。しかしセカンドではあったが、リードしている心算でマントルを試みたり、レイバックで攀じったりと、足手の置き方や使い方を様々試してみたのだが、しっくりとこない場面が度々生じたのは仕方がないことなのだろう。
取り付き地点で仲間が登るのを見守るとき、テングチョウとコミスジが再三眼前に現れ、我が高揚する精神を和ませてくれた。なかでも中間点のテラスに立つとき、一羽のテングチョウが僕の左手人差し指に停まり暫く動くことなく、恰も僕の汗を吸水しているように見えたのだが、それは僕の錯覚だったのだろう。
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T山の会・仁川(疲労困憊)

2015年06月17日 | 岩登り
2015年5月17日(日) 
『T山の会』
<仁川>
■参加者:ABちゃん、BAさん、MTくん、SKさん、小次郎さん、YUさん
<疲労困憊>
我が心身が現状から抜け出すには、「僕自身が積極的に身体を動かす以外に方法がないのではないか」と思い立ち、一念発起して4月下旬より街中走と山野歩を始めた。また岩登りも然りで、なかでもリードすることにより、「生気が喚起されるのではないか」と期待して今日は仁川にやって来た。
滑落事故後、山の会の岩登り例会に一度出席しているがリードすることは無く、トップロープで二本ほど攀じったのみであったが、リードすることを目的に出席した今日は、皆の了解を得てムーンライトにおいて二本リードさせてもらえた。しかし次に皆は、三段壁へと移動したのだが、疲労困憊の態にあった僕はムーンライト下に坐り皆が戻って来るのを待たざるを得なかった。
仁川駅近くの中華料理店で座敷に腰を降ろし飲食を楽しむとき、岩場を離れるときに違和感があった我が腰に痛みが生じ始め、また右足がこむら返りになるという情けない事態に陥ってしまった。それは、久し振りに重いザックを担いで歩いた所為だろうか。それとも登攀するときの体勢自体が、現在の我が身体には負担が大きかったのだろうか。また、脚腰だけではなく、指や腕にも疲労感が漂っていた。
7月の雪彦、9月の北アルプスという山の会例会に出席したい、連れて行ってほしいと思っているのだが、今日の様な有様でさて可能なのだろうか。
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蓬莱峡より座頭谷を経て宝塚へ

2014年11月29日 | 岩登り
2014年11月16日(日) 
『T山の会』
<蓬莱峡より座頭谷を経て宝塚へ>
■参加者:ABちゃん、BAさん、MTくん、SKさん、YUさん、りっこさん、えつこさん、ようこさん、コジローさん
[コースタイム]
[JR生瀬]9:10→10:00[蓬莱峡]13:10→(座頭谷)→14:30[ハニー農園]→(車道)→[分岐点]→(東六甲縦走路)→[塩尾寺]→16:50[阪急宝塚駅]
<大腿四頭筋の痙攣>
自宅を出た7時半頃、淡い絹積雲が拡がるのみであったが、生瀬に着いた9時には雲量は「9」となり、拡がった高層雲のため、太陽光が遮られ気味となる。その後、蓬莱峡に居る間は時折陽射しが届いたりしたが寒気が漂い続けた。蓬莱峡を離れ、汗をかきながら座頭谷をつめ、車道や東六甲縦走路を宝塚へと向かう間は、天空は高層雲に覆われ陽射しは皆無となった。今日出合った花は「ノコンギク」のみで、紅葉も含めて晩秋を想わせた。
ところで、初参加のコジローさんも含め、4人の女性には蓬莱峡における岩登りを楽しんでもらえたようだ。前回の仁川渓谷でのそれと比して厳しくなかったことが効を奏したようで、次回の参加を思考する発言があった。僕は岩登りをすることはまったく無く、BAさんがリードするときに確保の役目をしたぐらいで、写真を撮ることに終始した。
今日の例会で僕の課題が明確になった。それは「歩かなければならない」ということで、そもそも歩くことを目的に、ロープ等、登攀用具をまったく携行せず背中の荷物を軽量化してやって来たのだが、それにもかかわらず、「座頭谷」をつめる間に両足首に痛みが生じ始め、「ハニー農園」への急登では大腿四頭筋にかなりの疲労を感じていた。「ハニー農園」より一旦車道に出て、直ぐに再び山道に這入るのだが、這入った直ぐのところで、左足を小石に乗り上げるや否やバランスを失い見事に転倒してしまう。その姿を見たMTくんの判断で、大平山経由で東六甲縦走路を進むのを中止にして車道を歩き、分岐点より東六甲縦走路に這入ったのだが、その分岐点で一本置く間に、僕の両脚の大腿四頭筋には激しい痙攣が起き始めていた。それよりホンの少し前進したところで、僕の両脚は歩ける状態ではなくなる。こむら返りに効くという「シャクヤクカンゾウトウ」を一服頂戴し、BAさんのポールを借りてなんとか宝塚駅に到着するが、その後も、居酒屋で櫓炬燵に這入り談笑する時にも、左脚の大腿四頭筋に痙攣が生じる始末で、そこでもやはり「シャクヤクカンゾウトウ」を頂戴する破目となった。
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滑落事故後、初めての登攀

2014年06月15日 | 岩登り

1

◆撮影:2014年5月18日、くろんど園地にて

(トキワハゼ)

201461日(日)

 

『T山の会』

<仁川>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MTくん、ミキさん、SE子さん、YUさん

[コースタイム]

[阪急仁川駅]930→[ムーンライト]→[三段壁]→[阪急仁川駅]

<滑落事故後、初めての登攀>

至極暑かったこともあるのかも知れないが、仁川駅への帰路は疲労困憊の態で、両脚の筋肉に痙攣が生じ、両手指にも痙攣が起こるという情けない状態であった。なかでも仁川駅前王将で打ち上げをするときの両手指の痙攣は「異常な」と表現しても過言ではないくらいの有様であった。また三段壁で皆が登攀するのを見るとき、岩に腰掛け岩壁に凭れ掛かっているときの僅かな時間ではあったが、ウトウトと眠ってしまったのを記憶している。

昨年9月の滑落事故後の初めての岩登りであった。「仁川駅から渓谷までの距離なら、登攀具を背負っても歩くことが出来るだろう」「ムーンライトくらいの高さなら、セカンドやトップロープなら皆に迷惑を掛けることなく上ることが可能だろう」。購入したばかりの遠近両用眼鏡を昨年の滑落事故時に無くし、それ以降それまで使用していた近眼用眼鏡しか持ち合わせが無いなか、「老眼用眼鏡が無くてもムーンライトなら、ルートの判断は可能だろう」と考え出席したのだが、現在の我が身体にとっては至極厳しいものとなった。

ムーンライトと三段壁をセカンドやトップロープで四本上らせてもらう。登攀するとき、僕のことを心配してくれたのであろうMTくんが常に僕の傍らに居て、ロープの確認をしてくれたり修正してくれたりしたのだが、僕に気を取られた分、他の皆の行動に眼を配ることが出来なかったのではないだろうかと心配する。真に申し訳ない。

王将で飲食する間の話題は、この7月から8月に掛けてのこれからの山行を、UMさんが準備した資料に基づく具体的な話であって「氷ノ山や美山町の沢登り」が中心であった。しかし、今夏の例会に参加することが出来ないであろう僕には、それらの話題にまったくついてゆくことが出来ず、居場所が無いという実感を抱くばかりであった。

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八ヶ岳(大同心&小同心)

2013年07月27日 | 岩登り

P7140093

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳にて

(大同心)

2013713日(土)~15日(月) 

『T山の会』

<八ヶ岳(大同心&小同心)>

■参加者:ABちゃん、MOくん、YUさん

[コースタイム]

◆一日目

[大阪梅田]2230→(夜行バス)→520[小淵沢]→(タクシー)→[阿弥陀岳への道]700→[八ヶ岳山荘]730820[赤岳山荘]850940[堰堤広場]→1115[赤岳鉱泉]1205→(大同心稜)→1430[大同心直下幕営地]

◆二日目

[大同心直下幕営地]430→[大同心基部]→450[小同心クラック取付]510645[横岳]→(大同心ルンゼ)→[大同心南稜取付]805920[バンド]→(大同心ルンゼ)→[大同心直下幕営地]

◆三日目

[大同心直下幕営地]520635[赤岳鉱泉]700840[美濃戸山荘]9001020[八ヶ岳山荘]

<ルートファインディング>

「歩くことができたら今回の山行は八割方成功したようなもの」とMOくんは語った。それは、入山日に20kgを超えるザックを担いで赤岳鉱泉を越え、急登の大同心稜を大同心直下幕営地(予定)まで登るところに理由があった。

今年1月上旬に再び腰痛に陥り、6月初旬まで殆ど運動らしきことを行なっていなかった僕は、入山日に7時間近くも歩き、中でも急登の大同心稜を上り切る自信は殆どなかった。5月中旬になって気温の上昇と共に腰痛が改善し始めた僕は、一念発起して619日に街中走(約6.3㎞)を実施した。その後山野走も含めて本チャンまでに走った距離は100㎞を越したのは間違いがない。また、77日に25kgを超すザックを担いで座頭谷より東六甲縦走路経由で宝塚まで、夏山参加メンバー3人で歩荷を行なったことも自信につながった。その甲斐あってか、ABちゃんとMOくんに然程迷惑をかけることもなく大同心直下幕営地に辿り着くことが可能となったのだが、それは僕が勝手にそう思っているだけで、ABちゃんとMOくんは「会長は遅いな!」と終始思っていたのかもしれない。

ところで、今回の山行で痛感したこと、それはルートファインディングにおける自身の経験不足であった。それに比してMOくんのそれは称賛に値するものであったと考える。なかでも、横岳登頂後、大同心ルンゼを下降するのだが、先行くMOくんは僅かにコマクサが開花する処より、硫黄岳へと向かう縦走路を離れ微かな踏み跡らしき処を平然と下った。其処に至るまでに降り口らしき踏み跡が何箇所かあったが、それらに一度も足を踏み入れることなく迷うこともなく大同心ルンゼへの途を正確に選択し下った。また、小同心クラック取付への道も然りで、迷うことなく辿り着いた。僕は、MOくんの的確な判断力に感嘆するばかりで、僕ならけっしてそうはいかなかっただろうと思う。

大同心南稜登攀においても僕のルートファインディング力不足が露呈した。「大同心南稜登攀は会長のための企画」とMOくんは当初より語り、僕にリードを任せてくれたのだが、1ピッチ攀じたところよりクライミングダウンせざるを得ない事態に陥ってしまった。その原因は自身のルートファインディン力を信頼することができなかったからだろう。

雨はしっかりと降ったが、ある意味では天候に恵まれた山行でもあったように思う。入山日、大同心稜を懸命に上るときに降られなかったことを感謝した。もし降っていたなら僕は足下の悪路に疲労困憊したに違いないと思う。また曇天ゆえ夏の陽射しが殆ど届かなかったことも幸いしたように思う。天幕に入ったころより落ち始めた雨は夜半になっても降り続き、登攀を半ば諦めていたのだが、起床時(130分)にはあった雨音がいつしか消え、幸運にも登攀開始時には岩壁は乾いていた。

幕営地は3人用天幕がギリギリ納まるという額ほどの面積の凹凸のある傾斜地で、一本の樹木の幹のお蔭で斜面を滑り落ちることなく、かろうじて天幕がその場に踏み留まっているという恰好であった。坐る(ABちゃんやMOくんの配慮で僕は脚を伸ばすことができた)ときも、また、就寝時も脚を折り曲げた状態で身体を伸ばすことができず、長時間に亘り辛い姿勢を余儀なくされる天幕生活であった。ところで、MOくんの提案により就寝時にウールの下着を身につけたお蔭で、シュラフが無くても寒気を感じることはなかった。

今回の山行目的は、僕にとっては「岩登り」だけではなく「6年振りの高山植物を愛でる山行」でもあった。そして八ヶ岳は僕の期待に十分に応えてくれた。

幕営地周辺で開花していたシャクナゲはハクサンシャクナゲだろう、花弁の中央部に淡紅色の色彩を持つ透明感のある美しい白花が天幕を包むように咲いていた。大同心稜の途ではキバナノコマノツメが度々顔を覗かせ、ゴゼンタチバナの白花も再三姿を見せた。シロバナヘビイチゴの白花にも度々出合ったし、大同心稜入口から暫くの処では結実した赤色も目に留まった。また、大同心稜中間辺りだったと記憶するが、懸命に脚を前へと進める僕の左傍らを僅かに一輪のみだがコイワカガミが通り過ぎて行った。薄紅紫の花があったが名称は分からない、ウチョウランのようにも見えたがきっと間違っているだろう。次に現れた白花の名称も分からない、花弁の形状はイワカガミに似ているが花の色も葉っぱの形状もまったく違う。ほんの僅かな草叢に白花のムカゴトラノオが伸び上がっていた。

小同心クラック取付でハクサンイチゲに出合い、大同心ルンゼを下るとき、一塊りのイブキジャコウソウを見かけたが、後にも先にもそのときのみで、後になって写真機に収めなかったことを後悔したが始まらない。その直ぐ下方で青紫色のウルップソウの群落に出合い、その至近距離に紅紫色のオヤマノエンドウが拡がる。その傍らの岩場には黄花のイワベンケイがしっかりと岩に張り付いていた。

大同心ルンゼを二度目に下るときには、紅紫のミヤマシオガマ、その傍らには雄しべが黄色で8枚の白色花弁を持つチョウノスケソウ。下方には大きな青紫色の花弁のミヤマオダマキの群落があり、その傍らで白花を咲かせていたマメ科の花はシロウマオウギだろうか。それより暫くで、ウスユキソウと思われる植物があったが、開花まではまだ日数を必要とする様子であった。その近くにミヤマキンバイと思われる黄花が僅かにあった。

帰路、赤岳山荘付近でカメラに収めた花は白花のオダマキ、それから直ぐのところにホタルブクロが開花していた。

僕の足下から両手に余るぐらいの石塊がルンゼを転がり落ちる。大声で「ラ~ク!」と叫ぶと、下方より「ワ―」というABちゃんの驚殺の声が聴こえた。否、聴こえたように思った。静寂の時が過ぎ…。

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京都・金毘羅山(大原の風景)

2013年07月12日 | 岩登り

Sii378

◆撮影:2010年1月15日、洛北より

(比叡山)

2013630日(日) 

『T山の会』

<京都・金毘羅山>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOん、MKさん、SEさん、YUさん

<大原の風景>

S山岳会当時、MOくんは金毘羅へは前夜発でよく来たそうだが、殆ど記憶に残っていないという。そんななかで一昨年、MTさんの案内でTのメンバーと一度やって来たことがあったそうなのだが、MTさんの道案内に頼って行動していたので覚えていないという。しかし北尾根や、ホワイトチムニー、ゲートロックについてはそれなりに記憶があったのだろう、僕達の実力で対応可能なルートを選択し彼はリードしてくれた。ところで僕は、35年余り前にMNさんに連れられて一度やって来ただけで、今回が二度目の金毘羅であった。それゆえ記憶に残っていないと言っても過言ではない。

北尾根でⅠ~Ⅲ級ルートを3ピッチ楽しみ、次にやって来たのはホワイトチムニー、この壁で僕達が唯一登攀可能な、また今夏山の練習にもなるであろう“チムニールート(Ⅳ)”をMOくんは選んだ。MOくんとMKさん、そしてABちゃん組が攀じ上った後、僕とUMさんが上った。MKさんはチムニーに入る処で少々手こずったのだが、その理由としてMOくんは「足が使えてない」と表現した。

「もう少し時間がある」というところで、下方のゲートロックに移動する。この壁は見るからに立っているという様子で如何にも手強そうであった。MOくんが選んだルートは“ノーマルルート(Ⅳ)”、このルートはこの壁ではもっとも易しいものであったが、ポイントは取り付きで微妙なバランスを必要とした。僕は二度目の挑戦でリードが可能となったが、僕の現在の実力ではⅣが限界のようだ。

金毘羅山は、北尾根のようなⅠ~Ⅲ級ルートからⅥ級ルートまでのルートがあり、また、壁が其処彼処に点在している所為だろうと思うのだが、不動岩(六甲)のように混雑し順番待ちが生じることはないようだ。また、易しいルートから難易度の高いものまで、フェイスからクラック、チムニー、ハングと、様々なルートが楽しめるのも魅力のようだ。それからもう一つ、バス亭(戸寺)より岩場までそれなりの距離があり、荷物を担いで北尾根を上るコースを筆頭に、岩場から岩場へと移動することで、丁度よい歩荷の訓練にもなる様に思われた。ただ難点は、昔のように泊ることが不可能で、駐車場も無く、また京都駅からバスで戸寺まで一時間くらいを要するところであった。人が少なかったのはそれらが理由なのかもしれない。唯一僕の脳裏に残っている三十数年前の風景、それは北尾根から見降ろす大原の里のそれであった。

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百丈岩&鎌倉峡(冷え対策)

2013年06月23日 | 岩登り

Kc3z0001_2

◆写真撮影:2013年6月15日、百丈岩

2013615日(土) 

『T山の会』

<百丈岩&鎌倉峡>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOくん、MKさん、SEさん、YUさん

[コースタイム]

[JR駅・道場駅]→[百丈岩]→[鎌倉峡]→[JR駅・道場駅]

<冷え対策>

本来なら今日の山行計画は金毘羅(京都)で岩登りであったのだが、「降雨の確立が高い」「MKさんが17時に予定がある」の二つの理由で、「不動岩で岩登り」「雨が降ったら鎌倉峡へ移動して沢歩き」へと変わった。ところが、道場駅に皆が集合したときに、「百丈岩で岩登り」「雨が降ったら鎌倉峡で沢歩き」へと二転三転変化した。

結果としては、最後の選択で正解であったような気がする。それは思いの外雨の降り始めの時刻が早かったからだ。この空模様では不動岩に行っても殆ど練習できなかったのだろうと思われた。

百丈岩中央稜下部岩壁で一本、二本目は西壁のⅢ級ルートと、ザックを担いで攀じった。一本目でポツリポツリと降り始めた雨は、西壁終了点に全員が揃ったころには本格的に降り始めた。Ⅲ級ルート二本の登攀ではあったが、ここのところザックを担いでの登攀が無かったゆえ、7月の本チャンを想定してザックを担いで登る練習にはなったように思われた。

15時半ごろには道場駅に戻る」を考えてしっかりと降り続ける雨の中鎌倉峡を遡行した。鎌倉峡に居たのは一時間半余りだろうか、岩床美、峡谷美に魅了されながらの遡行ではあったが、「水質が綺麗であったなら」という条件付きであった。上流に住宅が開発されているそうなのだが、僕が寺内先生(当時・守口市教員)に連れられてキャンプにやって来た55年程以前は至極美しい峡谷だったのだろうと思われた。帰路、滑が続く岩床で沢蟹の群れに出合った。

ところで、今日の山行で僕の課題が明確になった。7月に向けて、「荷物が担げない」「歩けない」を克服しなければならないとは考えていたが、もう一つ、「冷え対策」を真剣に考えなければならないと改めて思った。大阪市内の居酒屋で談笑するとき、僕は半袖シャツ上に合羽を羽織っていた。寒くて仕方が無く濡れた合羽を身につけたのだが、その後も雨は上がっていたにもかかわらず、合羽を身につけたまま帰宅した。

ここのところの体調は芳しくなかった。常態化している頸椎や腰の痛みは当然のことながら、それらとは別に精神的抑圧感が高まり頭痛が生じ、胃液のため口中が苦い状態が続いていた。併しだ、山仲間と山中に居る間は、否、街中に戻って居酒屋で談笑するときもそうであったが、日常の雑念が我が脳裏には存在しなかった。

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裏六甲・不動岩(リード登攀)

2013年06月22日 | 岩登り

Sii234

◆写真撮影:2010年6月6日、道場駅辺りにて

(ブタナ)

201369日(日) 

『T山の会』

<裏六甲・不動岩>

■参加者:ABちゃん、UMさん、MOん、YUさん

[JR道場駅]→[不動岩]→[JR道場駅]

<リード登攀>

夏山(7月)参加予定の中高年4人による山行であった。大混雑する中で、待ち時間も生じる中での東壁登攀となったのだが、短時間で、MOくんとABちゃん組は5本、僕とUMさん組は4本とかなり充実した岩登りになった。

昨日、J太郎と7時間もの間“くろんど園地”における逍遥の結果、昨夕より右腰に違和感が生じていて、ちょっとした身体の曲げ具合で酷い腰痛に陥るのではないかという予感がある中での不動岩であった。しかし大事に至ることなく快適な登攀を楽しめたことに安堵し感謝するばかりである。しかし道場駅前でザック上に坐り談笑するときに、坐する姿勢にやはり何時もの如く腰痛が頭をもたげた。

不動岩には過去に何度も来ているのだが、年にすると1回に足らないくらいかもしれない。その所為かどうかは分からないのだが、それぞれが如何なる特徴を有するルートなのかが記憶に余り無いのが現実で、例えば過去に何回か攀じている“菱形ハング”であっても、過去に登攀したときのその様子が僕の脳裏中にまったく存在せず、恰も始めて攀じるルートのように思えてしまうのは、ある意味では嬉しいことでもある。

本日の一本目は“蜂の巣ハング”右手のカンテを上るルート、そして二本目はクラック左手のフェイスを上るルートであったのだが、なかでも二本目の取り付いて間も無い処で、細かいホールドが続く処で、足が微かに震えるのが脳裏に伝わった。

併しだ、岩登りは「墜ちるかもしれない」という緊張感のなかでのリード登攀に、魅力があるように僕には思える。経験も実績も少ない僕だが、実力を上回る厳しい場面に遭遇したときに瞬時躊躇してもその後直ぐに、「えいや!」精神で大胆に前進することで、我が精神は解放感に浸ることができる。「それやから怖い」と皆は言うのだが。

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