山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

脚腰を鍛える(そんな精神力は僕には存在しない)

2013年08月20日 | 健康・病気

P8020110

◆撮影:2013年8月2日、枚方大橋にて

20138月20日(火) 

『脚腰を鍛える』

<そんな精神力は僕には存在しない>

今朝の「街中走」のタイムは414933。昨晩の思わぬAH君との「街中走」の疲労が僕の大腿四頭筋に残っていた。

ところで、昨朝のタイムは370451、昨夕食後のAH君との「街中走」は360343であったのだが、今日のタイムとこれらのそれを比較するとき、その差が45分も存在する。さて、この差とはいったい何だろうと考えるが答えが見つからない。

昨夕、AH君と走ったとき、成田不動尊裏の上り道を駆け上がるときに心中にスイッチが入った。31の年齢差のAH君と競争したって勝てる筈もないのに何ゆえあれほどに懸命に走ったのだろうか。僕は終始荒い呼吸で走り続けた。しかし、僕の直ぐ後ろを走る彼の呼吸音は最後まで僕の耳に届かなかった。

今朝、街中走を楽しんだ後、昨日の「街中走」を振り返るとき、「脚腰を鍛えることを目的とするなら、昨夕の如く常に、自身の走力の限界ギリギリで走らなければそれは成し得ないかもしれない」と思った。併しだ、そんな精神力は僕には存在しない。

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腰痛(あの独特な感触の稲妻)

2013年08月17日 | 健康・病気

P8110147

◆撮影:2013年8月11日、比良山系・鵜川左俣にて

2013817日(土)

『腰痛』

<あの独特な感触の稲妻>

今朝の「街中走」のタイムは400077。今週に入ってから腰の状態があまり芳しくないゆえ今朝は自重しゆっくりと走る。それが功を奏したのだろうか、腰に違和感が生じることもなく走り終えることができ安堵することとなる。

「腰の状態が悪化したのはいつからだったのか」「何が原因で悪化したのか」と考えつつ走った結果、その原因となる一つの事象が脳裏に蘇った。それは先日の鵜川左俣の沢登りの最中のことであった。沢中から頭を覗かせる尖がった岩塊の上でバランスを崩したときに、体勢を立て直そうと身体を捻った。それは瞬時のことではあったが、あの独特な感触の稲妻が腰中奥を通り過ぎたのだ。またそれ以外にも、倒木や灌木の為、身体を屈めて通り抜けなければならない場面が再三あったことも、我が腰にかなりの負担を強いることになったに違いがない。

ところで、一昨日、昨日と、大石小屋に一族17名が集まったときに従兄弟従姉妹より、腰痛を抱えて走り続けることに対しての否定的な意見があった。併しだ、けっして確信があるわけではないのだが、僕は「走ることで脚腰の筋肉を鍛え、その筋肉で腰を護る」という思考の下、今走り続けていると応えた。8月の走行距離は今日で90kmを超えたのだが、酷い腰痛に陥らないことを祈るばかりだ。因みに、今までの「街中走(約6.3km)」の中での最高のタイムは、814日の「381901」だ。

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街中走(我が気力が課題)

2013年08月09日 | 健康・病気

P7140043

◆撮影:2013年7月14日、小同心クラック(八ヶ岳)取付にて

(ハクサンイチゲ)

201389日(金)

街中走

<我が気力が課題

一念発起して“街中走”をスタートさせたのは619日。それ以降、6月は5日、7月は18日、そして8月は、1日から今日まで9日間走り続けている。プライベートな周回コース約6.3㎞(成田不動尊や治水公園辺り)を、このごろは朝の6時台に40分から42分を掛けて走っている。それが、持病の腰痛や頸椎痛の治癒に如何なる効果をもたらしてくれるのかは分からないし、また現実その効果をまだ実感することはない。しかし先日左膝の痛みが消えていることに気付いたのだ。昨年9月に富士山に行ったときには最悪の状態であった我が左膝、その症状が永久に続くものと諦めていたのだが、またつい先日まで、走るときに両膝に疲労感が明確に存在したのだが、それもいつの間にか無くなっている。今日の「街中走」のタイムは383157。初めての38分台突入だ。今までに39分台が2度あったように記憶するが、兎に角今日はスタートした直後より至極快調であった。

ところで、頸椎痛は別として、酷い腰痛や膝痛に陥らなくなった要因として、この5月に40年間続けた重量物を持つ仕事から解放されたことが最大の理由だろうと考えている。30kgの重量物を担ぐことが、60歳を超えた我が腰や膝にかなりの負担になっていたのは間違いのない事実だ。そして今、机前に長時間腰掛けていることが多くなっていているのだが、運動といえば、早朝の40分余りのランニングのみゆえ、“走る”以外の某かの運動を、時間を見つけて行なわなければならないと思っているのだが、それは我が気力の問題だろう。

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街中走(ランニングと腰痛)

2013年08月02日 | 健康・病気

P7130022

◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心稜)にて

(ゴゼンタチバナ)

201382日(金)

『街中走』

<ランニングと腰痛>

KS鍼灸整骨院(カイロプラクティック)の先生の言葉が切っ掛けとなり、6月下旬より「山野走」の回数を減らし「街中走」に切り替えた。「走り終えた直後より身体は冷え始めている」「衣類は濡れていなくても出来るだけ早く着替える必要がある」「KAさんは冷えに弱い」「山野走は楽しみとして置いておいて、普段のランニングは近隣で我慢してその回数を増やすべき」などという先生の言葉を聴いたのが410日だったと記憶するのだが、「街中走」をスタートさせたのはその二ヶ月後になった。

「山野走」より「街中走」に切り替えたのは、先生のその言葉より二ヶ月以上も後になってしまったのは、僕の腰痛に原因があった。今年の一月中旬に酷い腰痛に陥り仕事に差し支えが生じ、5月初めに数十年続けた仕事に休止府を打ち重量物を持たなくなったことと、気温が上昇した二つのことが、僕の腰痛改善の大きな要因となったのは間違いが無いだろう。

しかし現在腰痛から完全に脱出できているのかと問われると、「いいえ」と明確に答えることができる。以前のように一色即発という状態ではないと思っているのだが、日常生活の中でも勿論なのだが、「街中走」より帰宅したときの腰の状態は、前屈や反り返る姿勢をとるとかなり辛いし、走っている間も常に違和感があるというのが現実である。

「走る時刻は、朝より午後の方がよい」と先生は仰っておられたのだが、日中のランニングは仕事上無理があるゆえ、必然的に早朝になったしまった。「街中走」の距離は6.3㎞、タイムは4142分台で、無理のない範囲内で完走を目標に走っていて、6月は5日、7月は街中走が18日と山野走が1日の全てが完走だ。7月の走行距離は120㎞を超えた。さて、「街中走」は腰痛改善に如何なる効果をもたらしてくれるのだろうか。

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街中走(冷えに弱い)

2013年06月30日 | 健康・病気

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◆撮影:2006年3月、淀川河川敷にて

2013619日(水) 

街中走

<冷えに弱い>

KS鍼灸整骨院の先生が語る、「早朝ランニングは身体によくない」「夏の季節なら夕方16時ごろ」「冬なら14時ごろが走るのに適している」と。併しだ、16時や14時に走るのは僕にはちょっと無理がある。というところで、久し振りに嘗ての僕の私的トレーニングコース(約6.3㎞)を走った。それも朝に走ったのだが、気持のよいランニングであったように思う。私市の森中を駆けるのと比べるべくもないが、7時前後の街中は車の往来は然程多く無く、排気ガスも気になることはなかった。また、早朝運動を行なう高齢の方々の姿も其処彼処にあったことで、本年8月に64歳を迎える僕はその姿に元気づけられながら駆けたように思う。タイムは4239秒。前回走ったときのタイムがどのくらいであったのか、またマラソン大会に出場していたころの20数年前には如何なるタイムで走っていたのかは記憶にないのだが、40分も掛かることは間違いなくなかった筈だ。

ところで、街中のランニングは私市の森中を走るのと比して利点があった。それは、走り終えて直ぐに汗を流し着替えられるゆえ、身体を冷やしてしまうということが殆ど無いに等しいということにあった。「ランニングの後、シャツが濡れていなくても着替える必要がある」「走り終わったとき、必ず冷えが始まっている」「YUさんは冷えに弱い」とKS先生が言ったのを覚えている。

615日の山の会例会にて、僕は寒さに弱いということを再認識することとなった。それは、雨に打たれただけではなく自身の汗で着ている綿製品のシャツが濡れてしまったことにも原因があったようにも思う。半袖シャツ一枚で道場の駅舎で電車を待つときも、冷房が効いた車内でも、そして最悪であったのは、大阪市内の居酒屋で皆と談笑するときであった。余りにも寒くてザックより濡れた合羽を取り出し着用せざるを得なかったのだ。一時間余り後に店を後にするころには雨は止んでいたにもかかわらず、合羽を着たまま帰宅した。

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腰痛(桐灰懐炉は腰痛改善に効果がある?)

2013年02月10日 | 健康・病気

Sii033

◆撮影:2011年2月11日、ほしだ園地にて

(星のブランコ)

201223日(日) 

『腰痛』

<桐灰懐炉は腰痛改善に効果がある?>

長年普段より軽微だが腰に鈍痛が存在するのだが、113日(土)の起床時より腰の状態が悪化した。自己診断で13日の腰痛度数は「8」くらいであった。椅子から立ち上がるときや車から降り立つときに、瞬時に腰が伸びてくれない。ジワーッと立って極めてゆっくりと意識して痛む腰を伸ばすのだ。伸び切って暫くすると、違和感と鈍痛は存在するものの歩くことも走ることも可能だ。それゆえ、16日、18日と走ったのだが、昨年の73日に腰痛に陥ったときのことを思い出し走るのを休止した。昨年腰痛に陥った73日以降、「走って治す」という思いで、4日、6日、9日、11日と4日走った結果、12日にカイロプラクティックの門を叩く破目になった。そのとき僕の腰は最悪の状態に陥っていた。それ以降、本格的に走り始めたのは10月になってからだ。

113日以降僕は、未だ嘗て使用したことがなかった三点の品を使用し始めた。その一つは、娘からもらった娘のお古の“ニット帽”だ。耳がすっぽり覆われ被っているとかなり暖かい。二つ目は“襟巻き”で、それは上さんが使用していたものだ。「マフラーをすれば暖かい」と以前より勧められていたのだが、そもそも僕はトータルネックの衣類等、首筋に衣類が触れるのが嫌であったゆえ使用することがなかった。そして三つ目は“懐炉”だ。これも上さんから何度も勧められていた代物だが、何ゆえか使用することは無かった。これら三点の品を使用し始めた理由は、「身体を冷やさない」「身体を温めよう」「腰痛は冷えも大きな原因の一つであるのかもしれない」と考えたからだ。

営業で屋外に出るとき以外は、これら三点を必ず身に着けていて、使用し始めてから半月経った現在手放せないものとなってしまった。もっとも僕は冬期、長パッチを穿き長袖下着など上半身に5枚も衣類を着込んでいるのだが、懐炉を腰に貼ることにより、貼っている腰周辺ばかりでなく身体全体が温まってくるような気がする。事務所に坐るときに暖房器具がなくても済むくらいに暖かい。因みに、僕が使用している懐炉は、“桐灰カイロ”で、14時間持続と書かれている。朝、左腰シャツ上に貼ると、夜就寝時まで至極暖かい。懐炉がこれ程に暖かいものとは知らなかったのだが、さて桐灰懐炉は僕の腰痛改善に効果を発揮してくれるのだろう

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体調(両親から頂戴したDNA)

2012年12月30日 | 健康・病気

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◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

2012122日(日)

『体調』

<両親から頂戴したDNA

1128日を境にして山野走が楽しめる状況ではなくなってしまう。腰痛、頸椎痛、胃炎、頭痛、風邪引き、胸の痛みなどが明確に症状として出現し我が体調は最悪の状態に陥ってしまった。28日以降何となく熱っぽく身体がだるく、眼奥に痛みがあり乾いているような状態が続き、「走りに行きたい」と云う思いと「走ることにより今以上に体調を悪化させてはならない」と云う考えが我が心底に同居している。

ところで、今僕の身体に生じている症状の中で、もっとも先に挙げなければならないのはやはり“腰痛”だろう。去る7月初旬の痛みを「10」としたとき今の痛みは「7」くらいと、まだあのときの状態と比して酷くはないのだが、それでも坐る姿勢より立ち上がろうとするとき、症状が頭をもたげ我が腰は素直に伸びてくれない。また屈む姿勢も至極辛い。しかも動くときに上半身と腰と脚との一体感が無くバラバラ状態で、「この状況では走ることは不可能だろう」と考えてしまう。長年腰痛と付き合っているのだが、今年の腰痛は異常だと言っても過言ではない。今までなら一ヶ月も掛からず治癒し、しかも症状が完全に消滅するのだが今年は痛みが消えることは無い。

次は“頸椎痛”だ。首を前後や左右に傾けるとき、また後ろを振り向くときにもかなりの痛みが生じる。頭痛はそれが原因となり発生しているのかもしれない、また肩や肩甲骨にも詰まった感が常に存在する。

頸椎や腰同様、胃も僕にとっては長年に亘る持病の一つだ。食欲が無いわけではないが、一度に多くを食することが出来ない。例えば夕食に食べ過ぎると、朝目覚めたときに胃に鈍痛を感じる。その鈍痛を2009年秋から2010年春にかけてかなり強く感じたのだが、その異常な痛みに不安を懐いた20102月上旬、僕は生れて初めて胃と大腸の内視鏡検査を行なった。そのときの検査結果は“委縮性胃炎”と“内痔核・度数1”で、大腸については「大変綺麗ですよ」と言って戴いた。

また風邪引きの症状がこれ程に長期間続くことも嘗て無かったように思う。熱っぽいのと胸上部が痛むのは風邪の所為かもしれない。どちらかと云うと僕の睡眠は熟睡型で、布団に這入ると直ぐに眠ってしまい、朝目覚めるまで夜半に目が醒めることは殆ど無いのが常なのだが、ここのところ夜中に目覚め咳き込むことがしばしば起こる。

併しだ、これらすべての事柄は我が身体の老化を起因としているのだろうし、両親から頂戴したDNAからは逃れることは難しいのかもしれない。仕方が無いことなのだろう。

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腰痛(治癒しないかもしれない)

2012年08月25日 | 健康・病気

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◆撮影:2010年8月8日、むろいけ園地にて

(オオバギボウシ)

2012822日(水) 

『腰痛』

<治癒しないかもしれない>

酷い腰痛に陥って一ヶ月半が過ぎ去った。僕は従前走ることで腰痛を治してきたという思いが強いゆえ、酷い腰痛に陥った7月3日以降、4日、6日、9日、11日、と4日間“ほしだ園地”の森中をいつものよう懸命に走った。カイロプラクティックの先生曰く、酷い腰痛に陥っているにもかかわらず4日間走ったことで、身体()に疲労を余計に蓄積させ更に悪化させてしまったのだという。7月11日に走った後に、今回の腰痛は自力では治せないという考えに至り、14日にカイロ治療院の門をたたいた。それ以降カイロプラクティック治療を今日も含めて9日、一般的な整骨院には5()日通った。そして現在の我が体調が存在する。もっとも厳しかった状態を「10」とすると現在は「3」くらいの症状だろう。カイロの先生のお蔭でここまで快復したのは間違いがない。

走らなくなって1ヶ月半が経過した。仕事以外で身体を動かすことは殆ど無い、ほんの一週間前くらいなら、歩くときであっても上半身と下半身が一体化していない感があったのだが、現在それが無くなった。現在もっとも苦手としているのが前屈みの姿勢だ。朝、手水をつかうとき、両手で顔を洗うときに腰に明確な痛みと鈍痛が生じるのだ。また、何かを拾い上げようとするときに前屈みになるのがやはり辛い。次に苦手なのは椅子に腰掛ける姿勢だ、長時間坐っているとやはり鈍痛が頭をもたげ始め、以前ほど酷い状態ではないが、立ち上がったときもその鈍痛が暫くの間継続する。また、今回の腰痛を契機として、身体の様々なところで痛みが生じるようになった。否、それらは以前から存在する痛みというか症状なのだが、単に以前よりも強く感じるようになっただけなのかもしれないのだが、「頸椎が痛む」「膝が痛い」「左脚大腿部が痛む」「頻繁にこむら返りが起こる」「脚が重たい」「右手首が痛む」「手指の関節が痛い」などと、症状が顕著にあらわれた。

今日、カイロの先生が語ったことを実践した。一つはストレッチだ、15分間軽く、左右どちらか一方向ではなく均等に、腰周辺を中心に。二つ目は、ゆっくり浴槽に浸かることであった、20分間浸かっていた。

現在の我が体調を鑑みるとき、今後走ることは不可能なのかもしれないと考えてしまう。駆ける勇気がない、駆ける気力もないし駆ける身体力もない。

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