山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

快食快便(もう少し身体を動かす)

2013年11月12日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2006年11月12日、くろんど園地にて

(すいれん池)

20131112日(火)

 

『快食快便』

<もう少し身体を動かす>

まだ、以前のような快食快便という状態ではないが、「毎食、しっかりと食べる」「毎日、水をしっかりと飲む」を基本に体調を整えているつもりだ。今の状態で、もう少し身体が動かせるようになれば、嘗てのような「快食快便」に一歩近づくのではないかと考えている。

先ずは「快食」なのだが、滑落事故で生じた左顔の神経麻痺の所為で口元(唇)が右側へと少し歪んでいるのと、左頬に柔軟性が無く口中が上手動いてくれない。もしかすれば上の歯と下の歯が微妙に上手く噛み合っていないのだろうか。それらの所為で咀嚼が上手く出来ないという現実があり、食べ物をしっかりと噛めずにのみ込んでしまっているのかもしれない。咀嚼をしっかりしようとすると、食事の時間があまりにも長くなってしまうのだ。さて、上手く噛めないことが、胃や腸に如何なる影響を及ぼしているのだろうか。

ところで、暫く以前からみるとかなり水を飲むことができるようになり、2㍑近くは飲めているように思う。しかし、課題は睡眠時だ。水を飲んで布団に這入ると夜中にトイレに行く破目に陥る。トイレから戻ると、またラクノミ一杯の水を飲むので、朝目覚めるまでにもう一度くらいトイレに行くときもある。これからの寒くなる季節には、夜半に起きなければならないのは少々辛いかもしれない。若ければ何ら問題は無いのだが、60歳を超える者にとっては辛いことだ。

さて、昨晩23時にラクノミ一杯の水を飲んで就寝したのだが、朝7時に目覚めるまで、一度も起きることは無かった。

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健康管理(水の飲み方)

2013年11月10日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2012年11月25日、ほしだ園地にて

(ピトンの小屋)

20131110日(日)

 

『健康管理』

<水の飲み方>

健康管理のために水を飲むことを勧めてくださったのは、腰痛の治療でお世話になっているKS鍼灸整骨院(カイロプラクティック)の先生であった。

当時、「食事前後の一時間は飲料を飲まないように」と言われたように記憶する。また、「食事時に飲み物を、あまり摂らない方がよい」とも聴いたように思う。その理由として、「消化器官に、なかでも胃の中に水分が多くあることで、食べ物の消化吸収が上手く行なわれない。」との説明があったように記憶する。「食べ物が消化されるのに一時間近く必要」というのがその主たる理由であったと思う。そしてその話があって以降、僕は、食事の一時間前と後ろを避けて、水を飲むよう心掛けてきたし、また、食事中には、最低限必要とする温かいお茶以外の飲み物は摂らなくなった。

水以外によく飲んだ飲料は、牛乳と珈琲なのだが、滑落事故後、珈琲を殆ど飲むことはなくなった。あれほどによく飲んだのに、退院後自宅に戻って珈琲に口を付けたのは一度のみで、そのときに「美味しくない」と思ってから飲まなくなった。ところが、牛乳に対する嗜好に変化はない。「牛乳は健康によい」という思いもあるのだが、どちらかというと、「牛乳は排便を助けてくれる」という意味合いで飲んでいる側面がある。

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脳梗塞(水を飲むことが脳梗塞の予防になる)

2013年11月03日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2012年9月15日、富士山頂より

2013113日(日)

『脳梗塞』

<水を飲むことが脳梗塞の予防になる>

僕は予てより、水を飲むよう心掛けている。事務所で坐るときには机横に、車に乗るときには車に魔法瓶を持ち込み、夜、眠るときには、水が入った容器を枕元に常に置いていて、夜中であっても目が覚めると飲むようにしていた。その理由は、将来、脳梗塞になるかもしれないという親爺のDNAをもらっていると考えていたからだ。20124月に89歳で逝った親爺が、脳梗塞を病んでいたからだが、水を摂ることが、血液をサラサラにするために効果があると、僕は信じて疑わない。

親爺が何歳のときに一回目の脳梗塞に陥ったのかを正確には記憶していないのだが、70歳が廻っていたのは間違いがない。そのときの症状は軽微であったのだろうと思う。それは、親爺がお袋と二人で城崎温泉へと車で一泊二日の旅行に行ったときのことであった。「海岸を歩いているとき、お父ちゃんの様子がちょっとおかしいと思ったんや」と、帰宅後お袋は語った。しかし、そのおかしいと思われる体調の下で、城崎から大阪まで、車の運転がよく出来たものだと当時は感心すること頻りであった。

そのときの症状は、例えば、計算を電卓で行なおうとしたときに、指で「1」の数字を押そうとしても指が「1」の処を押すことが出来ず、「4」の処を押してしまうという、嘘みたいことが現実に生じていた。それ以外にも様々な症状があったのだろうが、親爺もお袋もそれらについて語ろうとはしなかった。

大正生まれの頑固一徹の仕事人間である親爺は、「周囲の人間には自身の病を知られたくない」「仕事が出来ない自身の姿を見られたくない」という気持ちが強かったのだろう。お袋の話によると、上手く扱えない電卓を懸命に押し続けるなど、親爺は僕達の目が届かないところで懸命にリハビリに励んだらしい。そしてその甲斐あって、間も無く脳梗塞の後遺症から脱出したのだ。発病後、血液をさらさらにする薬を呑んでいたはずだが、そのような話も親爺はすることはなかった。

次に、20005月から、脳挫傷で二ヶ月間の入院生活を送った。それは、親爺が青信号で横断歩道を歩くときに左折する車にはねられたのだ。それが原因で読み書き、算盤を頭脳より失った。しかしそれでも親爺は復活し車の運転を行なった。仕事からは離れはしたが、今、考えると至極恐ろしいことなのだが、歩くことが好きではないお袋のために、自身が車の運転をしなければならないと念じていたのだろう。

ところが、原因が脳挫傷にあるのか二度の脳梗塞にあるのかは分からないのだが、2007年の夏季頃より認知症が顕著になり始めたのだ。夜中の徘徊もあった。布団中での排便もあった。お風呂に這入るのを嫌がる親爺と一緒に、50数年振りに親爺とお風呂にも這入った。その他様々なことがあって、2009年の秋には、お袋や僕達子供のことも、解らなくなってしまった。

実に淋しいことではあるが、自身の配偶者の存在も、自身の子供達の存在も、自身の脳裏から消滅してしまったのだ。これが脳梗塞や脳挫傷を病んだ人間の近未来の姿だと僕は考えている。だから僕は水を飲み続ける。

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滑落事故(後遺症は治癒するのか?)

2013年11月02日 | 健康・病気

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◆写真撮影:2007年11月17日、御在所岳(前尾根)にて

2013112日(土)

『滑落事故』

<後遺症は治癒するのか>

914日の滑落事故による左耳と左瞼上の裂傷、左耳奥の骨折、激しい目眩、そして後頭部内出血はお蔭で治癒したようだが、当初痛まなかった筈の左手指が、拳を作ることが出来ないほどに痛む。力を籠めてグッと握りしめることが難しく、パソコンのキーボードを叩くときにも痛みが生じる。最も痛むのは中指だ、薬指と小指もかなり痛むのだが、人差し指と親指にはまったく違和感が無い。何ゆえだろうか。

一昨日、整形外科でレントゲンを撮ってもらい診てもらったのだが、「特段異常は無い」「テーピングでもしておかれたら」との診断結果が出た。取り敢えずは安堵したのだが、その痛みはかなりのものだ。しかし、それも時間の経過の中で自然治癒してゆくのだろう。この症状を感じ始めたのは、二週間くらい前からだろうか。三重県立総合医療センターに入院する間も、自宅に戻ってからも、つい先日までは感じることはなかった筈だ。何ゆえこのころより左手指の痛みを感じ始めたのだろうか、また同じころより左肩にも痛みが生じ始めた。

もう一つ、なかなか治癒しない症状が左顔の神経麻痺だ。滑落するときに岩で強打したことが原因となり、麻痺症状が出現しているのだろう。上さんに言わせると「だいぶんマシになったよ」ということなのだが、僕に言わせると相変わらずで、「食事時の咀嚼が上手くゆかない」「飲み物を摂るときコップでは上手く飲めないのでストローを使用している」「左目だけ閉じることがでず、頭髪を洗うときに石鹸が目に這入ってしまう」「上手く喋れない」「鏡で自身の顔を見るとき、口が右へと寄っているのが分かる」などの症状がまだ顕著に残っている。一昨日、耳鼻咽喉科の担当医師から「マッサージをしていますか?」との質問があり、当然のことながら「しています」と僕は答えた。

今処方してもらっている薬は『レチコラン錠500?g』と『ATP腸溶錠20mg「日医工」』の2種で、それらを毎食後一錠ずつ呑んでいる。『レチコラン錠500?g』には、「ビタミンB12です。抹消神経の働きを助けて、手足の痺れ、痛み、麻痺などの症状を改善します。」『レチコラン錠500?g』には、「体の臓器や筋肉のエネルギーになるお薬です。」との働きが記載されてあった。

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遠近両用眼鏡(滑落事故の原因)

2013年10月24日 | 健康・病気

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◆2013年7月14日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)にて

(チョウノスケソウ)

20131024日(木)

 

滑落事故の原因

遠近両用眼鏡

929日、山の会の皆が見舞いに来てくれたときに、僕が滑落した原因として、MOくんが、「遠近両用眼鏡の所為やと思った」と呟いたと記憶するのだが、そのときも、またその後も僕は、「眼鏡が原因だ」とはまったく考えなかった。

また、先日日記に記しているように、滑落の原因として、「我が身体の老齢化に対する認識不足」「自身が山岳事故を起こすことは絶対にあり得ないという慢心の気持ち」「自然への畏敬の念の絶対的な不足」などを掲げていて、「眼鏡が原因だ」とは、そのときもまったく考えなかった。しかし、今朝、サングラスも含めると、6種類の眼鏡を使い分ける上さんと「眼鏡に係わる話」をするなかで、僕の滑落事故の原因として遠近両用眼鏡があるのではないだろうかと考え始めた。そのとき、僕の脳裏に蘇ったのはMOくんの「遠近両用眼鏡の所為やと思った」という呟きであった。

そのときに使用していた遠近両用眼鏡は今、僕の手元には無い。壊れた状態で前尾根辺りの何処かに眠っているのだろうと思うのだが、その眼鏡を購入したのが82日。一刻も早くその眼鏡に慣れたいと考え、日常生活の中で眠るとき以外は毎日掛け続けた。しかし、山で使用したのは811日の「比良山系・鵜川左俣」遡行時のみで、そのときの印象を山日記に記しているのだが、沢中で再三バランスを崩す僕を見て、僕の後ろを歩くMOくんが心配して「眼鏡を外した方がええんとちゃう」と僕に声をかけたのを覚えている。

また、「遠近両用眼鏡では歩かれへん」という上さんの言葉も思い出した。もっとも上さんの眼は至極悪化しているゆえ、「仕方がないのだろう」ぐらいにしか当時は考えていなかったのだが、それは上さんの視力の所為ではなかったのかもしれない。そう言えば、僕が遠近両用眼鏡を掛け始めた8月、眼前の景色が微妙に揺れたり歪んで見えたりしたのを覚えている。もしかすれば、遠近両用眼鏡は、足元に凹凸が頻繁に現れる処では不向きなのかもしれない。なかでもその最たる場面が山中であって、山歩きでは「遠近両用眼鏡を絶対に使用すべきでない」のかもしれない。

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持病の腰痛(滑落事故で異変が生じる)

2013年10月18日 | 健康・病気

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◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)にて

(ウルップソウ)

20131018日(金)

『持病の腰痛』

<滑落事故で異変が生じる>

滑落事故後一ヶ月間、怠惰な生活を送るなかで、長年悩み続けていた持病である「腰痛」の症状がまったく無いということに最近になって気付いた。不思議なことなのだが、事故後その症状を瞬時であっても感じたことが無い。

30歳に到達したころより、少なくても一年に一度くらいの回数で症状が出現していた。症状は、「歩くだけでも違和感があり痛みが生じる」から、「椅子に坐り続けるときや、椅子から立ち上がるときに痛みがあり、また立ち上がるときに直ぐに腰が伸びてくれない」「前屈みになるときに痛む」「重量物(30kgぐらいの物)を足下より10cmでさえも持ち上げることができない」などと、その時々で様々である。

ところが、60歳に達したころよりここ数年間は腰痛が常態化しまい、毎朝起床時に症状は出現した。なかでも、靴下やズボンを穿く為に前傾姿勢をとったときには殊に僕を悩ませた。その症状より脱出したいと、「毎早朝30分以上に亘るストレッチを一年間継続」を実践したときもあった。また、「毎週一度以上、私市の森中を二時間近く駆ける」などもやってみたが、改善することはなかった。

今年の5月で長年従事して来た重量物を持つ仕事から離れ、それ以降はPC相手の机前の僅かな事務的な仕事のみとなり、酷くて辛い腰痛に陥ることは幸い無くなったが、それでも前記のような様々な腰痛は生じ続けた。

ところで、何ゆえ腰痛が消滅してしまったのかと考えるとき、「重量物を持ち上げることがない」「身体を動かすことがない」「ベッド上で横になっている時間が長い」などとその理由を掲げてみたが、不謹慎な話だが、「約20mも滑落したことで、我が腰に何らかの異変が生じたのだろうか」とも考えた。そんなことってあり得るのだろうか。もし今後腰痛から離れることができるのなら、ほんとうに嬉しい限りだ。

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処方薬(左顔、神経麻痺に効果は?)

2013年10月17日 | 健康・病気

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◆撮影:2013年9月16日、八ヶ岳山荘前付近にて

(白花オダマキ)

20131017日(木)

『処方薬』

<左顔、神経麻痺に効果は?>

自宅に戻って以降、薬の管理は上さんがやってくれているゆえ、呑んでいる薬が如何なる名称の薬なのか、また何を目的にその薬を呑んでいるのかなどを、僕はまったく理解していない。ところで、退院して自宅に戻って来て、地元の病院に通院し始めたころと比して、その量はかなり減少した。三重県立総合医療センターで頂戴した薬は暫く以前に無くなり、地元の病院で頂戴する薬の量も漸次減り、今昼呑んだのは、3錠のみとなった。

ところで、僕が管理している薬が一種類のみ存在する。それは、「センノサイド錠12mg」というもので、排便を助けてくれるという薬なのだが、これを就寝前に2錠服用する。104日から呑み始めて、5日、6日と呑み、7日なって便通があった。次に8日から毎日呑み続けて、次に便通があったのは13日、こんなものなのだろうか。「排便時、気張ったらあきません。耳に影響がありますから。」と医師が語りこの薬を処方してくださった。因みに事故後の9月中の排便は、20日と28日のみなのだが、事故以前までは毎朝、快食快便という状況だったゆえ、事故後、我が消化器官は如何なってしまっているのだろうか。

914日の滑落事故時、左顔面や左耳辺りを強打してしまった所為で、左耳中で骨折があり、また左顔に神経麻痺が生じてしまい、左目だけを閉じようとしても上手くいかない。また、食事時の咀嚼も儘ならないし、飲料をコップに口を付けて飲むことが難しくストローを使用している。今はその治療の為の薬が処方されているのだろうと思っているのだが、先日、「顔のリハビリを行なってください」と耳鼻科の先生は、マッサージの方法を身振り手振りで教えてくださった。

そして今日は一週間振りの耳鼻科における診察。医療機器による前回同様の耳や顔、舌などの検査を行なったのだが、優しくて明確に答弁してくださる信頼感溢れる井野医師から「耳は血が流れている」「左顔神経の反応が右側と比して鈍い」「しかし、自然治癒すると思います」などの、嬉しい言葉を頂戴し、次回の診察は二週間後の1031日と決まった。

ところで、一週間前に行なった脳外科でのMRI検査の結果報告が昨日あって、事故直後にあった脳内出血は自然治癒しているらしく「異常無し」というこれまた嬉しい言葉を医師より頂戴した。左後頭部に腫れがあり痛みが僅かに残っているが、これは時間の経過の中で治ってゆくのだろう。

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滑落事故(厭世的な思考)

2013年10月10日 | 健康・病気

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◆撮影:2007年11月17日、御座所岳前尾根より

20131010日(木)

『滑落事故』

<厭世的な思考>

今後自身の身体が如何なる状態まで快復するのかが分からないなかで、事故から12日間、現地の病院(脳外科)に入院する間、僕は厭世的なことばかり思考していたように記憶する。64歳に至るまで、職業病と思われる腰痛を除いて、病気らしい病気をしたことが無いし怪我らしい怪我もしたことが無いゆえ、今回の滑落事故よる我が身体が何処まで快復するのかに、ただ只管不安感を抱いていたのだろう。

自宅に戻って、930日以降、地元の病院に昨日まで日々通った。脳外科と耳鼻科だが、CTやMRI、そして耳鼻科による耳や舌、頬などの検査を行なった。MRIの検査結果はまだ知らされていないが、CT検査では現地病院の映像と比較するとき、後頭部脳内出血などによる心配はないそうで、来週知らされるMRI検査の結果次第だが、脳外科通院は卒業できるのかもしれない。

僕の姿を見る上さんは、「80歳の爺さんに見える」と表現をするのだが、鏡に映る我が顔をみるとき、僕自身も納得だ。「左目のみを閉じることができない」「食事時の咀嚼に苦労している」「お茶を頂戴するときにコップに口を付けて直接飲むことが難しく、ストローを使用している」というのが現実で、強打による左顔の硬化麻痺症状は明確に残っているし、まだ安定した歩行ができないのも現実である。

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山岳事故(自省するばかり)

2013年10月05日 | 健康・病気

2013105日(土)

『山岳事故』

<自省するばかり>

下記の文書は退院予定日(926日)の早朝、ベッド上にて携帯に記録したものであります。事故を起こして12日目のことなのですが、その後になって、事故現場におられたクライマーや、小屋関係者の方々、また小屋に居られた山岳ガイドさんにも、そして警察や消防署、そして病院の方々にも多大な迷惑を掛けてしまったことを知ることとなりました。心より感謝し、また自省するばかりであります。

また、帰宅してから連れて行ってもらった病院(脳外科や耳鼻科)で、「鼓膜内に血液が溜まっている」「耳奥の骨が骨折している」「左顔に神経麻痺がある」などが判明しました。咀嚼が上手く行なえず食欲が無く、ここのところ診察と点滴で毎日病院通いが続いています。

2013926日(木)

『T山の会』

■参加者:ABちゃん、MOくん、YUさん

<滑落>

前尾根P3をサードで攀じり終え、安定した所でロープを解いていたのは覚えている、しかし滑落する直前直後の記憶は皆無だ。何ゆえ滑落するはめに陥ったのかが分からない、極めて微かだが、タンカーに載せられて下山して行く様子は記憶にあるのだが、車で搬送される記憶も、病院で治療を受けた記憶もまったくない。気付いたときには、眼前に上さんと娘の姿があった。

現地での入院生活は12日、左瞼上と左耳を縫ってもらったようだが、左後頭部脳内出血が原因と思われる、酷い目眩と頭痛、そして頸椎痛に悩まされる日々が続いた。今回の事故で一番迷惑をかけたのはABちゃんとMOくんに対してだろうが、救助隊の方々や病院関係者、そして家族にも多大な迷惑をかけてしまったのだが、さて今後僕は如何なる山行を思考してゆけばよいのだろう。

ところで今回の滑落事故は何ゆえ生じたのかと考える時、神前先生から聞いたという上さんの言葉を思い出した。その言葉とは、酷暑の中僕が懸命は走っているという話を上さんさんから聞いた先生が発した、「夏期、頑張り過ぎると秋に入って某かの弊害が生じる」であった。朝6時台に6.3km7月は18日、8月は27日、9月は13日までに10日間遮二無二走った。その間、山の会例会に6日出席し、山野走や孫との山歩きにも2日行っているのだが、これらの運動量が僕には過重であったという結果なのだろうか?

本年1月初旬に酷い腰痛に陥り、半年間仕事以外では殆ど身体を動かすことがなかったのも事実だ。しかしそのことが、我が身体力の衰えを加速させたというのだろうか?その衰退した身体に鞭打って酷暑中走り続けたことが、先生が言う「夏期、頑張り過ぎると…」に繋がったのではないかと思えて仕方がない。今後走ることが可能となったおりには、我が身体力に無理の無い範疇での体力増強のための某かの運動と適度なランニングに切り替える必要性があるのだろうと考えるが、そのための効率的且つ効果的な運動とは、どのようなものなのだろうか?

滑落前後の記憶が皆無だという状況ゆえ、信じられないことだが、もしかすればその時僕は眠っていたのかもしれないと考えた。前尾根登攀終了の安堵感と疲労から極めて瞬時のことかもしれないが意識が朦朧としていたのだろうか、14日朝の目覚めは4時、朝食を頂戴し朝風呂を楽しみ、車で天王寺駅にやって来たのが730分過ぎ、8時には二人を乗せて名阪へと車を走らせていた。64歳という年齢、つるべでクライミングに興じる間も自身ではまったく感じなかった心身の疲労が知らぬ間に我が体内に蓄積していたのだろうか?幸いなことに骨折は無い、左眉毛辺りと左耳を縫ってもらっただけだが、左後頭部脳内出血の影響だろうか、頭痛と目眩が激しく、また左顔面を強打した所為で、左瞼と口が上手く動かないという症状が生じている、加えて食欲が無く、25日の計量では近年最低の57.3㎏を記録した。

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腰痛(一刻も早く脱出したい)

2013年08月29日 | 健康・病気

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◆撮影:2013年7月14日、八ヶ岳(大同心ルンゼ)にて

(ミヤマオダマキ)

2013829日(木) 

『腰痛』

<一刻も早く脱出したい>

今朝の「街中走」のタイムは391077で、嬉しい40分切りだ。しかし、昨日よりも更に腰の状態が悪くなり、朝起床時に靴下を穿くとき左腰にかなりの痛みが生じた。それは、街中走を始めた6月以降で最悪の状況だ。

ところが不思議なことだが、走っている間は痛みがなかった。脚腰に負担がかからないように歩幅を大きくせずに走り続けたからだろうか。併しだ、走り終え軽いストレッチを行なうときは最悪であった、中でも左右への前屈は不可能に近かった。

今日の腰痛度数は「7」だ。椅子から立ち上がるときに痛みがあり、腰が上手く伸びてくれないという状態だ。ここの処「強い腰痛に陥るのではないか」という予感はあった。その原因の一つに、811日の比良山系鵜川左俣の沢歩きがあるのは間違いがない。石から石へと飛ぶときに腰を捻ったのと、倒木や灌木のために中腰にならざるを得なかったことが大きく影響しているのだろう。二つ目は、PCに向かう時間が一日の中で数時間にも及ぶことだろう。タクシーやバスの運転手さんに腰痛の人が多いと聞いているのだが、それと同じなのかもしれない。そしてランニング、けっしてランニングの所為にはしたくはないのだが、「走ることは腰に負担を強いる」という話も聞いたことがある。さて今の状況から一刻も早く脱出したいと考えるが、さて僕は如何なる手段を講じればよいのだろうか。

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