山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(ピトンの小屋の椅子)

2012年12月02日 | 山野走

Si028

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(アキノキリンソウ)

20121114日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]71000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→73126[ピトンの小屋]73400(さえずりの路)74852[やまびこ広場]75200(まつかぜの路) 81152[飯盛霊園・境界鞍部]81400(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→85838[私市駅]

<ピトンの小屋の椅子>

目覚めたとき、目覚めの予定時刻より一時間余り過ぎている。「行くべきか行かざるべきか」と暫し躊躇するが行くことに決定、一時間遅れの私市行きとなる。私市駅舎を出たなら直ぐに走り始めることができるようにと、電車が河内森駅を過ぎたところで車内にて上着を脱ぎティーシャツ一枚になる。

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」にプラス7℃とあったが、然程寒気を感じない。そのとき寒さが苦手な我が心中に「まだ零下ではないよな」と云う自身でも不思議な思いがあった。飯盛霊園境界鞍部で一息入れるとき静寂な森中に雨が落ちる微かな気配がする。しかしそれは瞬時のことで、“管理道”を懸命に上るとき、僕の肌に雨粒が当たることはなく安堵する。見上げると空は鉛色一色であった。

極最近になって“ピトンの小屋”にプラスチック&金属製一人掛けの椅子が複数数置かれた。その椅子を見るや否や、それらは“ピトンの小屋”に似合っていないのではないかと思った。従前そこに置かれていた木造りの腰掛けは、小屋の左手の方へ移動した様子で、僕はその木造りの椅子に坐って一息入れた。役所は何故、木造りの椅子を止めて一人掛けのそれもプラスチック&金属製の椅子にしたのだろうか。耐久性にあるのだろうか、それとも価格面で木造りの椅子の方が高くついてしまうのだろうか。何ゆえ長椅子ではなく一人掛けの椅子にしたのだろうか。

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ほしだ園地(犬と飼い主)

2012年12月01日 | 山野走

Si039

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

20121112日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]60300→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→62446[ピトンの小屋]63000(さえずりの路)64404[やまびこ広場]64800(まつかぜの路) 70716[飯盛霊園・境界鞍部]71000(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(つつじの小路)→72954[展望スポット]73300→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80311[私市駅]

<犬と飼い主>

まだ夜が明けていない暗い“かわぞいの路”を走るとき、道が緩やかに右へとカーブをきる処に差し掛かったとき、前方より疾走して来る小さな動物が目に留まった。「あの犬や」と思うや否や前方にヘッドランプの灯が現れた。擦れ違うとき、ヘッドランプをつけた人物が「すみません」と呟いた。僕の横をすり抜けた小犬は、直ぐに戻って来て僕の足下で吠え続ける。もし僕の足に噛みつこうものなら、蹴ってやろうと身構えると向きを変え飼い主と思しき人物の方へと駆けて行った。

この犬と人物には昨冬三度出遭っている。初めて遭ったときも今朝同様のまだ暗い“かわぞいの路”であった。そのとき僕は、前方より疾走してくる小動物が犬だと理解できず、その動物を避けようとして路傍へと飛び膝を地面に着き転倒しかけた。その直後に現れた男性はそのときもやはりヘッドランプを装着していた。紐につないで散歩して戴くようにお願いしたにもかかわらず、三度目に出合ったとき暗い中で僕は彼に言った、「紐につないで散歩してくださいよ」と。

里山で山野走や山野歩を楽しむときに、僕がもっとも恐怖を感じるのは野犬だ。街中も含めて久しく野犬に出遭ったことはないが、僕がまだ子供であった頃、それは遥か50年以上も昔のことだが、保健所の方(?)が野犬狩りを行ない、車両荷台鉄格子中で慟哭する野良犬達の姿を惨憺たる思いで眺めていたのを覚えている。役所の努力のお蔭や動物を飼う人の倫理観の変化があったりして野放しの犬を見かけることは皆無となった今日だが、“ほしだ園地”の路を走るとき、過去に何度か、鎖につなぐことなく犬を連れて歩く人の姿を目撃している。「私の犬は人に危害を加えることはない」とその人達は考えておられるのだろうが、はたしてそうなのだろうか。また、「犬糞の処理を飼い主の方にお願いしたい」と云う看板が“やまびこ広場”などに掲げられているが、犬を紐でつなぐことなく、それも早朝に森中を犬とともに歩く人は、犬糞の処理を行なわない人達なのかもしれない。

久し振りに“展望スポット”にやって来た。眼下に“星のブランコ”が見え周辺の木々に黄や橙、赤の色彩が目立ってきた。北方遠景に摂津の峰々が淡く青く横たわり、竜王山の奥に愛宕山が微か見える。紅葉の最盛期にはこの“展望スポット”は多くの人々で賑わうのだろう。帰路、管理道より“ピトンの小屋”を東方に見降ろす景色が殊のほか綺麗だ。トウカエデは早散り始めているがヤマモミジは深紅に染まり、ケヤキなど様々な木々の黄葉と相俟って“ピトンの小屋”周辺は、華やかな色彩に包まれている。

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くろんど園地(山粧ふ季節)

2012年11月25日 | 山野走

Si045

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

2012119日(金) 

『山野走』

<くろんど園地>

【コースタイム】

[私市駅]60300→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→63556[くろんど池]64300(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)65536[展望台]65900→(管理道)→72024[キャンプ場]72400→(管理道)→(やまごえの路)73810[水舞台]7400074655[草原広場]74900→[すいれん池]→81032[私市駅]

<山粧ふ季節>

私市駅から“くろんど園地”の森へと向かう民家が建ち並ぶ道を駆けるとき、見上げたまだ薄暗い空に、傘を被り気味の三日月がぼんやりと浮かんでいる。ところが、“すいれん池”畔の道を通るころには夜がすっかりと明け足下が明確に見えるようになる。“すいれん池”畔の2本の落羽松は、葉先の黄緑色を残して殆どの部分で茶褐色へと衣替えを始め、その傍らのニシキギの紅の色彩は、余りにも深く選定し過ぎたためだろうか極控え目で如何にも淋しそうな様子を呈している。

“月ノ輪滝”へと進む上り道とその上に位置する木造りの階段を歩き上る、それより直ぐに現れる階段も歩いて上る、そして三ヶ所目の階段も歩いて上ったのだが、それは僕の脚力と精神力では仕方がないことなのだろう。また、“草原広場”へのコンクリートの道もやはり歩いて上ることとなった。しかしそれら以外の道の殆どを、曲がりなりにも走ることができたのではないだろうか。いつの日にか近いうちにこのコースを、二時間以内で走ってみたいものだと思う。

展望台から葛城の峰は見えない、また遠景の峰も見えないという曇天だが寒気を感じることはなく、それどころか額から汗が流れ落ちる。山粧ふ季節となり木々の黄葉や草紅葉が美しい。なかでも“くろんど池コースの道”にある小さな橋を渡り右折したところの路傍には、朱赤に染まったイロハモミジが立ち並ぶ。朱赤の色彩を右手に楽しみながら砂利道の管理道をキャンプ場へと懸命に走る。水舞台畔に立ったとき、アメンボが俄かに弧模様を創り始めた。アメンボの今朝の目覚めを僕が促したようだ。

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ほしだ園地(親爺と映画)

2012年11月24日 | 山野走

Si035_3 

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(アキアカネ)

2012117日(水) 

『山野走』

<ほしだ園地>

【コースタイム】

[私市駅]61900→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64036[ピトンの小屋]64600(さえずりの路)70019[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72256[飯盛霊園・境界鞍部]72700(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80958[私市駅]

<親爺と映画>

私市へと向かう京阪電車線各駅の階段を上るとき、いつものことだが脚が至極重たく、「こんなんで今日、走ることが出来るんやろか」としばしば考える。また、走り始めてから10分くらいまでの間に、「何でこんなしんどいことをしてるんやろ」「ここで走るのを止めて引き返そう」などという思いが僕の脳裏を掠めたりする。しかし不思議なことに、未だ一度たりとも途中で引き返したことはない。

今朝、“かわぞいの路”にある103段の階段と、“さえずりの路”の階段の大部分を歩いてしまうが、総じて快調に走れたように思う。ところで、今朝走るときに心掛けたことが二つある。一つは「背筋を伸ばし、しっかりと腕を振る」であった、それは先日上さんが「前屈みで年寄り臭い歩き方や」と、僕の歩く姿勢を指摘したからだ。二つ目は、「右腰や左膝をかばった走り方は止めよう」であった。今朝起きてから暫くの間、重たかった腰は僅かな違和感のみで済んだが、左膝には終始痛みがあった。

「なんで快調やったんか」と考えるとき、身体的にそうであったと云うよりも精神的な部分の方が大きかったのだろうと思う。それは、この4月に逝った親爺のことを終始考えていたからだろう。走る間に親爺との様々な記憶が蘇ったが、中でも、認知症の進行が加速し始めている親爺と、その介護に腐心するお袋との三人で行った映画鑑賞時の記憶がもっとも強烈に蘇った。その映画は、藤田まこと主演の“明日への遺言”で、僕が何故戦争にかかわる映画を選択したかと云えば、「主題が戦争にかかわることであれば、認知症が進んでいる親爺であっても、大正11年生まれの親爺なら理解できるのではないか」と考えたからだ。そして鑑賞後に感想を訊いたところ、「私には関係がない」と一言だけ発した親爺の言葉を僕は今も明確に覚えている。

京阪電車交野線車中より見る東方の空を鉛色の高積雲が覆っていたが、飯盛霊園境界鞍部から見る狭い空には一点の雲も無い青空があった。そして半月もあった。また、磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス8℃とあった。

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くろんど園地(桜紅葉とスミレ)

2012年11月23日 | 山野走

Si025

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(センブリ)

2012114日(日) 

『山野走』

<くろんど園地>

【コースタイム】

[私市駅]152400→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→155641[くろんど池]160300(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)161826[展望台]162100→(管理道)→164155[キャンプ場]164700→(管理道)→(やまごえの路)170253[水舞台]170400→[すいれん池]→172716[私市駅]

<桜紅葉とスミレ>

放せない仕事や用事が無い限り、僕は毎月三日の日にN霊園に墓参に行く。そのお墓には、祖母、父、母、甥の4人が眠っている。それは父母が健在であったとき、父母が毎月欠かさず三日に墓参していたのを、父母が逝ってしまった今もそれを僕は踏襲している。認知症が進み車の運転を止めた親爺に替わって、僕が二人を車に乗せて墓参するようになったのは20079月からだ。20102月にお袋が、そして今年の4月に親爺が逝った。

ところで、昨日が三日だったのだが、昨日は義兄の三回忌で墓参は叶わなかったゆえ、今朝N霊園へ墓参に行ったところ、至極桜紅葉が美しかった。今日は、事務所にて一日中机上の仕事に励むつもりで山野走を楽しむ予定はなかったのだが、その華やかな桜紅葉に誘われて、やらなければならない仕事があるにもかかわらず、“くろんど園地”へとやって来てしまった。しかし、“くろんど園地”には桜の木が少ないのだろうか、N霊園のような華やかな桜紅葉の色彩を見ることは殆どなかった。

“キャンプ場” を後にするとき、「手袋を持ってきて正解やった」と思った。そのとき僕の両手指先は冷気で固まり始め自由が利かなくなりつつあった。次に“やまごえの路”へと足を踏み入れて以降今度は、「ヘッドランプを持って来るべきやった」と後悔すること頻りであった。そのころより私市駅に到着するまで僕の眼は、足下のみを見て走ることとなった。日没がもう其処に迫っているため草原広場へ行くのを諦め、“すいれん池”より真っ直ぐ、夕闇が近づく道を“私市駅”へと急いだ。これからの季節、午後に山野走を楽しむときは必ずヘッドランプを携行しなければならない。

“さわわたりの路” を行くとき、仄暗い足下を極めて小さな紫色の花が後方へと走った。それが如何なる花なのかと、10m余り引き返し暗くなり始めた道上を「この辺りの筈だった」と腰を屈め地面を注視すると、それはスミレのように見える。今の季節に花咲くスミレがあるのだろうかと、地面に着かんばかりに頭を垂れつくづく眺めると、それはやはりスミレで、周辺を見廻すと計三輪の開花するスミレがあった。

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ほしだ園地(ササユリの植栽)

2012年11月18日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(オオカマキリ)

2012113日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]61900→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64046[ピトンの小屋]64500(さえずりの路)65922[やまびこ広場]70300(まつかぜの路) 72244[飯盛霊園・境界]72600(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→81051[私市駅]

<ササユリの植栽>

駐車場の少し手前、午前中にはしっかりと陽射しが届くであろう天野川土手上に咲く、少しばかり弱り始めたシラヤマギクを足下に見ながら、「まだ咲いてくれている」「次回来るときにはもう花は無いだろうな」などと、哀愁を感じながら通り過ぎる。そのとき瞬時のことではあったが、僕の脳裏中に厭世的思考が頭をもたげた。駐車場横の豊かな秋陽に恵まれる路傍には、黄花のヤクシソウが群落を形成し満開を迎えている。飯盛霊園との境界鞍部では黄花のアキノキリンソウがまだしっかりと頭を持ち上げ、そこより見上げた狭い青空中には一点の雲も無かった。帰路、“さえずりの路”を下るとき、雑木林中、薄暗いところに、何処となく儚さ漂う二輪の白花コウヤボウキが顔を覗かせた。

三本の竹を組み、赤テープを添えたものが“まつかぜの路”と“せせらぎの路”の其処彼処に作られている。それらは総数20組以上を数える様子だが、その幾つかに「ショウジョウバカマ、ササユリなどを育てています」という札が掲げられている。それらは“ほしだ園地”の職員さんによって作られたものに違いがない、ほんとうに御苦労さまです。その竹組を見始めたのはいつごろだったのだろうか、最初気づいた時からみるとその数は相当数増え花咲く来春の季節が待ち遠しい。併しだ、ササユリが其処彼処に咲くのはもしかすれば興醒めかもしれない。僕の偏見かもしれないが、ササユリは、森中を歩くとき、林中に突然姿を現しハッと驚かされるくらいの数の方がもっとも美しいと思うのは僕だけだろうか。そう考えたとき、9月の比良山系比良ロッジ跡の様子が脳裏に蘇った。比良ロッジ跡に数多の植樹が実施されていたのだが、それらのすべてがその甲斐無しという状況に陥っている光景を思い出した。もしかすれば植栽とは「数打ちゃ当たる」なのかもしれない。

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス6℃とあった、今秋中でもっとも低い気温であった。

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ほしだ園地(トウカエデ)

2012年11月17日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(ウメバチソウ)

2012111日(木) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]62000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64144[ピトンの小屋]64500(さえずりの路)65953[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72448[飯盛霊園・境界]72800(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路) →(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→81452[私市駅]

<トウカエデ>

駅へと向かうとき、アスファルト路面が濡れていた。雨具をとりに家に戻るべきかと躊躇しつつ何故か僕の足は駅へと向かっていた。まだ白む気配さえない天空を見上げると、その西方一部分の雲が鈍い淡黄色に染まっている。それ以外の雲は見えないのだが、そのとき、何故その部分の雲のみがそのような色彩を呈するのかが解らなかった。立ち止まり暫く眺めていると、まあるい月が雲端より現れた。「なーんやお月さんが居てるんや」という結果であったのだが、月が見えたのはほんの瞬時のことであった。

今にも雨粒が落ちて来そうな天候ゆえ、また、平日でもあり早朝ゆえ、“ほしだ園地”の森中には人は居ないものと思っていた。ところが、僕よりも先に早朝の森を楽しむ三人の人の姿があった。男性二人が“ピトンの小屋”付近で、女性一人が“やまびこ広場”におられた。“さえずりの路”をやっとこのことで上り切って前方を見たとき、その奥に見える東屋は僅かに煙っていた。その所為か、それとも僕が眼鏡をかけていなかった所為なのかは分からないのだが、東屋前に立つ女性の存在に直ぐには気づかなかった。その女性は両掌に余るほどの栗の実が入ったビニール袋を提げておられた。「早いですね」と僕は声をかけた。

飯盛霊園との境界鞍部に黄花のアキノキリンソウが5株咲いていた。“せせらぎの路”を下る路傍に暫く以前より咲いていた青紫色唇形の花の名称が、先日、ほしだ園地の職員さんのお蔭で判明したのだが、そのときよりも更に背丈が伸びたアキノタムラソウが2株、僕の眼前に期待通り出現した。

“ピトンの小屋”の僅かばかり上手にあるトウカエデとヤマモミジの紅葉が始まろうとしていた。もう何年も前のことだが、トウカエデという名称を初めて我が脳裏に刻んだころ、そのころ僕は、トウカエデが楓の類の中でもっとも早く紅葉し散ってしまうことを知らなかった或る秋、「今年は紅葉することなく散ってしまった」と思いきや、足下に敷き積もる特徴ある形の紅や黄、茶褐色の葉っぱに気づいたことがあったのを思い出した。

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くろんど池(サロモンのトレールシューズ)

2012年11月16日 | 山野走

Si043

◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて

(ミミカキグサ)

20121030日(火) 

『山野走』

<くろんど園地>

[私市駅]60700→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→63940[くろんど池]64700(くろんど池コースの道)(さわわたりの路)(そよかぜの路)65920[展望台]70300→(管理道)→72313[キャンプ場]73000→(管理道)→(やまごえの路)74859[水舞台]7510075710[草原広場]75900→[すいれん池]→81926[私市駅]

サロモンのトレールシューズ

傍らに居た山仲間に唆されて、SALOMONのトレールシューズを某山の店で今年の7月初めに購入した。それは、黒、橙、黄、緑の色彩を使用した派手な靴ゆえ、「余りにも派手ゆえ、履く勇気があるのだろうか」と、購入するときに62歳の僕は瞬時躊躇した。また、靴紐は従前のランニングシューズと比して極めて細く直ぐに切れてしまうのではないかとも心配した。その紐は「括る」というものではなく、「引っ張る」「締める」というもので、直ぐに緩んでしまうのではないかとも心配した。ところが、その靴を履いてまだ10回余り走っただけだが、その心配は無用のようである。また、耐久性についてはまだ結論は出ていないが、履き心地は至極よい。先日一人で、八雲ケ原湿原(比良山系)を楽しんだのだが、その時に履いていたトレッキングシューズ(履くのが購入後3度目)がまだ我が足に馴染まず、左足外反母趾に痛みが生じた。そしてその二日後にSALOMON で“ほしだ園地”を走ったのだが、痛めた外反母趾になんら支障が無かった。SALOMONの靴中は至極ソフトで僕の足を柔らかく包んでくれた。この靴を薦めてくれた山仲間に感謝せねばならない。

僕は過去に三度、阪急イングスでトレールシューズなるものを購入している。最後に購入したのは10年近く以前のように記憶するのだが、それら三足ともが我が足に合わず失敗に終わってしまっていた。その原因は「靴が硬過ぎることにあった」と理解している。それ以降僕は、トレールシューズは買わず、美津濃製の同一モデルのランニングシューズを繰り返し購入し履き続けてきた。それは、美津濃のそのモデルの靴が僕の足にピッタリ合っていたからだ。街中を走るための靴を購入するのなら今後もこのモデルを選択するのだろう。

このSALOMONのトレールシューズ(11,550円)は、靴裏の面積が美津濃製ランニングシューズより確実に広い。その所為か地面にピッタリとくっつき傾斜地や砂礫、石上を走るとき、至極安定感があるように思われる。今朝もこの靴で早朝山野走を楽しませてもらった。体調は快調、腰に違和感も無く、膝に痛みが生じることもほとんど無かった。黒添池畔でティーシャツの上に羽織っていた長袖シャツを脱ぎ半袖シャツ一枚になるが寒くはなく、その半袖シャツ一枚で帰宅した。

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ほしだ園地~むろいけ園地(秋を楽しむ)

2012年11月10日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)

(リンドウ)

20121027日(土) 

『山野走』

<ほしだ園地~むろいけ園地>

[京阪・私市駅]71400→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→73514[ピトンの小屋]74300(さえずりの路)75743[やまびこ広場]80500(まつかぜの路) 82535[飯盛霊園・境界]82900→(飯盛霊園内)→[戎バス亭]→84721[ビオトープ田原の里山(車止め)]→90151[堂尾池]91500(小池)93138[むろいけ園地入口]→(湿生花園) →(森の工作館)→[むろいけ園地出口]100000→(蟹ケ坂ハイキングコース)→(車道)→102824[JR・四条畷駅]

<秋を楽しむ>

黄花のアキノキリンソウに出合ったのは、“ほしだ園地”と“飯盛霊園”との境界鞍部、次は堂尾池畔であった。なかでも堂尾池畔では至極繁茂していたのだが、その畔の日当りのよい道端に大群落を作っていたのは黄花のヤクシソウであった。そしてヤクシソウに負けじと僅かに湿ったところに多く開花していたのはミゾソバで、白のものと淡い紅色のものの二種の色彩のものがあった。ところで、ミゾソバがもっとも繁茂していたのは“湿生花園”で、その殆どを席巻していたといっても過言ではないだろう。“湿生花園”で咲いていた花は、他に二種のアザミくらいだろうか。一つはオハラメアザミだろうか、もう一つはキセルアザミだろうか、分からない。その一つのアザミ相手にミドリヒョウモン蝶が遊んでいた。堂尾池畔の日当りのよい処ではヤマトシジミ蝶と天狗蝶の舞う姿を見かけたし、赤蜻蛉がゆったりと浮遊していた。さて、草叢中で「リリリリッ、リリリリッ」と鳴く虫は草雲雀だろうか。堂尾池で見かけた花に、チジミグサ、エノコログサ、イヌタデ、アザミなどがあり、堂尾池よりほんの少しの処に、夏には所狭しとヒツジグサが咲く小池があるのだが、その畔ではミズヒキが紅色の花をつけていた。

堂尾池から少しばかり階段を上った処と、“むろいけ園地”へと続く車道にもう少しで飛び出す森中の二ヶ所に楓並木があり、紅葉の季節に其処は、見事な紅葉のトンネルへと衣替えするのだが、その季節はまだまだ先のように思えた。ところで、“ビオトープ田原の里山”の林中に掲げられていた札に「平成24624日、ゲンジボタルが乱舞する」と記されていたのだが、「ゲンジボタルの見学に一度やって来たいけど、夜の時刻にここにやって来ること事態難しいよな」と思った。

秋天の青空の下、清閑な森中の景観を思う存分楽しませてもらった。堂尾池に着いてから蟹ケ坂ハイキングコースを下り始めるまでの殆どの道程を歩いた。左膝の状態が芳しくなかったのもその一つの理由であったが、精神力不足と身体力不足が最大の原因だろう。四条畷神社から四条畷駅への街路を駆けるとき、腰に微妙な違和感があった。ところで、“ピトンの小屋”前の掲示板を見ていて、3日前に“さえずりの路”で見かけた大柄の鳥の名称が「ヤマドリ」であることが分かった。ほしだ園地の職員さん、ありがとうございます。

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ほしだ園地(心地好い余韻)

2012年11月06日 | 山野走

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◆撮影:2012年10月14日、比良山系(金糞岳)にて

(琵琶湖を望む)

20121026日(金) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[私市駅]62000→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→64025[ピトンの小屋]64500(さえずりの路)65945[やまびこ広場]70400(まつかぜの路) 72302[飯盛霊園・境界]72600(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→80926[私市駅]

<心地好い余韻>

早朝に限ってのことだが、同じような時刻であっても、“ほしだ園地”は“くろんど園地”と比して森中で人に合う機会が多い。それは、ハイキング道が尾根の西側に集中している“くろんど園地”と違って、道の殆どが尾根の東側に位置しているからだろう。森中の道が尾根の東側にあると、当然のことながら西側の道よりも朝陽が樹林中に射し込む時刻が早い。即ち明るくなるのが早い。

今朝も“ほしだ園地”では、平日にもかかわらず6人の中高年の男性を見かけた。一人の方を除いて、僕のようにリュックサックを担いでおられる方はいなかったので、近隣に住まいを構える方々が健康に留意し、「歩く」を目的として早朝散歩を楽しんでおられるのだろうと思う。ただ、日曜や土曜日なら早朝であっても時折ランナーに出合うしハイカーにも出合う。

そんななか、“ピトンの小屋”に到着して、汗で濡れる前にと、長袖シャツを脱ぎティーシャツ一枚になろうとしているとき、管理道を下って来られた70歳半ばと思われる男性が僕に「おはよう」と声を掛けた。僕が「おはようございます」と答えると、柔和な表情のその男性は続けた。「気持よろしいやろ、汗掻いたはるけど、すっと冷えますやろ、風邪引かんよおに」と、優しさ溢れる柔らかい口調で話され直ぐに下って行かれた。その言葉を聴くや否や僕は手帳を取り出し、男性が発した言葉を書き留めた。短い言葉であったが、その語りは僕の脳裏から消滅することはなく心地好い余韻が残った。

“さえずりの路”を上がるとき、西方の尾根上から朗々と詩吟を吟ずる声が聞こえた。以前にも何度か聞いているので同じ人なのかもしれない。

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