あべのハルカス(生駒山頂遊園地より)
2017年01月14日(日)『生駒山縦走路』
<私市駅~むろいけ園地~生駒山頂~枚岡駅>
[コースタイム]
[京阪・私市駅]7:32→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→8:17[ピトンの小屋]→(さえずりの路)→(つつじの小路)→8:44[展望デッキ]→[やまびこ広場]→(まつかぜの路) →9:31[飯盛霊園・境界鞍部]→[飯盛霊園内]9:54→10:12[ビオトープ田原の里山・車止め]→10:35[堂尾池(小休止)]10:50→11:11[むろいけ園地入口]→(湿生花園)→12:09[阪奈道路]→(産業廃棄物処理場&農地)→12:34[農地終了地点]→(カントリークラブ横)→[龍王神・祠]→13:20[くさか園地生駒縦走歩道分岐地点]→[くさか園地バイオトイレ]→13:50[辻子谷ハイキングコース北出合(小休止)]14:00→14:30.[生駒山頂(遊園地内)]14:44→15:25[暗峠]→14:48「なるかわ園地ゲート」→15:44[鳴川休憩所(小休止)]16:02→(神津嶽ハイキングコース)→[枚岡展望台]→17:36[枚岡駅]
<偶然の出会い>
朝、磐船街道入口に設置してある交通情報掲示板にマイナス3℃とあり、15時半頃に通った、暗峠下方に設置してあるそれにはプラス1℃とあった。
ヤッケも含めて上着を終始5枚着ていて1枚たりとも脱ぐことはなかった。
山中は冷気に包まれていたのだろうが、休憩時間を惜しみ、長い時間じっとしていなかったからだろうか、冷気をあまり感じることはなかった。
しかし身体が冷え切ってしまったのは間違いのない事実で、帰宅してからの我が身体にそれが現れた。
机前に坐りやりたいことをし始めると、先ずは左手指が攣り始めたのだ。
人差指と中指が痙攣し至極痛むので、洗面所に行きお湯中に左手を暫くの間浸けていると何とか治まった。
次はお風呂だ。ホンの少し温めかなと思いつつ湯船に浸かっていると、両脚の大腿部が攣り始めたのだ。
立ち上がり痛みに耐えながら、浴槽に75℃のお湯を入れつつ、痙攣が治まるまで暫くの間、脚に熱いお湯をかけ続けると、これも幸い治まってくれ安堵する。
私市駅を早い時刻にスタートしたので、当初は予定通り高安山まで行くことが出来るに違いないと思っていたが、暗峠に着いたときに諦める。
時刻と体調を考えたとき、無理は出来ないと考えた。
産業廃棄物処理場&農地辺りを進むときに、既に右脚が攣り始めていたし、
暗峠の手前からは、脚に負担を掛けないようにとトレッキングポールを使い始め、終始我がペースでゆっくりと歩かねばならなかったからだ。
この季節ゆえ花も無ければ昆虫もいない。特段印象に残るものもない蕭然たる景観を眺めつつ懸命に歩くだけの山行であった。
記憶に残っているのは、展望デッキ(ほしだ園地)から愛宕山が微かに見えたことぐらいだろうか。
枚岡神社に初めてお参りをし、家族の安全と健康を祈願する。
今日もっとも驚いたことは、昨年春から夏に掛けてダイヤモンドトレールや南葛城、和泉葛城を歩く切っ掛けを作ってくれた人に偶然出会ったことだ。
あのときもそうだったが、夕刻に枚岡駅へと下るとき、下方から登って来られる独りの男性がいた。
すれ違うときに挨拶を交わしたのだが、その方の風貌に記憶があった。
振り返り「いつの日にか、ダイトレの話をした方ではありませんか?」と声を掛けると、やはりそうで、昨年の早春に言葉を交わした方であった。
話を続けるなかで更に驚いたことは、僕と同姓であったことだ。同姓だが記する漢字は違っていたが。
彼はこの時刻から、夕景を見るために枚岡展望台まで行かれるようだ。