2018年05月20日(日)
『山野歩』
<京都・北山>
<金毘羅山~翠黛山~天ヶ岳~鞍馬>
[コースタイム]
■[戸寺]8:13→8:36[江文神社]8:45→9:43[琴平新宮社]9:50→10:22[三壺大神]→11:20[翠黛山]11:30→12:33[焼杉山への分岐]→(寂光院道)→13:20[小出石への分岐]→14:55[天ヶ岳]→17:22[薬王坂]→17:58[鞍馬駅]
<四度も道が判らなくなる>
今日の山行では四度も道が判らなくなる。
一度目は入山時だ。
江文神社前の左手より山に入り、江文峠を通過する計画であった。
大木に巻かれたテープに書かれた文字(琴平新宮社)に導かれて入山し、テープに沿って暫く前進するが道が判然としない。
他に道があるのだろうかと、江文神社よりも更に下方まで戻ってみるが分からない。
仕方なくもう一度江文神社左手より入山すると、暫くしてしっかりとした道に飛び出した。
急坂を上って行くと、江文峠を通過することなく琴平新宮社に到着する。
二度目は三壺大神という祠から翠黛山を目指した時だ。
三壺大神が金毘羅山の頂だと思ったのだがどうも違うようだ。
それより翠黛山を目指し北方へと歩むが足下が至極悪い。
少し下って行くが、翠黛山までこんな道が続くようだと、僕の足腰では厳しいかも知れないと思い三壺大神まで引き返す。
併しだ、どう考えても翠黛山へ向かう道は、その道しかあり得ないという結論に至り再度前進する。
厳しい道が延々と続くようならばまた引き返せばよい、時間は十分にあるので戻って来ればよいと考え慎重に前進する。
すると暫くでその道はしっかりとした縦走路へと変化した。
三度目は焼杉山の道標だ。
翠黛山を通り過ぎてから現れた[←焼杉山→]と書かれた金属製の看板が二枚あったのだが、二枚目の上部にマジックで○○mと書いてあった。
僕は其処がてっきり焼杉山だと思い込み、寂光院道への分岐を見落とし焼杉山まで来てしまったのだろうと考え、その分岐を探すべく翠黛山まで戻ることにした。
併しだ、翠黛山まで戻るがその分岐は見当たらなかった。
仕方なくまた北方へと歩き[←焼杉山→]という看板を通過して更に歩くと目的の分岐が現れた。
先ほどの○○mと書いてあった[←焼杉山→]という看板が立てられていた処は焼杉山ではないことを悟る。
四度目は、鞍馬へ向かうときに通過する筈の天ヶ岳頂を探すときだ。
尾根を上り切りその儘前進すると林道に出て直ぐに行き止まりとなり、それより先には踏み跡らしき道がない。
引き返し暫く尾根を進むと人影があり二人の男性が坐り込んでいた。
その二人と出会うのは二度目で、一度目は僕が翠黛山へと引き返すときに、もう其処がその頂であるというときに其処より下りて来た二人であった。
彼等が言うには、鞍馬の方角へと林道をかなり下ったらしいのだが、
どうも違うようだと判断し引き返し林道の分岐まで戻って来て、休憩してから道を探そうとお茶を沸かして一服している処であったと言う。
僕は計画よりも50分近く遅れているゆえ、立った儘、パンを食し彼等と同時にスタートする。
林道を歩かず尾根を歩くよう努めると、直ぐに天ヶ岳頂の道標が現れた。
その道標をカメラに収める内に二人の姿は消えてしまうが、
脚に痙攣が生じ、既に二袋のシャクヤクカンゾウトウを使用していたので、用心しつつ至極ゆっくりと鞍馬へと歩みを進める。
天ヶ岳から鞍馬への三時間ほどの道程は、間違えようがないしっかりとした道であった。
しかし、陽がある内に鞍馬駅に辿り着きたいと思い、休むことなく疲労困憊の態で歩み続ける。
やっとのことで鞍馬駅に辿り着き安堵していると間も無く男性二人組がやって来た。
彼等は一時間も前に下山し鞍馬温泉でひと風呂浴びて来たのだという。
『山野歩』
<京都・北山>
<金毘羅山~翠黛山~天ヶ岳~鞍馬>
[コースタイム]
■[戸寺]8:13→8:36[江文神社]8:45→9:43[琴平新宮社]9:50→10:22[三壺大神]→11:20[翠黛山]11:30→12:33[焼杉山への分岐]→(寂光院道)→13:20[小出石への分岐]→14:55[天ヶ岳]→17:22[薬王坂]→17:58[鞍馬駅]
<四度も道が判らなくなる>
今日の山行では四度も道が判らなくなる。
一度目は入山時だ。
江文神社前の左手より山に入り、江文峠を通過する計画であった。
大木に巻かれたテープに書かれた文字(琴平新宮社)に導かれて入山し、テープに沿って暫く前進するが道が判然としない。
他に道があるのだろうかと、江文神社よりも更に下方まで戻ってみるが分からない。
仕方なくもう一度江文神社左手より入山すると、暫くしてしっかりとした道に飛び出した。
急坂を上って行くと、江文峠を通過することなく琴平新宮社に到着する。
二度目は三壺大神という祠から翠黛山を目指した時だ。
三壺大神が金毘羅山の頂だと思ったのだがどうも違うようだ。
それより翠黛山を目指し北方へと歩むが足下が至極悪い。
少し下って行くが、翠黛山までこんな道が続くようだと、僕の足腰では厳しいかも知れないと思い三壺大神まで引き返す。
併しだ、どう考えても翠黛山へ向かう道は、その道しかあり得ないという結論に至り再度前進する。
厳しい道が延々と続くようならばまた引き返せばよい、時間は十分にあるので戻って来ればよいと考え慎重に前進する。
すると暫くでその道はしっかりとした縦走路へと変化した。
三度目は焼杉山の道標だ。
翠黛山を通り過ぎてから現れた[←焼杉山→]と書かれた金属製の看板が二枚あったのだが、二枚目の上部にマジックで○○mと書いてあった。
僕は其処がてっきり焼杉山だと思い込み、寂光院道への分岐を見落とし焼杉山まで来てしまったのだろうと考え、その分岐を探すべく翠黛山まで戻ることにした。
併しだ、翠黛山まで戻るがその分岐は見当たらなかった。
仕方なくまた北方へと歩き[←焼杉山→]という看板を通過して更に歩くと目的の分岐が現れた。
先ほどの○○mと書いてあった[←焼杉山→]という看板が立てられていた処は焼杉山ではないことを悟る。
四度目は、鞍馬へ向かうときに通過する筈の天ヶ岳頂を探すときだ。
尾根を上り切りその儘前進すると林道に出て直ぐに行き止まりとなり、それより先には踏み跡らしき道がない。
引き返し暫く尾根を進むと人影があり二人の男性が坐り込んでいた。
その二人と出会うのは二度目で、一度目は僕が翠黛山へと引き返すときに、もう其処がその頂であるというときに其処より下りて来た二人であった。
彼等が言うには、鞍馬の方角へと林道をかなり下ったらしいのだが、
どうも違うようだと判断し引き返し林道の分岐まで戻って来て、休憩してから道を探そうとお茶を沸かして一服している処であったと言う。
僕は計画よりも50分近く遅れているゆえ、立った儘、パンを食し彼等と同時にスタートする。
林道を歩かず尾根を歩くよう努めると、直ぐに天ヶ岳頂の道標が現れた。
その道標をカメラに収める内に二人の姿は消えてしまうが、
脚に痙攣が生じ、既に二袋のシャクヤクカンゾウトウを使用していたので、用心しつつ至極ゆっくりと鞍馬へと歩みを進める。
天ヶ岳から鞍馬への三時間ほどの道程は、間違えようがないしっかりとした道であった。
しかし、陽がある内に鞍馬駅に辿り着きたいと思い、休むことなく疲労困憊の態で歩み続ける。
やっとのことで鞍馬駅に辿り着き安堵していると間も無く男性二人組がやって来た。
彼等は一時間も前に下山し鞍馬温泉でひと風呂浴びて来たのだという。