きままに・・ 風便り

気の向くまま、足の向くままに日々を綴ります。

岩村城跡

2018年10月23日 22時10分04秒 | 城跡巡り
「 野菊と犬蓼(イヌタデ) 」


この夏は多忙の極み。
やっと、春から予定していた岩村城跡へ出掛けてきました。
城下から細い山道を走り上がり一気に駐車場(元・出丸)に到着です。

☆ 本丸跡 
(標高717m 標高差180m) 日本一の高さを誇ります。

↑ 出丸(駐車場)から本丸の石垣を眺むる。


↑ 本丸石垣  
右端に本丸から下りてくる女性が見えます。
石垣の高さ・大きさが、少しは実感できるかなと思います。


↑ 本丸石垣に1本のツリガネニンジン
ズームで大きく撮りましたが、とても小さな花です。
小さな昆虫は長いメシベを伝わって花の中に潜り込み吸蜜します。


↑ 本丸跡 
左奥に見える屋根は昇龍の井戸です。
岩村城は17の井戸を有し豊富な水量だったそうです。
既でに昇龍の井戸は枯れていますが、現在も枯れないでいる井戸もあります。


↑ 山野草
今が盛りの野菊と犬蓼(イヌタデ)が競うように咲き乱れています。


↑ 本丸から見える山並み
一番奥に控えしは恵那山、山頂が幽かに見えます。



☆ 門

↑ 長局埋門(ながつぼねうずみもん)
本丸御殿の格式を整える為の門。


↑ 本丸への入り口


↑ 埋門 (野面積み・打ち込みハギ・切り込みハギの三種類の積み方)


↑ 埋門(うずみもん)本丸入城して


↑ 埋門(うずみもん)本丸の内側から

☆ 六段壁
最初から計画した六段ではではない。
補強を6回重ねて偶然に出来た壁なのだそうです。






↑ 右側、杉木立の中の菱櫓(ひしやぐら)。奥は六段壁です。
石垣を地形に合わせて積むために菱形になります。
櫓も菱形になり、山城故の特殊な形。

☆おまけの画像(六段壁にて)


☆ 八幡神社

岩村城創業者を祀ってあります。


↑ 石垣との対比

☆ 畳橋・追手門・三重櫓

↑ 三重櫓跡から畳橋跡を望む


↑ 追手門跡の石垣(当時は石垣の上に櫓を構える)

☆ 岩村城の特徴
日本百名城・日本三大山城に指定されています。
源頼朝の重臣である加藤景廉が1185年(健久6年)遠山荘を賜ったのが始まり。
長男の景朝が岩村城を築き遠山姓を名乗る。
以後800の歴史を誇る。
城主は加藤景廉に始まり、遠山景任(遠山氏最後の城主、妻は女城主おつや(信長の叔母)の方)。
以下、河尻秀隆・森蘭丸・田丸直昌・松平家乗・丹羽氏信・松平乗紀に引き継がれ800年存続。
有名なのは織田信長の叔母のおつやの方。
城主の夫亡き後、女城主として岩村の為に一生を捧げる。

☆ 岩村歴史資料館にて(建物と山野草)

↑ 藩主邸の太鼓櫓
太鼓の音は時刻を告げたり、敵が攻め込だ時の警報の役目もあります。


↑ 同 上


↑ ケシロヨメナ


↑ あざみの花


↑ あざみの種


↑ ウバユリの実
花は何度も見ていますが、実は初めて見ました。
決め手は、茎の長さとテッポウ百合の実似の丸い姿。
帰宅して検索してみると大当たりでしたので、こんな事でも嬉しい^^


↑ (?)出丸跡に生えていたキノコ 

☆ 反省点
今回は、頂上の本丸から下っていまいました。
未踏の土岐門・一の門・初門・藤坂の4ヶ所。後日、登城口から徒歩で登る予定。
まだ勉強不足ですが次回までには頑張ります。

☆ 五平餅ランチ

内訳: ふかし芋・モロッコインゲン味噌和え・菊芋の味噌漬け・柿・りんご・お蕎麦・五平餅2本。
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2 コメント

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久々の再会 (風の旅人)
2018-10-25 11:09:45
20年以上前に訪れた岩村城
ずいぶん奇麗に公園化されていますね。

分かりやすい説明もあって、知らなかったことも教えていただきました。

花の写真もきれいに撮れていますね

いつかもう一度行く機会ができれば訪ねてみたくなりました。
返信する
二昔 (yuki)
2018-10-25 23:01:51
旅さん
こんばんは

20年前ですと、自然に朽ちた感じだったのでしょうね。
今しか知らない私は、その頃のも見てみたいものです。
是非とも、機会あればいらっしゃってください。
岩村城址・苗木城址・美濃金山城址3つセットで巡るのが良い順番だと思います。
私も、次回は春から初夏の頃に訪れたいと考えています。
訪問とコメントをありがとうございました。


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