2014年4月17日
屋久島・縄文杉トレッキングには知覧と指宿温泉の観光が付いていました。
トレッキング隊は、鹿児島港から指宿温泉までレンタカーを走らせました。
(屋久島で写真を撮りすぎてSDカードは満杯になり、携帯電話画像です)
↑ 鹿児島市内を走行中
指宿温泉には未だ明るい夕刻時到着。
温泉にたっぷり浸かり、有名な砂湯も経験し、トレッキングの疲れを落としました。
宴会を兼ねた夕食も終わり、就寝前のんびりと宿のお庭を散策。
次の日は早起きが出来たほどです。
↑ 昇る朝日 (宿の庭から) 午前6時09分
朝食後、知覧へ向かいました。
山の中の坂道を幾度となく走って到着。
まず、公営の駐車場を探し車を置きました。
知覧武家屋敷の入場券を取り扱っているのはお茶屋さん。
チケットを購入すると美味しい知覧茶を御馳走になれました。
昼食も武家屋敷内のレストランにてお蕎麦と薩摩揚げ。
これが本物の薩摩揚げなのでしょう、とっても美味しいのです。
☆ 知覧武家屋敷
電信柱が無いのは昔を偲ばせる工夫の一つですね。
公開されている屋敷を一つ々見学しました。
遠くの山を遠景に持っているお屋敷もあり、自然と共に暮らしているのを感じました。
ある私宅の玄関先には、美人のカッパ嬢がウェルカムフラワー?を手に持ちお姉さん座りをしています。
どんな方が住んでいるのだろうと、玄関の方を腰を折りチラッと覗いてみると、長いアプローチと生垣で中は見えません。
初めて見た瓦を使った塀、それを割って大きな老木が葉をつけていました。
☆ 知覧特攻平和会館
この施設については何の知識も持たず入館しました。
建物の中に入ると戦闘機が展示してあります。
そして、奥へ進むと、、、 特攻隊で若くして亡くなった人たちの遺書・手紙が遺影と共に展示されているのです。
涙が止まらなくなりました。どれだけ経っても流れ出る涙をとめれないのです。
そして、トレッキング隊のリーダーが目を赤くして一言、ここの見学は時間制限しません。
時計を気にしていたのですが、集合時間はなくなりました。
涙は止まりませんが、読めれるだけ読みました。
その中で、10代の隊員の遺書が心に突き刺さりました。
未だ何もしていないので残す言葉が無い。という意味合いの文章でした。
親から受け継いだ命、人生の何も知らずに散って行ったのです。
若者にこんな思いをさせちゃいけません。
誰でもそう思うと思うのですが、本当に戦争は絶対だめです。
※参考サイト
知覧特攻平和会館
知覧特攻平和会館 初代館長 板津忠正さんについて
平和会館の最近の情報では、来館者数が増えているという記事を読みました。
多くの人の目に触れて欲しいと思いました。
時間が経ちすぎましたが、やっと、書けました。
屋久島・縄文杉トレッキングには知覧と指宿温泉の観光が付いていました。
トレッキング隊は、鹿児島港から指宿温泉までレンタカーを走らせました。
(屋久島で写真を撮りすぎてSDカードは満杯になり、携帯電話画像です)
↑ 鹿児島市内を走行中
指宿温泉には未だ明るい夕刻時到着。
温泉にたっぷり浸かり、有名な砂湯も経験し、トレッキングの疲れを落としました。
宴会を兼ねた夕食も終わり、就寝前のんびりと宿のお庭を散策。
次の日は早起きが出来たほどです。
↑ 昇る朝日 (宿の庭から) 午前6時09分
朝食後、知覧へ向かいました。
山の中の坂道を幾度となく走って到着。
まず、公営の駐車場を探し車を置きました。
知覧武家屋敷の入場券を取り扱っているのはお茶屋さん。
チケットを購入すると美味しい知覧茶を御馳走になれました。
昼食も武家屋敷内のレストランにてお蕎麦と薩摩揚げ。
これが本物の薩摩揚げなのでしょう、とっても美味しいのです。
☆ 知覧武家屋敷
電信柱が無いのは昔を偲ばせる工夫の一つですね。
公開されている屋敷を一つ々見学しました。
遠くの山を遠景に持っているお屋敷もあり、自然と共に暮らしているのを感じました。
ある私宅の玄関先には、美人のカッパ嬢がウェルカムフラワー?を手に持ちお姉さん座りをしています。
どんな方が住んでいるのだろうと、玄関の方を腰を折りチラッと覗いてみると、長いアプローチと生垣で中は見えません。
初めて見た瓦を使った塀、それを割って大きな老木が葉をつけていました。
☆ 知覧特攻平和会館
この施設については何の知識も持たず入館しました。
建物の中に入ると戦闘機が展示してあります。
そして、奥へ進むと、、、 特攻隊で若くして亡くなった人たちの遺書・手紙が遺影と共に展示されているのです。
涙が止まらなくなりました。どれだけ経っても流れ出る涙をとめれないのです。
そして、トレッキング隊のリーダーが目を赤くして一言、ここの見学は時間制限しません。
時計を気にしていたのですが、集合時間はなくなりました。
涙は止まりませんが、読めれるだけ読みました。
その中で、10代の隊員の遺書が心に突き刺さりました。
未だ何もしていないので残す言葉が無い。という意味合いの文章でした。
親から受け継いだ命、人生の何も知らずに散って行ったのです。
若者にこんな思いをさせちゃいけません。
誰でもそう思うと思うのですが、本当に戦争は絶対だめです。
※参考サイト
知覧特攻平和会館
知覧特攻平和会館 初代館長 板津忠正さんについて
平和会館の最近の情報では、来館者数が増えているという記事を読みました。
多くの人の目に触れて欲しいと思いました。
時間が経ちすぎましたが、やっと、書けました。