怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

シャガール展へ行ってきました。

2014-05-31 06:22:16 | Weblog
シャガール展の招待券をもらったので愛知県美術館へ行ってきました。
こういう展覧会は誰に気兼ねすることもなく自分のペースで見れるので、独りが気楽でいいですね。もっとも一応形だけでもかみさんを誘ったらそういう教養と興味がないのであっさり却下されていましたが。

いつも思うのですが、展覧会の最初は一生懸命解説文を読んでいるのですが、だんだん疲れてきて投げやりになり、いい加減に飛ばしつぃまうのですが、そのころに一番いい作品が出てくる…
今回のシャガール展ではちょうど疲れたころに座って映像でのオペラ座などの作品の紹介を見るところがあって一息つきことができて、よかったですね。ふだんはスルーしがちなのですが、今日は疲れていたし、一人だけなので好きにすればいいので、しっかり一回り半見てしまいました。
それにしても本当に理解しようと思うと旧約聖書(シャガールはロシア系ユダヤ人なので旧約聖書の世界です)とかギリシャ神話の基礎的教養がないとできませんね。パンフレットに旧約聖書、ギリシャ神話の人名辞典がついているのですが、それを読んでもある程度の基礎知識がないと、すぐには理解しがたい部分はたくさんあります。
シャガールの活動範囲は絵画から舞台美術、舞台衣装、ステンドグラスに陶器と多彩ですが、どれも当たり前ですけどシャガールですよね。どんな表現手段を使っても個性はあふれ出ています。「俺はシャガールだ、これで文句あるか。」という矜持があります。そんなに力んでいなくて、私はこれしかできないんですということかもしれませんけど。記憶だけで書いているので正確でないかもしれませんがカフカの「断食芸人」という短編があるのですが、一世を風靡した断食芸人がピークを過ぎ誰からも振り向かれなくなっても断食を続けてカラカラになって死んでしまうのですが、死ぬ前に「あなたはなぜ断食を続けているのですか」と聞かれて「私にはこれしかできないんですよ」と答えます。芸術家とは誰にどう評価されるのとは関係なく、自分の信ずるままに信じることしか表現できないのではないでしょうか。
ところで見終わって県美の所蔵品展を見たのですが、これが結構いい。クリムトの黄金の騎士(トヨタの寄付みたいです)はあるし、ピカソの青の時代の絵もある。アンディ・ウオーホールもある。毎回入れ替えているみたいですが、梅原龍三郎から岸田劉生、藤田嗣治、杉本健吉まで、さすが日本人の作品は充実しています。その作品をこんなに近くで見ていいのというくらいの距離で見ることができました。小川芋銭は一部屋使っての展示でしたが、結構まとめて見るといい味があります。この所蔵品展だけでも十分見る価値があります。シャガール展だけで帰るともったいないですよ。
美術展はしっかり見ると立ちっぱなしなので結構疲れてしまいます。いい目の保養にはなりましたが、帰ったらヘロヘロでした。
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「言えないコトバ」益田ミリ

2014-05-29 15:59:53 | 
このところ、図書館で何かいい本でもないかと探している時に益田ミリの本を見つけるとついつい手に取って見てしまう。
先回は旅行の前なので「47都道府県女ひとりで行ってみよう」を読みましたが、これはこれで結構東北旅行の参考になりました。

ちなみに私は47都道府県でまだ行っていないのは島根と茨城。島根は機会があれば出雲大社へでも行きたいのですが、茨城には何がある?この本では水戸の偕楽園へ行っていますが東京からだと特急1本で2時間もかからない日帰りなのですが、名古屋からだと結構大変。東京の弟に言わせると茨城なんてゴルフで何回も行ったとかですが、わざわざ行くところがあるんでしょうか。全国制覇のためには何とかしましょう。
今回もそれで「言えないコトバ」という本を借りてきました。

普通に使われていてもなんだか自分で言うのは恥ずかしいような拘りがあるようなコトバってありますね。
アラフォーの作者が特に変な言葉でもないのだけど口にできないコトバの数々を、言えない理由とともに漫画をつけて書いてあります。
そんなの普通に言えるのにと思うこともあるし、痛く共感できることもあります。自分でも使っていながらこんな見方があるのかと思ったりもします。
「孤独死」というのは定義があいまいで、ある意味死んだ本人はそれでよかったと思っているかもしれませんが、後始末する人は大変だろうな…でも後始末が大変な死に方が孤独死というわけでもないのですし、すべてを片付けて孤独に死んだ人はそれでいいのかというとなんだかな~とも思うし、孤独死とは何かがわからないという作者の意見はよくわかります。その作者がこれこそ孤独死というのが子どもの虐待死。親から愛されなくてはいけないのに虐待される子どもの孤独。誰からも救いの手が伸びない子どもの孤独感はいかばかりか。どんなに淋しく、どんなに心細く、怖かったのだろうか、これこそ孤独死ですね。
ほかにも突っ込みを入れたくなるコトバって案外あるもんです。
「元気だけが取り柄です」病気したことがある人にとって、それってすごいことなんです。
「親にもらった大事なからだに傷をつけたくない」そんな大げさに言って何かと思えばピアスの穴をあけるぐらい。今ではプチ整形ぐらい当たり前なんですよね。
「あんたかて箱入り娘やで」「箱は箱でも段ボールやろ」思わず笑ってしまいました。
ところで作者は結婚はしていないのですが、一緒に暮らしている彼氏はいる。どう言えばいいいのか結構悩んでいますが、それでいいと思っても中途半端な状態を世間に説明するのは難しいものです。
ほかにもいろいろな言葉が出てきますが、マンガ付きの150ページもない本なのですぐに読めます。図書館で見つけたら読んでみてください。
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5月25日瑞穂公園テニスコート

2014-05-26 14:49:51 | テニス
前日の24日は午後に木が崎公園テニスコートでしたが、私は二日酔でパス。25日に瑞穂公園テニスコートがあるのでまあいいかと思っていたら、二日連続は大変なのか参加者がいないとか。
実はOBさんも仕事で24日は欠席。25日は行きますとのメールがあったので、それならば二人でやるかと覚悟をしていたら、森の熊さん、はげ親父が参加するとのありがたいメールがきました。
ということで遅れてはいけないと9時40分前には家を出て歩いて行きます。
実はこの日は水防訓練。瑞穂区では今年は田辺公園でやっているはず。テニスに行くこんな格好では大汗かいて仕事している人と会うのは憚れるので、山崎川沿いの道では帽子を深くかぶってうつむいて通り過ぎます。
10時20分にはコートに着いたのですが、この日は6番コート。すでに予定の3人は来ていました。前日来ていなかったのでひょっとしたら猫背気味のウッチーが来るかもという声もありましたが結局顔を出しませんでした。
この日は団体で何面かコートをとっていて、試合をしています。弁当持参で「ごんぼ」チームとかこれはどういう意味か?

私たちも4人なので早速乱打を始めます。4人で交代要員がいないので20分もやるとくたくたで休憩。
どうやら森の熊さん、はげ親父と昨日飲みすぎたようで、この日はビールなしでお茶を飲んでいます。
一休みして試合に。
最初はOBさんと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。これはブレーク合戦となって2:2の引き分け。
この後ははげ親父と組んで森の熊さん、OBさん組と対戦。ここでは最初の1ゲームは私がサーブをキープできたのですが、後はいいところなく結局1:3の負け
もう一度組み替えて今度は森の熊さんと組んではげ親父、OBさん組と対戦したのですが、いずれもジュースにまでもつれるゲームだったのですが、ここも私がサーブをキープできただけで1:3の負け。
この時点で12時少し前。前日の疲れがあるのか森の熊さん、はげ親父は厭戦気分。4人で3試合をしたのでもういいかということでコート整備をして撤収。
いつものようにこれから「しげすし」へ。12時過ぎに入るとお客は誰もいなくて大将だけ。
コートで飲んでいなかったので、まずはビールで乾杯。
「しず」の西京焼きとあったのですが「しず」とは何かとなり、ひとまず2人前頼んでみよう。カツオのたたきも2人前。
ビールも追加。
あさりの酒蒸しを頼んで、サービスで「ガリ」を出してもらう。さらにビール。
先日私が行った宮崎のシェラトンホテルの話をしていたら、今度はOBさんの退職記念でシェラトンへ行こうかと盛り上がる。シェラトンには後で調べたら12面の砂入り人工芝のコートがあるみたいです。飛行機で行って翌日は指宿へでも行ったらいいのでは。
げその湯でたてがあるそうなので酢味噌とショウガでそれぞれ出してもらう。

さらにビール。ぜんぶで6~7本かな。実は焼酎も少し残っていたのですが、ほとんど2~3杯分。すぐにまた1本入れなくてはいけないし、この日はビールだけで攻めました。
〆はサバの押しすしに。

光物のダメなタケちゃんマンがいると頼めないのですが、申し訳ないですが美味しい。
この後スイカが出てきて、あがりを飲んで終了。
この日は一人2700円でした。
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東北旅行その4会津若松・磐梯熱海温泉

2014-05-24 09:40:26 | Weblog
一ノ関から新幹線で郡山へ。郡山駅ではつばさとやまびこが連結して走っていました。

つばさは山形新幹線なので福島で切り離し。
今まで通過することはあっても足をとどめるのは初めての福島県です。
ここから会津若松へは磐梯西線に乗り換えなのですが、1時間に1本しかなくて各駅停車で約60分かかります。単線の全くのローカル線なのですが、今では会津若松へ行くのは高速バスのほうが便利なのでしょうか。
それでも沿線は新緑が目に沁みて癒されます。すぐ近くを通るはずですが猪苗代湖が見えないのが少し残念。午前中は雲が多くて、磐梯山にも雲がかかっていましたがスキー場もはっきり見えていました。

会津若松にお昼すぎについて、まずは駅のスタンド蕎麦屋で腹ごしらえ。
それからこの日もレンタルサイクルで街を回ることに。会津では2時間500円でしたが、自転車は電動アシスト自転車。これは平泉より安いか高いか微妙なところ…
まずは飯盛山へ。ここはいきなりのすごい階段があって、あとでわかったのですが回り込む道もあるのですが、これはとても大変。階段の横には有料のベルトのエスカレータ(わかるかな?)があって、即利用。
でもそれを降りてもまだ階段はあります。

白虎隊自刃の場所からは鶴ヶ城が見えるはずなのですが、そのあたりを見てもよくわかりません。後で鶴ヶ城の天守閣から見て思ったのですが、近くにあると思っていたのですが、たぶんもっと遠くを見なければいけなかったのでしょう。

それにしても会津人の白虎隊に対する思い入れは強烈です。部外者から見るとこんな形で戦に突っ込んでしまった藩執行部の責任はどうなのと思うのですが、時代は望むべきもなかったのか。
飯森山を少し下りて今度は栄螺堂へ。

登っていく通路と降りる通路は全く別で、上る人と降りる人が出会うことがないという不思議な木造建築物です。木造なので維持管理は大変そうですけどいつまでもつのか、大規模改修が必要そうです。
飯森山を下りて今度は鶴ヶ城へ。地図に沿って行くのですが、予想以上に距離があり、途中交差点ごとに地図を見ながらやっと到着。
鶴ヶ城は難攻不落といわれたように規模は大きく、二の丸から入ったのですが北出丸か西出丸からはいるのが普通みたいです。城内だけでも結構歩くことになります。天守閣は当然ながら最近建てたもので、地下の塩蔵だけは昔の通りに復元してあります。さらに最近市民の寄付で南走り長屋も復元しました。

五層の最上階からの展望は素晴らしく、会津の街が一望に。これは会津若松にあんまり大きな建物がないからか・・でも昔もこんなに見えたのでしょうね。
会津が山に囲まれた豊かな盆地なことがよくわかります。
ここでもう結構疲れて駅に戻ることに。ちょうど2時間でした。会津の街は平泉と違って都会なので信号は多いし自転車で走ると結構車に注意しなければいけません。2時間では限られたところしか見れないのですが、列車の時間もあるし2時間単位のレンタルなので、まあいいか。
帰りの列車はちょうど学校から帰る時間なので高校生、中学生がたくさん乗っています。昼からは晴れてきたので窓の外の新緑は一層鮮やかですし、磐梯山もきれいに見えました。


でも学生たちは窓の外など一切見ずにゲームやおしゃべりに夢中。彼らにとっては当たり前の景色で毎日見ていて何も感じないんでしょうが、こんな素晴らしい景色を当たり前と思っている彼らがうらやましいしし、毎日地下鉄の壁ばかり見ていた身にはもったいないと思うのですが、だったらここに住んでみろということなのでしょう。
この日の宿は磐梯熱海温泉です。ネットで駅から近くて値段が適当なところを選んだのであまり期待していなかったのですが、本当に駅から見える「栄楽館」という温泉旅館。予想外に新しくてきれいな宿でした。

最上階にあるお風呂も気持ちよく、露天風呂からの景色もいい。ほとんどお客がいなかったので、広い風呂を独占できて快適。ここの源泉は38度で市の井戸からの湯(これは温度が高い)と混ぜて使っているそうです。
夕食は大広間でしたが、今回は和牛150グラムの焼肉付きというがっちりしたものを選んであります。

肉だけでなく暖かいものは暖かく、山の中で無粋な刺身など出さずにということで美味しかったのでおなかいっぱい。

お酒を飲むと最後のなって出るごはんと名物の汁は口をつける程度。年寄りの身には牛肉150グラムはちょっと無謀だったか。
と言いながら朝食はバイキングだったのでまたまたがっちり食べてしまいました。

定番の料理のほか、とろろもあって美味しかったのでおかわりまでしてしまいました。
平日ということもあって松島のホテルよりも安い値段だったのですが今回はいい意味で期待が裏切られました。
そう思うとあの松島のホテルは二度と行きたくありません。
帰りは快速列車で帰ったので、旅行っぽい列車で帰りました。

。それにしても1時間に1本ということで列車で来た人はほとんどいない。見ているとみんなやっぱり車かバスですね。
磐梯熱海温泉はいい印象でしたが、もう少し温泉街があるとか散歩コースがあるといいですね。
東北の旅もこれで宮城、青森、岩手、福島と4県制覇して帰ることに。初めてなのでべたな観光地ばかりでしたが走行距離はすごいんじゃないかな。


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東北旅行その3平泉・一関

2014-05-22 07:38:19 | Weblog
この日は八戸から一ノ関に出て、ここでホテルによって荷物を預けてから平泉に。

一関から平泉までの電車も2両連結のワンマンカー。乗るところと降りるところが限定されていて、降りる時はドアの横のボタンを押さなければいけません。

見ていると地元の人らしき人も乗るのにあかないドアの前で立っていて大慌てで走っていました。電車によってはワンマンでないので何処でも乗れるのか。ふだん乗っていないと地元の人でも戸惑うみたいです。
駅でレンタルサイクルを借ります。3時間で5百円です。平泉は自転車で回るとちょうどいい範囲に見るところが点在しています。
最初は無量光院跡。ここは何も建っていなくて看板を見て想像するしかありません。

池に水も入っていなくて見ようによっては田植え前の田んぼ?

さらにここから500メートルで高館義経堂。自転車置き場から階段をかなり上がらなくてはいけません。

でも上がったところからは景色が開けて、北上川の流れと東山が見えます。平泉随一の眺めを見ると階段で息が上がった身には風が心地よく感じられます。


義経堂自体はこんなもんという感じ。不謹慎ながら、ちょっと拝観料が高いのでは。そもそも本当にここで義経が自刃したのか、津軽海峡を渡ったのではというのは荒唐無稽にしても別棟の展示室をもう少し充実してくれたらと思います。
そこから自転車でしばらく行くと中尊寺。月見坂の下の駐輪場で自転車を置いて、1時過ぎなのでここで昼食に。月見坂の途中にも蕎麦屋があるのですが、まあどこでも大して変わらないかと駐車場の横の蕎麦屋へ。ここは盛岡と違い最初にどんと出てくるわんこそばだそうで12杯1100円(税抜)のわんこそばを注文。

いきなりどんと出てくると壮観ですが、これでざる1枚分くらいかな?おまけですともう1杯ついてきました。かみさんは加えてずんだ餅を頼んだので私が4杯くらい余分に食べ、結構おなかいっぱい。
さあ、腹ごしらえもできたので月見坂を上ります。

金色堂まで20分とか。
途中本堂とかいろいろ建物はあり金色堂以外は無料。

本堂へは上がることもできますが、ちょうど座禅を行うとかで、ちょっと覗いてすぐに退散。
金色堂はさすがに金色に輝いて一見の価値あり。金だけでなく柱のそこそこに螺鈿細工が施され当時の奥州藤原氏の力を実感できます。隣のおばあさんはありがたいありがたいと一生懸命拝んでいました。こんな建物を見たらやはり日本は黄金の国ジパングとなるでしょう。
中尊寺からは自転車ではきつい坂の道もあるのですが平泉文化遺産センターへ。ここは県営だと思いましたが、入場無料で充実した展示です。平泉は中尊寺以外はほとんど現存建物がないので、最初にここで基礎知識を入れておくといいかもしれません。
そこから4~500メートルで毛越寺。

庭園がきれいです。本堂では高校生?が座禅をやっていました。

3時間にはまだ余裕がありすぎなのですが、ここから岩面大仏のある毘沙門堂まで行こうとすると5.3キロ約25分。自転車よりも歩く距離が長くて疲れてしまい帰りの電車の時間も考えて駅前でコーヒーでも飲むことにして帰途へ。ここから駅へは東にまっすぐ700メートルです。
平泉は全体に田舎町なので自転車で走ってもそんなに車を気にすることもなくバスのように時間を気にすることもないので、天気がいい日は快適です。半日かけて回るのなら行けなかった毘沙門堂や厳美渓(かなり坂は急みたいです)にも足を延ばせると思います。
この日の宿は、一ノ関駅前の蔵ホテル一ノ関。ツインをとりましたが19平米でそこそこの広さ。震災の時に困ったからでしょう、部屋の隅には非常用の水がポリタンクに入って備わっていました。

窓から見える一ノ関の市街は高い建物がない。ここで駅から徒歩5分とないのですが、静かな雰囲気です。

ホテルなので当然ながら夕食はついていなくて一ノ関の街を散策しながら適当なところを探します。
ここまで来たので「村さ来」とか「月の宴」とか全国チェーン店に行くことはないのでと思うのですが、そうするとどこがいいのか迷います。
商店街を歩いていると魚屋さんがあったのですが食事もできるとあり、入り口は魚の並んだケースがあり全くの魚屋ですが、奥を見るとお客が座っている。

ちょっと入りにくかったのですが、お客があれだけいるから変な店でもないだろうし、魚屋なので美味しいかもとその「富岡」へ入りました。
ここから先は食べログに投稿したので見ていただければと思うのですが、刺身盛り合わせ2千円と結構いい値段でしたが、さすが魚屋さんでいい刺身でした。

突き出しもクジラの刺身で美味しい。海鮮サラダと天ぷら盛り合わせも頼んだのですが、いずれもさすが魚屋さんの店というものでした。

実はホテルの1階に居酒屋というか食事処があり、宿泊客はぶっかけそばが1杯無料の券をもらえたので、〆はそこのそばを食べて終了。本当はホテルとしてはそばで誘ってその店でいろいろ食べて欲しいでしょうけど、飲んできておなかもそこそこなので、無料のそばだけ食べて部屋に帰りました。
翌朝の朝食は例によってバイキング。カレーとかそうめんとかもあり結構バラエティに富んでいました。でもさすがにこの日はあまりがっつり食べる気力がなく久しぶりにパンとジュース主体の朝食。

朝食会場で見ていると復興需要の建設関係技師らしき人が結構見えました。外国人も何人かいてこれも復興関係?


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東北旅行その2青森

2014-05-20 08:00:45 | Weblog
翌日朝9時過ぎの電車に乗って仙台に出て、駅前でお買い物。
予想よりも肌寒くてユニクロで軽い上着を買うのともう一つは靴のファスナーが壊れてしまったので商店街を探してちょうど開店したばかりの靴屋でウオーキング靴を買う。靴はミズノの2月に買ったばかりでまだ10回ぐらいしか履いていないものだったので怒り心頭。世界のミズノがこれかよ(この件についてはいずれ改めて書くつもりです)。
さすが仙台駅では、いろいろな新幹線車両が止まっていました。

先頭車両はグランクラスなのでのぞき込むとさすが豪華。飛行機のファーストクラスのようです。グランクラスはソフトドリンクだけでなく軽食も出るとか。

びっくりしたのはこの日のはやぶさはグリーン席は空いているのにグランクラスは一杯だったこと。
仙台からは新青森へ行き、新青森の駅周辺は本当に何もない。食べるところも土産も駅で済ませるしかないところです。ここから青森へ一駅ですので行けばいいのですが、今回はここからタクシーで三内丸山遺跡へ。タクシーで1500円くらいだったのですが、こちらの運転手さんは本当に無口。いろいろしゃべってみてもほとんど返事は帰ってきませんでした。
三内丸山遺跡では、入口で展示を見ているとボランティアガイドさんが(お願いするつもりもなかったのですが)お待たせしましたと笑顔で見えたので行き掛かり上お願いすることに。

ガイドさんは黄色いウインドウブレーカーを着たおばさんで、東北人らしくない話好き。通常50分くらいで1周だそうですが興が乗って話し出すと1時間30分でも平気とか。実際1時間30分くらいかかりました。私たちと休みに一人で来ていた高校生(?)との3人だけという贅沢なガイドでした。


この日は本当にいい天気で遠くには雪をかぶった八甲田も見えて歩くには最適。とにかく三内丸山は広いのでこれで雨だったらパスして青森市街へ行っていたと思います。
縄文時代の遺跡なので石とか柱の穴は残っているのですが、木はほとんど残っていなくて建物の様子は全部想像。いろいろと説があって復元したものが本当かどうかはよくわかっていないそうです。それでも土器とか貝殻とか骨とかが堆積しているところはゴミ捨て場だったのかわざと積んであったのか何層にも堆積していて迫力があります。

平面に広がっているところを見せている場所では土器などの破片がよくわかります。
何代にもわたってここ三内丸山に住んでいたようですが、このあたり一帯で一時期に縄文人が5百人くらい生活していたのではないかといわれています。それでも道はあっても柵とか塀とか石垣とか掘りなどのようなものはありません。吉野ヶ里では集落の周りが柵とか掘りに囲まれていて戦争に備えていたのですが、ここ三内丸山では平和に暮らしていたのでしょうか。縄文でも採取だけでなく栽培もしていたのではという説もあるのですが、戦争をするほどの集積はなかった?

でも有名な物見塔?これも用途というか実際どういう形なのかもわかっていないとか。柱穴に偶然木も残っていて、太さから高さ20メートルくらいの栗の木とはわかっているみたいです。

復元するにあたってはこの大きさの木は国内にないので海外から(ウズベキスタンとかカザフスタンとか?だったと思います)栗の木を輸入したとか。
使途も屋根がついていて儀式に使ったのではとか、海からの灯台の役目を果たしのではとか、いろいろ議論あるみたいです。
高床の家とか巨大な家屋もあって、縄文の従来の概念を覆すものですし、かなりの定住人口が集積していたのではと思います。
ガイドさんは縄文に対する思い入れがあって話し出すと思いがあふれだすのかなかなか止まりません。でも丁寧な案内ありがとうございます。
結局ここでかなりの時間を食って新青森へ戻ってこの日の宿の三沢へ。
八戸から青い森鉄道なのですが、ここの電車は2両編成のワンマンカー。ワンマンカーなので乗れるところも降りるところも限られていて、観光客としては戸惑うこと著しい。
三沢の宿は星野リゾートの「青森屋」。三沢の駅から歩いてもほんの5分ですが、入口からホテルの本館までが広いので駅までより長いくらい。お迎えのマイクロバスで行きました。部屋は落ち着いていて寛げます。

さすが星野リゾート。
敷地も広くて夕食前にひと風呂浴びて(このお風呂がまた素敵でした。露天風呂も池との境がなく森の中にいるようです。お客もほとんどいない中ひとり占めできて最高でした)まだ時間があったので散歩に。1周約20分ということですが気持ちよく森林浴できました。

夕食はステージの桟敷席。

料理のメインは蒸篭蒸しで4段になっていて熱々。それぞれ様子を見ながら順番に出てきて美味しくいただきました。

欲を言えばもう少しお酒の種類があればいいのかな…

生ビールの後は男山の冷酒にしました。
食事がほぼ終わりご飯になる頃からステージで演奏。最初は津軽三味線。

その後民謡歌手が出てきて、ホテルスタッフによる太鼓や笛などの演奏。

最後はお決まりのねぶたの実演。少し小ぶりなのですがねぶたの屋台が真ん中に登場。

私たちにも舞台に上がって跳ねと役をやってくださいとお誘いがあり、花笠を配りに来ます。まあお酒も飲んでいるし、万事引っ込み思案の私はうつむいてパス。それでも最初はためらっていた客も徐々にステージの上に出てきて一緒にラッセヤー、ラッセヤーと跳ねていました。

約1時間の熱演に満足、満足。
8時30分からはもう一度、今度は土産物売り場の前でステージがあるのですが、同じものもありこれはパス。青森屋ではステージではなくバイキングの夕食のコースもあるので、こちらのほうを選択した人はここで民謡三昧を体験できます。
さすが星野リゾートで若いスタッフが多いのですがスタッフの対応もよく、笛や太鼓に一生懸命な姿には好感度アップ。昨日のホテルがホテルだったので、余計感じたのですが、いかに泊まった客に感動をもたらすかを考える姿勢が大事ですね。
朝食は例によってバイキングですが、どうしてもあれもこれもとってしまいたくさん食べてしまいます。なぜかこういう時になると和食党になってしまうのですが、ヨーグルトとリンゴジュースがあればこれも当然必須。

ちなみにお奨めで「ニンジンジュース」を飲みましたが、う~ん、ニンジン100%だ。まずい。リンゴジュースで割るとよかったか。

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東北旅行その1松島海岸

2014-05-19 22:23:48 | Weblog
まだまだプータロー生活なので5月にもう一度旅行に行くことに。今回は4泊して東北4県を回ることに。
初日は仙台から松島海岸へ出て1泊。
東海道新幹線で東京へ出て、この日は富士山がきれいに見えました。車内は外国人はあまりいなくて(「ひかり」だったからかもしれません)、べたですが、結構写真を撮っている人がいました。
ここから東北新幹線に乗り換えて、「こまち」に。実は仙台までは同じなのですが「はやぶさ」はグリーン車が満席のため予約できずに「こまち」でやっと予約できたのです。東京駅では「はやぶさ」と「こまち」が連結しています。

「こまち」のほうが車内が若干狭いのでしょうか。土曜日なのでグリーン車といえども混んでいます。ところで同じグリーン車ですが、東海道新幹線ではおしぼりが出るだけだったのですが、こまちでは使い捨てスリッパまで配っています。

更に無料のソフトドリンクも。

この差は何なんでしょう。後でわかるのですが、同じ東北新幹線でもスリッパまで出てきたのは「こまち」だけ。一方「やまびこ」は何のサービスもなし。おしぼりさえありません。まあ、各駅停車してお客が出入りしているとサービスをしている余裕はないでしょうけど。
仙台に1時前に着いてお昼をとることに。仙台ならやっぱり牛タンでしょう。夕食は旅館でがっつり出そうだけど後先考えずに迷わず「牛タン定食」を食べてしまいました。

仙台からは在来線で松島海岸へ。ホームで待っていると何やら見慣れぬ表示が。どうやら寒い地方だからなのでしょうが列車が止まってもボタンを押さないとドアが開かないみたいです。

一気にローカル感が出てきます。列車の中にもボタンがあり、降りる時はボタンを押すことになっています。
仙台から松島海岸はほぼ40分。この日の宿は「ホテル大松荘」で駅から見えます。歩いて行って3分もかかりません。
まずは荷物を置いてさっそく松島観光に。
今回は旅館に観光遊覧船の券がついているので、まずは3時発の島巡り観光船に。土曜日なのでしょう、結構混んでいました。

私は2回目なのでまあこんなもんかとあまり感慨もなく、でも波も静かで快適な約1時間でした。
この後、お決まりの五大堂を見て

一通り見たら瑞巌寺へ。


瑞巌寺は初めてだったのですが、今は本堂は改修中で代わりといっては何ですが陽徳院御霊屋とか庫裏に大書院が特別公開していました。

御霊屋はついこの間大改修して漆も塗りなおしたところで日光の陽明門を思わせる華麗さ。
どうもここは伊達家の菩提寺だそうで、これも特別公開だそうですが歴代藩主の位牌があります。伊達政宗の位牌はさすがに立派。ここまで大きくする必要があるのかというものです。

写真では大きさがよくわかりませんが、真ん中の位牌が政宗のものです。
参道の杉木立は立派で、宝物殿の品々も貴重なものが多く歴史を感じさせます。
ここからまだ夕飯まで時間があるので松島の街を歩いて最後に雄島を一周。もう6時近くにになってしまったのでお寺も拝観時間は過ぎ水族館も閉館。雄島に行っても観光客はほとんどいなくて、もともと少し寂れたようなところなので、ここで足を踏み外して海に落ちてもすぐには助けてくれない…・
歩き回って少しおなかも空いてきたか。
宿へ帰るのですが、ここは部屋は12畳あって広いのですが、全体に昭和の雰囲気で少しうら寂しい。部屋の入り口のドアに部屋番号があるのですが、それが半分壊れている。これはいきなりのがっかりです。

窓からの景色も一応海が見えるのですが3階だからでしょうが前の家越しでいまいちの景観。
夕飯は部屋食で6時から7時ですといわれたので迷わず7時にしたのですが、7時になるといきなりお膳が一人につき2膳登場。

見た目は豪華で量も十分ですが、いつ料理したものか。ひょっとしたら6時夕食でも同じで冷蔵庫から出すのが早いか遅いかだけ…

固形燃料で温めるのが2つ付き暖かいものはあるのですが、量があればいいというものではないでしょう。料理もかみさん曰く家でもできそうなものばかりで、これでは感動がありません。歳も歳なので量よりはこれはというものを出してほしいですし、酒を飲んでいると肴は量を求めていないんですけど。仲居さんは料理を出すとお櫃を持ってくるまでは呼ばないと来ないのでお酒も冷蔵庫から勝手に出して飲む。それはいいけど冷酒用のグラスぐらい用意しておいてください。

これも団体旅行が盛んだった昭和の旅館の在り様ですね。
お風呂も一応温泉でぬるぬるしているのですが、内装はペンキ絵がかいてありまるで銭湯。露天風呂もあるのですが狭くて一応あるよというだけ。掃除も行き届いていないのか露天風呂ではふにゃふにゃになった葉っぱが漂っていました。まあ空いていてほとんど人がいなかったので気持ちよく体を伸ばせましたけどね。
朝食は1階の宴会場でしたが、行くと割後弁当なようなものにご飯と味噌汁がつくだけ。ここも味噌汁以外はいつ作ったかわからないようなもので、言っては何ですが高松のスーパーホテルの無料の朝食のほうがよっぽど美味しかった。温泉旅館でこのレベルでは日本旅館の未来は暗いのでは。もう少し今何が求められているのかよく考えてほしいものです。施設改修というと難しいかもしれませんがお金をかけなくてもできることはいろいろあると思います。
旅館を選ぶとき駅から近いところと料金と口コミで選んだのですが、口コミの点数は比較的良かったのですが昭和の旅館がいい人の口コミばかり見たかもしれません。残念ですがせっかく旅に出たのにこれでは感動は何もありません。
まあ、松島海岸の駅は近いんですけどね。

いまだに震災の傷跡は残っていて、ここから先は代行バスに乗り換えとなります。海岸では津波の高さの碑があって、約2メートルぐらい。ホテルも女湯は露天風呂が被害にあっていまだ使えない。いろいろ不満はあってもこうやって旅館に宿泊するのも復興支援の一環としておきましょう。でもサービスの質は落としてはいけないですよね。
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5月17日若宮大通り公園テニスコート

2014-05-18 09:15:10 | テニス
天気晴朗なれど風強し。
この日は薄暮なので午後4時前に家を出てバスで丸田町へ。雁道を4時7分のバスで20分前には着きました。
コートを見ると壁打ちのところでタケちゃんマンが一人で練習中。スクールでいろいろ言われているのでフォーム改造中です。
本来はBコートなのですが、学生?の軟式クラブがAコートとCコートをとっていて、BとCを代わってほしいと言ってきたのでCコートへ。なぜか猫背気味のウッチーが早くから来ていて、OBさんも来て4時30分で4人です。まあ、それでは乱打をしましょうか。
そのうちに森の熊さん、ヤッターマンが来て6人に
一通り乱打をしたら、一休みしてじゃんけんしてゲームに。
最初はOBさんと組んでヤッターマン、タケちゃんマン組と対戦。ニューボールということでなかなか弾みに慣れない(いい訳です)こともあっていいところなく結局1:3で負け。続いては同じOBさんと組んで森の熊さん、猫背気味のウッチー組と対戦。ここはあきらめのいいというかよすぎる猫背気味のウッチーのおかげで3:1で勝ち
この頃からコートの東側は西日がまともに当たります。ここから30分くらいはコートのどちらかで有利不利が出ます。
ここで組み替えて猫背気味のウッチーと組んで森の熊さん、ヤッターマン組と対戦。ここは何とかジュースまで行くのですが、いつものように決定力不足というか太陽を味方につけることもできずに0:4
続いてはOBさん、タケちゃんマン組と対戦。ここは何とか1ゲームをとることができましたがそこまで。1:3でした。
この時点で6時過ぎで、そろそろやめようかという声もありましたが、この頃から西日も陰ってきて、やりやすくなってきたので、もう1試合をやろうと。それではと森の熊さんと組んで、OBさん、ヤッターマン組と対戦。有終の美を飾るはずでしたが、いつもながらの相性の悪い森の熊さんとの組でしたので毎度ながらジュースまで行くのですが競り負けて、結果は0:4の完敗。なんだかな~。
ここで6時30分前。薄暮といえどもほぼ2時間できました。
この日は実は私は消化器系の出口が切れて血を見てしまったこともあって、終わっての紫禁城はパス。
矢場町まで歩いて40分のバスに乗って帰ったのですが、なんと丸田町からは猫背気味のウッチーが乗ってきました。鶴舞までの1乗車なので、これくらい歩きましょう。
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自分でできました不動産登記

2014-05-16 11:03:43 | Weblog
父が亡くなって、本当に猫の額ですが土地と建物を母が相続することになりました。
遺産分割協議書を何とか作って、預金を引き出すのに必要書類(戸籍は父の出生から死亡まで追う必要があり、今はもうない村の戸籍から計4通取り寄せ、相続人の私たち兄弟の戸籍も必要でこれは結構面倒くさい)は集めたので、本を読んで自分で登記しようと思い立ちました。
ちょうど時間はあるし、司法書士に頼むと思ったなら小遣い分ぐらいは稼げるか。
まずは、法務省のホームページを見ると結構親切に書いてあります。それだけでは心もとないので図書館に何冊か本を借りてきて勉強というほどのこともないのですが、読んでみるとなんとか自分でできそう。具体的に丁寧に書き方を指南してある本もあって、それをもとにワードで書いてみることに。
本を参考に書式通り書くこと自体はそんなに難しくないので、これはいかに必要書類を集めるかがポイントみたいです。それでも今は住基コードとか不動産コードが分かっていると省略できるものもあって、住基コードの番号というと使うこともないので何処にあるかわからないのですが大切ですね。たまたま母のコード番号は金庫を調べていたら出てきたのでラッキー。
時間はたっぷりあるので一つ一つ書類を集めて、何回も書き直して、やっと一通りまとまりました。
昨日法務局の熱田出張所へ出かけていき、いきなり収入印紙を買って間違っていると嫌なので(登記に5万円以上いりました)まずは相談コーナーへ。
午後2時くらいに行ったのですが、待つ人もなくすぐに呼ばれる。一応番号発券機には個別審査はしませんとあったのですが、提出する前に見てほしいというといやな顔をすることもなく親切に対応してくれました。一昔前は司法書士との癒着といううわさもあり、そういうことは司法書士のところへと追いやられられたとかという話を聞いたような聞かなかったようなですが、全くそんなことはありません。ホームページを見てもむしろ自分でやりましょうという感じです。

書類は、土地は相続により所有権移転でよかったのですが、建物は母が2分の1持っていたので持ち分移転だそうです。でも鉛筆で書き直してくれて、この通りにボールペンで書いてください、訂正印をここにということでオッケー。書類もきちんと綴じて、あとは収入印紙をここに張って窓口へどうぞ。
年配の職員の方でしたが、気持ちよく対応してくれ、窓口でも相談コーナーで先ほど相談したというとほとんど質問もなく無事申請完了。
何の問題がなければ1週間でできあがるそうです。案ずるより産むが易しで法務局では予想外にスムーズに済み一仕事終えほっとしました。
これを司法書士に頼んでいたらいくらかかったのでしょうか。
今度母が亡くなっても全部自分でやったろうと誓う今日この頃です。書類を集めるのが面倒くさいのですが、相続人間で争いがなければ、ぜひ自分で挑戦してください。
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動的平衡2

2014-05-15 23:19:18 | 
福岡伸一さんの本、好きですね。読むと必ず知的興奮を覚えます。生物学の現在の最先端を本当にわかりやすく解説してくれます。
文系の一般の人(私です)にも分かりやすく書くということはすごい才能だと思います。
確か「動的平衡」を読んだ時もここに書いています。2も当然面白いだろうと読んでみましたが、期待を裏切りません。

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラット・ローレンツはその動物行動の観察から一見すると利他的な行動は種全体の繁栄のためにプログラムされたものと理解していた。
ところがそこに真っ向から異を唱えたのがリチャード・ドーキンス。生命の唯一無二の目的は子孫=遺伝子を残すこと。遺伝子は徹底的な利己主義者で、自らを複製するために、遺伝子は生命の個体を乗り物にしているに過ぎない。私たちは遺伝子のビークルにすぎないと。今ではこちらのほうが主流の考えになっていて竹内久美子はこの考えをもとにあらゆることをセックスに結び付けて何冊も本を書いている。
しかし、この地球上に存在する生命をよく観察してみると、まだまだ説明できないことが多い。私たちは遺伝子の命令だけで生きているのではない。結婚しないこともできるし、子供を作らないこともできる。そのような可能性、可変性を持っている。遺伝子は音楽における楽譜であり、同じ楽譜でも指揮者や演奏者が変わると全く違うものに聞こえるように可変性があるのでは。遺伝子のスイッチのオンオフの順番とボリュームに変化によって生命は変わるのではないか。
例えば犬はセントバーナードからチワワまで多くの種類がある。ではそれぞれの品種の遺伝子はそんなに違うのか。この多様性を遺伝子だけ説明しきれるほどの違いはない。共通している遺伝子の動くタイミングや順番、ボリュームが異なるのではないだろうか。ヒトとチンパンジーの遺伝子の差はよく知られているようにほんのわずか。仮に遺伝子操作によって、チンパンジーの遺伝子をヒトの遺伝子にすべて書き換えても、チンパンジーはヒトにならない。では何がヒトをヒトたらしめれるのだろう。おそらく遺伝子のスイッチがオン、オフされるタイミングの差ではないだろうか。ヒトはサルのネオトニー(子どもの期間が長く、子どもの特徴を残したままゆっくりと性成熟すること)として進化してきた…
地球環境の視点から見ると、地球上に存在しているたくさんの生物たちは、あらゆる場所で、きわめて多様な方法で絶え間なく元素を受け渡している。これが地球環境の持続可能性を支えている。地球環境という動的平衡を保持するためには生物多様性が必要であり、動的平衡の強じんさ、回復力の大きさを支える根拠となっている。
卵が先か鶏が先かという論争では、これは、新しい生命の誕生はいつも変化を内包した卵から出発していることから、たぶん卵が先なんでしょうけど、ではその出発点のDNPとタンパク質の問題はどうなんだろう。かつて生命の始まりには今よりもっと多様な機能を持ったRNAがあり、情報担体と実行機能を行っていたという仮説がある。魅力的な説なのだが、単純な化学物質しかなかったはずの原始の海で、機能を持ったRNAが偶然の中から現れ出でるには膨大な試行錯誤の時間が必要なはず。最初の生命が誕生したのは今から38億年ほど前とか。地球の誕生は46億年前。その8億年の間に生命は誕生したのだが、生命進化の38億年と比べるとその8億年はあまりにも短いのでは。もしかしたら生命の種は宇宙から地球に流れ着いたのでは…
少し脈絡なく面白かったところを抜き出してみましたが、つたない要約から少しでも興味を持ったならぜひ一度読んでください。平明な文章でたくさんのエピソードが盛り込まれていて、知的好奇心を満足させてくれます。

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