怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

更級功「残酷な進化論」

2022-06-30 18:06:51 | 
進化論については、いまだに反対説も多く、また誤解も多い。
私たちは進化の系統樹をよく目にしていて、そこで万物の長たる人類は一番頂上に位置付けられている。
当然ながら人類は地球上で一番優れた生物で、そのパーツパーツの機能も最高のはず。
ところがいろいろ詳しく見てみるとさにあらず。人類のいろいろの部位は進化の最終形の完全な姿ではなく、進化の途中形であって不完全なもの。
この本はそんな進化の現実を分かりやすく提示して、目からうろこの思いでした。

進化とは最もその時の環境に適応するということで、進歩とは違う。進化はあっち行ったりこっち行ったりしていて、進化の道はたくさんある。決して人類の生物としての今は完全無欠ではなく不完全な部分を多々抱えている。
地球環境は生命誕生以来30億年以上の間に大きく変化しており、一直線の変化ではないだけにもっとも繁栄する種も変わる。肺・心臓とか目とかのパーツパーツを見てみればよく分かるのだが、例えば呼吸器と肺だけを取り上げれば恐竜とか鳥類の方が優れているとか。哺乳類は気管という同じ管を使って空気を出したりいれたりしている。この仕組みはとてもよくできた仕組みなのだが、同じ管を使って空気を出したり入れたりしている。空気が逆方向に流れるので呼吸器としては効率がよくない。一方鳥類は肺の周囲に気嚢があるので肺にはいつも空気が一方通行で流れる。このため鳥類は他の動物が生きられないような空気の薄いところでも生きていけ、例えばヒマラヤ山脈を越えたることもできる。因みに恐竜もこの優れた呼吸器を持っていた可能性があり、中生代初期の同じころに出現した哺乳類と恐竜ですが、中生代に恐竜が繁栄したのはこの呼吸器の性能の違いで、同じ活動をしても恐竜の方が行きが切れなかったかもしれないとか。
動物は有機物を分解してエネルギーを獲るのだが、結果分解された有機物を体外へ排出する必要がある。水と二酸化炭素は捨てるのに時に問題はないのだが窒素はもっとも単純なものであるアンモニアは毒性が強い。魚類のように水中で生きているものは大量の水に溶かして排出する。しかし陸上で生活する動物は好きなだけ水が手に入らないので、体内から排出する窒素を哺乳類はアンモニアより毒性に低い尿素で排出しているが、尿素は水に溶けにくいため大量に水を飲まなくてはいけない。鳥類はさらに毒性が低く水に溶けにくい尿酸として排出している。鳥のフンの白くてどろりとした部分は尿で少量の水に混じった尿酸です。排出方法の進化系統樹を見てみれば陸上生活に適した進化をしてる鳥類の方が上になる。う~ん、体内で合成して窒素を尿酸として出すとなると結石があちこちに出来そうですけど。
眼がどうやって進化してきたかを見てみると、目の数も色覚も行ったり来たりしているみたいで、色を見分けることが出来る錐体細胞では多くの脊椎動物は4種類の錐体細胞を持っていて4種類の色を見分けることが出来る。ところが多くの哺乳類は2種類しか持っていなくてあまり細かく色を見分けられない。ところが猿の仲間の一部は3種類に増やしたものが現れる。私たちの目は4色型色覚から2種型色覚になりさらに3種型色覚になったということです。優れた視力を持つ生物はいろいろ知られていいて、人類の眼より鷲と鷹の目の方がはるかに優れている。生物が生きていく環境でより適応するためには場合によっては退化している場合もある。夜行性の動物にとって必要なものは色の違いではないだろうし、土の中とか洞窟で暮らす生物の目が退化することはよく知られている。過剰なスペックを維持するために、余分な資源を使うことによって環境に適応できなくなる場合もあるということなのだろう。
後半は類人猿と人類の比較からヒトの在り様を考察してます。
人類は直立二足歩行するように進化してきたけど、類人猿と比較してみるとそれぞれの環境に適応するように進化していて、オラウータン→ゴリラ→チンパンジー→ボノボ→ヒトと一直線に進化してきたわけでなく、共通祖先から枝分かれしてきたみたいで、腕を見てい見ると共通祖先の腕はヒト型の手でそこから今のチンパンジーの手が進化した。ちょっとわかりにくいですけど詳しくは本に分かりやすい図もあるので読んでください。
直立二足歩行に進化したことによって、どうしても腰痛に悩まさられ、難産となり、いいことばかりでもなかったみたいですが、子孫を多く残していき生存競争に打ち勝つのには有利だったということだったと言うことです。
因みに人類は逃げることはできないけど追いかけるのは得意。イギリスで馬とヒトの長距離走競技があるけど、最近はヒトの方が勝つことが多いとか。ヒトは長距離走では体毛が薄くて汗をかきて体温を下げることが出来るのだが、ウシやシカは体温が上がりすぎて長距離が走れなくなり、ヒトの追跡を逃れることが出来なくなるとか。
全部は紹介しきれないのですがとにかく知的好奇心をいたく刺激する内容満載ですし、新書本200ページほどなので、ぜひ一度読んでみてください。
ところでこの本、東海林さだおが読んだ本として紹介しているのですけど、この本だけでなくあと2冊「わたしは哺乳類です」「人体、なんでそうなった」をあげています。

「わたしは哺乳類です」は読んでみたのですが、著者は外国人でどうしても外国名が出てくるし、結構専門的な用語も出てきます。非常に面白かったのですが、読むのにはちょっと苦労しました。それを85歳になりなんとする東海林さんがちゃんと読んだことには驚きです。もう1冊読むならぜひどうぞ。
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6月26日鶴舞公園テニスコートの後は「おらが蕎麦」へ

2022-06-29 07:21:52 | テニス
終わって5人でいつもの紫禁城へ行こうとなったのですが、灯りがついていない。

何と紫禁城は設備点検とやらで休業。
仕方ないので同じガード下の「おらが蕎麦」へ行きます。
日曜の夜だからか席は空いていて2テーブルを占拠。
取り合えずみんなは生ビール、健康診断の結果が境界域で糖質制限を気にしている私はハイボールで乾杯。

暑かっただけに美味しい。
併せてつまみを頼むのですが、名前はどうやらベトナム風の女の子で、タブレットの操作に慣れていないというか注文した品のボタンがどこにあるのかよく分からないみたいで手間取っている。
とにかくまずはタコぶつと海老せんべい


海老せんべいは揚げたてでこの量があって200円とお値打ちです。まあ、原価は知れていますけど。
ここでタケちゃんマンはいきなりざるそばを注文。

ビールをちびちび飲みながらそばを食べます。お昼はまともに食べていないみたいで、コートでは持参の日本酒を飲んでいたので、それなりに酔いが回りお腹が空いてきたとか。以前のタケちゃんマンならとことん飲んでいたのでしょうが、最近は医者とけんかして飲んでいるといっていますが、それなりに自制が効いているみたいです。
1059さんは豚角煮の揚げ棒を一人1本づつ注文します。

豚角煮なので味はついているので、ソースも醤油もいらない。からしをお好みでつけていただきます。
ここで森の熊さんとはげ親父はビールを、私はハイボールをお替り。
今日のおすすめから厚揚げとう巻きを注文。今度は中国系なのかランさんが注文を聞きますが、いたって不愛想。笑顔をサービスで追加お願いします。


う巻きはかすかにウナギが入っているという感じでしたが出し巻き卵と100円も違わない値段なのでそんなものでしょう。
串揚げ盛り合わせの6種も追加します。

外見だけでは何が何やらわからないのが玉に瑕。私はシイタケを食べましたが、これはまだわかる方ですね。
今度は1059さんも含めて3人が生ビールのお替りで、私もハイボールのお替り。
仕上げにピリ辛ソーセージとシュウマイを。


ソーセージは写真に撮る時には切れ端だけでした。
この店はちょい盛りそばもあるのですが、この日はパスして、20時近くになったのでお勘定に。
会計は9750円。

一人2000円でおつりの250円は基金に入れておきました。
久し振りの森の熊さんを交えた飲み会で、それなりに楽しい時間でした。早くテニス復帰してください。
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6月26日鶴舞公園テニスコート

2022-06-27 15:19:11 | テニス
この日のテニスはナイターです。
でも年寄りが多くて夜は早い人ばかりなので、17時前には始め18時30分ごろには飲みに行こうと雰囲気に。
それならば家の前にバス停のある循環バスが16時3分発で金山へ行くのでそれに乗ればいいか。

ところが16時にバス停についてもバスはなかなか来ない。イライラして待つこと15分。こういう時の見切り時は難しい。諦めて別の手段で行こうとしたとたんにバスが通り過ぎるというのはマーフィーの法則。でもさすがに15分以上待つと何か事故でもあったのかと諦めて、雁道まで歩いて基幹バスで行くことに。幸いなことに雁道バス停に着くと待つことなくすぐにバスが来ました。
結局16時50分前には鶴舞公園に着きました。
公園に入ると入口のヒマラヤスギ?に何やら青い松ぼっくりのようなものがついている。

この歳で初めてみるのですが、あれは種子?
コートに着くと1059さんにえみちゃん、タケちゃんマンとはげ親父がいて、乱打を始めるところだったので、早速入れてもらい5人でボレーとストロークの練習
一回りして休んでいるとカバちゃんが登場。なんでも午前中も別のところでテニスをしていたそうで、さすが若さと体力がある。
天気は午前中は雨もパラついたりしていたのですが、昼からは雲が切れて晴れてきました。

いい天気ですが暑い!乱打だけで大汗かきます。
となるとはげ親父持参のビールが美味い。
この日はえみちゃんが家庭菜園の朝採れ、ゆでたての枝豆を差し入れてくれました。

さすが朝採れの枝豆は美味しい。ビールがすすみます。

一休みしたら例によってなかなか決まらないじゃんけんしてから試合に。
最初は1059さんと組んでタケちゃんマン、カバちゃん組と対戦。長引くと体力的に問題あるのかタケちゃんマンの提案で、ノンアドのデュースになれば一本勝負としました。結果この一本勝負が2回あってそれぞれ分け合い2:2の引き分け。ここでじゃんけんして勝ち残り。幸いなことに私たちは休憩でした。
次の試合はもう一度1059さんと組んではげ親父、えみちゃん組と対戦。この試合は最初2ゲーム連取したのですが、そこから失速。結局2:2の引き分けでした。
この時点で18時近くなっていたのですが、ここであらかじめメールで誘っていた森の熊さんが登場。ただしテニスはやらないで終わってからの飲み会だけの参加の予定です。当然ラケットはもってきていなくて足元もサンダル履き。

まあ、ビールを飲んで、お酒(前回持参して結局飲まなかった八海山)もありますので飲みながら見ていてください。

森の熊さんに挨拶してえみちゃんは帰ります。タケちゃんマンはもう十分だと早々と帰り支度をしだしリタイア。
最後の試合ははげ親父と組んでかばちゃん、1059組と対戦。最後なのでノンアドではなく決着をつけることに。これが良かったのか悪かったんか、最後は競り負け結果は1:3の負け
終わったら、さすがに森の熊さんは見学だけでは物足りなくて、サンダル履きのままカバちゃんに付き合ってもらい乱打をします。久しぶりですが、懸念されていた腕の痛みは感じなかったみたいで、秋には復帰しようかという前向きな感想も出てきました。
この時点で日が傾いているけど照明には早い18時45分でしたが、別のコートで人数の多いグループに譲って、久し振りの森の熊さんを囲んで飲みに行くことに。
空はまだまだ明るくて照明はまだついていない。

照明の電気代として600円支払っているのですが、まったく無駄になりました。
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田辺聖子「大阪弁ちゃらんぽらん」

2022-06-26 14:28:09 | 
現在朝のBSで「芋たこなんきん」を再放送している。
藤山直美が主演で、朝ドラ史上最も高齢のヒロインと言われたとか。
夫役の国村隼が意外に渋くてかっこいい。最近では悪役しか印象になかったのですが、若かりし頃はと言ってもこの頃でも中年ですが、そうでもないと改めて思い知りました。
物語は田辺聖子の半生を自身がドラマ化したもので、タイトルにも原案田辺聖子となっています。

田辺聖子ファンとしてはよく知ったエピソードばかりなのですが、それはそれで楽しい。
ドラマとしては何というでもない日常を面白おかしく演じてあるだけと言えなくもなく、盛り上がりにイマイチかけるかも。
私には「女の長風呂」シリーズなどで「かもかのおっちゃん」の語る世界の背景がよく分かって、それだけで十分なんですけど。
そんなこんなで家にある田辺聖子の本を取り出して読んでみました。

「大阪弁ちゃらんぽらん」という表題からしてお堅い筑摩書房にはちょっと似合わないのですが、その分気楽にすいすい読めます。もちろんちゃんと「大阪弁の研究」とか「大阪方言事典」等も参考にしながら、終戦から戦後までの大阪弁の雰囲気を伝え大阪庶民の文化を活力あるものにしようという志が出ている。
でも、あほ・すかたん・チョネチョネ・けったいな・いちびるなどの大阪弁があらわす庶民の活力というのはどことなく卑猥で本音で勝負しているのですけど、そこが面白い。1978年というからもう45年前の出版ですが今でも十分普通に読めます。それだけ大阪弁の文化というものが根強く残っていて、テレビなどでも使われているからでしょうか。そう言えば我が家は土曜の昼はいつも「吉本新喜劇」を見ていますね。
因みにこの本では「かもかのおっちゃん」は出てこなく、「熊八中年」になっています。田辺聖子は「女の長風呂」でも確かかもかのおっちゃんは夫とは違ういろいろな人の合成したものとか言っていましたから、あまり名前に拘りがないかも。
確かまだ本棚に「女の長風呂」シリーズが何冊かあるはずなので、探してみましょう。
実は田辺聖子の小説では私は「おかあさん、疲れたよ」が最高傑作ではないかと思っているのですが、これも探せば本棚の奥にあるかも。戦中戦後の時代に翻弄された、それでもたくましく生き抜いた女性の生き方としてはドラマ「芋たこなんきん」の演じられる時代・世界と重なるものがあるのですけど、朝ドラではできないだろう恋や心の揺れが満載で、もう20年以上前のことですが途中でやめることが出来ずに読み切った覚えです。今度探して再読したらレビューしてみます。
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6月19日熱田神宮公園テニスコートの後は3人で金山へ

2022-06-22 21:28:34 | テニス
終わっていつもの1059さん、タケちゃんマンの3人で飲みに行くことに。
この日は最近いつも行く「おやじダイニングしょうぶ」が臨時休業。
そうなると西高蔵の「山葵」に行こうかとなったのですが、ここもやっているかどうかよくわからない。ひょっとしたら休業中かも。
3人とも敬老パスを持っているのでいっその事地下鉄で金山へ行こうとなりました。
金山では18時前だし空いているだろうから名鉄駅2階の「嘉文」へ行きます。

日曜だからからか早い時間から結構客が入っています。
奥のテーブルに案内されてとりあえず生ビールに2品つく嘉文セットを3人に。

生ビールに刺身2品におまかせなのですが、刺身はちょっとチープな感じです。
まあ、セットで980円なので仕方ないか。
おまかせ1品は何が来るかと思いきやクロダイの兜焼。

結構でかくてホジホジして食べるのには時間がかかる。
骨に着いた身をホジ繰りながら食べるのですが、箸だけではなくて手も使って裏側まで抉り出して食べるのですが、骨にこびりついた身が美味しいのです。
しかし食べ終わった結果は悲惨な姿に。

ここでアジフライを追加。これは揚げたて熱々の2尾だったので、タケちゃんマンと私ですぐに美味しく頂きました。

写真を撮らなくてはと思った時はすでに残り僅かでした。
ここでビールがなくなったのでお酒を追加。
生貯蔵酒300にグラス3。

飲みながら話していると1059さんの実家はどうやら処分のめどが立ったみたいです。値段はともかく管理の手間が省けて税金も払わなくていいので、これで負動産が片付き一荷物降ろしたのでは。
お勧めから生シラスポン酢も頼みます。

釜揚げとはよくあるのですが、生シラスというのは珍しい。
ポン酢でさっぱりして美味しい。お酒にあいます。
ここで1059さんが出し巻き卵とどて煮を注文。


こうなるとお酒をもう1本追加。
1日2食で、聞いてもよく分からない食生活のタケちゃんマンはお腹にちゃんと入れないとと焼きそばを注文。

8月には奥様が娘のいるアメリカへ行くそうで、生活習慣がちょっと心配です。
でもお酒はそれなりに自粛していて、こちらが勧めないと自分からはがぶがぶ飲んでいませんでした。
18時45分に終了してお勘定。
7458円で一人2500円。おつりの42円は基金に入れておきました。
コートで飲んだ分も含めるとそこそこ飲んだので、家に帰るとどっと酔いが回った今日この頃です。
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6月19日熱田神宮公園テニスコート

2022-06-21 06:53:07 | テニス
梅雨入りして以来、天気は曇りがちで雨がいつ降ってもおかしくないような日が続いています。
この日の予報もつい3日前までは雨の予報。ところがいつの間にか雨の日が前倒しになり土曜が1日雨となって日曜の今日は朝から晴れている。

晴れているだけにこの日の最高気温は30度を超える予報に。
早めに14時20分過ぎに家を出て熱田神宮公園まで歩くだけで結構汗をかきます。
14時45分には受付をしたのですが、意外なことにタケちゃんマンとほぼ一緒でした。久しぶりなので気合が入っていたかも。
コートで待っているとえみちゃん、はげ親父と来たので4人で乱打を始めます。
暫くするとちょっと見小野ヤスシさんが登場して、いつものように5人でボレーとストロークに分かれて乱打に。
半分ほど回ったころに1059さんも登場したのですが、疲れるからと乱打には入りません。
一回りして休憩。
一休みして6人でじゃんけんして試合をします。
最初はタケちゃんマンと組んでえみちゃん、1059組と対戦。最近の1059さんは力任せの打ち込みが減って(本人曰く年のせい)クールなショットが決まるようになってきています。最初はリードしていたのですが、徐々に相手のペースになって結局2:2の引き分けに。
試合の合間はいつものようにビールです。

私は家にあった「八海山」と海老あられを持ってきたのですが、タケちゃんマンも日本酒を持ってきていて、もっぱらそれを飲んで八海山は出番なし。

海老あられは食べましたけどね。

気温は高かったので、汗はかくのですが、湿度はそんなに高くなく涼しい風も時折吹いてくるので、気温の割に思ったよりは過ごしやすい。
次の試合はもう一度タケちゃんマンと組んではげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この試合も最初は優勢のうちに進めていったのですが、後半になると酔いも回ってきたのかミスが増え、自滅の展開で終わってみれば2:2の引き分け。
ここで組み替えて今度はちょっと見小野ヤスシさんと組んで1059、タケちゃんマン組と対戦。デュース迄は行くのですが、いつも通り肝心な時にはミスをしてしまい、0:4と完封負けでした。ちょっと見小野ヤスシさんはボレーは背が高いので高い球も届き、いいショットを打つのですけど如何せんラリーが続くとミスショットが増える。ポカがなくなるといい勝負になるんでしょうけど。
この時点であと15分。一応5分前までやれるところまでやろうとなってもう一度ちょっと見小野ヤスシさんと組んではげ親父、えみちゃん組と対戦。この試合も2ゲーム落して最後のゲームはデュースまで縺れたのですが、時間が来たので1本勝負としたら予想通りそれをミスって、結局0:3でした。最後はやらなければよかったか…
5分前で終わってコート整備して帰ります。

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「織田信長が駆け抜けた道」「桶狭間合戦 奇襲の真実」

2022-06-17 10:06:35 | 
織田信長が天下人への道を歩みだす契機となった「桶狭間の戦い」
戦国時代でもっとも名高い合戦なのだが、今川義元がどこで討ち取られたかについても、名古屋市緑区と豊明市に桶狭間古戦場の碑が立っている。
中島砦から織田信長がどう進軍していったかについても諸説あって明確ではない。
先日有松に行った時には駅に「桶狭間史跡マップ」があり、信長公記から読み解く戦いの跡をたどるコースがゆったりとちょっとの2つのコースになっている。

当たり前のことなのですが、桶狭間合戦当時は、地形として海がかなり広がっていて、おおざっぱに言えば伊勢湾台風で浸水した地域はほぼ海だったと考えてもいいかと思う。
当時の東西の交通の主要街道は鎌倉街道で、いわゆる東海道はまだ整備もされておらず有松の町ができるのも江戸時代以降の話。
加えて今では都市化がすすみ、川は改修され、ビルが立ち並ぶので地形も定かでなくなっているので、現在の姿からはなかなかどこが本当の古戦場かは想像できない。
戦前には陸軍参謀本部が「迂回攻撃奇襲説」を唱えていて、結論が出ていたかのようになっていたが、今では北へ大きく迂回して奇襲攻撃をしたという説は否定されている。参謀本部的には強大な今川軍を少数ながら精鋭部隊で奇襲攻撃して打ち破ったという説は強国ロシア、アメリカと戦い、奇襲攻撃で打ち破る日本と重ねるためにも魅力的だったのでしょう。
今では東海道筋を通って正面から今川軍を撃破して今川義元を討ち取ったという正面攻撃説が有力になっています。有松駅にあったマップもほぼその説に沿っていると思います。
ところで今川軍4万5千などというのは戦後織田が自分の戦果を大々的に宣伝するために大げさに言ったものと思われます。そもそも今川軍4万に対して信長軍2千と言われていますが、兵力は国力によるものであり、駿河・遠江・三河3カ国の当時の生産力は豊かな土地と経済力があった尾張と比べてそんなに圧倒的なものでもなかったはず。上洛の意図も怪しいもので、信長を叩いてまずは今の緑区南区を攻略し尾張攻略の足掛かりにできれば上出来ぐらいの感じだったのでは。
それにしても大軍を率いて出陣した今川義元を見事に討ち取っているのは事実で、そこには今川軍の油断があり、何らかのすきをついての奇襲攻撃だったと思うのが合理的です。
そこで地元の強みで足で歩き回り地形を熟知している郷土史家がこれこそが真実と説を出しています。
最初の本は、船橋武志著「織田信長が駆け抜けた道」、これは尾畑太三「証義・桶狭間の戦い」のダイジェストともに一緒に現地を歩いた記録です。

起点は地下鉄野並駅で、そこから桶狭間迄十数キロを歩いている。丁度いいウオーキングのガイド本なのですが、如何せん地図が分かりにくい。国土地理院の2万5千分の1の地図は本に印刷されていると何が何だかよく分からない。写真もついているのですが、これも分かりにくい。地図と写真を連動させればもう少しわかりやすくなるのでは…
とにかく信長は中島砦を出てからは旧東海道を左京山あたりまで進み鎌研橋から手越川沿いの道なき道を進んで高根山の松井宗信を避け桶狭間へ。今は桶狭間古戦場公園があるところが義元討ち死にの地と言うことです。せっかく現地を歩いているのですからもう少しわかりやすい地図と要所要所の奇麗な写真をつけてもらうと多少間違っていようとも歩いてみようと思います。持ちやすいように別紙できれいな地図のウオーキングマップをお願いします。
もう少し詳細なのが太田輝夫著「桶狭間合戦 奇襲の真実」です。

大高めざして進軍する義元軍本隊は田楽狭間に差し掛かったあたりで、織田側の佐々、千秋の攻撃を正面に受け一時進軍を止める。今川軍は織田の先鋒ともいうべき佐々・千秋を討ち取り、油断して祝勝の宴を催して休憩しているところに織田信長率いる本隊が太子が根より南に回り込み不意を突いて急襲。深田に追い込み義元を討ち取った。
中島砦からの信長軍は東に進み天満宮の横を通り太子が根,大将が根の間を通って田楽狭間の義元本陣へ突っ込んだ。それに先行して佐々・千秋隊は桶狭間田楽坪の今川軍の正面へ突入。討ち取られていますが、結果的におとりの効果を出しています。今川軍は兵力を大高城からの鷲津・丸根砦攻めと佐々千秋軍を打ち破った高根山の前衛軍にと展開していて義元本陣は2~3千か。そこで不意をつかれたので織田軍の何倍かという兵力を活かすことが出来ず大混乱に陥ったということでしょうか。
この本の手書きの地図の方が分かりやすいのですが、これだと義元最後の地は豊明の古戦場伝説地になります。いずれにしても別紙のウオーキングマップをつけてください。
どちらの本も「信長公記」と「武功夜話」を参考にしているのですが、信長公記は年の間違いもあり、著者の太田牛一が実際に体験したことと見聞したことが混在していて、史料的な検討は必要でしょう。武功夜話は偽書との説もあり、紙質とか表現などからも実際に書かれたのは江戸時代後期以降と言われています。しかし全くのフィクションというには迫真性があり、後世に編集されたかもしれないけれど
原武功夜話みたいなものとか伝承はあったと思われるのでどこまでを歴史としてみることが出来るか検討が必要なのでしょうけど門外不出で史料的検討ができないみたいなので全面的にこれによるのはどうなんでしょう。
時あたかも梅雨入りで、桶狭間合戦と同じ時期。この2冊の本をもって有松近辺でも歩きに行こうかと思ったのですが、まさに梅雨入りしたばかりで、合戦当時の雷雨は経験したくないので天気は歩きには不向き。今度気候がいい時に有松の史跡マップの道(ゆったりコースで4キロ約2時間とか)を歩いたらまた報告します。
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6月12日東山公園テニスコート

2022-06-14 06:49:04 | テニス
前線通過後のいい天気ですが、風が強い。でもそのおかげで気温は高めでも乾いた風が気持ちいい日です。
木曜日からの腹痛は徐々に回復してきて、普通食が食べられるようになってきました。それでもお昼は用心してサンドイッチとヨーグルトで済ませました。
ふくらはぎの方もまだ恐る恐るなので、この日は地下鉄と比べて歩く距離が少ないバスで行くことに。
池内町から13時54分発の妙見町行きに乗って、ほぼ定刻に終点妙見町に到着。
いつもの歯医者さんの気温計を見ると28度。

でも風のおかげで体感気温はそれほどでもありません。
そこから歩いて10分ほど、14時35分には着いたのですが、この日のコートは山の上の12番コート。

どうやらこの日は軟式テニスの高校大会みたいで、下のコートは専用利用みたいでした。
足に不安を抱える身としてはさらに山の上まで歩くのは一苦労。
コートに着くとはげ親父、1059さん、えみちゃん、ちょっと見小野ヤスシさんとすでに乱打をしていました。
早速準備運動をして私も入れてもらい5人でボレーとストロークに分かれて練習。
一回りやって休憩。はげ親父はビールを勧めてきますが、、さすがにこの日は飲む気はなくパス。
一休みしたら試合を始めます。
最初はえみちゃんと組んではげ親父、1059組と対戦。この試合最初の1ゲームは取ったのですが、その最中にまたも左ふくらはぎに痛みが走る。練習では何ともなかったのですが、試合となるとついつい取れそうなボールに突っ込んでいくので負荷がかかったみたいです。それでも動けないほどでもないので無理に走らないように注意しながら試合を続けます。でもそこからは3ゲーム落して1:3でした。
夏場は日差しよけにパラspるを貸し出しているみたいではげ親父が受付の時に借りてきていましたが、風が強くて、向こう側のコートのパラソルは風にあおられ飛んでいました。

12番コートは日影もあり風で飛んでいくと危ないので結局使わないことに。
次の試合ははげ親父と組んでえみちゃん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。最初のゲームからデュースの続く長い展開で1試合で2試合分ぐらいやった気分でしたが、最後を締めて4:0で勝利。でもえみちゃんが右へ左へと走らせるので足が痛い身としては対応できずに苦しめられました。
えみちゃんは家庭菜園で今はキュウリが馬鹿採れだそうでキュウリを持参してくれたのをありがたく1本頂きました。

今度はちょっと見小野ヤスシさんと組んで1059、えみちゃん組と対戦。この試合もそれぞれのゲームではデュースまで行くのですが、決定力不足で3ゲーム連取されます。それでも最後のゲームは足をかばいつつ粘って何とか奪取して1:3でした。
この時点で16時15分。最後の組み合わせと言うことで1059さんと組んではげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と会い戦。でも時間が限られているので2ゲームだけと言うことにしました。
最近1059さんは本人曰くパワーがなくなって打てなくなったそうで力任せのショットが減ったのですが、むしろ試合ではそれがいい結果を出しているみたいで2:0で勝利。
なんとか途中リタイアすることなく終わりました。でもふくらはぎはやっぱり痛い。こう思うとこんな草試合でもついつい力が入って取れないボールにも追いつこうと無理していることが分かります。
そう言うことなので帰りは車で来たちょっと見小野ヤスシさんに送ってもらいました。
山の下まで降りてくるとあちこちで高校テニスクラブの面々が円陣を組んで反省会?

高校生の青春です。
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突然の強制休肝日

2022-06-11 21:27:52 | Weblog
木曜の夜中に突然の腹痛で目が覚めた。
そこから朝まで何回もトイレに駆け込む羽目に。
木曜日食べたものを朝食から思い起こしてもどうしてか全くわからない。同じものを食べた家族にも症状はない。
吐き気はないのだが、下痢だけでなく膨満感もあり、とりあえず百草丸を服用。
朝起きても当然ながら食欲はまったくなくて、何となく頭が重くて、倦怠感もあり。
何も食べないのもいけないかとヨーグルトとリンゴジュースを摂取して、ビオフェルミンを服用。
何もやる気力がなくて朝いつもやっている屈伸運動とか、ゾンビ体操とかは、こういう時にまでやるほどでもないだろうとすぐにパス。
結局この日はお昼と夕食用にとイオン迄パンを買いにヘロヘロの足取りで出かけた以外は一日中ソファーでゴロゴロ寝ていました。
いつもは1万歩は軽く超える歩いた歩数は4000歩にも満たない。

お昼もやっとのことでチーズ蒸しパンを食べたのですが、どうも熱っぽいと思って体温を測ると36度9分。
暫くウトウトしてもう一度測ってみると37度9分。どうやら潜伏期が長い食中毒?ウイルス性の腸炎?、呼吸器症状はないのでコロナではないでしょう。でもこの発熱だとイオンにも行けなかったかも。
いつもながらのことですが、体温計を見て一気に頭がくらくらして引き続きソファーでダウン。
どうも最近ふくらはぎを痛めるとか体調不全が連続します。身体全体が経年劣化でガタが来ていて、すっかりポンコツになってしまいました。
関連があるかどうかわかりませんが、右ひじも痛くなり、足も攣りそうでぴくぴくします。これは体のイオンバランスが崩れているから?
夕飯もランチパックとヨーグルトとジュースで済ませ、この日は予定にないほぼ強制的な休肝日になってしまいました。
体重は1キロ減って、出るものはほぼすべて出てしまったみたいなので、今ならすぐに大腸内視鏡ができるかも。
こういう時は寝るしかないと9時前には布団に入ったのですが、横になってもそう早くから寝れるかと思いつつすぐに寝てしまいました。
やっぱり体調が悪かったということでしょう。
土曜日になると少し回復基調で発熱もなく夕飯には天ぷらうどんも食べられました。
でもこの日も当然ながら休肝日で本当は連続休肝日が月1回は必要なのかも…
体調が戻ればすぐに忘れてしまい、わかっちゃいるけどやめられない…
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6月5日鶴舞公園テニスコートは顔出しだけ。

2022-06-09 21:35:55 | テニス
先日痛めた左足ふくらはぎは日常生活には支障ないのですが、未だ歩くと鈍い痛みがあり交差点などで小走りすると結構痛い。かばって歩いていると膝や太ももも痛くなってきて、最近は膝だの腰だのと連鎖反応のように痛いところが出てくるすっかりポンコツになってしまいました。
ここでテニスで無理をしてまた痛めると長引きそうなので、ここは静かに過ごすしかないか。
そうとなれば朝はゆっくりと過ごし、掃除機をかけてから9時過ぎに家を出て雁道から基幹バスで鶴舞公園へ。
バスに乗って広告を見ていると「市バスの決算状況」がありました。

読んでいるとコロナ禍で赤字幅拡大。それは仕方ないのですが、この時期で令和2年度の決算状況というのは遅すぎるのでは…今年は令和4年だったはずなのですが、最近年号の記憶が分からなくなっているので令和3年だったのかと考え込んでしまいました。これはどう考えても掲示は令和3年まででしょう。
とにかく9時30分ごろにコートに着くとこの日は1059さん、カバちゃん、ヤッターマン、はげ親父、えみちゃんと5人です。
天気は曇っているのですが、雨は大丈夫のよう。

みんな丁度一練習終えてベンチで休憩中。
えみちゃんがキュウリの浅漬けを持ってきて、それをつまみに飲む人はビールを飲んでいます。
前回の分も含めての会計を行い、持参してきたニューボールを1缶づつみんなに配りました。
みんなはこれから5人でボレーとストローク分かれてれしゅです。

これで私の用は済んだのですが、一応ビールも1缶持ってきたので、ビールをちびちび飲んで練習を見ていました。

とは言ってもずーっとベンチで飲んでいる訳にも行かず、そこそこに切り上げて鶴舞公園を散策して帰ります。
丁度花しょうぶが満開です。


こんな天気に似合う紫陽花も咲いています。


もうバラの季節は過ぎたかと思っていたのですが、鶴舞公園にはいろいろな種類のバラがあるのでまだまだ咲き誇っています。


こんな天気なのですが、日曜と言うこともあって公園を散策する人が結構出ています。
一回りしたら帰路につきますが、この日は熱田まつりの日ですので夜は花火を見ながら、酒が飲めるぞ。
あまり寄り道せずに家に帰って夜を待ちます。
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