怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

1月26日瑞穂公園テニスコート

2019-01-28 21:38:34 | テニス
この日、私は財団が主催するミニ駅伝大会に従事するので欠席。
ヤッターマンからは孫の運動会だとかで欠席のメール。はげ親父はこのところ研修があるので出席は怪しいものです。
そんなの関係なく私は8時には家を出て瑞穂北陸上競技場へ行かなくては。
天気はいいのですが、風が強い。体感気温はかなり低い。
9時前に着いたのですが、既にたくさんの選手が集まっていました。

この大会では私は一応スタータの役をすることになっています。
開会式の後軽くストレッチをしてから、役員の方からピストルを渡されたのですが、今ではあまり火薬でのスタートピストルを使うことはないため長く使っていないので火薬が湿っているかもとのこと。
試しに1発打ってみたら音は小さめでしたが無事鳴りました。
5分前にはスタンバイしたのですが、一応コートを脱ぐので風が冷たい。
まあ、並んでいる選手の姿を見ると寒いなんて言うのはおこがましいんですけど。

時間になれば、位置についてよ~い、バ~ン!
無事スタートしました。
私の公式行事はこれだけなのですが、一応レースが終わるまで見守り、閉会式迄立ち会わなければいけません。当然ですけどね。
さて、無事12時前には終了したのですが、この日は12時30分まで瑞穂公園テニスコートのはずなので、顔を出してみましょうか。
一緒にお昼を食べてもいいですしね。
ところが瑞穂公園テニスコートへ行ってみてもホワイトボードには名前が無い。
コートを回ってみたのですが、メンバーがいない。メンバーが集まらなかったのか?それとも寒いし、あまりにも風が強いので早々と帰ったのか?
とにかく一緒にお昼でもという目論見はもろくも消え去り、帰る途中の中華料理屋で一人寂しく昼食を食べたのでした。
ところで家に帰ってパソコンを確認してみると、ヨイショからは欠席のメール。さらに2年ぶりぐらいのship-doorさんからは出席する予定だったけど、あまりに風が強いのであきらめたとのメール。根性なしです。
もしかしたら誰も行かずに無断キャンセル?
システムで確認してみると利用料は支払ってあったので森の熊さんは行ったみたいです。ひょっとすると一人だけだったかも。
どうも我がクラブの活動も、高齢化の進展とともに、もはや風前の灯火かも
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「美しいものを見に行くツアーひとり参加」益田ミリ

2019-01-26 07:08:14 | 
益田ミリという人は、その漫画の雰囲気とは違って好奇心旺盛です。
以前は「47都道府県女一人で行ってみよう」という本を出しているのですが、いかに独身の気軽さと言っても一人で全国47都道府県を制覇するのは大変なこと。実は私もこの本を読んでから47都道府県を制覇しようと、齢62にしてやっと47都道府県を全部回りました。最も全部の都道府県を宿泊した訳ではなくて佐賀県、富山県、群馬県、茨城県は日帰りというか滞在しただけです。まあ、それぞれ武雄温泉、宇奈月温泉、伊香保温泉などがあるので泊まってみたいと思っています。え、茨城県は?温泉なかったかな?
閑話休題。
今回は益田ミリも世界に飛び出します。

一回きりの人生だから、行きたいところへ行き、見たいものを見て、食べたいものを食べるのだ。
でも、海外の一人旅って、迷子になる、危険、不安がいっぱい。
ご安心ください。ツアーに入ればいいのです。一人で申し込むとその分の高くなりますが、添乗員付きのツアーなら安心して行くことができます。
ということで訪問先は
1 北欧オーロラの旅(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)8日間318.000円(以下いずれも一人部屋追加料金込み)
2 クリスマスマーケットの旅(ドイツ)5日間165.000円
3 モンサンミッシェルの旅(フランス)7日間234.900円
4 リオのカーニバルの旅(ブラジル)8日間955.350円
5 平渓天燈祭(台湾)3日間132.250円
の5か所。
案内なしの一人ではとても行けないところもあります。基本は出発から添乗員がついて行くツアーです。ブラジルを除けば1人部屋を追加してもそんなに高いものではないので何とかなりそうなツアーばかりです。
ところでツアーのお客さんはいずれも女性客が圧倒的。夫婦連れがちらほら。全体に高齢者が多いみたいですが、ひとり参加の女性もいる。でもひとり参加の男性はほとんどいないみたい。いかにも訳ありの変な人と見られそうでちょっとハードルが高いよね。
それにしても高齢の日本女性の何とアクティブなことか。ツアーで一緒になった一人旅の人で世界各国を行っている人もいて、行く気になったら一人でも歳は関係なくいつでも行けるということです。
それぞれ旅先でよかったこと困ったことなど自分で体験したことが詳しく書いてあって、これからツアーに行こうかという人には、いいガイドブックになります。もちろん私のように海外旅行で一人旅はちょっとと思っているものでも読んで十分楽しめます。
写真やイラストも豊富で、ちょっとした工夫とかあったら便利なものとかも披露してあります。中には危うく難を免れたのですが、子どものスリにあった時の話も。

旅先で食べたもの、機内食あれこれに、お土産で買ったもの、防寒対策で着込んでいったものと詳細です。

ツアーの場合バスの移動が長いのですが、バスは空調完備の立派なバスなのですが、トイレ休憩の時は女性が多いだけに出遅れると長く待つ必要があって結構厳しい戦いになるとか。そのため一番いい席はドアに一番近い席に…その点男はいい。でも外国の便器の位置は高くて足の短い私はちょっと困惑することが多々あったのですが。
因みに海外ツアーの場合、国内と違って、みんな添乗員さんの言うことをよく聞き素直です。時間にも遅れることはありません。まあ、勝手な行動を取ったり遅れたりして一人になってしまえばパニックですからね。
まあ、私は飛行機に長時間乗るのは苦手だし、外国語は全くダメ。パスポートも切れてしまって、国内で十分と思っているので海外一人旅は行くつもりはないのですが、かみさんにはこれを読ませないようにしないと…
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1月19日東山公園テニスコートの後は3人で「浜木綿」

2019-01-23 20:52:11 | テニス
終わって歩いて「浜木綿」へ。
さすがにこの時間だと待つこともなく席に案内されるのですが、案内された一角には驚いたことに既に先客が2組いました。
まずは、とりあえずの生ビールで乾杯。

料理は全くのワンパターなのですが、森の熊さん好みの青菜炒め。

まあ、自炊生活だとどうしても野菜が不足するのですからね。
いつもとちょっと変わったところで、鶏とカシューナッツの宮保炒め。どう読むのかわからないので聞いてしまいましたが、「クンポー」と読むみたいです。

生ビールがなくなってしまうので、次は瓶ビールを2本。

餃子を2人前も忘れずに注文。

この店の餃子は確かニンニク入りかどうか指定できたはずですが、何も聞かれることもなく、当然のようにニンニク入りが出てきました。まあ、そういう雰囲気だったんでしょう。
ここでわたしが持参してきたサービス券で桃まんじゅうを出してもらいます。

小豆餡ではないみたいですが、私は餡は苦手なのでパス。
ビールがなくなったので瓶ビールを2本追加。
〆はどうしようかとなって香港式焼きそばに。

どこが香港式かはよくわからないままビールを飲みつついただきます。
お勘定は8078円。

1人2500円で、細かいのがあったヤッターマンが80円出し、足りない分500円は基金から出しました。
終わって山手通りからちょうど程なく来たバスに乗って帰ったのですが、バスに乗っているうちにどんどん尿意が切迫してくる。バスに揺られるのがいけないのか、必死の思いで池内町まで行き、慌ててイオンまで駆け込みました。
この日はビールばかりだったし、お店でトイレに行ってなかったからな~バスの時間が空いているのならトイレに行っていたと思うのですが、運よく?バスはすぐ来てしまいました。人間ふたついいことはないもんだ。
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1月19日東山公園テニスコート

2019-01-21 20:34:15 | テニス
この日は朝からいい天気
気温は低めでも風もなく南のリビングルームで太陽に当たっているとポカポカ。暖房をつけなくても20度を超えています。

ところがはげ親父からはいい天気だけど研修の予定があるので欠席のメール。実は19日20日と連続して予約が取れたのでどちらがいいかと聞いたのですが、はげ親父は19日の方がいいとの返事。森の熊さん、1059さんはどちらでもいいだったのですが、えみちゃんは業界団体の会合があって20日がいいでした。結果、19日にして、20日の瑞穂公園テニスコートはカバちゃん一家に譲ったのですが、そのはげ親父が来ない。1059さんもかみさんとおちょぼ稲荷へハイキング。
となるとこの日は参加者はいるのか?
不安な気持ちのまま、支度をして13時40分には家を出ます
池内町からバスで妙見町まで行きコートに着くと森の熊さんとヤッターマンが二人で乱打をやっています。
やっぱり3人だけかと思いつつ乱打に入れてもらいます。
ところが諦めかけていたら有難いことにカバちゃんが登場。後光は指していませんでしたが、いつもより頼もしげに見えた次第。早速乱打に入ってもらいます。
ストローク、ボレーとたっぷりやって休憩に。
しばらく休んで試合に。じゃんけんをするまでもないので、適当に組み合わせてやります。
最初は、カバちゃんと組んでヤッターマン、森の熊さん組と対戦。結構伯仲したいいゲームが続いたのですが、なぜか結果は0:4の完封負け。毎度ながらの詰めの甘さというか勝負弱さなんでしょうか。
続いては森の熊さんと組んでカバちゃん、ヤッターマン組と対戦。この試合は最初のヤッターマンのサービスゲームだけはデュースを重ねて、お互いに商機がある白熱したゲームでしたが、それ以降は淡白に負けてしまい、またしても0:4の負け
なんだかな~
4人なので絶えず試合に出なくてはいけないので休む時なしなのですが、今度はヤッターマンと組んでカバちゃん、森の熊さん組と対戦。
続いてはヤッターマンと組んでカバちゃん、森の熊さん組と対戦。ここはヤッターマンの頑張りで3:1で勝利。でも完封勝ちとはいかないのが私の至らなさ。
また組み替えても同じ組み合わせができるので、次の試合もヤッターマンと組んで再戦。みんなそろそろ疲れが出てきてミスをしだすのですが、相変わらずヤッターマンは元気。結果この試合も3:1で勝利。トータルでいえば6ゲームを先取したということですね。
この時点で4時ちょっと過ぎ。もう1試合は余裕でやれるのですが、疲れたのか森の熊さんは早くもコートブラシを持っています。一応4試合やったし、ここらでもう十分ということでコート整備をして終了にします。お疲れさま。
それでは3人でいつもの浜木綿に行きましょう
因みに20日の瑞穂公園テニスコートは10時30分からだったのですが、天気予報通り雨。19日にテニスをやって結果オーライだったのでした。
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「老人の壁」養老孟司 南伸坊

2019-01-19 07:20:33 | 
いや~、笑いました。
新書本で200ページばかりの本ですが、笑いながらあっという間に読んでしまいました。

昆虫マニアで、趣味が高じて自宅に電子顕微鏡まで買いこんだ養老先生。イラストレーターで67歳(2016年現在)と高齢者となった南伸坊の二人による歳をとるということ周辺をテーマにした対談です。まあ、ほとんどが養老先生の独演会で南伸坊がうまく話しの合いの手を入れつつ引き出している感じです。
自分も今年2月でいよいよ高齢者となるので、身につまされるというか、そういうことだろうと思う次第。
ところで全く関係ないのですが、お二人とも、猫派。養老先生曰く「ぼくはもう猫のいいなりですよ!「」
飼っている猫についてからいろいろと話が弾むのを読むとこちらまで飼ってみたくなります。
猫は社会性動物ではなくて、人間が親代わりになることで、猫はいつも一人でいるようになった。人間が親として飼うようになって親離れしないようにしてきた。いつまでも人間が親で、猫は子どもでいる。だから可愛いんです。これは養老先生の卓見です。
まあ、全体に養老先生のお話が爆裂する感じ。
健康診断は行かない。健康診断は受けても受けなくても平均寿命は変わらないという調査結果だそうです。血圧はと聞かれると「ありません」と答えている。何でかというと「測っていないんだもん」
余命宣告は死者の責任が問われると困るのでだんだん短く言うようになっている。先日放射線科の医師が「今に明日って言うようになります」って。
養老先生は虫マニアですが、何が嫌いってゲジゲジが一番嫌い。クモもダメみたいです。私たちから見ると虫という範疇なんですけどね。そう言えば北杜夫もクモが嫌いって言ってました。
解剖学者の知識から医学的なこともいろいろ言うのですが、内臓の痛みというのは脳の中にきちんと場所がないので、心筋梗塞とか狭心症の痛みは左肩から左腕に放散する。胸が痛いなんて言っているのは、心臓が痛いんじゃない。十二指腸胃潰瘍は痛くなる場所が決まっていて、小野寺の圧痛点とか言う背中とか。胸痛で一番多いのは肋間神経痛。あまり心臓とは関係ない。痛みを感じることと痛みが苦痛だということは別。痛みを苦痛ととする脳の部位は、脳の中の「前帯状回」ていう場所で、そこを麻酔してやると痛みははっきりわかるけど苦痛ではなくなるとか。
「一億総活躍社会」などというが、誰かが活躍したら誰かが突き飛ばされます。世のため人のためって無駄に動き回る人がいっぱいいる。普通のその人が活きる社会、同じスローガンなら「一億総じっとしている社会」の方がしっくりくる。う~ん、青臭いけど「人生とはなにか」「社会とは何か」ということを考え直さないといけないのか。
老人が何で結構お金を持っているのかっていうと、「いざていうときのため」と言うのだけど、「いざ」ってあなた、死ぬだけだろうって。これは激しく同意。「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」って全部先送りして、生きそびれているのでは。寿命が伸びたから幸せになったのかということです。
終活などと言われているけど、死んだ人が、生きてる人にあれこれ指図するなんて生きてるうちにちゃんとしていない証拠。生きてるうちにやることやっているんだから、死んだ後まで面倒見させられたら、たまったものじゃない。養老先生、遺言はしないと啖呵を切って言います。死んだ後のことは生きてる人に任そうと。因みに膨大な虫の標本は虫好きの専門家に渡すことになっているとか。
介護ってひとくくりで言っても、みんな全然状況が違うから「こうじゃなければならない」ってない。「距離感がある」ということは大事です。適切な距離をとるっていうのは、年をとったら知っていなきゃいけないことでしょう。家族だって近すぎてはいけないんですよ。その距離感を取るのが結構難しんですよね。
子どもに抗生物質をやると細菌叢が変化する。おかげで何が起こったというと自己免疫疾患です。花粉症から始まって喘息、Ⅰ型糖尿病、自閉症。これらは養老先生が学生の頃は全くなかった。これは寄生虫の研究で有名な藤田先生に言わせればあまりにも清潔になりすぎたからなんですけど、どこかつながった議論かも…
ものの見方は一本足では考えると危ないので複数の物の見方を持っていないと。複眼で考えなさい。河合隼雄先生なら「さて、ふたつよいことはないものよ」と言うんですよね。
趣味というのは、世の中の役に立たないもの。それでいいんです。修行と同じ。修行というのは自分を完成させるための作業。一番いいのは比叡山の千日回峰。あんなものやったって誰も儲かりません。GDPが増えるわけでもない。だけど何が残るかって、「本人」が残るのです。それが「作品」ということです。う~ん、そういわれると身もふたもない気がしますが、妙に説得力もあります。
こんな具合で笑いながら老人の心構えができる本です。

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1月14日鶴舞公園テニスコートの後は

2019-01-17 07:43:14 | テニス
終わって森の熊さん、1059さんと一緒にお昼を食べに行くのですが、この日はいつもの紫禁城ではなくて「気晴亭」に行くことに。
この日はミカちゃんがいなかったのですが、多分はげ親父が連絡を忘れたと思います。テニスラケットを持っていけばryuちゃんになんで教えてくれなかったのと言われそうでした。さらに私は前日の夕飯が鍋でしたので、いつもの火鍋は食べる気分でななかったこともあります。
ということで、気晴亭まで歩いていきます。

12時前なので待つこともなく席に案内されましたが、先客が2組ほど。
取りあえず瓶ビールを2本。
ビールなのですぐに出てくるかと思いきやなかなか出てこない。

でもおつまみの豆がついていました。
一先ず乾杯しましょう。
まずは早そうなところで枝豆とオニオンサラダ。


結構量があったので1人前で十分。
従業員の数が少ないのか、周りのテーブルは何も出ていない。
こちらも一緒に頼んだ串カツが出てこない。
先客のところにやっと料理が来たと思ったらこちらにも串カツが出てきました。
ソースが3本

味噌が3本

料理も来たし、今度はワインにしましょう。

チリワインの赤。結構飲みやすいワインでした。
飲みながら話していたのですが、来週の19日は1059さんはかみさんも一緒におちょぼ稲荷へハイキングだそうで、いろいろ言っても夫婦仲はいいのです。でも19日はえみちゃんは業界団体の会合で欠席だそうですし、参加者がいるのでしょうか。
ここへ来たのなら「まんざ」も頼まないとね。

お昼になると予約していた客が来たのですが、香港からか。年配の店員さんが中国語がペラペラだったのでびっくり。インバウンド対策でそういう人材を配置しているのか。私たちの座っていたテーブルがネットに出ていたそうで、その店員さんに案内されて見に来ていました。
隣のテーブルでカキフライを食べていたので、美味しそうでしたし負けずにこちらも食べましょう。

さすがにもう1本ワインをあける気力はなくてこれで終了。
会計は7962円。私が2900円に1059さんが2562円、森の熊さんが2500円でした。
いつものように図書館のトイレでマーキングしてから、この日は実家まで歩いていき、一休みしてからディサービス替わりに母をバローまで連れて行って買い物。
家に帰ると疲れてそのままソファーでダウンでした。
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1月14日鶴舞公園テニスコート

2019-01-15 20:40:50 | テニス
穏やかないい天気です
雲一つなく晴れているのですが、風も微風。
こんないい天気ですが、ヤッターマンからはインフルエンザの後遺症で体調万全でないので欠席とのメール。お大事に。
3連休なのでどうしても朝が遅くなるのですが、適当に支度をして8時40分には家を出て金山へ。9時6分発の快速に乗って鶴舞へ行きます。
この日のコートはAコート。森の熊さんとえみちゃんとカバちゃん1号2号といます。
後で確認したらはげ親父はケアマネの研修とやらで欠席とか。
ヨイショ方式の乱打をやっていると1059さんが遅れてきました。結局この日は6人でした。
暫く練習をしてからじゃんけんして試合に。
この日は男3人に女3人だったのでそれぞれが順番を決めてミックスペアの試合にします。
最初の試合はえみちゃんと組んで森の熊さん、カバちゃん組と対戦。この試合なぜかえみちゃんはミスを連発。サーブは全くまともに入らなくてあえなく1:3で敗退。う~ん、正月孫の世話で疲れてしまったのか。
続いてはもう一度えみちゃんと組んで1059、カバちゃん2号との試合に。この試合は一進一退の展開だったのですが、最後は私がミスって、またしても1:3に。なんだかな~
観客席の陽だまりに休んでいると暖かくて、前回は風が強くて寒かったしテニスにはならなかったので、みんなで今日はいい日だと言いあいます。

本当に雲が見当たらないんですよね。成人式で晴着の人もいい気分でしょう。でもいつも昭和区の成人式は公会堂でやるのですが、いまだ工事が完了していなくてこの日は晴れ着姿の人を見ることはありませんでした。
一休みしたら組み替えて試合を続けます。
今度はカバちゃんと組んで1059、えみちゃん組と対戦。この試合は伯仲した展開になったのですが、最後に粘れきれずに2:2の引き分けに。冬の太陽は低いので南向きだとボールが上に上がれば太陽が目に入ることもあって見失ったりしてサングラスをすればよかったのですが、普段眼鏡をしていないとどうも違和感があって家に置いてきてしまったんです。
続いてはもう一度カバちゃんと組んで森の熊さん、カバちゃん2号組と対戦。この試合も伯仲した展開で最後のゲームを取れそうだったのですが、肝心な時にミスしてしまい、結局2:2の引き分けに。落ち着いて打てば取れたかもしれないゲームだったのに…
この時点で11時30分過ぎ。組み替えてもう1~2試合出来たのですが、森の熊さんは試合が終わるとコートブラシを取りに行って、さっさと終わるつもり。みんなももういいかとなってここでちょっと早いけど終了。
男3人で、食事(飲み会?)に行くことになります。
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「永遠のおでかけ」益田ミリ

2019-01-12 07:06:07 | 
タイトルで何となくわかるけれど、この本は益田ミリの父親が亡くなるまでとその後ことを綴ったエッセイ。
読んでいると自分の父のことが思い出されて、ああ、この感覚はわたしだけではなかったんだと感じられます。父は亡くなってもう丸6年たちますが、その頃の記憶を呼び起こしてくれました。

以前このブログでもレビューを載せましたが、「オトーさんという男」に書いてあるように、著者は父親とは必ずしも仲が良かったわけではない。
どちらかというと苦手な相手?短気ですぐにかっとなる。おだてられるとうれしくなる単純な人であり、不器用で、勤勉で努力家。まじめな人。でも金にはきれいでケチではない。
こんな風に娘に書かれると当人はどう思うのだろうか。案外喜んでいるかも。著者の本や連載はちゃんと読んでいたみたいだし。
エッセイは叔父の死から始まり、その後程なくして父の入院とがんのステージ4が告げられる。
私も経験があるが医師は家族を呼んでパソコンを見ながら至って淡々と事実を説明する。
告知をすべきかどうか、家族3人で話し合い告知をすることにしたのだが、結果、検査や治療はもう何もしたくないのでと翌日に退院。
離れて暮らしていることをいいことに著者は父の死を前にしても仕事をし、買い物をし、カフェで本を読んだり、普段と変わらない時間は流れるのです。でもひょんな時にこみあげてくるものがあるんですよね。何が進行していても日々の生活は流れていくんだけど、突然思いが押し寄せてくる。この感覚は分かるな…
たまに実家に帰ればコンビニにまで付き合って、おでんを買う。父に買ってもらうのはこれが最後かもと思いつつ。
退院後は睡眠と食事以外はしなくなっていたので、「語り」というイベントを盛り込もうと取材として父の話を聞くことに。聞いてみると記憶が数珠つなぎに呼び起こされるようで、メモがいっぱいになるくらいに話す。
そう言えば私は父の一生の来し方を聞いたことがあるのだろうか。父は大正生まれの男子の性で無口だった。こちらから聞いたこともないし、話もしなかった。でもお酒を飲んだ時だけは機嫌がよくなると軍隊時代の話をよくしていた。なぜか通信兵として偵察飛行機の百式偵に搭乗していたとかで、偵察飛行にも何回も行ったけれど一度も敵に遭遇しなかったとか。これはすごく幸運なことみたいで、敵に遭遇すると大抵撃墜されて生きて帰れなかったみたい。でも家業の自転車屋を継ぐにあたってどういう修業をしたとか、どうやって仕事をしてここまでやってきたとかは聞いたこともない。母からは愚痴らしきものはいろいろ聞きましたけどね。父に人生を話してくれと言ったらどう反応したのでしょうか。ちゃんと一度聞いておくべきだったかと一寸後悔しています。
著者が帰省するたびに父の話を聞き、昔の思い出を呼び起こしているのだが、小さな部品が、少しずつ外れていくみたいに、調子が悪くなっていく。帰り道に涙がこぼれるのですが、わたしも見舞いに行くたびに父の具合が悪くなっていくのを見て帰り道に涙がこぼれた経験があります。
程なく自宅の自分の部屋で母の手を握りながら息を引き取るのですが、著者は死に目には会えなかった。待っていてほしいと思うのですが、でもそれは父の人生だから誰かを待つとかでなくていいと思いなおしています。
実は私の場合、父はかなり危ないので入院させようとなったのですが、当日は土曜日でも仕事が入っていて職場にいました。急変したとの連絡を受けて駆け付けたのですが、もう無駄な蘇生術をしている状態。家族の了解があれば中止しますというので結果私が中止を言い、引導を渡したことになりました。無駄なことはしないで淡々と宣告してくれればよかったのですけどと今でも思っています。
どうも本とは関係ない自分のことばかりを書いてしまっていますね。益田ミリの本はほんわかした雰囲気の文章が心の底に眠っていたことを引き出してくる力があるみたいです。
ところで人が亡くなると残されたものは後始末に奔走しなければいけません。葬儀会社との交渉とかいくら質素にと思ってもなかなか一番安いものでとは言いにくいものです。銀行口座の手続きもわざと意地悪しているかと思うぐらい。著者も相続専用電話で聞いてくれと言われ支店の銀行員に泣き落としをしている。私も三菱UFJ銀行の支店まで行ったのに電話の専用窓口の担当者の言うことに従ってくれと言われ、ムカついた記憶があります。それでも一通り事務仕事が過ぎると何かの折にふと思い出があふれ出ることがある。残された母との交流の中にも背景には父の生きざまがあって自分の人生にも気づかないうちに投影されている。でもそれが自分の人生を生きているということ・・・
150ページほどの本ですが、激しく共感できるところも多々あり、ほんわかと心動かされました。
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1月5日瑞穂公園テニスコート

2019-01-07 15:03:22 | テニス
今年のテニス初めは5日。
例年だと正月3が日のうちに1回はやるのですが、今年は穏やかな正月3が日でした。
5日は晴れの予報だったはずが、朝から雲が低い。路面は濡れていた。午後からは晴れる予報なんですが、お昼でもいまだ曇っている。

まあ、雨は降りそうもないからいいか。
13時30分過ぎに家を出て歩きだすと気温はそれなりにあるのか汗ばんでくる。
コートに着くと丁度ヨイショにあったのですが、マスクをしているので誰が誰かわからず、しばらくは挨拶を返せませんでした。
コートには森の熊さんがいて、やがてヤッターマンも登場。
前の組が早めに終わってコートが空いたので4人でボレーとストロークの練習を始めます。
程なくはげ親父も来たので5人で同じ練習を続けます。
練習をしているうちに気が付いたのですが、この日の私は絶不調。まともにラケットにボールが当たらない。実力通りという説もありましたが、正月の酒浸りの生活が災いしたのかも。
一回りした頃に久しぶりのBBさんが登場
ここでヨイショがBBさんを相手に個別指導。コーチ役が楽しいのか結構一生懸命かつ厳しく付き合っています。
そのうちにカバちゃんも登場して、新年最初のテニスは7人と結構盛況でした。
練習を終えたら、恒例のじゃんけんして試合に。毎度ながらじゃんけんはなかなか決まらないのです。
最初の試合はヤッターマンと組んで森の熊さん、カバちゃん組と対戦。最初のゲームは私のミスだけで落としてしまいこの先どうなるかと思いましたが、相変わらずヤッターマンの守備範囲は広く、私も多少調子が上向いてきて3ゲーム連取の3:1でした。
ところで、昨年までクラブハウスの撤去工事でガンガンやっていたので1番2番3番コートは粉じんが飛んできたのですが、すでに撤去は終了したようで重機が静かに止まっています。

結構北風が強かったので、斫り工事があったら、被害甚大だったと思いますが、よかった、よかった。
次の試合は森の熊さんと組んでカバちゃん、はげ親父組と対戦。相変わらず調子は上向かずにボールがうまくラケット面に当たりません。そう言えばこのところ視力が落ちているからな…今朝はなぜか血圧高めだったし…どうも嫌なことばかり連想します。
2ゲームを連敗してここから1ゲームを取り返し、何とか引き分けに持ち込みたかったのですが、あっさりミスって1:3の負け。
風強かったしな。この頃になると雲が切れてきて、そうなると冬の太陽は低くて、この時間帯は西を向くと眩しくてダメなんだよね…

まあ、いい訳ばかりです。
最後の試合はヨイショと組んでヤッターマン、BBさん組と対戦。ここは足の動きがイマイチのBBさんの弱点をついて、ヨイショの叱咤を受けつつ、何とか3:1としました。
この日は正月休みで下の子が帰省しているので我が家はすき焼き。はげ親父は車だし、ヤッターマンも用事があったみたいで、ここで解散。どうも正月はみんな忙しいみたいです。
因みにお肉は宮崎牛で、年末から冷凍庫に入っていたもの。

いつ食べるかというとかみさんは下の子が帰ってきたらすき焼きにするというので保管していたのですが、ひょっとして帰ってこなかったらあの肉はいつ食べていたのか。ほかにも鰻とかフグとかもあって、正月は帰ってこないとなったらどうなっていたのか。
まあ、正月の飽食と鯨飲の報いが、この日の動けない、ラケットに当たらない、目測を誤るという結果になったのか。因果は巡る…
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「名古屋円頓寺商店街の奇跡」山口あゆみ

2019-01-03 10:23:46 | 
その昔、佐藤B作が司会をする「とB作のカラオケ一番街」(違っているかもしれませんがこんな番組名でした)という番組があって、雁道商店街と円頓寺商店街が対抗でカラオケ合戦をするというときがあった。私の友人も雁道商店街を代表して出演したのだが、その頃は、雁道商店街も円頓寺商店街も斜陽で勢いが衰えていた商店街だった。
ところが今その円頓寺商店街が奇跡の復活を遂げ、こうして新書にまでなっている。

これは読むしかないでしょう。
円頓寺商店街も一時は時代の波に取り残されシャッター商店街となっていた。とにかく商店街を人が歩いていない。
でもそこに大曽根出身でひょんなことから三味線と長唄のお師匠さんに弟子入りすることになって、円頓寺商店街に通い続けることになり、この寂れた商店街を何とかできないかと活動し出すキーマンがいた。その人は建築家の市原正人さん。
商店街に人通りがなくても、食事に行こうとしたり飲みに行こうとするとどこの店も結構お客がいっぱい。それなら繁盛する店を増やしていいけたら商店街に人が戻ってくるはず。その思いで仲間を募り円頓寺界隈を盛り上げようというプロジェクトを作る。さらに2007年にはみんなで円頓寺界隈を盛り上げようと「那古野下町衆」というボランティアグループを作って活動していく。
やがて活性化を妨げている最大の原因は空き店舗の増加と痛感。新規に開店する店はさっぱりなく店主の高齢化とともに店を閉め、古い店舗が取り壊されていく。
そこで市原がリーダーになって「空き店舗対策チーム」ができる。試行錯誤の末「ここに来ないと出会えないもの、味、空間、人を備えた店」を誘致するために勝手に青写真を描いて、空き店舗の所有者のところに行って半分押し売りのように貸してくれと話しに行く。こういう魅力ある店がここにできると、街も変わってくるとビジョンを語る。もちろんそこでは商店街の役員さんたちの人脈と口添えも大切なのだが、そうやって突破口を開いて行った。
因みに最初の一軒目は2010年に成立した市原自身の店。自身も商店街の一員としてリスクを負って一緒に再生の努力をしようとしたのです。このパワーというか思い入れはすごい。ボランティアで始め云われなき中傷も受けた中で、ここまでのめり込みくじけない根性は並大抵ではない。街づくりは「バカ者」「よそ者」「若者」が活躍しなければうまくいかないと言われたりするが、「よそ者」と「バカ者」を一人で担っている。
ところでその店は実質市原の奥様の経営する「ギャルリーペン」でエッジの効いたセレクトショップ。メディアに取り上げられるようにプレスリリースして取材を依頼した。同時にスペイン食堂「バルドゥフィ」も誘致したのだが、どちらも話題作りに成功して、繁盛店になっていく。遠くからのお客やリピータが来て円頓寺商店街自身も見直されていく。
この成功体験が後押しして、空き店舗、空き家のマッチングも進みだし、年間2~3件の新規開店ができるようになってくる。中でも一番の出色は川伊藤家の歴史的建造物である大きな古い蔵をリノベーションしたもの。あの「空」でおなじみの関谷酒造の経営するSAKE BAR「圓谷」。今では予約が取れにくい店として有名ですが、この話を伊藤家に持って行った時は本当に恐る恐るだったとか。でも案に相違して伊藤家は「こういう提案をずっと待っていたんです」という返事。古い建物をうまく活かしたかったんですよね。
うまく動き出すとどんどんいい循環が生まれていきます。アーケードに太陽光発電も乗っけて改修費をねん出していくとか伝統の七夕祭りの他にパリ祭を行うとか、いずれもうまくいっています。まあ、なんで円頓寺でパリ祭かとは今でも思っていますけど。
途中経過は読んでいただくことにして、空き家・空き店舗再生プロジェクトで生まれた店は10年で26店。閉店した店は2軒だけ。残っている店はどれも繁盛店になっている。空き店舗の賃料は倍以上になっている。新規出店希望者も多いみたい。名古屋の3大商店街言われていた円頓寺商店街は見事に復活しました。現場ではいろいろな不平不満とか葛藤とか試行錯誤はあったと思いますが、総じてうまくいっている時はすべてを飲み込んでしまって顕在化しなくなっているのでしょう。
ところで私の地元の雁道商店街というともはや末期的状況。何とか営業している店は20軒足らず。人通りはないけど店に入れば満員という店もない。シャッター商店街から駐車場商店街になってきている。昔は近隣に工場が多くて、工員さんたちやらが飲んで食べてだけでなく、職住接近で家族も近くに住んでいたので毎日の買い物にも来るので人通りが絶えなかったのに、工場が移転し、郊外に引っ越す人が多くて地元には高齢者しか残っていないという状況では如何ともしがたい。愛着はあるのですが、地理的条件も厳しいので繁盛店は出てこないでしょうかね。と、できない理由ばかり考えていては一歩も進まないのですけど…どうしたもんじゃろな~
結局家業を三代目でつぶしてしまった身としては苦い思いと共にいろいろと考えさせられてかつ読み物としても面白いのでお勧めです。
ところで一緒に写っている「こわいもの知らずの病理学講座」は三分の一ぐらいは雑談的な話ですが、それが魅力。でも結構専門的な話を分かりやすく解説しています。ちなみに今年ノーベル賞を受賞した本庶先生は著者の京大時代の指導教官で近いうちのノーベル賞受賞を予言していました。
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