怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

4月28日東山公園テニスコート

2018-04-30 07:08:27 | テニス
全国的に晴れ
天気予報では予想最高気温は26度で熱中症に気を付けましょうと言っています。
いつものように9時40分に家を出て池内町のバス停へ。バスで妙見町へ行きます。
妙見町で降りて歯医者さんの壁についている気温計を見ると25度。少し風はあるのですが、暑くなりそうです。
この日のコートは2番コート。ホワイトボードを見るとATCが2面使うと書いていある。

うん?
ちゃんとACTも書いてありました。
コートに行くと既にヤッターマン、えみちゃん、はげ親父、タケちゃんマン、1059さんに森の熊さんがいます。準備運動してから入れ替わって乱打に入りましたが、その頃カバちゃんも登場。
この日は総勢8人の盛況です。
乱打を一通りやったら、じゃんけんして試合に。人数が多くてなかなか決まらないのでグッとピーでまずあらこなししてからじゃんけん。結構面倒くさくて自分が何番か分からない人が出てくる。
最初の試合はカバちゃんと組んで1059、タケちゃんマン組と対戦。タケちゃんマンはファーストサーブが失敗すると下から打つのですが、これがイマイチ正確性を欠いてダブルフォールトになる時も。1059さんの落とそうとする小技も切れも悪くて一進一退の展開で結局2:2の引き分けに。まあ、最初はこんなもんか。
休憩中は暑いのでコート外のベンチで休みます。

気温を見ると27度。暑いわけです。でも日陰にいると風があって気持ちいい。まだまだいい気候です。
次の試合はタケちゃんマンと組んでカバちゃん、1059組と対戦。この試合も一進一退のデュースを重ねた試合でしたが最後のゲームを何とか粘り勝ちして3:1で勝利できました。
休憩時間に1059さんと話していたら最近背中が痛くて回らないとか。どうやら骨とか筋肉ではなくて神経系みたいで整形にかかってもよくわからなかったとか。飲みすぎるといけないのでこの日は終わったらすぐ帰るということでした。
はげ親父は風邪を引いたとかで2試合にやったら早退します。どうもそろそろ健康高齢者の年齢限界に近付いてきたのか…
最後の試合は1059さんと組んで、カバちゃん、タケちゃんマン組と対戦。3試合目になると高齢男性陣はへばり気味でお互いにミスを重ねて2:2の引き分けに。
はげ親父が早退した替わりにカバちゃんに連続して試合に入ってもらい、その試合が済んだら12時15分でしたが、早めに終了しました。
この日は森の熊さんも何故かそのまま帰るというのでお昼を食べるのは3人だけ。えみちゃんに八事まで乗せて行ってもらうことにしました。
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衣笠祥雄と江夏

2018-04-25 22:21:49 | Weblog
鉄人衣笠祥雄が逝った。71歳というのはあまりにも早い。
衣笠の印象で残っているのはオールスターで見た山本浩二との連続ホームラン。これはリアルタイムでテレビで見ていたのですが、その年の広島カープ初優勝のまさに予告編でした。
でも衣笠と言えば状況をあまり考えることなく常にフルスイングで三振かホームラン。その風貌からも鉄人というより野人という印象!
江夏との絡みで言えば、日本シリーズでの9回裏ノーアウト満塁でリリーフの準備を見て頭に血が上った江夏をファースト衣笠が駆け寄り落ち着かせたことが有名ですが、私の記憶に残っているのは違うエピソード。
まだ江夏が阪神にいたころ、広島との試合で2アウト満塁でバッター衣笠。3ボール2ストライクで江夏の投げた高めのボール球に衣笠はフルスイングして三振。
実はこの後江夏は阪神から南海にトレードされるのですが、大もめに。時の南海野村監督が江夏に会うことになったのですが、その時野村はトレード絡みの話は一切せずに、開口一番、あの時衣笠に投げたボール球はわざと投げたんだろうと聞いています。江夏の答えはもちろん「イエス」
確かその時押し出しならば同点、ワンヒットで逆転かもという時だったのですが、江夏は衣笠の性格を読み切って高めのボール球で絶対に衣笠は振ってきて三振にできると思っていたのです。
広島ファンにとっては「あちゃ~」ですが、フォアボールなど考えもせずにフルスイングする衣笠には野人の魅力があります。記録もとてつもなくすごいですが、記憶に残る選手です。
そんな衣笠だから江夏は広島で肝胆相照らすことになったんでしょう。
でも、広島でもその他のチームでもコーチなり監督になることがなかったのは、その性格では仕方なかったか…
それにしても亡くなるほんの数日前にも解説の仕事をしていただなんて、突然死ではなく癌の進行を知っていたとするとまさに鉄人です。野球の仕事が本当に好きでやりたくて仕方なかったんでしょうか。
ご冥福を祈ります。
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「本当は中国で勝っている日本企業」谷崎光

2018-04-24 20:56:15 | 
中国経済については不良債務が山ほど隠れていて不動産バブルがはじけて今にも崩壊するという議論がひところ盛んに書かれていたのですが、予想(期待)に反して、習近平独裁体制は盤石で経済も巡行スピードで推移していてで崩壊する兆しはない。GDPでは日本などはとっくに追い越しアメリカに追い付き追い越すのも時間の問題かも・・
中国は13億人の人口を抱え国土も広い。農村部と沿海都市部とではとても同じ国かというほどの格差があって、それを共産党独裁体制で必死に統合しているのでしょうが、発展著しい沿海都市部だけを見れば、物価も日本より高いくらいで住民の生活も豊かになっている。
まあ、沿海都市部だけでも日本の倍以上の人口があるのですからそのマーケットは大きい。そんなマーケットを取り込むべく日本企業もたくさん進出してきたのですが、国情の違いもあってあえなく撤退した企業も数多。死屍累々というところです。
でもそんな中国で、爆売れして勝ち組となっている日本企業もたくさんあります。
この本はそんな企業が中国進出してから勝ち組となるまでの苦労と成功の秘訣を取材したものです。

著者は「中国てなもんや商社」というベストセラーを書いているそうですが、当初はダイエーと中国の合弁商社に勤め、北京在住17年(2017年現在)とか。女性ということからか企業のトップとも親しくインタビューしていて本音を聞き出しています。
取り上げられている企業は「三菱電機」「富士電機」「伊勢半」「キューピー」「良品計画・ユニ・チャーム・名創」なのですが、その他にも自動車関連ではトランミッション、ベアリング、車載電池などの自動車部品は日本企業が売りまくっている。高速鉄道関連も中国が製造と言っているが基幹部品は日本製部品だったりする。これだけ深く食い込んでいると中国経済崩壊を期待などしていたら日本も大やけどを負うかもしれない。
三菱電機の中国での売り上げの一番はエレベータ、二番目はFA(ファクトリーオートメーション)。中国での人件費上昇は著しく、工場での効率化が急務になっている。製品だけでなくコンサルトをしつつ総合的な効率化を売っていく。そこでは中国のやり方と格闘し政治の力とも格闘しなければならない。立ち上げからここまで来るのにいかばかりの苦労があったのか。
富士電機は中国で何を売っているかというと自動販売機。中国では自販機の機械が信用されておらず、どうかすると壊されたり機械ごと盗まれてしまうので普及していなかったのですが、スマホ決済できるようになり、商品価格なども本部から遠隔操作できるようになるとすごいスピードで普及し出してきた。このスピード感は中国ならではのもの。自販機と言えども細かなノウハウと細部の丁寧な仕事がいっぱいで中国企業のコピー商品では対応できないとかで、今やイケイケどんどん。
伊勢半というのは化粧品メーカーで「ヒロインメイク」という商品で売れているのだそうですが、私には全く門外漢で分かりません。台湾、韓国、香港でヒットして、その評判が中国に波及していたみたいです。因みに化粧品の販売チャンネルは日本と違ってデパートではなくてスーパー、ドラッグストアとかでも高級品が売れている。どうも中国のデパートは高価なだけで平日の昼間はガラガラ。対面販売はとてもペイしないみたいです。
キューピーというとご存知マヨネーズ。中国進出した当初はマヨネーズ自体が中国人に認識されていなくて全く売れなかったとか。販売してくれるところを開拓し試食販売を積み重ねて中国人好みの料理を考えて、中国人溺愛のマヨネーズになったとか。ひょっとしてエビマヨという料理は最近開発されたもの?
良品計画は海外の方が利益を上げているそうで、中国で新たに大量出現している新中間層に選ばれているとか。
ユニ・チャームは紙おむつの爆買いで有名になりましたよね。最近はともかく、うちの近所のイオンでも大量に買いこむ中国人をよく見かけました。品質の良さが支持されているのです。
メイソウというのは雑貨ブランドでデザインのいいおしゃれ雑貨。中国にはこういう雑貨がなかったんですよね。
この本を読むと現在の中国の都市部での消費事情がよく分かります。新中間層が大きく出てきてその消費行動をうまく取り込んだところが勝ち組となっています。変化のスピードは速いし、うかうかしているとすぐにコピー商品が出回り、そこそこの品質で安いものに追い出されてしまうので大変です。でも日本品質でうまく売り込んでいけば勝機は十分あるみたいです。とかく爆買いだけが注目されてきましたが現在のビビッドな中国消費事情を知るにはいい本でした。
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4月21日鶴舞公園で花のない花見の宴会。

2018-04-24 07:41:25 | テニス
終わってから公園の芝生に移動。
カバちゃん1号2号はそのままテニスを続け、ヤッターマンは孫の世話をしなければいけないとかで体力を温存するために帰ります。
日差しが強いので芝生は暑いだろうとベンチ二つの間にシートを敷いて宴会会場にします。
それなりにあちこちでシートを敷いて昼食を食べているような家族連れとかコーラスを歌う若者たちとか人は結構います。
えみちゃんは女子力を発揮してサンドイッチとかつまみを用意してくれていました。気が利くことに濡れティッシュに紙皿とか箸もちゃんとあります。

カツサンドは美味しかったですね。
負けじとヨイショも女子力を発揮してエビフライにサラダ、ほうれん草のおひたし、焼きそばと持ってきてくれました。

ヨイショはポン酢にソースにしょうゆ、タルタルソースと調味料ももれなく持参してくれました。タルタルも自家製とか。まあ、おひたしは味がついていなかったのでポン酢をかけると丁度美味しかったんですけど。
シートの上は手料理が所狭しと並んでいます。

ビールも各自持参してきてくれて、私は「千寿」を持参。
一升瓶を持ってテニスコートに来るのは格好悪いし重いし大変でしたけどね。

ビール飲みねえ。酒飲みねえ。青空の下で飲むお酒は格別です。
木陰で風が吹いてくると気持ちいい。二日酔いを忘れてまたまた飲んでしまいました。
桜は散ってしまいましたが、つつじは今が盛りです。チューリップも咲いています。
芝生広場のはるか向こうにはバラ園があるのですが、バラもそろそろ見頃になる頃です。

ところがコンクリート舗装の上にシートを敷いたのでお尻が痛いとか。
両サイドのベンチに座ればいいですし、シートを二重式にするとなんとなく痛さも和らぐのですけど。

芝生の上は日差しが強くて暑いのですが、桜の木立の中だとよかったかも。
盛り上がっていると先日鶴舞公園テニスコートで一緒にプレーしたヨイショのテニス友だちも来て、残り少なくなりましたが千寿を飲みねえ。ビールもあるでよう。
えみちゃんはこの日夕方から用事があるとかで早めに帰ったのですが、せっかく作って来てくれたものは皆食べないと。
焼きそばもエビフライもその他もろもろも一応完食して終了。野外でやると安くできるし気持ちいのですが、後片付けが大変。花見時にはごみ集積所が出来ているのですが今はそれが無いので手分けしてコンビニなどに捨てるしかないんですよね。

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4月21日鶴舞公園テニスコート

2018-04-23 06:24:53 | テニス
高気圧が日本列島を覆って全国的に晴れ。
テレビでは気温はどんどん上がって体がまだ暑さに慣れていないので熱中症に注意と言っている。
そういう私は昨日退職者のご苦労さん会をやって、いつものように二日酔い。6人のこじんまりとした宴会でも気の置けない人たちばかりで飲み放題の元をとらないといけないと考えてしまうので、ついつい飲みすぎてしまう。
頭が痛い中支度をして8時40分に家を出る。歩いていても何か頭がふらつくのでこの暑さで大丈夫かと思いつつ金山駅を9時6分の快速に乗って鶴舞公園テニスコートへ。
この日は一番奥のDコート。
コートにはカバちゃん1号2号とはげ親父、森の熊さんが乱打をやっていてヤッターマン、えみちゃん、タケちゃんマンもいます。
準備運動をして入れ替わって私も入れてもらいます。
一休みしてじゃんけんして試合にします。
日差しは強いのですが、木陰にいると暑さもそれほどでもない。まだ10時前だったこともあって20度でした。

最初の試合はカバちゃん2号と組んでえみちゃん、カバちゃん組と対戦。カバちゃんの強烈なショットに力負けするのですが、何とかへなちょこボールを返して食らいつき2:2の引き分けにできました。
休憩時間にはビールが出てきて、二日酔いでいけないと思いつつ、いい天気で少し動くとビールが美味しいんですよね。
ふと、横を見るとフェンスが大きく傾いていてテープが張られている。

花見の時に酔っぱらってフェンスを押し倒そうとした人でもいたんでしょうか。
次の試合は二日酔いコンビのはげ親父と組んでヤッターマン、カバちゃん2号組と対戦。戦力的には圧倒的に不利だったのですが、何故か相手はダブルフォールを連発(2ゲームで5回)したので、2:2の引き分けにすることが出来ました。
隣のコートを見ると大学のサークル活動なので3コートを占拠して球出し,ラリーとやっている。でも女性比率は少なくて3~4人か。場所柄、名工大なのかな?

12時までは時間はたっぷりあり試合は続きます。
次の試合はヤッターマンと組んではげ親父、カバちゃん2号と対戦。はげ親父がしつこく正面を狙ってきて二日酔いの身では体が反応せずにポイントを与えてしまいぐやじ~。私が足をひっ張ってしまい結局2:2の引き分けでした。
休んでいる時に公園のトイレに突然団体さんが入ってきて、どうやら公園を散策する中国人観光客御一行様。公園にはトイレはあちこちにあるのになぜテニスコートのトイレにみんな来るのか?そもそも花見時は終わっていて鶴舞公園がツアーコースに入っているのか?
コート横のトイレは男女別れていないのですが、はげ親父がトイレに行くと中国人の女性が外で待つことなくはげ親父がしているすぐ後ろでおしゃべりしていてやりにくかったとか。
11時近くになってヨイショが登場。実は今日はいい天気なので終わってからは鶴舞公園で花のない花見の宴会にしようということにしてあり、ヨイショが焼きそばを作って持ってくると言っていたそう。焼きそば作りに時間がかかって遅刻したみたいです。
早速ヨイショに試合に入ってもらい、2試合連続でやってもらいます。
私はこの日3試合やったのでもう終わってもよかったのですが、時間がまだあるというので最後にもう1試合。
最後はタケちゃんマンと組んでカバちゃん、はげ親父組と対戦。一進一退の戦いでしたが最後のゲームを何とか制して3:1の勝利。
これで11時30分過ぎとなってこの日は終了。みんなは公園へ移動するのですが、カバちゃん1号2号はもう少し二人で練習するということでした。




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検証福島原発事故 官邸の100時間

2018-04-20 14:30:10 | 
武田邦彦さんの本を読んだ勢いで、手に取って読んでみました。
あの時原発が爆発する危険もあって日本が危機的状況だった時に首相官邸はどうだったのか。
著者は朝日新聞の記者ですが、実名での当事者への取材によって緊迫の3月11日から15日までの国家権力中枢の状況をあぶりだしています。各章の注釈には取材先、発言した人とか状況が詳細に記されていて、徹底した取材をもとにしていることが分かります。違うというのなら出て来いということですね。

原発事故での対応については菅元首相がいら立って怒鳴り散らすだけで混乱を招いたと何となく悪者になっていますが、この本を読んだ印象ではあの状況の中で精一杯頑張ったみたいです。むしろ東京電力とか原子力安全保安院が危機に際してほとんどまともに機能していなかったことには唖然としてしまいます。自らよりどころとしていた原発安全神話が崩壊したときにパニックとなって思考停止して呆然自失となったということでしょうか。
本来なら原発事故に対して何が起きていて何をすべきかを首相をはじめ官邸中枢にレクをしていかなければいけないのに、まったくと言っていいほど状況を把握できずに、首相の質問にもまともに答えられていなかった。
起きるはずがないと言われていた爆発を官邸のテレビで初めて知るなんて言うのは唖然とする。
もちろん危機管理室の部屋が通信機能がないだので連絡するにも一苦労などというのは想定外と言いつつ準備不足というか実務能力に対する想像力の欠如としか言いようがないのですが、これは官邸の設計が悪いとしか言いようがないので菅首相の責任ではない。
トップが現場へ行くということの可否は議論があって私は行くべきではなかったと思っていますが、何が起きているかさっぱりわからない中での苛立ちがヘリでの現場視察となったと思います。
冷却水として海水注入をするのに一時菅首相が止めたと言われていますが、状況を追っていくと海水注入の影響を首相を訪ねたことはあっても止めた事実はない。そもそも官邸は海水注入をしていることを報告受けていなくて知らなかったということなので止めようがない。
因みに菅首相が海水注入を止めたということをブログで安倍が指摘して責任を追及しているのだが、これは誤報というかフェイクニュース。このブログについて記者の取材申し込みに安倍は返事をしていない。
計画停電については東京電力は独断で日程を決めていたのだが官邸には事後報告で、大混乱。結果半日遅らせたのだが、東京電力はいろいろな影響をどこまで考えていたのか。在宅医療の人も増えていて、電気がないと生きていけない人も多い現状を知っていたのだろうか。結局厚生労働省を中心に徹夜で各方面に連絡して影響を最小限にしているのだが、たぶん東京電力の計画を立案する人の頭の中には大口需要者のことは考えても、そんなことは考えもしなかったんだろうな。
2号機がいよいよ危なくなって、いつ爆発してもおかしくないとなった時、制御不能ということで東京電力は福島第一原発から撤退を検討し出している。全員撤退ではないとか言っているのだが、ことの本質はもはや制御不能だからとかあきらめるるかどうかということで、何人残すとかいう話ではない。いろいろな証言をつなぎ合わせると東京電力は明らかに撤退を考え清水社長はそれを政府側に通告しようとしていた。もし諦めていて制御不能のまま爆発していたなら東日本全体が避難区域になりかねなかったし、日本という国はめちゃくちゃになっていたかもしれない。結果的には武田邦彦さんの言うことを信じるなら爆発してもおかしくなかったのだけどもいろいろな幸運があって何とか爆発せずに済んでいるのだが、その時の東京電力に日本の命運を背負っているという覚悟があったとのか。清水社長は黙して語っていないが、責任者としての社長として万死に値する。あの時菅首相は東京電力に乗り込んでいき撤退はありえないと言っているのだが、やもすると怒鳴っただけといわれているけど、そこは怒鳴らなければいけない場面だった。
もうひとつ全く生かされなかったspeed1について。外務省を通じて在日米軍には情報がもれなく流されていたのに、肝心の官邸にはその存在すら知らされずに避難に当たって全く生かされなかったspeed1。保安院は情報を得ていたのですが、これは文科省の所管だからと報告をすることなし。文科省は予測はちゃんと保安院に送ったのだがそれをどう使うかは災害対策本部という。縦割りの中で責任逃れされて、誰も災害対策本部に報告していない。少なくとも菅首相も枝野官房長官もそんなものがあることさえも認識していなかった。怒鳴りまくるだけで官僚を信頼していなかった政治家には報告しにくいのなら危機管理監にはちゃんと説明してあげるべきだったと思うのだが。風下の避難して浴びなくてもいい放射性物質にさらされた人にどういうのか。
読んでみて、東京電力、原子力保安院、安全委員会と専門家たちはこの事故に対して全く当事者能力がなかったことが分かる。呆然自失して急激に進行する危機的状況に対して予測不能になり何ら有効な対応策を打てていなかった。
官邸を弁護するつもりはないが、まともな情報が上がってこないで原子力の専門知識もないまま、訳が分からないのに日本国としての重い決断を迫られることばかりの状況ではよく頑張ったほうだと思う。もちろん判断を誤ったことや余計な混乱をもたらしたことも多々あったのだがあと知恵でなく当事者としてはよくやったのでは。菅首相のパーソナリティが余計被害を拡大したように言われているが、責められるべきは東京電力であり保安院を始めとした官僚組織。あえて言えば自民党政権時代から綿々と続いてきた体制です。安倍さんだったらうまくできたのかというのは疑問です。
それにしてもこういう大惨事が民主党政権時代にめぐり合わせるというのも歴史のあやか…
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「原発と日本の核武装」武田邦彦

2018-04-17 07:10:40 | 
武田邦彦という人は「ホンマでっかテレビ」などでもっともらしいけど怪しげな説をさも学問的裏付けがちゃんとあるがごとく話す人で、目立ちたりが屋の人で話すことも話半分で聞いているえばいいかと思うのですが、この原発については、長く携わっていた経験もあってまともな面に感じられる。
思うに日本人の放射線、放射性物質に対する気分はかなり映画の「ゴジラ」に影響されているのではないだろうか。
ゴジラの吐く放射能というものは、放射線なのか、放射性物質なのか?たぶん体内で核融合を起こしてできた放射線を吐いていると思うのだけど、私が物心ついていたころから、それは放射能と呼ばれていたと思う。放射能というのは放射線を出す能力なので放射性物質と思うのですが、イマイチその点はあいまいで世間一般は区分することなく理解していた。まあ、映画の世界で学問的厳密性は余計なことかもしれないですからね。
でもほとんどの人は放射能という言葉だけで何となく恐ろしげなものと理解していたのですが、この混乱が、原発事故の時の避難判断に微妙に影響したかもしれないかとこの本を読んで思ってしまいます。

放射線は直進してその強さは距離の2乗に反比例する。従って原発から一定の距離があれば、人体への直接的影響は少ない。ところが放射性物質というのは細かい塵となって風に乗って流されていく。いわゆる死の灰です。従って直線的な距離ではなくて風向きによって予想外の遠くまで運ばれていく。風向きを考慮して避難する必要があったのに、実際には半径何キロで避難が進められている。
結果としてより汚染度の強い風下に避難するということまで起きている。放射能という言葉の下に直線距離で遠くに行けばいいという先入観があったのではないか。
そして事故後福島県浜通りの気象データは発表が止られてしまった。無用な混乱を起こさないようにということだったのだろうが、対応不能を危惧しての姑息な対応といえる。
因みに除染作業する人たちが白い放射線防護服を着ていますが、あれはペラペラの生地で、放射線を遮断できるようなものではない。体に放射性物質がつかないようにするためのものです。死の灰がついて体内被曝しないようにするための上っ張りにすぎません。放射線防護服ではなくて防塵服ですね。
原発は事故を起こさないという前提のもとに思考停止してしまい、何ら事前の準備もなく、防げるはずの事故を起こし、その後の対応もひどいとしか言いようがないことになった。
原発は想定外の津波によって事故に至ったなっているが、実は地震においてもかなりの被害を受けていてそれは想定外とは言いがたい。現実に柏崎では配管等が大きな被害を受けていた。本体はともかく配管とか電源などが被災すると暴走してしまう可能性があるとなると安全神話というのは何だったんだろうか。実際には2号機は原子炉本体が爆発する危険性があったのですが、ある種の幸運から免れたというのですからなにをか言わんです。
原発事故についてはいろいろな本が検証しているのですが、私は新聞雑誌記事ぐらいしか読んでいないので、この本のことだけを信じてはいけないのだろうが、私は安易に放射能という言葉を使う人は信じられない。
ところで一般人の被ばく限度は1年1ミリシーベルトで法令に定められているとか。でもいつの間にか被ばく限度はうやむやになり20ミリシーベルトとか言われるようになりました。1ミリシーベルトの限度基準は感受性の個体差や安全率を見込んでのものなのですが、そうなると対応不可能なほどの避難民が発生してしまうので口をつぐんでしまったということでしょうか。低用量の放射線被ばくの影響が出るのは長い時間の経過が必要なので結果は分からないにしても、安全基準がいつの間にか変わってしまうのはどうかと思います。
ただ、これは中川恵一さんが主張していることですが、大量の避難民が出ると、当然ながら劣悪な環境の仮設住宅暮らしとか、地域コミュニティの崩壊した中での孤独な生活とか、食事や生活習慣の変化をもたらすので、結果的に放射線の影響よりもストレスの多い避難生活の方が大きな影響をもたらして、がんになる人が増えるということも考えられるので難しいところです。
この本では原発再稼働賛成派と反対派を、それぞれ3つのカテゴリーに分けていますが、さすが理系の分類で、これは頭の中を整理するには便利です。賛成派には主張は隠されているのですが、本音のところで、原発は日本の核武装のために必要という面が大きいかもしれません。核爆弾を作る原料も技術もあり、輸送手段としてのロケットも国産であるので、意志さえあれば今すぐにでも核武装できるというポテンショナルを持っているということは、他国に対するひそかな抑止力になっているかも。まさにトランプのアメリカがどう転ぶかわからない状況だけにこの隠れた必要性の支持は高いとなると、経済合理性の埒外の判断です。
読んでいて違うだろうと言いたいところとか話半分でも怪しいというところもありますが、あまりマスコミが取り上げない論点ですし、読みやすいので、図書館にあれば手に取ってください。



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4月8日9日姫路大阪旅行(続)

2018-04-14 16:46:32 | Weblog
18時前に三井ガーデンホテルにチェックイン。ちょうどBSで「西郷どん」をやっていたので、それを見てから夕食にしました。
ホテルは今どきのホテルでカードキー。エレベーターもカードをかざさないと行き先階に行けません。このホテルのいいところは最上階に大浴場があることで、部屋の広さと大浴場でこのホテルを選びました。カードキーは男女別でカードをかざして大浴場に入れます。カードを間違えないようにしないと。
さて、西郷どんも見たので、地下鉄肥後橋駅へ。地下に降りてもちょっとあるのでホームまで10分かな。
四つ橋線で難波まで3駅だったか。難波駅では地下だとよくわからないのですぐに地上に出たのですが、日曜の7時過ぎということで少し閑散としている。と思ったら道頓堀に近づくにつれてすごい人波に。

外国語も飛び交いさすが「ミナミ」の繁華街。
夕飯はまあベタですが「づぼらや」に。かに道楽とかがんこの店の前は人だかりがあって近寄りがたかったし、丁度すぐに座れるというので2階に。隣の席は中国で向こうには欧米?とにかくインターナショナルで日本人の方が少数派?
料理はフグ御膳で4000円。

てっさに小鍋のてっちり、から揚げ、皮ポン酢に茶わん蒸しとふぐ寿司。まあ、一通り楽しめるのでいいのでは。
それではまずはビール、続いて生酒で飲んで食べてでいい気持ちになりました。
窓から川を見ると観光船が運航していて満員。乗り場にも人がたまっています。
食べ終わって、ここまで来たのならグリコの看板を見ておかないと。

ホテルに帰ってお風呂に入るのですが、やっぱり大浴場は気持ちいい。ユニットバスでお湯が入るのを待つのは気が抜けないし味気ないものです。
このホテルに2階にはレストランがあり朝食バイキングがあるのですが何故か博多料理。
そんなにお腹も空いていないし、ビル3つくらい向こうにコンビニがあったので朝食は部屋にあるコーヒーを入れてサンドイッチとヨーグルト。
チェックアウトは11時なので、朝はしばらく散歩することに。中之島公園まで歩いて往復しても1時間もかからないのでちょうどいい散歩になったのですが、この日は月曜日。通勤に急ぐ人がたくさんいる中でフラフラと歩くのはいい気持ちです。
川沿いの中之島遊歩道を少し行くと日銀の大阪支店。

重厚な造りで趣があります。
大阪市役所をすぎれば今度は中の島図書館。

開館時間は9時なのでもう利用できる。これまた趣がある。
それでは入ってみましょうか。

階段を上がって入るとそこは2階。案内板で新聞コーナーがあったので行こうと思うと1階で階段を降りなくては。
ところがこの日は新聞休刊日。それでホテルのロビーにも新聞が無かったか。
さらに行けば中之島公会堂。

これはレンガ造りが美しい。
錦橋から対岸を見るとさすが大阪。三井住友銀行のビルから住友のビルが並んでいます。

残念ながら大浴場は9時までなので散歩帰りに一風呂とはいけませんでした。
チェックアウトして連絡バスで大阪駅へ。
実は吉本西梅田劇場を予約してあったのですが、全く予備知識なかったら駅そばだったのですが、ビルではなくて仮設のテントでびっくり。トイレも屋外でした。


入ると座席もパイプ椅子で本当に仮設。もう少ししっかりとした仮設でもよかったのでは…

月曜の11時からなので当然ながらお客はごくわずか。50人くらいかな…
前3列が埋まっているくらいで予約してあったので最前列の真ん中の席。

漫才の人たちはお客が少ないのでこういう時に来る人は何をやっているのかといじるいじる。最前列なので目が合わないようにしていました。
それでもみんな笑いに来ているのでドカンドカンと笑い受けていました。
終わってからは駅でがんこの回転すしで昼食。ここも外国人が多くて元気な大阪のおばちゃんの店員も慣れたもの。
ここでもビールとお酒を飲んでいい気持ちとなって、あとは新大阪から缶ビールを飲みつつ名古屋へ帰るのでした。


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4月8日9日姫路大阪旅行

2018-04-13 23:21:19 | Weblog
日曜日は朝9時前に家を出て新幹線で新大阪へ。ここから姫路へ行くのですが、新幹線で姫路に停車するのは30分に1本なので、在来線の新快速で行っても到着時間はあまり変わらない。ということで新快速で12時ちょっとすぎに姫路到着。
姫路駅に降り立つと正面に姫路城が見える。

たぶん姫路城が出来た時にはこんな一直線でお城に通じる道は軍事戦略上なかったはずですよね。
ロッカーに荷物を預けて、まずお昼を食べよう。ネットのガイドでアナゴめしが名物とあったので、ガイドにあった駅前のビル4階の「柊」という店に。エレベーターを降りると店からお客があふれている。お店に聞くと今だと30分待ちとのことで、ここはあきらめるか。
確かガイドには本店が近くにあるとあったのでそちらに行ってみようとお店を探してうろうろ。
少しわかりにくかったのですが、何とかたどり着きました。

待ちは1組いただけで、待つほどもなく席に案内されました。
ところが案内されたのはいいのだけどお茶も持ってこないしお絞りもない。当然注文も聞きに来ない。
仕方ないのでメニューを勝手に見て注文を決めて呼び鈴を押す。

とりあえずのビールとはりま御膳という焼きアナゴと蒸しアナゴがのっているものにしました。手前の小鉢はタケノコの梅肉和え。
1800円でしたが、何故か駅前の店より100円安かった。場所代が安いから?仲居さんの数が少なくて手を抜いているから?
美味しかったのですが、アナゴは蒸しだと淡白で少し物足りない。焼きの方がいいですね。
それではお腹も膨れたのでお城まで歩いていきます。
お城の前までくると俄然観光客が増えてくる。
お城の中では桜は散ってしまいましたが、芝生にシートを敷いて宴会している人が結構います。花見の時にはすごい人だったんでしょうね。

見上げるとお城が迫力満点。

さすが国宝。平成の大修理で瓦もきれいです。
ところで天守閣に入るには30分待ち。仕方ないので並んで牛歩戦術。
姫路城は高校の修学旅行以来なのでほぼ半世紀ぶり。なんか結構歩いていた記憶しかなくて天守閣の内部についてはほとんど覚えがありません。

中をじっくり見たかったのですけど人の流れとともに移動していくだけでよく分からないまま急な階段をひたすら登っていくだけ。木の柱の太さはすごいのですが、展示物はほとんどないので、これで外国人は国宝のよさが分かるのか?
もっとも天守閣の中はトイレがなく昼食のビールが徐々にたまってきてあまり余裕を持ってみることが出来ずに幸いだったかも。
一応天守閣を何とか一通り見てからお堀沿いに500メートルほど行って西お屋敷跡庭園の「好古園」に。ここは共通入場券だと姫路城の入場料+40円。40円で見るには結構見ごたえあって癒されます。

観光客もそこそこで落ち着いてみることが出来ました。
お城の前には土産物屋もあってひやかしながら駅に戻って、新快速で大阪駅に。
この日は肥後橋の三井ガーデンホテルプレミアムに宿泊なのですが、大阪駅の桜橋口から連絡バスが出ているのそれを利用して約10分。まあ、西梅田駅からだと地下鉄1駅で肥後橋駅からも歩いて5分ほどなのですけど。

チェックインして夕食を食べに地下鉄で「なんば」へ行きます。
続きます。



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4月7日瑞穂公園テニスコートの後はいつもの

2018-04-11 07:20:54 | テニス
終わって森の熊さん、私、1059さんがしげすしへは言っていくとすでにヤッターマンとタケチャンマンは当然ながらビールを飲んでいて、てーぶるには平貝の刺身が出ています。

といっても私は大きな貝殻しか見ませんでしたが。これは貝柱しか食べないので後の身はどうするかと大将に聞いてみたのですが、ひもは食べるけど後はまずくて食べられないとか。
カツオのたたきも出てきてこれは無事食べることができました。

それではまずはビールでのどを潤してからいただきます。
5人揃ったところでハマグリの酒蒸しも。

ちゃんと5人で分けれるようにしてください。
ビールがなくなったので、ここらでいつもながら大吟醸の「三千盛」を一升瓶で出してもらいます。
合わせるのはホタルイカの酢味噌。

大将が裏メニューと言うかたくさんはとれないアナゴの腹骨のから揚げを出してくれます。

これは美味しいのですが、キロ単位でアナゴをさばいてもこんなもんしかとれないのでメニューには入れられないとか。
ありがたくいただきます。
めかぶの大根おろしもいただくのですが、ぬるぬるとして箸でとりにくく、持ち方がいまだに下手な私は悪戦苦闘。

でも健康には良さそうです。
大根おろしつながりで小女子の大根おろしもいただきます。

5人いるのでぐびぐび飲むうちにすぐに一升瓶が少なくなってきます。
タケちゃんマンは未だに肘をアイシングしているのですが、最近では家にいる時もアイシングしているとか。私はサポーターの他にエアサロンパスを吹き付けるようにしているのですが、その効果かひじの痛みは今は感じていません。でもなぜかここ一月ほど足の裏というかかかとに鈍痛があって歩く時にも気になる。そのせいでテニスで勝てないということはないのでしょうが、聞くとタケちゃんマンやヤッターマンも痛みを感じているとか。タケちゃんマン説によると土踏まずの筋肉が弱っているとかですが、一種の老化現象で治療方法はないとか。う~ん、激痛が走る訳ではないので気にはなるのですが、我慢できないことではないのですけどね。
そろそろ焼き物というので、まずはちかの塩焼きを喧嘩にならないように5尾。

続いて赤魚の粕漬だったか西京味噌漬けだったか…

大きくて食べ甲斐がありました。
この頃にはさすがの一升瓶もなくなり、もう止まらないタケチャンマンがキープして残っていた焼酎を出してもらい、みんなロックでいただきます。
〆はやっぱり鉄火巻

もう一品アナゴの押し寿司も。

アナゴ好きなんだよね。
お会計は一人4千円でおつりは基金に入れておきました。

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