怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

8月30日は雨…

2015-08-31 07:17:53 | テニス
この日は午前中から雨の予報。
朝起きるとやっぱり雨。でもほとんど降っていません。
予報では午前中は雨ですし、雲も低く尾張地方には何やら警報も出ている。
これではテニスは中止するしかない、ていうか誰も来ないでしょう。
やれるかどうかという時には誰かからメールなりくるのですが、誰からも問い合わせもなし。とてもできる状況ではないということでしょう。
仕方ないから朝からだらだら~
この日は世界陸上なので女子マラソンでも見ていましたが、予想通り終盤失速。まあ、健闘したのでしょう。
昼前に公園を散歩してきたのですが、その頃も細かい雨が降っていました。
でも神宮東公園テニスコートでは3面のうち2面でテニスをやっていました。細かい雨が降ったりやんだりだったのでハードコートなら足が滑るし、クレーコートなら水たまりになってしまうのでしょうが、人工芝ならテニスをやろうともえば十分できたのでしょう。
この場合雨天還付できるのかな?
午後になって雨は上がったのですが、時すでに遅し。昼からも家でダラダラ、30日なので5%割引なのでイオンに行って買い物はしてきましたが、久しぶりの完全休養の週末になりました。
このまま雨が降らなければ高田学区の盆踊りにでも母を誘っていこうかと思ったのですが、母は拒否。高田学区は実家の学区と同じ中学校区なので母も知り合いが多く刺激になってボケ防止にいいかと思うのですが、子の心親知らず。どうも歳をとると億劫になってしまい少しでも日常生活と違うことはやろうとしません。これも認知症の初期症状なんでしょうけど無理やり連れて行くわけにもいかず難儀なものです。
結局夜になって細かい雨が降るともなく降って、家でテレビを見ているという最後までだらだらの一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「株主優待」を「魚力」で考える

2015-08-29 08:40:47 | Weblog
桐谷さんでないけれど株主優待生活が人気を呼び、魅力的な優待制度を持っている株は評価が高くなっている。
証券会社が主催する会社説明会などで、質疑応答の時間があると菅らずバカの一つ覚えのように優待制度について言及する人がいる。こんな質問を得意げにする人がいるとがっかりするし、それで株を買うのかよと思う。
はっきり言って優待制度は株主還元という意味では邪道だろう。
株主に利益を還元するならば、配当を増やすなり自己株買いが正論だと思う。
消費者に直接製品なりサービスを提供している企業にとっては、株主にそれを実際に体感してもらい応援団になってもらうというのは一つの販売促進かと思うが、対企業向けの工業製品なりサービスを提供している企業にとっては自社と関係ない優待サービスを行う意味はないと思う。
その面で言えば飲食業とかの企業が自社の店の利用に使える優待券を配るのはクーポンのちょっといいやつみたいなもので、例えば「ワタミ」が優待券で一人1回千円まで割り引くのは制度としては評価できる。店に行って飲み食いして1千円だけで終わることはないからね。
でも今や株主優待に個人投資家の眼が大きく向けられていて理屈通りいかない面がある。機械とか電気の業界でも優待制度を新たに設けるところも出ていて、それが個人投資家に人気で株価を下支えしている面もある。
邪道と思っている私も実は優待狙いで小売業を中心に持っている株がいくつかある。でも前述した「ワタミ」は最近どんどん業績が悪くなってきているので売ってしまいましたが…
持っている株の一つに「魚力」があってここは100株で年に1回年末に3千円相当の海産物詰め合わせが来た。もらうことのないお歳暮を優待で補うつもりで楽しみにしていたものです。
ところが7月31日に突然「魚力」が優待制度を廃止した。それも株主には何のお知らせもなくネットで見て初めて知った
当然ながら株価は急落。この発表直後に1日で300円以上落ちている。7月31日2427円の株価が8月1日は2100円、それから中国ショックで下がり続け、8月25日には1646円
なんじゃこれ~
名前通り海産物を扱っていて、丸栄にも出店しているので優待の詰め合わせも株主へのPRにはなっているはず。理由としては優待は100株以上、1000株以上で一律なので公平性に欠けるとのこと。それはそれで正論で例えば200株の株主と100株の株主と一緒かと言われると公平に欠くのですが、それならば少なくとも優待に使った原資を全部配当に回しなさい。配当は前期と比べて2円増配なのですが、それは優待廃止発表前の予想と同じ。
株主としては1株300円落ちたのだから配当を300円積んでほしいくらいです。経営が苦しいからまずは優待を見直しますというのならば納得できるのですが、既に決まっていた2円の増配でお茶を濁すのはいかがなものでしょう。
魅力的な優待が持っている株価を支える効果をあまりにも過小評価していたとしか思えません。同じ業界の「魚喜」が無配ながら経営が苦しくてやめていた優待制度を復活したとたんに株価がぐんと上がったということを考慮したうえでの英断だったんでしょうか。
株主優待は邪道なのですが、株価維持策としては有効です。小売業にとっては自社への応援団にもなるので維持してほしかったと思います。実際増配で株価を300円上げようと思ったらいくら配当すればいいのかということでしょう。そう思うと邪道の優待制度も株価維持策としてはコストパーフォーマンスがいいみたい。
優待をやめるなら会社の思う公平な株主還元をして株価をちゃんと維持してほしいものです。
と、愚痴になってしまいましたが、優待制度は諸般の理由で突然打ち切りになることもあるので気をつけましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パナソニック人事抗争史」岩瀬達哉

2015-08-27 07:20:36 | 
これは企業ドキュメントとしては抜群に面白い本です。
読み始めたらやめることができずに一気呵成に読んでしまいました。

どこの組織でも多かれ少なかれ人事抗争の類はあるもので、ここに出てくる歴代のパナソニックの社長重役たちを見るにつけ、うちにもこんな人がいる(いた)と思いつつ読む人が多いのではないでしょうか。
パナソニックは松下幸之助が一代で起こした会社で創業家の力が強いため、問題が生じた時に余計修復が難しい面はあったのでしょうが、人事抗争によって企業内部がぎくしゃくして判断を誤るということは同族企業でなくても枚挙に問いません。最近では東芝の粉飾決算も人事抗争の余波みたいです。
パナソニックのように一応復活してきた企業はまだしも同じく関西の同族企業だった「サンヨー」とか「シャープ」ではどうだったのでしょうか。水面下で熾烈な人事抗争があり、ついには会社の存続まで危うくなったのでしょうか。
松下電器の創業者松下幸之助は娘婿の2代目社長松下正治を評価していなくて3代目社長の山下俊彦に「正治を引退させて今後経営には一切口出ししないように約束させてくれ」と命じている。山下は幸之助ができないことをやれないとサボタージュしていたのですが、本来ならこういうことは幸之助が自分ですべきことでしょう。糟糠の妻と娘との関係で言い出せなかったみたいですが、それを人にやらせようとしたことに無理があったとしか思えません。せめて文章に残すなりきちんと自分の意思が分かるようにしておけばこんな混乱には至らなかったのでしょうけど…
山下は自分ではやらなかったのですが、それを後任の社長となる谷井に引き継ぎ事項とします。山下自身、幸之助の意中の人とは少し外れていたが正治の応援もあって就任したこともあって自分で引導を渡すことはできなかったと思います。
しかし谷井は愚直かつ性急に正治に引導を渡そうとします。地位に執着がある正治は激怒、居座るとともに谷井憎しとなって、その経営方針にことごとく反対し拒否権を使うようになります。ここから組織は大混乱し、谷井も一連の不祥事の結果、追われるように社長を辞任、パナソニックの将来を担うと目されていた人材も活躍の場を追われていきます。
谷井社長の時代に苦労してまとめあげたMCAとの買収も森下次期社長になると叩き売ってしまいます。パナソニックとしてはソフトとハードの融合という点では大きな将来性があったはずなのに正治の谷井憎しの感情が勝っていました。森下社長は取締役時代にいわば正治担当として仕えたことによって社長となれたので正治の意向を忖度して言うとおりに動くことしかしません。結果、人事権を正治が握ってしまったので迎合する輩しか出て来ません。取締役会はイエスマンだけになってしまいみんな会長の顔色ばかりをうかがっている。会長の提起した主要案件には誰も異議を挟まず沈黙のまま採決されていく。取締役会での議論らしい議論と言えば弁当の中身について。これでは「御社の将来は…」ですが社長は何の危機感もなかったのでしょうか。
そんな森下社長のあだ名が「マルドメ」まるでドメスティックということだそうです。目先の日銭を稼ぐことしか考えられずに将来の飯のタネになることに投資することなどできない。パナソニックがブラウン管に固執して液晶に後れをとったのはこのためです。当時の経営幹部に流布したジョーク「森下社長は、まじめでええ男だけど、社長時代に言うてたのは、ふたつの言葉だけ。ひとつは、聞いていない。もうひとつは、わからん。聞いていないとわからん、で済ました社長でっせ。」
要は会長のゴルフのお世話に一番気を使うというせいぜいが秘書室長ぐらいの器でとても社長の器でない人が会長に取り入って社長になってしまったということか。それでは経営はおかしくなってきます。でもそんな人ってあちこちにいますよね。同じようなこと(聞いていない、分からない)をいつも言っていた上司は私にも思い浮かびます。
そんな森下に一心不乱に仕えたのが6代目社長になる中村邦夫。パナソニックは森下社長時代に脆弱な体質になってしまった結果、2001年度2千億近い営業赤字に陥ってしまった。ここでリストラを行いv字回復させているのですが、残念ながら新たな成長戦略は描けていなかった。テレビではプラズマに固執して過大な投資を重ねていくばかり。人事では恐怖政治を行い自分の好みで気に入らない者は容赦なく飛ばす。幹部は保身に走り「中村さんに嫌われたら会社人生は終わり」という言葉が流布していきます。
7代目社長になった大坪は中村が院政を敷いて引き続いて経営に君臨しようとしたから選ばれた。そんな大坪社長についたあだ名は「イタコナ」。コストのことは口にしても、将来展望や、社員が夢をかける戦略を語ったことがないという意味とか。
そうした中、プラズマ事業は撤退することなく投資を続け(総計4400億円になる!)深みにはまっていく。
中村もいよいよこれはダメだと思ったのだろうか、8代目社長にはづけづけものを言う津賀が就任。ここでようやく「言いたいことが言い合える活気ある会社」という方針が示される。プラズマ事業から撤退し、森下、中村、大坪と3代続いた業績低迷を脱し、その結果はまだわからないが、経営を立て直そうとしている。
それにしても松下正治の処遇に端を発した人事抗争の歴史のなんと無残なことか。泉下の松下幸之助はどう思っているのだろうか。
どこにでも上ばかり見ているヒラメ職員はいるし、上に立った途端に恐怖政治を行う人もいる。ここに出てくるいろいろな人に近しい人は何人も思い浮かぶ。この人はあの人と…なんて思いながら読んでいるとやめられませんでした。
ここでは悪役になっている松下正治の言い分もあるだろうし、森下、中村、大坪のインタビューがあれば読んでみたいものです。こういう本が出て、結構読まれているとなると反論があるのではと思うのですがぐうの音も出ないんでしょうか。でもいまだ顧問なり相談役の人もいるのだし、役職をやめないのなら主張すべきだと思うのですけどね。
森下にしても中村にしても大坪にしても厳しい競争を勝ち抜きそれなりの実績を上げてきたからこそ取締役になったのでしょうが、大企業パナソニックの社長という立場では荷が重かったということか。簡略化されたメッセージでビジョンを示すこと、そしてそのビジョンをもとにみんなが考えて実現できるような組織にしていくことが社長の使命とするならば歴代社長はできていなかったのです。
それにしてもこの本には役員OBたちが内情を詳しく話しているのですが、津賀現社長の暗黙(?)の許可があったからこそ話せたのでは。その人たちは現役の時どうだったんでしょう。今になって批判する歴代社長にお追従をしながらうまく世渡りしていたのでは…傍流の道を歩んできた身としては人事の闇は本当に深いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月22日東山公園テニスコートの後は「浜木綿」

2015-08-25 07:13:19 | テニス
浜木綿に着くと入り口にたくさんのお客が待っています。
タケちゃんマンはどうしたと見ると待っている人の中にはいなくてもう座っているのか。店の中を覗くといました。
すでに生ビールを飲んでいて料理も頼んでありました。
料理は定番の餃子

春巻き

棒棒鶏サラダ

はげ親父は鶏がダメなのでこれは食べられません。
ではさっそく私たちも飲み物を。
はげ親父とヤッターマンはひとまず生ビール、私はもうビールは飲んできたので焼酎のボトルを。
焼酎は麦で「銀座のすずめ」です。水割りでいただきます。
乾杯~
料理を追加します。
紫禁城なら干し豆腐サラダというのですが、ここでは細切り豆腐の小菜だったかな。

豆腐がかぶりますが、ネギダレ豆腐(?というような名前ですが正確ではありません)

さらに豆腐がかぶるのですが
「麻婆豆腐」
2種類あるのですが昔ながらのであまり辛くないやように

この日はこれなかった1059さんがサービスチケットを渡してくれていたので、それでゴマ団子を人数分。

まあ、私はあんこは食べたいと思いませんのでパスしてはげ親父にあげました。
その頃には焼酎のボトルも空いてしまい、〆に何かを食べよう。
チャーハンか焼きそばかとなって結局あんかけ焼きそばを2人前。

お勘定をすると一人3千円。
この時点で2時でしたが、私はバスが2時5分にあるので後を託して退散。ちゃんとバスに間に合うことができました。
この日は夕方に惣作公園で瑞穂社会福祉協議会主催の「ふれあい納涼祭り」があるので酔い醒ましを兼ねて顔を出してきました。

といってもここでも缶ビールを飲んでいるので醒めなかったのですが…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月22日東山公園テニスコート

2015-08-23 11:38:24 | テニス
雲の多い日となりました。
この日は1059さんとOBさんはお施餓鬼とかで欠席。タケちゃんマンは八事のお墓参りをしてからとかでみんなご先祖様を大事にしています。私は実家へ行くと一応仏壇には手を合わせますがお盆だろうとお彼岸だろうとお墓参りしたことはなく、まあ心の中で思っていればいいのかという感じ。親鸞は親のために一度も念仏したことなき候とまでは言い切る度胸はないのですがね。
そんなわけでこの日は休むと人数が足りなくなっていけないと9時40分に家を出て妙見町行きのバスに乗っていきます。バスはなぜか混んでいてちょっと遅れて到着。この日は1番コートですでにヤッターマン、タケちゃんマン、はげ親父、森の熊さんが乱打をやっていました。

雲が結構暑くて今にもポツポツしてきそう。
準備運動をそこそこして森の熊さんに入れ替わって私も乱打。
気温はそんなに高くないのですが湿気が多くて蒸し暑い。

乱打をするだけで汗が噴き出します。
このコートは叢はないので蚊取り線香は不要。まあ、ビールでも飲みましょう。
一休みしてからじゃんけんして試合に。
最初はタケちゃんマンと組んで森の熊さん、ヤッターマン組と対戦。タケちゃんマンは練習の時からひじが違和感があるとかでしたが、それでもプレースタイルは変わらず結構ぶんぶん飛ばして飛ばし過ぎてオーバー。結局デュースまで入ってもそこまでで1本勝負を順当に落として0:4の完敗でした。
タケちゃんマンは肘の具合がやっぱり悪くてこの1試合でリタイア。はやばやとビールを飲む宴会タイムとなりそのままシャワーを浴びて着替えてしまいました。

そんなタケちゃんマンは外っておいて続いては森の熊さんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。わたくし的にはそこそこ頑張って出来は悪くなかったと思うのですが、1本勝負を2回落としてしまい、相変わらずのチャンスボールでの気負ったミスも出て結果は0:4
これはビールの飲みすぎ…ではなくて単なる技術の未熟さか。
今度はヤッターマンと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。ここでも同じような展開でデュースも取れずにずるずるとゲームを落としてしまい、そのまま0:4という結果。この日はもう1ゲームも勝てないかという予感がしてきました。
12時過ぎると着替えてしまったタケちゃんマンは先に浜木綿に行って席を取っておきますということで帰ります。
最後の試合ははげ親父と組んで森の熊さん、ヤッターマン組と対戦。思えば先週も最後にこの組み合わせで試合をして0:4で完敗した記憶があります。やっぱりこの日は1ゲームも勝てない予感がしましたが、それなら1ポイントだけでも取ろうという謙虚な姿勢にで挑みました。
でも姿勢は謙虚でも勝負に結びつくことなく、ポイントは取ったのですがやっぱり3ゲーム連敗。ますます全ゲーム連敗の気配が濃厚に。
しかし、しかし、ここで粘って30:40まで行き、森の熊さんのダブルフォールトで勝利。何とか1ゲームは取って1:3でした。1ゲームは取れてよかった…というかこれで喜んでいいのか…
ちょっと早めですがここで終了して着替えたりシャワーを浴びてタケちゃんマンの待っているはずの浜木綿へ。
途中お寺を通って行ったのですが、入り口には鳥居があって妙見宮の表示。

妙見町の地名の由来はここからか。でも日蓮宗のお寺で神社らしきのは見当たらないのですけど。
疑問を残しながら石段を下りて浜木綿へ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日中はなぜわかり合えないのか」莫邦富

2015-08-21 07:17:26 | 
著者は最初この本の出版の話があった時、「日中友好時代が終わった!」という題にしようと思ったそうですが、出版社から標題に直されたとか。
時代は著者の危惧の通り日中関係はどんどん悪化して、両国国民にとってもお互いに嫌いな国となりました。日中国交回復の頃の友好的な時代があったとは全く信じられない険悪な関係になっています。ちなみにこの本が出版されたのは2005年。次第にぎくしゃくしてきているのですが、まだまだ同じ漢字文化でわかり合えるというような空気だったと思います。
今考えるとまさにこの本は予言の書。それから両国の関係はこの本の通り坂道を下るがごとくさらに悪化していきました。その面ではこの本に書いてあることは決して古びていず、その分析にはいまだ十分価値があります。

しかし日中両国は地政学的に見ればどう考えても海を隔ててはいても隣国であり尖閣諸島を上げるまでもなく国境線を接しています。これは環境が悪いからと孟母三遷の教えのように引っ越すことはできません。関係が悪くてもお互いにうまくやっていくしかないのです。友好的ではなくても平和的な隣国関係は築けるともいます。著者もその思いでこの本を書いています。
ところでこの本では日本人では分からない中国の内部事情も書いてあります。よく言われる中国の反日教育がこうした事態をもたらしたということについては、ちょっと異論があるみたいです。中国も経済発展してく中で世論が共産党独裁政権の意のままになっているというわけでもないみたい。中国国民の声は様々なものがあり必ずしも中南海で制御できている訳でもなく多チャンネルの時代になっていると。インターネットも膨大な人員を割いてかなり厳しい検閲していると言われていますが、物理的に完全には無理でしょう。
政府高官もネットの声には一定の配慮をしているし、国民の意向をできるだけ尊重する「親民性」を見せることによって、国民の支持を求め、共産党指導の正当性を強調して政権の安定を図っている。現在の習近平政権は「トラもハエも叩く」と言って国民の溜飲をさげるとともに権力闘争を打ち勝ち政権基盤を確たるものにしようとしている。その面では共産党政権も盤石な独裁体制ではないということか。
それにしても日本が中国を知らないと同様に中国も日本を知らない。改革開放以来中国がすごい勢いで成長し、GDPではあっという間に日本を抜き去り世界第2位に、そのうちにアメリカをも抜いていくだろうという勢いの中で自信をつけるとともに、日本に対する敬意は急速に薄れてきて、日本の失われた20年を経て今では逆に反面教師とみている。中国にとって日本の成功体験など今更知る必要もないと思われてきているのでしょうか。
国交回復のころの両国の熱い文化交流の機運は今となっては消え去り、日本から進出した企業は中国の内情も文化も理解することなく上から目線でオウンゴールのような失敗を重ねてきた。あのトヨタでさえ車のネーミングでミスっている。中国の大学生にとっては日本企業は魅力ある存在になっていない。希望就職先ではアメリカやドイツの企業が幅を利かしている。中国の若者は欧米に目が向いていて日本への留学生も減ってきている。
最近中国人の日本への旅行者が増え爆買いが話題になっていますが、中国人の海外旅行先としては率で見れば日本は決して増えていない。パリを中国人団体旅行客が占拠したとかのニュースもありましたが、中国人の海外旅行全体が増えたので日本への旅行も増えてきているのです。まあ、この本が書かれたころの日本は中国からの観光客受け入れに躊躇していたのですが、今は積極的に受け入れようとしていて円安とかビザの発給緩和なんかもあるので増えてはいるんですが、出国先の国別の比率としては大したこともないみたいです。
このところ中国経済の変調が盛んに言われています。ある面中国経済が失速すれば日本人の感情としてはざまー見ろとなるのでしょうが、今やお互いに深い経済関係がある中で揚げ足取りばかりしていても、つけは自分の国に回ってきます。上海市場の株が暴落したり中国元が切り下げられると日本の株も大きく下げます。嫌かもしれませんが経済は深く相互依存しているのです。
頭を冷やして媚びることなくお互いに敬意をもって付き合いたいものです。
10年前の本ですが今でもその論点は古びていません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月16日鶴舞公園テニスコートの後はいつもの紫禁城

2015-08-18 07:35:26 | テニス
着替えて居たタケちゃんマンは一番に店に入って早くも生ビールを頼んでいました。
生ビールが出たころに残りの4人も続々と入店して生ビール。枝豆もお願いします。

枝豆は冷凍品を解凍したもの。2日前に茹でた私が持参したほうが断然おいしい。塩気が足りないので塩をもらって振りかけて食べたらちょっとましに。
干し豆腐サラダを2人前。
やっぱり浜木綿のほうが上品な味ですね。まあ、こちらのほうが本場中国の味なのか。

定番の餃子も2人前。

ここの餃子は大きい。
生ビールを飲み終わったので今度は日本酒へ。
最初は八海山で。

エビマヨ2人前。

ふわふわ明太たまごは1人前をみんなで分けます。これは美味しい。

次のお酒は久保田の千寿。

ここでもう1杯越乃寒梅を頼むとメニューの縦1列制覇だったのですが、さすがにそろそろ〆でいいか。
〆は五目チャーハンを2人前。

ところが〆を頼んだはずがまだ物足りないタケちゃんマンは瓶ビールを追加。

お勘定は1万5800円で一人3千円の足らない分は基金から出しました。
帰りも中央線で帰ったのですが、家に着くとすぐにソファーで爆睡。夜は結構眠れないときがあるのにこういう時は本当に夕飯まで爆睡。起きて食欲のないまま夕飯になだれ込みますが、それでも出てくると食べてしまうのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月16日鶴舞公園テニスコート

2015-08-17 21:16:15 | テニス
今日も暑い一日です。
朝寝過ごし気味で8時40分に家を出て金山へ。
イオン熱田店の横を通ると入り口に長い行列。

どうやら9時から始まる運試しのくじ引き抽選の行列みたい。それにしてもプレミアム商品券といい金が絡むとなるとみんな暑い中でも行列が好きですね。
金山駅に着くとちょうど電車が出たばかりで次は9時6分の快速でした。
ということで9時15分前にDコートに着くとヤッターマン、はげ親父、1059、OBさんが乱打をしている。
日陰の席にはタケちゃんマン、森の熊さんが準備運動中
私も準備運動をしていると4人があがって交代。3人で乱打をします。
気温はそれほどでもなかった(表示は30度)のですが蒸し暑くてすぐに汗が噴き出してきます。

3人の乱打が終わると最初の4人でじゃんけんして試合に。
そのあと1059さんと組んでタケちゃんマン、森の熊さん組と対戦。2試合連続になった1059さんにキレがなくデュースの時の踏ん張りがきかずに1:3で落としてしまいました。
時間はたっぷりあるし熱中症になるといけないので休憩をしながらビールを飲みます。まあ、運動しながらビールを飲むのが熱中症に一番悪いみたいなのですが、バカは死ななきゃ治らないというか誰か倒れまで止まらない…
お盆で我が家に兄弟が集まった時に茹でた枝豆があったので持ってきたのですが、二日前なら大丈夫かと言いつつすぐになくなってしまいます。
ビールの泡は炭酸ガスなので蚊もよってきやすい。蚊取り線をたかないと。

休憩をしつつ次の試合はOBさんと組んでタケちゃんマン、1059組と対戦。ここはOBさんが頑張って3:1で勝利。なんか久しぶりの勝利か…
タケちゃんマンは3試合やるとガラスの肘が悲鳴を上げるのでリタイア。早々と着替えをします。残った6人で試合を続けます。
今度は二日酔いコンビではげ親父と組んでOBさん。1059組と対戦。一進一退だったんですが最後の詰めが甘くて結局1:3の負け。善戦はしたんですけどな~やっぱり二日酔いだからな~
最後の試合はもう一度はげ親父と組んでヤッターマン、森の熊さん組と対戦。1ゲームは取ろうと謙虚な姿勢で挑んだのですが、最初の2ゲームは一ポイントも取れない体たらく。このまま完封負けかと思いつつ次のゲームに何とか1ポイントは取ってもそこまで。最後のゲームは30:40まで行ったのですがふらふらときたチャンスボールを見事にはげ親父が空ぶって試合終了。0:4の完敗でした。
ここでコート整備をして終了。OBさんは予定があるとかで帰り森の熊さんを除いた5人でいつもの紫禁城へ行きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

又吉直樹「火花」

2015-08-15 09:14:32 | 
芥川賞を取って200万部突破。話題の本です。図書館では予約が殺到して名古屋市の図書館システムでは予約が2千件以上あり2年待ちとか。
普段は文庫本になってからか図書館でしか読まないのですが、新し物好きのかみさんが買ってきた(本屋で予約待ちでした)ので、私も読んでみました。
あらすじはあちこちで紹介されているので感想だけ。

一読しての印象はやっぱり芥川賞ですね。言葉が普段使わないような難しい言葉が多くて文学しているって感じ。ことさら辞書を引いて確認するほどでもないので適当にスルーしていきますが、語彙が豊富です。
主人公の先輩芸人の「あほんだら」の神谷のモデルがいろいろ言われていますが、これは小説である以上一人のモデルがいるわけではないでしょう。笑いに人生を賭け狂おしいまでに笑いを追い求めているたくさんの芸人をジューサーにかけてそのエッセンスをこして造形した人物でしょう。もちろんジューサーにかける前の又吉が現実に見聞きした芸人はいるわけで、部分部分にはモデルとなる人物出来事はあったのでしょうけど、あくまで神谷は又吉の頭の中で肉付けされ形作られた人物です。
同じようにお笑いコンビ「スパークス」の主人公も又吉そのものではありません。自分自身の経験はもちろん入っているのでしょうけど、そこにもいろいろ見聞きした芸人の話が入っているはずです。
だからこそ小説として成り立っているのですし、これから別の視点からの次回作を書いていけると思います。
最初の内は文学ぽ過ぎるのが鼻についてなかなかページが進まなかったのですが、徐々にお笑い芸人の世界に入り込むと後は一気でした。芸人の世界だけにとどまらず人生の普遍性を描いていてちゃんと文学に昇華しています。
特にスパークスの最後のライブの描写はネタとしてもよく考えてあってよかったですし、終わったときは思わず熱くなりながら拍手(もちろん心の中で)ですね。
でも最後はちょっと、ちょっと。
神谷が最後にそこまでするというのは引いてしまいますし、如何に破滅型芸人としても、もう少し余韻の残る終わり方があったのではないでしょうか。
又吉の作家としての評価は本人の言っている通り次回作、次々回作を書いてみて、その出来によって定まるのでしょうけど、今度も芸人の世界を舞台にするなら全く違う視点が必要かな。
文学好きの人には読む価値あるけどお笑い芸人の内輪話を期待している人は映画化されて文庫本になってから読みなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オリーブの罠」酒井順子

2015-08-13 07:19:26 | 
平凡出版から1982年に創刊された女性誌「オリーブ」。最初はポパイの派生雑誌としての出発だったのですが、2003年に休刊になるまでにその性格を何回か変えつつ、いわゆるオリーブ世代なるものを作り出し、若い女性のライフスタイルを導いていたのです。

と言われてもなんのこっちゃ?と思うのですが、著者の酒井順子は創刊当時の高校生のころからの愛読者で、なんと泉麻人の助手的な位置でコラムを書いていたとか。高校生のころから文筆の才能はあったということですね。
ところで創刊のころはポパイの増刊だったようにmagazine for city girlsで、アメリカかぶれ。そのターゲットは遊ぶのは好きだけど根は保守的な女子大生。当時の女子大生は「Can Cam」とか「JJ」といういわゆる赤文字系雑誌が女子大生に人気で、ファッションであれ、サークルであれ、就職であれ、すべての判断基準が「男うけするか否か」。対するオリーブは「自分が興味を持てるか」「個性的か」と言った判断基準で行動する女子大生が読者。でもオリーブ路線は女子大生としてはやっぱり少数派…
83年9月にはオリーブの路線が変わります。そしてターゲットも女子高生に。タイトル下がMagazine for romantic girlsに変わり、ロマンチック路線に舵を切るのです。そしてここからオリーブ伝説が始まります。
ところでこの時「リセエンヌ」なる言葉が出てくるのですが、なにそれ?リセとはフランスの公立の中等学校。だからリセエンヌとはフランスの中・高生の女の子。これがオリーブのキャラクターとしてオリーブ少女のツボにはまったようです。当時女子高生の間ではいわゆる「ヤンキー臭」が満ち溢れたツッパリ女子高生ご愛読の「ギャルズライフ」などが一世を風靡していたのですが、その反作用なのか現実逃避的、非モテ系のオリーブ少女も生み出していたのです。地方のヤンキーになれない少女は圧倒的少数派のオリーブ少女としてリセエンヌの世界に没入しつつ東京にあこがれていたようです。
オリーブでは制服のない東京の女子中高生通学スタイルを紹介したり街角スナップを載せて、素人を活用しています。紹介される街の情報はほぼ東京のものばかりで、紹介される女子高生も東京の人たちばかり。東京の付属校カルチャーが色濃く漂っています。たぶん地方にいてそんな女子高生のファッションに憧れている人がたくさんいたのだろうけど、ほとんど名古屋を出たことがなく気分だけローカルバンカラだった私にはやっぱりなんのこっちゃ…当然ながらおしゃれなファッション用語がここからたくさん出てくるのですがちんぷんかんぷん。でも具体的に何かはわからなくてもなんとなく気分というか路線はわかりました。
オリーブのファッションは「男に媚びない感じ」。聖少女願望があります。
ところが80年代末期のバブル真っ盛りの時代からオリーブはナチュラル志向になっていきます。人々がバブルに浮かれている頃「飾るな、無理するな」と少女に呼びかけているのです。自分の意志をしっかり持って好きな道を進みなさいといいます。でもその姿勢はバブルに浮かれている世の中で男から見ると魅力的かどうか。オリーブ少女はまじめで頑張り屋。おしゃれでも男の子に勝とうと考えます。そのため恋愛面については異性を遠ざけてしまう結果になりがちだったかも…
オリーブ少女には専業主婦志向がなく目標は「おしゃれになる」「ナチュラルに生きる」「夢を持つ」でゴールがありません。中高生がターゲットのはずが社会人になってもだらだらと在籍できる世界でした。
でも2000年になるとギャルブームの中で付属校カルチャーも薄れ中高生からは顧みられなくなりもはや女子高生の文化を牽引するパワーはなくなりあえなく休刊してしまいます。
でも卒業のないオリーブ少女魂は中高年になってもオリーブおばさんとして生きているみたいです。時代はナチュラルなので結構それはそれとして前衛になっているかも。
オリーブという雑誌を通じた80年代から90年代の時代の風俗というか社会状況というか、文化と言えば格好いいのですが、東京の女子高生たちの生態がよく分かりました。ファッションには全く知識がなかったので言葉が分からない部分が多々あるのですが、注釈もあってこういうことだったのかと改めて知ったこともたくさんあります。
ところで花田美恵子さんとか黒田知永子さんというのは高校生のころから読者モデルとして紙面を飾っていた有名人だったんですね。ほかにも高校生からの有名モデルがいるみたいですがこれにもびっくりでした。
思えば大学も就職も名古屋で市外へ1か月以上出たことがなく、モテたこともないわたしにとってこの本に出てくる東京の女子高生などというのはある意味憧憬とともに恐怖と嫌悪の対象だったかも。東京は恐ろしか街や…
とは言っても高校生のころから雑誌に連載コラムを持っているような酒井順子の才能には、それが東京という街の影響が大だったにしても脱帽です。ボケ防止でこんな駄文を書いている自らを恥じるばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする