怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「日本会議の正体」青木理

2017-06-30 21:24:12 | 
フランスのルペン率いる国民戦線は極右政党と言われているけれど、その移民、難民政策でも国籍条件でも、主張していることは現在の日本よりもよほどマイルドだ。それならば今の日本は極右の国となる。
安倍内閣はアベノミクスという口触りのいい後世へのつけ回しを行いつつ、安保法制、共謀罪、そして本命の憲法改正へと突き進んでいる。
海外のメディアはそんな安倍内閣を「日本会議」という極右ロビー団体に牛耳られていると報じているが、では「日本会議」とは一体何なんだろう。
この本では、その成り立ちから力をつけてきたいきさつを詳しく論じてあるが、キーパーソンは椛島有三。生長の家の学生組織で活動する中で対立する左翼の行動、組織を学びつつ、現在は日本会議の事務総長として実務を取り仕切っている。実務能力抜群の優秀なオルグナイザー。ただし、筆者がいくら取材を申し入れても一切拒否。一度などは突撃取材で直接申し込むも無視。まさに表には出ないで組織を牛耳っている黒幕。
日本会議には生長の家の学生活動家が組織の中核にいるのだが、資金力と組織、大衆動員とでは神社本庁が強力にバックアップしている。さらに復古主義の新興宗教も取り込んでいる。
今や衆参両院から280名もの議員が日本会議国会議員懇談会に名を連ね、安倍内閣では半分以上の閣僚が懇談会のメンバーとなっている。
では日本会議の主張とはと言うと
①天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬
②現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破
③愛国的な教育の推進
④「伝統的」な家族観の固守
⑤「自虐的」な歴史観の否定
に要約される。
正直言って「日本会議」の言う正しい日本の姿というのは戦前の日本ということなのだろうが、あまりにもアナクロニズムというべきか。
たぶん司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描写されている帝国主義列強の圧力の中でまことに小さなはかない国から独立を保ちながら懸命に努力して、列強の仲間入りしていく明治維新から日露戦争までの若々しい日本が理想的な姿。「坂の上の雲」を読むと心情としては分かる気がしますけどね。
でも明治維新からの戦前の日本は日本の歴史から見ると非常に特殊な時代であり、天皇制についても日本古来の伝統を無視して再構築されたものなのでは。明治維新前の天皇は平安時代以降後醍醐天皇などを除いて政治には口を出さずにいるのが伝統だった。
明治憲法は普通選挙も国民投票もない中で決められ当時の国民の総意と言えたのか。列強に追い付けとばかりにプロシアの憲法をまねて薩長政権が国民に押し付けたものという考えもあるでしょう。本当に日本的なものをというのなら聖徳太子の17条の憲法に回帰しなくては。因みに聖徳太子は仏教に深く帰依していましたよね。国家神道も明治時代の創作で、ある意味日本古来の神道の伝統を大きく変えています。鎮守の森の氏神様は南方熊楠が体を張って時の政府方針から森を守ったように国家に統制されたものではないはずです。
渡辺京二の「逝きし世の面影」を読むと江戸時代の人々の文化、家族、生活などは明治以降と大きく違うのだが、どちらが日本古来なのだろう。縄文文化が日本的なのか弥生文化は外来文化ではないか、平城京も平安京も長安をまねたもので当時の日本人にとっては異国情緒漂う都市だった?
今の出生率が続いて行けば3737年12月には日本の子どもはゼロになるという。日本という国は消滅していく。それを阻止するのに伝統的家族観への回帰が有効だろうか。今生涯未婚率がどんどん増えているけど伝統的家族観が結婚への桎梏になっているんではないだろうか。フランスでは出生率が回復したと言われているが、かの国では半分以上は非嫡出子。戦前とは違う新しい家族観こそ求められているんじゃないか…
ところで安倍政権と日本会議の関係についていえば稲田朋美(インタビュー当時は自民党政調会長)に言わせると主張の親和性は高いけどそんなに濃密な関係ではないと。改憲を目指す日本会議にとっては安倍首相は最強のカードなのだが、都議の古賀によると「安倍さんだってそんなに深いもの(政治思想)はないですよ。それを日本会議がある程度はリードしてる部分はあると思います。原理的なことを日本会議がきちんと主張してくれていますから」でも深いものがないだけに日本会議の目指すところに突き進んでくれるのには最良のパートナー。
望んだのかどうかわからないが右派とケミストリーがあってうまく取り込まれたということ。日本会議が安倍政権を牛耳っていると言われる所以でしょう。
でも現在の日本社会が「日本会議的なもの」を許容するようになってきているのは事実であり、それを気付かないままに進んでいる現状には恐ろしさを感じるところです。
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6月24日瑞穂公園テニスコートの後は5人でしげ寿司。

2017-06-27 20:26:54 | テニス
この日は5人なので4人掛けテーブルに椅子を1脚足して座ります。
着替えてから行ったのですが、既にビールが出ていて乾杯。
白身の魚の刺身も出ていたのですが、これは…

美味しかったのですけど、写真を見ただけでわかるでしょうか。
この魚は「アイナメ」です。
はもの湯引きも出てきました。
これは今年初めて。中々家庭では食べることがありませんね。

定番の梅肉で食べます。
ビールはすぐに2本無くなったので、今度は焼酎を。でも前回ほとんど飲んでしまっていて2杯作るのがやっとしか残っていません。
すぐにもう1本出してもらいます。
烏賊とわかめの酢味噌和えも一つ。

活舌が悪くて若作りと聞こえたみたいで、それならおかみさんの若作りも。でもこれが限界ですとか。
ここで大将お勧めのアユの甘露煮を出してもらいます。

箸休めに大将が烏賊の醤油漬けを出してくれたのですが、これは酒の肴にぴったり。

となると日本酒でしょう。
でも焼酎「赤霧島」はまだ残っているし、ここから大吟醸というのはどうかな。
ここはちょっとケチって「麒麟山」の1升瓶にしました。

冷酒用のグラスを出してもらいいただきます。
その頃前に頼んでいた干物がやっと焼けてきました。
カレイの干物に

鯵の干物です。

みんな日本酒をグビグビ。
誰が頼んだのかイワシのヌタ?が出てきました。

日本酒は結構飲んだのですが、焼酎も半分ほど飲んでいました。
2本ともキープしておきます。
〆はバッテラというと今のサバは身が瘦せていてお勧めできないとかで太巻きに。

お稲荷さんも欲しいという声もあって私を除いた人数分つけてもらいました。私はお昼にきつねうどんだったので揚げはパスしたのです。
最後にスイカが出てきてごちそうさまでした。

会計は17300円で一人3千円で、お酒も焼酎も残っているので残金は基金から出しておきました。


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6月24日瑞穂公園テニスコート

2017-06-27 07:31:21 | テニス
梅雨の晴れ間というか晴れるほどではなくて曇っているのですが、雨は降りそうもない。
家族はみんな出払って一人でお昼を食べて3時過ぎごろからのろのろ支度をする。
保冷バックにビールと柿の種と韓国のりを詰めて準備完了。

3時40分には家を出ていつもながら歩いて瑞穂公園テニスコートへ。
5分前には着いたのですが、この日は1番コート。
はげ親父に1059さん、森の熊さんといます。早速乱打を始めます。しばらくやっているとヤッターマンも登場。5人になりました。
太陽は出ていないので気温はそれほどではないのですが湿度が高い。
動くと汗が吹き出します。

ということで一休みすると早速ビール、ビール
一休みしたらじゃんけんして試合に。さあ始めようとしたらここでカバちゃんが登場。何とか6人になりました。
最初は森の熊さんと組んで2試合したのですが、相変わらず肝心なところで決めきれずに2試合とも1ゲームを取るのがやっと。まあ、実力通りということでしょうか…・
少し日が傾いてくると蚊が出てきます。
年越しの蚊取り線香で、まだ効き目があるのかどうかわかりませんが焚いてみます。

結構風があって煙は流れてしまうので効いているかどうか。
休んでいる間は蒸し暑いのでビール。500缶を4本に350缶を1本と結構飲んでしまってゲップをしながらのテニスになってしまいました。どうも緊張感がないテニスですいません。
一休みしたら組み替えて今度ははげ親父と組むことに。
このペアで2試合したのですが、ここでも1ゲームを取るのがやっとの結果。酔いが回っているのかはげ親父はやたらと力んでミスショットを繰り返し、つられてこちらもミスを重ねたので、完封負けではなくて1ゲーム取れただけでも良しと言えばそうなんですけど…
いつも通りの何だかな~の結果でしたが、ビールが飲めて4試合テニスが出来て、これでいいのだ。
終って5人でいつものしげ寿司へ行きます。
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「蜜蜂と遠雷」恩田陸

2017-06-24 07:48:47 | 
第156回直木賞受賞作でありかつ本屋大賞も受賞。
堂々たる傑作です。
でもハードカバーの2段組みで500ページ余りの大作。最近目が悪くなって疲れやすい身にとってはそれだけで尻込みしてしまう。

おまけに題材は権威ある国際ピアノコンクールの参加者たちの姿。クラッシック音楽については中学生レベル(いまやそれ以下だと思うのですが)の知識しかなく、ベートーヴェンだのモーツアルトなどの名前こそ知っていても曲名を聞いてもさっぱりイメージできずにピアノの技法などについては皆目わからない。
因みに高校では芸術科目は美術選択でした。
ピアノコンサートなどはその昔まだ独身時代にデートのようなもので中村紘子のコンサートに1回行っただけですが、中村紘子が前列の観客に何やら文句を言っていて怖いおばさんと思ったぐらいの記憶しかありません。
そんなこんなで面白いからと言われて友人に借りたのですが、読むのを躊躇してしばらく積読だったのですが、暇に任せて読みだしてみました。
いや~、率直に言って面白い。最初こそとっつきが悪かったのですが、読み進むうちに止められなくなりました。
今は亡き巨匠ホフマンの推薦状をもって突如現れ審査員に驚愕を与えた天才、風間塵。天才少女の名をほしいままにしていたのに母の死後突然コンサートから失踪して長いブランクのあった栄伝亜夜、そして遠い日本人の血が混じるマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。3人の天才たちが芳ヶ江国際ピアノコンクールの一次予選、二次予選、三次予選そして本選と勝ち進んでいく姿を描いているのですが、ちょっと脇役の遅れてきたピアニストの高島明石が心和ませていいですね。
小さいころからピアノを習っている子は何万といるのでしょうが、プロのピアニストとして自立できるのは本当に一握り。天賦の才能と幸運と音楽の神様に愛されたものだけが、この世界で生き残っていくことができる。コンクールで勝ち進んでいくまでには、数多の激烈な競争があり、嫉妬が渦巻き、そういう人間模様も一つのドラマになっている。でも主人公たち3人はそんな愛想渦巻く世界から超越したところで、まさにピアノと一体となって音楽を奏でている。
本選に進むまでに、バッハから始まりハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンそしてピアノ曲なのでリストにショパン、ブラームス、ラフマニエフ、ラヴェルなどなど。作曲家の名前は知っていて曲名も聞いたことあるような気もするものもあるですが、実際にレコードやCDでも聞いたことのない曲がこれでもかと出てきます。
それぞれの曲についての作曲家の想いとか求められる演奏のテクニックとか曲が訴えようとしていくものとかが事細かく描写されているのですが、如何せん詳細がわからないままに文章で想像するしかありません。
まあ、ここに書いてあるような演奏を実際にやってみろと言われても到底無理でしょうし、その意味ではこの小説を映画化するというのは不可能だと思います。演奏にナレーションをかぶせて訴えていくということは可能でしょうが、それでは到底原作が訴えているすごさを出せないし単なる曲と演奏の解説になってしまいますしね。
ピアノに関する知識が皆無でクラシックの音楽についても中学生レベルの知識の私でもこの小説は十分堪能できたので、ある程度の知識がある人が読んだらどれほどかと思います。この本を貸してくれた友人は最近60の手習いでピアノのレッスンを受けていると言っていたので、たぶん私の何倍かも堪能できたでしょう。
読みだすのにちょっと気合がいりますが面白いこと間違いなし。直木賞と本屋大賞ダブル受賞なので私が言うまでもなく当たり前なんですけど。これで1800円(税別)は安い!
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6月17日は実家でお食事会

2017-06-21 21:10:08 | Weblog
テニスを終えて飲みにもいかず早めに帰ったのは、この日は実家で食事会だから。
下の子が東京に行ってからは、実家で食事をすることもめっきり減ったのですが、この日は久しぶりに夕食を共にすることに。
テニスの帰りに私が「おかずや柿安」によって適当に何か買ってくることになっています。

いろいろ迷ったんですが、どて煮とだし巻き卵に。

この日のメインデッシュは、雁道で何回かテレビでも取り上げられている「肉のマルオト」で揚げ物を買うことに。
最近は母が出来ることが一つづつ減ってきていて、何もしないでいいと言ってあったのですが、多少参加しないと呆けるばかりなので、マルオトで買うものを書き出して6時に取りに行くということで注文をしてくるように命令。
かみさんはポテサラを作ってきて、あとは浅利の味噌汁でも作ろうかとなったので、浅利を母に買いに行くように言ったのですが、家を出た途端近所の人と会って話しだして、すっかり買うものを忘れてしまい、戻ってきて「何を買えばよかったかね」
市場で浅利とついでにネギも買ってきてと言ったら買ってきたのは浅利と何故かほうれん草。ぶちぎれそうになったのですが、同級生のやっている昔からの市場の八百屋なのでほうれん草をネギと代えてくるということに。結局上の子がついていきました。
とにかく6時にはマルオトに頼んでおいた揚げ物も出来上がってきたのでテーブルに並べて、お酒で乾杯。
この日は「千寿」です。

揚げ物は串カツにコロッケにエビカツ。B級グルメですけどよくテレビにも取り上げられるだけにあって美味いんだな~

どて煮のみそで串カツを食べるとこれがまた美味い。名古屋人の幸せを感じます。
箸休めにポテサラで口の中の油をとって千寿をグビリ。

ブラタモリを見ながら久しぶりの実家での夕食でした。
それにしても、何時まで母は一人で暮らしていけるのやら。
冷蔵庫の中にはまともな食品はほとんど入っていなくて、食品トレイとかパックが何かに使うからと行って取ってあり棚に鎮座している。捨てようとすると毎回喧嘩になるので分からないように黙って持ち帰って捨てるのですが、すぐに補充されている。なんだかな…
そろそろ一緒に住まないといけないかもしれないけど、かみさんの同意は得られそうもなく、このままでは単身赴任となって一家は離散か…
まあ、この日は無事夕食を共にして穏やかなひと時を過ごすことが出来ました。
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6月17日瑞穂公園テニスコート

2017-06-18 21:00:32 | テニス
朝の内は雲が多かったんですけど、天気予報通り徐々に晴れ間が広がってきます
お昼過ぎに家を出るころには、晴れて暑くなりそうです。
梅雨はどこへ行ってしまったんだ。
13時40分に家を出て大汗かきながら瑞穂まで歩いていきます。
途中の名女大高校の角に差し掛かるといつの間にか角の中華料理屋pinpinがカキ氷屋になっています。

どうやら土曜日曜の11時から17時までの限定でカキ氷屋になるみたいです。
ほぼ10分前にコートに着いて更衣室に行くとタケちゃんマンとヤッターマンもいました。
コートへ行くと1059さんと森の熊さんがベンチで時間を待っている。
14時30分になって乱打を始めます。
タケちゃんマンはまだ肘の具合がよくなくて少しやったらやめるという不安な状態なのですが、乱打になるといきなり全力で打ってくるんで、そのパワーは試合の時まで取っておいたらと思うんですけど…
一通りやっているとはげ親父が登場。どうも昼間から宴会してきて生ビールを2杯と焼酎を3人で1本飲んできたとか。近づいてきたら酒臭い。それでもテニスに来るという根性が凄い。
やがてえみちゃんも登場。どうやら車を停める場所がなくて彼方此方うろうろした挙句無理やりどこかへ停めてきたみたい。
人数が集まったので、じゃんけんして試合に。
最初の試合はタケちゃんマンと組んでヤッターマン、1059組と対戦。何故か私は体が重くて、これは急に暑くなった中を歩いてきたのでバテてしまったからか?相棒のタケちゃんマンは肘に爆弾を抱えたままでこれまたイマイチ。ゲームの途中で打ち方によっては肘に響くからと言いつつ、力任せに打とうとして当り損ねたらそこでアウト。痛ててて・・・こんな状態では結果が出るわけもなく0:4で完敗。
タケちゃんマンはここで早々とリタイア。着替えて飲みに行くのを待つだけとなりました。
入れ替わるようにカバちゃんが登場しました。
この日の気温は30度を超えて、急に暑さが戻てきて、ひ弱な私はどうも体がだるい。

まあ、湿度は低くて風があるので救われますが、水筒の水はすぐになくなりペットボトルを買ったので1リットルは飲みました。
次の試合はヤッターマンと組んで森の熊さん、1059組と対戦。この暑さにも関係なく相変わらずヤッターマンは走り回るのですが、私はイージーミスばかり。最近変身した1059さんの小技に翻弄されて1:3で負け。
無理やり駐車してきたえみちゃんはそろそろ車が心配になり、ここらで早めに帰ることに。
私の最後の試合は、森の熊さんと組んでヤッターマン、カバちゃん組と対戦。この試合はさえない結果で1:3の負け。まあ、こんなもんでしょう。
実は私はこの日実家で食事会なので早めに着替えて帰ります。
先行したタケちゃんマンに森の熊さん、ヤッターマン、はげ親父はいつものようにしげすしへ行くのでした。



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6月10日瑞穂公園テニスコートの後は4人で

2017-06-13 21:18:36 | テニス
終って森の熊さん、ヤッターマン、1059さんと4人でいつものしげ寿司へ。
まずはビールで乾杯。
とりあえずのつまみは烏賊の煮つけ。

う~ん、これはつまみにはぴったりでんな。
今日の刺身はアジにします。
と言っても私は着替えてから来たので、これらはすでに注文してあって私は出てきたものを食べるだけですけどね。

ショウガ醤油かワサビかはお好みで。
ビールはすぐ2本飲んだので、次は焼酎に。
ここ2回は三千盛りの大吟醸を飲んでいたのですが、焼酎のボトルがまだあったはずなので出してもらいます。
赤霧島がちゃんと3分の1ぐらい残っていました。
でも水割りにすると一人1杯づつでほぼなくなる。
赤霧島をもう1本出してください。
イサキの塩焼きも出てきました。

ここで森の熊さんがホワイトボードに書いてある「マグロのほほ焼き」と「マグロのてっぺん焼き」を見つけて頼みたそうにしています。でも両方はないでしょう。脂がのっているという頬の方を焼いてもらいます。

ビジュアルはイマイチですが、マグロの肉だ。美味しい。
焼酎が進みます。
ここで大将が何やら瓶をいじっているので何ですかと聞くと試しに作った赤貝の塩辛とか。
試しに食べますので出してください。

これは珍味。つまみとしてはもう少し塩が効いていてもいいかな。
大将はワサビ醤油にチョットつけてもいいと言ってました。
ここでもう一度イカに戻ってイカ焼きに。

烏賊好きなんです。
〆はバッテラと鉄火のハーフ&ハーフにしたのですが、この日はサバがいいのがないとかでコハダで作ってもらいます。

でもやっぱりバッテラはサバの肉厚の身の方が旨味がガツンときていいな。
最後にお茶とフルーツが出たのですが、フルーツは早くもスイカ。初物です。

お勘定は10260円。一人2500円で260円は基金から出しておきました。

因みに焼酎はまだ半分以上残っています。また来週。

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6月10日瑞穂公園テニスコート

2017-06-11 16:15:12 | テニス
朝はいい天気でしたが、お昼過ぎから雲が出てきました。
3時30分過ぎに家を出ていつものように瑞穂公園テニスコートまで歩いていきます。
途中山崎川に差し掛かると鵜が佇んでいる。

すぐ横の流れには上から見ても魚結構いるんですけど、満腹で休憩中?
着替えてからほぼ定時にコートへ。この日は3番コートです。コートでは森の熊さん、1059さん、はげ親父が乱打をしていたので早速入れてもらいます。
程なくヤッターマンも登場。少し遅れてカバちゃんも登場し、入れ替わって乱打をしていきます。
この日は気温が28度。風が少し出てきたのですが、湿度も低くてテニスするにはちょうどいい気候です。

一休みしたらいつものようにじゃんけんして試合になります。
最初はカバちゃんと組んでヤッターマン、1059組と対戦。私はいつもながらミスを重ね、スロースターターのカバちゃんもイマイチ精彩を欠き0:4で完封負け。まあ、こんなもんでしょう。
試合をやっている最中にヨイショも登場。この日は7人になりました。
次の試合は森の熊さんと組んでヤッターマン、カバちゃん組と対戦。この試合は3ゲームがデュースにまでもつれ込む死闘に。勝機はあったのですが、最後は体力も尽きて、それでも2:2の引き分けに。
合間にはビールを飲むのですが、この日ははげ親父は車で早めに帰るというので飲まず。私とヤッターマンの二人で飲んでいたのですが、ヤッターマン持参の地ビールは缶の直径が微妙に違っていてプレモルでもらった泡サーバーが嵌りません。イオンのプライベートブランドの韓国製のビールも嵌らなかったんですが、同じように見えて缶ビールの直径も微妙に違うものです。

試合の合間に休んでいると久しぶりの施設の熊さんが帰るところだったので、走って行ってごあいさつ。なんでも娘さんと食事なので早めに帰るとか。そんなに家庭を省みる人だったのか、退職して第二の人生になると余裕が出てきたということなのか懺悔の日々ということなのでしょうか。でもこのブログをご愛読していただいているみたいで感謝です。
ちょうど同じ頃にカバちゃんのお母さんも現れて実家の気になった枇杷をたくさん持ってきてくれました。

みんなに分けて頂きます。
はげ親父は6時過ぎには早くも帰り、私とヨイショ組対森の熊さん、カバちゃん組が最後の試合に。ここは一進一退でしたが最後は粘り勝ちで3:1で勝利。終わり良ければ総て由です。
少し早いのですが、6時15分に終了して、森の熊さん、ヤッターマン、1059さんと4人でいつものしげすしへ行きます。
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「キリンビール高知支店の奇跡」田村 潤

2017-06-09 20:47:02 | 
その昔、ビールと言えばキリンのラガーだった。日本酒党の父も夏の暑い時にはビールを飲んでいたがキリンのラガーだった。
市場占拠率は6割を超え、独占禁止法に引っかかるとかであまり売らないようにしようなどという話もあったくらい。当時(私がまだお酒を飲めなかった頃)は、キリン、サッポロ、アサヒの順で、アサヒなどは半分潰れるのではないかと言われていたような気がする。大学の教授が競争状態を保たないといけないから私はビールを飲む時はキリン以外にするとか言っていた記憶がある。
ところがスーパードライの登場でがらりと様相が変わる。ある意味日本人好みの味なんだろう。和食とも相性がいいスーパードライはあっという間に市場を席巻していく。
そんな中、著者は上司との意見の対立による懲罰人事によって1995年に本社の営業企画の部長代理から高知支店長へ赴任する。
当時の高知支店は、最下位ランクの支店で四国地区本部のお荷物と言われていたとか。社員は総勢12名で営業マンが9人で女性の内勤が2名。県の支店と言っても意外に少人数です。
営業マンは数字が悪くても意外にあっけらかんとしていて、本社から次から次へと降りてくる施策を淡々とこなしているという感じ。本社からの指示に振り回され目的意識もなく得意先を回っているというのです。その間に数字はどんどん落ちてきて、アサヒに逆転されていきます。
そこでどんな手を打つのか。まず、社員一人一人にどうすればいいのか自分で考えさせ、目標を立てさせます。戦略としては料飲店のマーケットに集中して営業をかけるように絞り込みます。そのためには本社の指示をこなせないところも出てくるのですが、それは支店長が防波堤になります。
料飲店をできるだけ数多く回るためにはどうしたらいいのか自分の頭で考え実行していく。そうやって営業活動を重ねていく中で力をつけていったのです。
現地採用の内勤の女性にも営業活動を手伝ってもらうようにしました。
ところで支店長も生の声を聞くために宴会に出るのですが、そこは宴会大好きの酒飲みばかりの高知県。年間270回以上宴会に出ていたとか。おかげで糖尿病に高血圧の痛風になったとか。体を張っています。
そんな中、アサヒに急追されたキリンビールはラガーの味を変えるのですが、これが大失敗。古くからのなじみ客からも反発されてますますシェアを落としていきます。
異例なことだったのですが、エリア広告を打ち、営業もどんどん新しい工夫、手法に挑戦して盛り返していきます。
しかし、ラガーの味が変わったことには如何ともし難い。本社に何度も意見具申するのですが、黙殺。ついには社長が全国視察の際に高知に来た時、女子社員が直談判という事態に。しかし、それによって「ラガーの味をもとに戻す」となるのです。
そうなると「高知の人の声でラガーの味をもとに戻しました」と宣伝攻勢。料飲店に営業マンが頻繁に訪問して取扱店を増やしていきました。
そうこうするうちに高知支店の対前年比が一躍社内で1位に。1997年では37%に落ち込んだシェアは1988年に反転し、2001年に44%となり、高知県でトップを奪還したのです。
負け犬根性が染みついていた社員に明確な目標を与え、自分の頭で考えさせ、地道に実績を積み、成功体験を得て、チーム力を高めていく中で常勝軍団にすることができたのです。奇跡と言われました。
ところで著者が高知に支店長としていたのは6年間。その後も高知のシェアは伸び続け2006年には60%近くにまで達したとか。その時の全国シェアは40%を切っていたのにです。
著者はこの実績をもとに、四国地区本部長になり、その後東海地区本部長、本社営業本部長、代表取締役副社長にへと昇任していきます。
それぞれの役職でも実績を上げ2009年にはアサヒから売り上げシェア首位を奪還。
う~ん、素晴らしい実績です。
でも著者は2011年には100年プランニングの代表になっています。60歳になっているので定年退職かなとも思うのですが、役員ならば自由が利くはずなのにキリンビールから去っています。何か軋轢があったのか勘繰てしまいますね。著者の行動力と大会社の官僚化した経営陣とはなじめなかったのでしょうか。
著者が去った後のキリンビールの実績はあまり勢いがなくて、今はサントリーが元気に追い上げてきています。ビールというのは著者が言っているように味での差別化というのはそんなにできなくて「美味しそう」とか「元気はいい」とか「売れている」というイメージで売れ筋が決まってくるみたい。そうなると「勢い」が大切なんですけど…今勢いがある「プレモル」だって目隠ししてどれだけの人がわかるのやら。
でも今我が家で飲んでいるのはスーパードライとプレモルなんですけど。

この本の白眉は題名にもあるように高知支店の6年間の実績です。組織をいかに変えていくかという教科書としてはいいですね。
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6月3日4日上松民宿「さわぐち」合宿その3

2017-06-09 07:13:11 | テニス
夜になるとぐんと冷え込んできて、寝る時は布団と毛布をしっかりかぶって寝ましたが、途中で跳ね飛ばすこともなく朝を迎えました。
この日の朝の気温は6度の予想でしたから寒いのは当たり前。
二日酔いで頭は痛いし、全身に疲労感が残っているので、なかなか布団から出ることが出来ません。
でも元気なヤッターマンは朝早くから1時間ほど散歩に出かけ川向こうの高台まで行ったとか。向こう岸からは中央アルプスが綺麗に見えるとか。
コチトラはのろのろと起きて洗面を何とか済ませて朝食を待ちます。
朝から元気な人は元気でご飯をお替りする人もいるのですが、私は茶碗半分がやっとでした。それでも温泉卵に焼き鮭にみそ汁は完食。さすがにここでビールという人はいませんでしたね。
部屋から景色を見ながらお茶をすすっていると、森の熊さん曰く都会暮らしのストレスが10日分消えるとか。もう1泊しようかなどと言っていましたが、だれも止めずに「どうぞ、どうぞ」
おかみさんがコーヒーを入れてくれたので一息入れてから、テニスコートへ行きましょう。
この日もいい天気。風もありません。

本当に高気圧の真ん中なのか雲一つない天気です。
でも頭の重いのは変わらず。全身が疲労で気怠いのです。
イマイチ意気が上がらないのですが、乱打をやり、いつものように試合になります。
ここで私は3試合やったのですが、メモを取ていなかったので詳細は不明です。とにかく何とか3試合すんだら個人的にここで終了。
森林浴がてらコート周辺をあちこち歩いて、水分補給に努め、アセトアルデヒロを早く排出しなければ。はげ親父と森の熊さんは昨日の残りのビールも飲んでいるのですが、さすがに二日酔いで飲んでも美味しくないので私はお断りしました。
ところで10時過ぎに銃声が響きました。ぐわ~んと山々に響きます。クマかイノシシでも出たのか?移動しながら結構連続して何発か撃っています。

後でおかみさんに聞いたらサルを追い払っているんでは?とのことでしたけどね。
みんなはたくましく11時近くまで試合をして、終了。
お風呂に入って一休み。さすがにひと風呂浴びると二日酔いの頭の痛さも消えたので、ここで残っていた缶ビールをいただきます。
お昼近くでも気温は15度。湿度も低くて爽やかな天気でビールが美味い。

お昼はいつものようにカレーライス。ここでも私と森の熊さん、はげ親父で瓶ビールを1本。さすがにあとの人は飲みませんでしたけどね。
カレーはセルフサービスでお替り自由。ここでもお替りする人がいるのですが、私はご飯が多くてカレールーだけを少し頂いてつぎ足しました。
今回の旅行は車のガソリン代を含めて一人13000円。

いつもながら幹事の森の熊さんご苦労様でした。
帰りは私はBBさんに乗せてもらいます。私たちは東海環状道を通って豊明まで行って市内に。笠寺まで送ってもらい東海道線で家に帰ったら4時。
下界に戻ると気温は25度を超えていて、家に帰ると疲れてぐったりでした。
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