怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

11月27日瑞穂公園テニスコートの後は3人で八事へ

2021-11-29 20:46:34 | テニス
終わって、どうするかと聞くとはげ親父はこのところ孫の相手で欠席。まあ、今日はまっすぐ帰ろうかと思っていたのですが、コートの出口にタケちゃんマンと1059さんが待っていて行きましょうとのこと。それならば嫌いではないので行くか。
瑞穂は近くに飲食店が少なく、みんな敬老パスを持っていることもあって八事まで地下鉄に行くことに。
途中玉よし寿司の前を通ったのですが、以前確か工事中でこのコロナ禍で閉店したかと思ったのですが、準備中になっていたので営業は継続しているみたいです。

でもここは17時にならないと開店しないので店の前で時間をつぶすよりは八事に行くことに。
八事には17時少し前に着いたのですが、この日は以前行った「串揚げ酒場なごみ家」へ。

ここも開店は17時。あと2~3分の待ちでまだ準備中だったんですが、開店準備をしていたお姉さんと目があったら扉を開けてくれ、席に案内してくれました。
ところが隣の席には開店前なのにすでに宴会している人たちが。早くに予約していた人たちなのか?
とりあえず乾杯なのですが、私はハイボール、1059さんは生中、タケちゃんマンは日本酒で「奈良萬」とバラバラ。

ちなみに時間割引なのか税別でハイボールは200円、生ビールは250円です。
お通しはキャベツ。

お替りは自由と言うことで後でお替りしました。
高齢の男3人集まって話すことは最早色気もなく、かみさんの悪口と言うか家庭の愚痴話ばかり。それで家庭の平和と心の平安が保てるのなら貴重な機会なのです。
串揚げ酒場と言うので串揚げの盛り合わせを2人前。1人前5種5本です。
どうせ串が揚がるのには時間がかかるだろうと枝豆と冷奴も。
ところが枝豆はすぐに出てきたのですが、冷奴はなかなか出てこない。
串揚げの方が速く出てきました。

海老と豚ひれと豚バラと玉ねぎとウズラだったかな?どうも串揚げは揚がった後は形状からは推測できないものが多くて困ります。ウズラと玉ねぎは分かりましたけどね。
ハイボールを飲んでしまったので、今度は私もお酒にして「月不見の池」にします。この店日本酒は結構そろっています。

お酒は冷で一升瓶から直接銚子に注いでくれます。正味1合なんでしょうけど大きめのおちょこ3杯でちょうどなくなります。
その頃冷奴がやっと出てきました。

これを出すのになんでそんなに時間がかかるのか?
串揚げの追加は牛串にアスパラになす、チーズベーコンとカマンベールとそれぞれ各自好みを注文。

一応出てきた時に店員さんがこれは何と教えてくれます。
次のお酒は「八海山」。ところで一緒にホッケを頼んだのですが、なかなか来ない。
しびれを切らして催促したらすぐに出てくると言うのはなんじゃろな~

昔の居酒屋で食べたホッケはもっと大きかったとは、老人の繰り言。
一通り飲み食いしたので1時間半ほどの滞在のここで終了。
お勘定は7691円。191円は基金から出して一人2500円でした。


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11月27日瑞穂公園テニスコート

2021-11-28 21:43:19 | テニス
この時期になると朝起きても夜明け前。年寄りは6時には目が覚めるんですよね、
この日の夜明け時は朝焼けがきれいです。

予報では天気はいいけど冬型気圧配置なので風が強くて寒そう。最高気温は13度とか。
この日は14時30分からなので13時30分に家を出て歩いて瑞穂公園テニスコートへ行くことに。
神宮東公園を通り過ぎると池には鴨が沢山いて樹々はすっかり色づいている。

敬老パスをもらって以来、バスで行くことが多かったのですが、バスの本数が少ないためどちらにしても家を出るのはあまり違わないので、ここは準備運動にしては長いのですが、歩いて行くことにした次第。
山崎川まで出ると桜並木はすっかり葉が落ちて冬の気配。

テニスコートの受付がある体育館に着くと14時15分。早くもはげ親父がロビーにいました。
この日は8番コート。
25分には1059さん、タケちゃんマンが一緒に到着。コートに出て行くと丁度前の人が終わってコート整備をしているところでした。
えみちゃんはゆとりーとが遅れているとかで5分遅れで到着。なんでもコストコが出来て以来、ゆとりーとは遅れることが多いとか。
ボールはえみちゃんが持っているので、来たら早速5人でボレーとストロークの練習に。
一回り終える頃にカバちゃん夫妻が20分遅れで到着。
暫くカバちゃん夫妻が練習している間に5人でじゃんけんして試合にします。なかなかじゃんけんが決まらなくて、自分が勝ったか負けたかもよく分からないまま私は5番でしたが、かなり判断力が混乱していたみたい。
最初の試合はカバちゃんハズと組んで1059、カバちゃん組と対戦。最初のゲームは取ったのですが、次の2ゲームは連敗。最後のゲームをなんとか死守して結果2:2の引き分けに。天気晴朗なれど風強し、風は一方向ではなくてビルに当たって舞っているみたいで、ボールの行方は予想外。微妙に勝負に影響してきます。
次の試合はえみちゃんと組んではげ親父、タケちゃんマン組と対戦。どうもえみちゃんと私は相性が悪いのか、お互いにミスばかり。えみちゃんは得意のロブ攻撃が風の影響で微妙にミスが多く、私はチャンスボールをネットすることが多くて自滅。いいところなしの0:4の完敗
隣のコートでは高校生らしき女の子4人組が寒さに負けない軽装ではつらつとソフトテニスをしています。休憩中はお爺さんたちはみんな隣のコートで躍動する女子高生ばかり見ています。
最後のゲームははげ親父と組んでかばちゃんハズ、えみちゃん組と対戦。一進一退の展開でデュースの続く長いゲームになったのですが、肝心なところで大事なポイントを落としてしまい、最後のゲームを落として1:3の負けで終了
どうもこの日は最初のじゃんけんから調子が悪くてミスばかりの出来の悪いテニスでした。まあ、実力通りと言われるとそれ迄ですが…
16時30分には太陽も傾き日没間際。

コート整備をしてこの日は終了します。


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小さな城下町を訪ねて西尾へ。

2021-11-26 07:12:18 | Weblog
安西水丸に「ちいさな城下町」と言う本があります。

そこには安西水丸が実際に歩いて訪ねた有名無名のちいさな城下町が20ほど紹介されている。
この近辺では、掛川市、西尾市、亀山市がある。
西尾市ならば名鉄電車で1時間もかからない。マナカも使えて神宮前から片道750円。
天気もいいし、気温も前日より4度高くて日中は暖かい日になりそう。
それでもは徘徊老人は勇んで名鉄神宮前駅へ。10時10分の特急に乗り新安城で乗り換えて11時には西尾駅に着く。

駅前はなんだか空間が広くて繁華街がない。
まずは安西さんと同様に駅そばの観光案内所へ行き地図(三河の小京都愛知西尾)をもらって、お城への道を教えてもらう。駅から真っすぐ15分ほどとか。

この地図、飲食店なども書いてあるのだが閉店してしまったところもあるみたいで、手書きで赤ペンで✖が打ってあったりする。
天気はよく風もないので徘徊にはちょうどいい。暫く歩いて行くと尚古荘を過ぎ櫓が見えてきた。この櫓は地図には書いてなくて最近復元されたものみたい。
案内板があります。

二の丸丑寅櫓です。
すぐそばの二の丸御殿の入り口に表門「鍮石門」(平成8年再建)があります。

くぐると二の丸ですが、今は芝生の公園です。
平成7年移築された旧近衛邸があり、中では茶室でお茶が飲めるのですが、和菓子はあまり得意でないのでパス。

少し行くと西尾市資料館があるのですが、ここは入場無料。中をざっと一回りして観てから本丸へ。
まずは御剣八幡神社。

なんでも北条政子より賜った源氏の宝剣「髭切丸」が収められているとか。誰がどうして賜ったのか?でも公開はしていないので見ることはできません。
すぐ横は本丸丑寅櫓。これも平成8年再建。

堀は石垣ではなくて土塁です。
本丸丑寅櫓は土足厳禁ですが、入口には誰もいなくて自由に入ることができます。一応3層の階段を上まで上がって眺望を確かめる。

このお城、本丸の広さが狭いので、天守は二の丸にあると言うちょっと珍しい構造。

天守台は石垣だけでその石垣も復元です。
西尾市はトヨタ系の企業が多いので財政力があるのか、明治5年廃城になってほとんど壊された西尾城の復元をコツコツと地道に進めている感じです。残念なことに写真も測量図も残っていなくてアバウトな絵図面ぐらいしかないので復元するにしても想像で補うしかない部分もかなりありそう。
さてそこから街歩きで徘徊するのですが、どうもどこをどう行けばいいのかと言う標識が見当たらない。
地図で見当をつけて歩いて行くのですが、道を一本入ると城下町の特徴なのでしょうか細い道がかぎ型に曲がっていたり行き止まりになったりで、どこを歩いているのか分からなくなる。
三河は信仰厚いのかやたらと大きなお寺があります。

このお寺は康全寺かな。
何とか大手門跡へたどり着いたのでここで地図で位置を確認。

安西さんは肴町が趣きある様な書き方だったのですが、古い建物もまとまっているわけではなく、これと言ったこともないさびれた商店街…

街歩きのコースになっていたとしても、それを売り物にして客を呼べるわけでもなく、町並み保存も特にしていないみたいです。
さらにズンズン歩いて行くと大きな神社に。

伊文神社でした。
いつの間にか城下の端の方まで歩いていました。どうも地図のコースの道が真っすぐではなくて、道なりに曲がっていたりして、どうなっているのか分からない。道のポイントポイントに標識を出してもらうとありがたいのですが、そこまで手が回っていないのか…
ふらふら歩いて適当に小径に入るとどことなく時代の香りのする一角に。

順海町の路地に入り込むと大きな寺院が連なって、ここだけを切り取れば江戸の雰囲気。

よく分からないまま1時間以上歩き回ったのですが、歩き疲れて、まあ、いいかと北浜川沿いに出て駅に帰ることに。
なんでもこの川沿いでは4と9の日には朝市が開かれるとか。

表通りには、ユーモラスと言うか不気味と言うか、モデルがよく分からない人形が点々と立っています。

多分謂れがあるのでしょうけど、説明もないし、よく分からない。
昼時を過ぎていたので駅前のミスドでドーナッツを買って駅前広場で簡単な昼食。
西尾駅からは毎時0分に名古屋への直通列車があるので13時の列車で帰ったので滞在時間2時間足らずの徘徊。
正直言えば安西さんの本ほどの城下町の趣を感じませんでした。西尾市としては吉良吉田の方の観光もあり街歩きは城とお寺だけでいいやと言う感じなんでしょうか。
西尾市は今まで訪れたことのない市だったので、暇を持て余す徘徊老人にとっては、これも一つの実績。願わくは県下の全自治体には一度は訪れたいものです。




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内館牧子「すぐ死ぬんだから」

2021-11-24 22:57:07 | 
内館さんの前作「終わった人」を読んだ時は丁度自分が定年退職して関連法人に第2の就職して、そろそろ完全退職後はどうしようかと考えだしたころ。
ズバリ小説の主人公の置かれた立場が自分自身に迫ってきている時で、無茶苦茶心に響きました。退職のセレモニーは生前葬みたいなものと言うのに共感して、自分も挨拶はともかく花束とか白々しいことは一切やめてくれと頼んだ記憶です。
無職になった今は暇を持て余して本を読んでいるのですが、ボケ防止も兼ねて感想と言うか気になったこととかをいろいろこのブログに本のレヴューとして書いていますが、最近は何を読んだかを忘れていることもままあり、二度三度と図書館に借りたりしています。ブログに書いたことも忘れてもう一度読み始めて途中からこれは既読感があるなと思い、過去のブログを調べてみるとちゃんと書いてあったなんてことも。
しかし「終わった人」は印象が強くて鮮明に覚えています。客観的に見ると終わった人なのですが、成仏することができずにもがいている主人公の姿は残念なことに今の私の姿と重なります。
と言うことで、内館さんのこの本も、既に出版後3~4年たっているのですが図書館にあったので遅まきながら借りてきました。

今回は若々しくて夫婦仲睦まじい78歳の女性が主人公なのですが、毎日漫然と過ごしている老人の私には結構きつい言葉が満載です。
ループタイは締め付けない分、じいさん臭く見えるし、どこか貧相に見える。アスコットタイとか派手目のネクタイにしないと。う~ん、私はもっぱらループタイもしないノーネクタイ。
つまらない女が好きな「人は中身」と言う言葉、さほど中身もない女が、これを免罪符にしている。
若いうちに切り詰めて貯えたお金は、今が使い時。80間近の、さらなる「老後」に何があるのだと言うのだ。葬式しかないだろう。その通りなんだけど若い時からの節約生活がすっかり身についてしまい、それをを変えることは難しいと言うか却って贅沢が落ち着かない。
リュックは楽だし、両手が空いていて安全で、老人にはぴったり。であればこそ、病気でないなら拒否する気概が必要だ。そう言われても安全第一でやっぱりリュックなんです。
伸び縮みする素材や、体を締め付けない服を着るのはバアサンの証拠。「楽が一番」と言う精神に退化している。じいさんも楽が一番で、私ももっぱらトレパンか短パンでベルトで絞めるのは嫌。
こう書いているとみんな自分のことを言われているみたい。
「すぐ死ぬんだから」というセリフを免罪符に楽な方に楽な方に流れていく。しかし、高齢者が外見に意識を持つとそれがもたらす微かな変身が、生きる気力に直結する。外見が中身と連動しているのは現実。高齢者は衰退していくのは避けられないにしろ「品格ある衰退」を目指さないと。
ところでこの小説でどうしても納得できないことは、夫の岩造が内緒で書いていた遺言書で、40年来の愛人と認知していない隠し子がいたことをカミングアウトしていて愛人に全く価値の無い書を送ることにしていることです。今更余計なことを書かなければ、秘密は秘密のまま、誹謗中傷を受けることなく妻も愛人もそして子ども達も心の平安を保って人生を全うすることができたはず。当然悲惨な結果になることが予想されるのに、わざわざ遺言書に言わずもがなことを書いた心境は分かりません。そんな事実関係はまったくないまま高齢者になってしまった至ってつまらない人生を生きた自分ですが、もし自分がそういうことになったなら絶対秘密は秘密のままにで逃げ切ろうと思うのですけど。
人間墓場まで持って行くような秘密の一つやふたつはあるものですが、どこかでは「王様の耳はロバの耳」と叫ぶのは止められないということか…
実はこの「すぐに死ぬんだから」は以前NHKでドラマ化されていて、毎週見ていました。
主人公は三田佳子が演じていますが、設定にぴったり。実年齢も主人公とほぼ同じで、若々しく美しく見えることも小説と同じ。でもドラマの全体の印象としては小説と比べると毒を薄めてあると言うか尖っているところを丸めてあると言うのでしょうか。雅江と明美の同級生二人の描写ももっと微妙な感じですし、小松政男が演じていたロクちゃんなどは小説では本当に端役で出るだけ。とても小松政男が演じるようなものではない。エピソードを盛って、それなりにみんなが一緒に見られるように配慮してあります。
楽に流れる「ヤバい老人」になるのではなく、年齢に負けない意識を持つ「イタイ老人」を目指すべきなのか。でも「イタイ老人」とは一緒に暮らすのは結構疲れるし、そこが妻を「俺の自慢」と公言する愛妻家で通っていた岩造が40年間も秘密に愛人との付き合いを続けた理由かも。
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断夫山古墳を登ってきました。

2021-11-21 15:59:00 | Weblog
11月21日は熱田神宮公園で「2021オータムフェスタ」とか。

縁日気分が味わえるマルシェもあり、テニス教室とかキャッチボール教室も開かれる。
天気は曇りだけど雨の降る心配はなさそうなので、昼から出かけてみることに。
マルシェはまあ、フリーマーケットと言う感じの雑貨品とか手造り工芸品とかも多くて、私にはあまり触手が動きそうな店はありません。

実はこの日は断夫山古墳の特別入山があり、これが私の目当て。
管理事務所前の本部テントで名前を書けば自由に入山できます。

名簿に名前を書くと677番。午前中で500人以上が入山したのでしょうか。
チラシによると全長181メートル、後円部の直径80メートル、前方部の幅116メートルと巨大古墳で、高さは後円部で13メートル、前方部で16.3メートルです。

日本書紀によれば断夫山古墳は「ミヤズヒメ」が被葬者となっていますが、ヤマトタケルを失い寡婦となったので断夫?まあ、被葬者は多分熱田台地に本拠地を置いていた尾張氏の首長なんでしょうけど。実はここは本格的な発掘調査は行われておらず、現在進行形で予算がついて調査をするところみたいです。
因みに堀川を挟んで少し南にヤマトタケルの墓と言われている白鳥古墳があるのですが、この白鳥古墳は半分がお寺の境内になって削られています。
それではさっそく後円部から入山してみましょう。

足を踏み入れるといきなりの急登です。

一応ロープがありますが、登る時はともかく下るときは足が滑らないように気を引きしまないといけません。
足元に注意しながら一気に登ると後円部の頂上。

平らになっているのは分かりますが、木が覆い茂っていて見晴しはゼロ。
そこから前方部へ細い道が緩やかな登りになっています。

道が平らになっているところは前方部と後円部がくっついたくびれの部分。

少し登ってすぐに前方部の頂上に。
平らになっているところが方形かどうかもよく分からないのですが、後円部よりは平らなところが広いみたいな感じです。

相変わらず木に覆われて展望はききませんが、下を見ると結構急斜面だと言うことが分かります。
一通り見て帰るのですが、後円部の急斜面は慎重に下りて行かないと転がりそう。木の根が飛び出していたりして、一応国の史跡なので道を作ることもできないので、ここは自己責任で気をつけましょう。
もっとも古墳の創建当時は木などは生えておらず、墳丘の表面は川原石が敷き詰められていたはずで、今とはだいぶ趣が違ったものだったんでしょう。
古墳の周りの周濠は第二次世界大戦後に作られたそうで、本来の周濠の幅とか深さは不明だそうですが、今は住宅が迫っているところも含めてもっと大きなものだったのでしょう。
この日は特別入山の日で誰でも名前を書くだけで入山できたのでしたが、普段でも学習目的であれば管理事務所に申し出れば入山できるみたいです。
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「ウィズコロナ 日本株にビッグウェーブがやって来る!」渡部清二 エミン・ユルマズ

2021-11-19 07:01:11 | 
複眼経済塾の塾長の渡部清二さんと塾頭のエミン・ユルマズさんの対談形式の日本株投資入門でしょうか。

対談形式になっているので非常に読みやすく、かつ日本経済に希望の持てる元気の出る本です。
どうしてかと言う根拠はあまりないのですが、日本株は約40年かけて上昇し、約23年間の停滞期がある。そしてそこからまた上昇期に入ると言うのです。
具体的には東京株式取引所ができた1878年がスタートで1920年に株価がピーク。41年6か月上昇期にあり、その間に株価は297倍に。
そこから戦争で取引所が統合され敗戦を挟み1949年の再スタートまでが低迷期。
1949年2月から1989年のバブルのピーク1989年12月までが40年7か月、その間に株価は225倍になっている。
そこから失われた20年の低迷期に入るのですが、約23年たって2013年には再び上昇傾向に転じている。
つまり、今は40年になるだろう長い上昇期のとっかかりで、過去の例から考えるの株価は30万円ぐらいになるのは控えめなぐらい。
う~ん、根拠なき楽観と言われそうですが、話だけでも元気が出ます。
冷戦期には日本株は上昇しているのですが、今もまさに米中対立の時代になってきている。絶妙な立ち位置にいる日本は漁夫の利?を得て飛躍のチャンスと言われるとそうかなと思ってしまいます。でも難しい立ち位置でうまく泳ぐことができるのか…
ところで渡部清二さんは、会社四季報を全巻全ページ読み込んでいるそうで、そこには経済と企業を見るのに大切な情報が詰め込まれているとか。全企業を網羅して独自の業績予想と寸評を入れているのは唯一無二の存在で、証券会社などのアナリストでもフォローしているのは全員で500社ぐらいがせいぜいです。加えて1936年6月の創刊以来80年以上のデーターを蓄積しているので企業の過去の歴史を知ることもできます。
具体的に四季報のどこの何を見るといいのかは丁寧に解説してありますので、これはそのまま投資初心者への入門手引きになります。とにかく株式投資でも始めようと言う人はまず四季報を買って、この本の最初から最後まで全ページ読み込んで勉強してください。
かく言う私も四季報は今まで数えるぐらいしか買っていませんし、最初から最後までの全頁読み込むなんて言うのもしていませんので、初心者以下…反省です。
ちなみに四季報を買うのならほとんどの会社が3月決算なので、決算が出て、今期来期の予想も出てくる夏号がいいみたいです。
この四季報からテンバガーを探す方法も解説してあります。テンバガーと言ってもハンバーガーの大きなものではなくて、ピーター・リンチが広めたウォール街の業界用語で株価が10倍以上にあがる銘柄です。ここではそのテンバガーの共通点を示し、それを四季報から探し出す方法を紹介しています。
具体的には
①上場時期が5年以内
②オーナー社長のオーナー企業
③時価総額が300億円未満
④増収率が高いこと
⑤株価のチャートが大きく下がって、底打ちになっていること
それぞれについて四季報のどの欄に記載されていて、どう見るかも解説してあります。
有料の「四季報オンライン」を契約している人はそれぞれの条件をスクリーニング機能を使って検索することも可能だそうです。
次の章では、四季報だけではなくて日本経済新聞の読み方使い方も解説してあります。
二人とも素人のディトレードには否定的で、確かに儲けている人はいてもそれは何万人のうちの一人。まあ、儲けた人は声高に喧伝するかもしれないけど多数の損した人は黙っているよね。
二人が強調しているのは株式投資は中長期にするもので「自分のストーリー」を組み立ててその中で株を売買していくべきということ。ストーリーと異なった展開になればすぐに損切すべき。他人の意見はすべてポジショントークでバイアスがかかっているので、自分の頭で考え、日本経済を応援していくと思いつつ株式投資に夢とロマンを求めて行けばいい。
まあ、あまり生活かけるほどのめりこまずに、自由になる資金の範囲内でボケ防止だと思って楽しめれば最高なんですけど、煩悩が強すぎてなかなかそうは割り切れないのが悩ましい。
この本では、最初に日経平均30万円説が出てくるのですが、そこは読者の注目を引き付けるための話のまくらと思って読めば、株式投資初心者には四季報の使い方、日本経済新聞の読み方も含め格好の入門指南解説書になっています。
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11月14日東山公園テニスコートの後はまたも1059さんと二人で彷徨う

2021-11-17 17:49:54 | テニス
終わってこの日も飲みに行くのは1059さんと二人だけ。
何処へ行こうかとなったのですが、浜木綿は日曜の夜は早くから混んでいるので、ここは敬老パスを持っている二人なので16時38分妙見町発のバスに乗って八事に行くことに。
17時前に八事に着くのでちょっと早いのですが、先週行った串揚げ屋へ行くと暗い。17時前からかと思ってみてみるとどうやら日曜はお休み。

う~ん。それならどうするか…
少し先に以前行った寿司居酒屋があったはず。

ここは17時前からやっているので、ここにします。
店に入ると、日曜日の夕方からか結構予約がいっぱいみたいで、カウンターに席を確保。確か奥が結構広かったような記憶ですが、テーブル席は空いていなかったみたいです。
とりあえず私はハイボール、1059さんは生ビールで乾杯。

生ビールもハイボールもグラスは小さめでしたが、乾杯していつものようにかみさんの悪口と愚痴をぼそぼそ。
突き出しは、たらこの煮つけ

つまみはまずは、タコのから揚げ

そして、シラス豆腐のオリーブオイルかけ。

これは味が付いているので、何もかけずにそのまま食べます。
この店、メニューを見ていると寿しは1貫の値段でそこそこの値段。刺身もいろいろあるのですが、それなりです。カウンターの横の人を見ても握っている店長さんらしき人と談笑しながらワインを飲んでいたり上寿司を食べていたりでテニス帰りの我々はちょっと場違いな雰囲気か。奥のテーブルならよかったかも。
飲み物は私はハイボールをお替り。1059さんは珍しく沖縄泡盛の瑞泉に。
ところがだいぶ前に頼んでいたホッケの焼き物がなかなか来ない。
忘れられているのかと催促したら来たのですが、半身。ホッケはでかい開きがド~ンと来ると思っていたんですけど。

まあ、二人でつつくにはちょうどいい大きさでしたけど。
最後にマグロの竜田揚げ

揚げ物は揚げたてが美味しい。すぐに食べました。
お勘定は5940円で一人3千円。おつりは基金に入れておきました。
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11月7日東山公園テニスコート

2021-11-15 20:32:23 | テニス
朝のうちは雲が多めですが、昼頃からは晴れの予報。
昼食後におもむろに支度をして13時30分に家を出て13時47分西高蔵発の地下鉄で八事日赤へ。
八事日赤の交差点から東山公園テニスコートは1キロ。毎度ながらですが登坂なので結構歩きでがあります。
途中の歯医者さんでこれまた毎度の気温チェック。

18度でした。
公園テニスコートに着くとまず体温チェック。36度7分。気のするほどでもないけどちょっと高めかな。
この日のコートは14番コート。え~山の上のコートか、まだ登る…
どうやらこの日は大会があって下のコートは全部専用利用でした。

ヒイコラと山の上まで行くと、はげ親父、えみちゃん、1059さんが既にいました。
それでは準備体操をしてから乱打に。
暫くやって休憩しているとカバちゃん夫婦が登場
暫くは二人で乱打をやってもらい、その後じゃんけんして試合に。
最初はえみちゃんと組んではげ親父、カバちゃん組と対戦。このえみちゃんとの組合わせは先週の最後に惨敗した組み合わせで、その時はお互いにミスを連発していいところなしだったのですが、この日の最初もそれを引きずってミスを連発。3ゲームを連取されたんですが、最後のゲームで何とかサーブをキープして1:3と1ゲームを取るのがやっとでした。ひょっとしたら相性が悪い?
えみちゃんと組んだ次の試合は、1059、かばちゃんハズ組と対戦。この試合は少し落ち着いてきて一進一退の展開になって2:2の引き分け。
休んでいるとえみちゃんが家庭菜園で採れた大根をみんなに1本づつプレゼント。

ありがとうございます。持って帰っておでんにでもしますか。
天気はいいので体を動かすと汗をかくくらい。

予報通り天気はよくなって青空が広がっています。
天気もいいので当然ながらはげ親父がビールを出してくれます。こうやってビールを飲むと戦闘力がぐっと下がるのだけど断る勇気はない。

ゴチになります。
この日は500缶1本と350缶1本。

次は組み替えてカバちゃんと組み、はげ親父、カバちゃんハズ組と対戦。ビールの酔いが回ってゲップしながらの試合だからだったのかイージーミスを連発。つられてカバちゃんもミスをする負の連鎖であろうことか0:4の完敗
最後の試合はもう一度かばちゃんと組んで1059、えみちゃん組と対戦。私と組む時は調子が悪かったえみちゃんの得意のロブ攻撃がライン内に決まるようになってきてこの試合も先手を取られたのですが、何とかカバちゃんが踏ん張って2:2の引き分けに。
この時点で4時25分。すでに初冬の太陽はかなり傾いてきて日没間近。

ミスが多くて、どうもさえないテニスの1日でした。
無事怪我無くできたので、これでいいのだ。



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久し振りの観劇「夫婦漫才」

2021-11-14 11:04:21 | Weblog
ひょんなことで入場券が巡り回りまわってきたので、他に予定もないし、久し振りに観劇に行くことに。
というか御園座とか今は亡き中日劇場とかで観劇はほぼ30年あまり行っていないんのですが、まあ、せっかく回ってきた入場券なので無駄にしないようにしないと。

さしものコロナ禍もひとまず収まっている状態で、劇場もやっとフルで入場可能になりました。この先何時第6波が来るかもしれないので、行ける時に行きましょう。
演目は「夫婦漫才」、劇場は御園座です。
全く知識はなかったのですが、大地真央が主演、わきを中村梅雀が固め、あと知っている役者は山本陽子に村上ショージ、竹内都子(どちらも芸人で役者か?)ぐらい。まあ、舞台俳優はほとんど知らないので当然か。

因みに原作は豊川悦司で、演出はラサール石井です。
13時開演なので、30分前に開場。多少早めに12時15分に伏見に着くと御園座前は入場待ちのすごい人。指定席なのでそんなに急ぐこともないのですが、弁当がついていて早く食べたいのでしょうか。自由に入れる御園茶屋で入場券をいただいた方への土産を選んで時間つぶし。
そのうちに入場になり長い列の最後尾について行きます。

やっとこさ席に着いたのですが、席は前から16番目で右より。舞台からは結構遠い。2階席の一番前の方が見やすかったかも。頂き物の入場券なので席は選べないし贅沢は言えませんけど。
休憩30分を挟んで13時から16時15分の長丁場なのですが、座りっぱなしでやっぱり足腰に負担がかかり、終わった時には腰が痛くなりました。
で、肝心の劇はと言うと…
戦時中から戦後、現在までの二人が結ばれて夫婦漫才としてデビューして人気を得ていくまでを数々のエピソードでつないでいくのですが、正直なところエピソードが多すぎてちょっと冗長な印象でした。もう少し絞り込んで一つ一つを盛り上げたものにしたらどうでしょうか。
劇中劇に吉本新喜劇と思われる場面が出てきたり、漫才する場面が出てくるのですが、本物の吉本新喜劇を見て、夫婦漫才でも芸達者な人たちを見ているので、それはそれとして役者が頑張っていますねと言うふうにしか見えない。舞台装置の作り込みとか場面転換とかには金と手間をかけているのが分かり、さすがでしたけど。
個人的には主役を友近がやれば、漫才も上手いし、芝居もこなせるし、適役ではないかと思ってしまうのですが、この芝居は主役の大地真央のためのもの。大地真央あっての芝居であり、あとのことはつけたし。ストーリーもいかに大地真央を引き立てるかというものでしょう。
因みに大地真央も中村梅雀も60代半ば。大地真央の若々しいスタイルはすごい!舞台上ではすごい化粧しているのでしょうけど、席からは分からず美しい顔も衰えは見えません。「そこに愛はあるんか」と言うギャグはすぐにでましたけどね。
わが身を振り返ると驚嘆、すごい努力しているんでしょう。
一番よかったのはカーテンコール。2度3度と幕が上がり最後は大地真央があいさつ。この芝居は再演、再再演ですが、名古屋では初めてとのこと。名古屋初演の初日なので言葉になんとなく意気込みが感じられました。
久し振りの観劇でしたが、これはたまたま入場券をいただいて観たのですが、自分のお金で12000円を支払って観に行くことは絶対ないだろうな…
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「江戸の居酒屋」伊藤善資

2021-11-12 14:32:50 | 
中津川に行った時、列車の乗車時間は1時間を超えるので時間つぶしに読む本として借りてきた本です。
往復2時間で読み終えたのですが、江戸時代だけでなく縄文時代の古くからの日本酒の歴史も書いてあり、酒造りの基礎知識とかトレビアな話題豊富。
車内で気楽に読めたのですが、うれしい誤算、予想外に面白い拾い物でした。

巻頭に江戸の酒飲み風景とか、代表的な居酒屋の様子、居酒屋料理の値段に地図に落とし込んだ居酒屋のあった場所など図絵があってまずこれだけでも楽しめます。
徳川家康が江戸に入府して以来、都市整備を進めていく中で関東一円から人夫が集まってきた。当然そのほとんどが男性。必要に応じて遊女屋と酒屋が営業し始める。
酒は最初ただ酒を売るだけで店頭で飲ませることはなかった。一方明暦の大火後大土木工事に集まった人足を当て込んで煮売り茶屋が登場し、茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆などを食べさせていたのだが、酒も出すようになり煮売茶屋と呼ばれるようになった。同じころ酒屋は店頭で酒を飲ませる店(今の角打ち)が出だし、そのうちに田楽やイモの煮っころがしなどの簡単な魚を出すようなってきた。居ながら酒を飲むので「居酒」、料理の品ぞろえが豊富となってきて煮売り酒屋と区別できなくなり、天明3年の町奉行所の調査では1803軒とか。
因みに居酒屋で飲む酒の値段は
にごり酒;どぶろく、1合4文(120円)
中汲み;上澄みと沈殿部の中間をくみ取ったもので、白濁しているが米粒感はない、1合8文(240円)
地回り酒;関東周辺の地酒、1合12文(360円)
上酒1合24~28文(720~840円)
極上酒1合32文(960円)
お酒は関西の伊丹・池田・鴻池などの下り酒が一番で、菱垣廻船で運ばれてくるのだが、航海の間に塾生が進むのか美味さが増したそうです。やがて灘の宮水で醸した酒が急成長して、今に至る灘の生一本となってくる。当時は上方から来た「下りもの」が珍重され、そうでないものは「下らない」と言われたと言うのは聞いたことがある様な。
酒の消費量はどんどん伸びて、文化14年(1817年)のは133万樽となる。当時の江戸の人口は約100万人で、成人男性の割合が高く、飲酒人口が半分として一人当たり年間約2.4樽。一升瓶に直すと84本。一日平均2合半。よく飲んでいます。日本人は体質的にアルコールに弱いなどと言われていますが、これを見るとどうしてどうして、なかなかのものです。
当時の人気店は鎌倉河岸(現;神田)の豊島屋酒店とか日本橋の四方酒店とかで、豊島屋は今でも猿楽町に移転して酒小売店を営み、清酒「金婚正宗」を東村山市で醸造しているとか。
居酒屋の店内の風景も描写していて、テレビの時代劇で見るものとは若干と言うかドラマにならない風景になる。酒は年中燗酒で、大半は男ばかりで切り盛りしていて美人の酌で飲むような色気はない。店内にテーブルもなく、空き樽に腰を下ろす程度。
そんな居酒屋で出てくる料理は、イモの煮っころがしとか豆腐、イモ、こんにゃくの味噌田楽が人気だったが、やがて醤油と味醂で煮込んだおでんにとってかわられる。いろいろな種類のお吸い物も酒の肴としてよく出されていたそうで、みそ仕立ての味噌汁と醤油仕立てのすまし汁があった。
総じて江戸では武士から庶民に至るまでしこたま酒を飲んでいるのですが、飲酒に寛容な社会だったみたいです。
お酒好きのあなた、時代劇ファンのあなた、一読すれば好奇心が満たされます。暇な時には是非どうぞ。
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