怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

5月30日瑞穂公園テニスコート

2015-05-31 18:20:34 | テニス
このところ雨が降らなくて暑い日が続いています。
この日も雲は多いのですが朝から気温はどんどん上がっていく。
30日はイオンの5%割引の日なので午前中に2回イオンへ行ってジュースやヨーグルトなどを買い出し。
ついでに先日値上げを発表したニッカの「竹鶴」と残り少なくなった焼酎の追加で「神の河」を買います。なんだかんだと1万円近く買って、これはイオンの思う壺か…
まあ、一応株主なんだし…
午後からはテレビを見て一休みしてから3時半過ぎに家を出ていつものように歩いて瑞穂公園テニスコートへ。
この日は雁道商店街を東に抜けて行ったのですが、先日のひげおじさんのコメントにもありましたが、三遊亭円丈の実家の大角写真館の前を通るので写真を一枚。

私が小学生のころはまだ営業していて、ショーウインドウには結婚式の写真とかが飾ってあった記憶です。
確か円丈は三笠寿司の親父さんと同級生で、その縁で三笠寿司の2階の座敷で落語をやったこともありましたが、今でこそ正統派の古典落語を演じていますが当時は新作落語のパイオニアで先駆者の常としてあまり評価は高くなかった記憶ですが…
雁道の七夕祭りに来たこともあり、商店街の理事長をしていた父と一緒に写っている写真と色紙が我が家に残っています。
まあ、暑い中大汗を書いてコートに着くのですが、毎度ながらOBさんからは仕事でいけないとのメールがありました。毎度ながら忙しいことで。
時間前に着いたのですがすでにコートは空いていて4番コートではすでにはげ親父、森の熊さん、1059さん、タケちゃんマンが乱打をしています。私とほぼ同時にヤッターマンもきてこの日は総勢6人。
ベンチに座っていると、暑くなったのでかやぶ蚊が結構います。
早速今年最初の蚊取り線香の出番となりました。年を越していますが煙が出ればいいでしょう。

一休みしてからいつものようにじゃんけんして試合に。
最初はヤッターマンと組んでタケちゃんマン、1059組と対戦。ここは毎度ながらヤッターマンの右や左への俊敏な動きで圧倒。1ゲームも許さず4:0で完勝
続いて同じくヤッターマンと組んでの森の熊さん、はげ親父組との対戦でも、結構強かった風をうまく味方につけたこともあり圧勝。この試合も4:0でパーフェクト。これはもうこの組合わせはグランドチャンピョンと言っていいでしょう。
一休みしてビールを飲むのですが、雲がかかって日差しはないのですが蒸し暑い。

軽く30度を超えていました。
今度は組み替えてはげ親父と組んでヤッターマン、タケちゃんマン組と対戦。この試合は最初2ゲームは完敗でこのまま完封負けかと思ったのですが、ここでひと踏ん張りして何とか1ゲームは取りました。最後のゲームはデュースまで行くのですが、毎度ながらの決定力が無く、体力切れで負け。結局1:3でした
次はもう一度はげ親父と組んで1059、森の熊さん組と対戦。この試合もまったく同じような展開で1ゲームは何とか取ったのですが、最後のゲームを競り落として1:3の負け。なんだかな~
この日は曇りだったこともあって6時過ぎるとボールが見え難くなってきていて、もう1ゲームはできたのですが早めに終了。コート整備をして帰ります。
はげ親父は何か用事があるみたいで車で来ていて森の熊さんと一緒に帰りました。
残った4人はいつものしげすしへ歩いていきます。




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ついにここまで

2015-05-29 21:46:02 | Weblog
先日飲み会に行くので地下鉄に乗ったのですが、夕方なのでそこそこ混んでいて、つり革につかまったら前に座っていた学生風の男が私を見て席を立つ。
座ってくださいと言わなかったし、席を私に譲ったかどうかよくわからなかったのですが、降りるわけでもなくすぐそばに立っているのでひょっとしたら私に席を譲った?
そうだとすると見た目がかなり歳とって見えたということ…
思わず窓ガラスに映る自分の顔をしげしげと見てしまったのですが、やっぱり立派な老人なのか…
でも自分で言うのも何なんですが席を譲られるほどでもないのでは…
結局金山から栄まで座ることなく立っていてそのまま降車したのですが、釈然としないままに飲み会へ。
朝いつも鏡の前で顔を見て「まだまだ大丈夫!目の下の涙袋も目立たない、しわもそんなに目立たない」と思っていたのですが、どうも世間はそう見ていないみたいです。
ついに堂々と優先席に座ってもいい歳になってしまった。車内で何げ無く若者の前に立てば席を譲ってもらえる歳になってしまった。
もともと貧相な風体でしたが、歳相応の貫禄が出る前にしなびてしまったのでしょう
残念~
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5月23日瑞穂公園テニスコートの後はいつものしげすしへ

2015-05-25 20:59:06 | テニス
相変わらず森の熊さんはすぐに帰り、bigIさんも帰るので6人でいつもの「しげすし」へ。
3人ずつで2テーブルに分かれて、まずはビールで乾杯。
最初はゲソの刺身。ショウガ醤油で食べます。

お勧めの自家製キスの干物を頼んだですけど、よく売れたのか後1人前しかないとか。
それではとこれまた自家製の「カマスの味醂干し」をお願いします。

ビールはすぐに飲んだのですが、この後は焼酎の水割りにします。
焼酎「銀座のすずめ」のボトルを1本。

と残ったキスの干物も出してくれました。
1人前だけしかなかったのでこちらのテーブルだけにこそっと出してくれました。

お勧めついでに「アナゴの骨せんべい」も出していただきます。
ポリポリして美味しい。

ちなみにこのアナゴの骨せんべい、今回は骨だけを仕入れて料理したとか。
はげ親父はこの後6時から通っているテニススクールの宴会だそうで、2千円を置いて早退。
お疲れ様~
5人になったのでこちらのテーブルに集まって、カウンターのいつものお客さんも巻き込んで馬鹿話で盛り上がる。
あさりの酒蒸しも注文しましたが、さすがに寿司屋のアサリは家で食べているのと比べると粒が大きく揃っています。

こはだの酢〆もお願いします。
でもこういう青魚はタケちゃんマンはだめ。

焼けばいいみたいですけど、この歳になればいやなものを食べる必要もないですね。
替わりと言っては何ですが、オニオンスライスを出してもらいます。

これはどうもサービスみたいです。
このころには焼酎はなくなっていて、もう1本。
やっぱり1本では足りなかったか。
6時近くなってそろそろ〆にしようと太巻きと鉄火を1人前づつ。

最後にイチゴとオレンジのデザートが出てきました。

この日の御勘定は1万5230円。はげ親父が2千円出しているので一人3千円でおつりは基金に入れました。
ここから歩いて帰りましたが、家に帰るとちょうど焼き肉を食べているところ。さすがにここからもう少し食べるようとか飲んでみようという元気はありませんでした。
BSジャパンの「土曜日は寅さん」をちょうどやるところで間に合いました。今回は嵐寛十郎が殿様として登場。でもマドンナとの絡みはイマイチ。三木のり平も出てきて往年のスター登場でしょうが映画の出来としてはいまいちかな。



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5月23日瑞穂公園テニスコート

2015-05-24 09:35:40 | テニス
曇っているけど雨は降りそうもない。あまり暑くならないみたいなのでテニスにはいい天気でしょう。
でも前日の飲み会でいつもながら飲みすぎ風呂も入らないで寝てしまったので頭が重い。
朝風呂に入っても全然すっきりしないし、食欲もない。
それでもお昼を食べて支度をして13時40分には家を出ました
うららかな陽気で、神宮東公園では鴨ものんびり日向ぼっこ。

山崎川まで出るといつの間にか川の水質モニタリングの看板がたっていました。
環境局の看板ですがちゃんと「みずほっぺ」が大きく出ています。よし、よし。

この日のコートは8番コート。すでに森田、はげ親父、ヤッターマン、OBさんと乱打をやっています。
さらに1059さんにタケちゃんマンときてこの日は千客万来
しばらく準備運動をしてから乱打を代わってもらいます。
ちょうど乱打を終わるころには久しぶりのbig I さんが登場。総勢8人となりました。
たくさんいるので、それでは早々にじゃんけんして試合に。
私は最初1059さんと組んでOBさん、big I さん組と対戦。ところが最初ということなのか、1059さんのきめショットの抑えが全く効いていなくて劣勢を挽回することをできずにずるずると0:4での完封負け。bigIさんはちょっとレベルが違って決まったと思うのもうまく拾われてしまうので、こちらはより厳しいところを狙おうとして自滅したということでしょう。
しかし合間には負けてもビールを飲む。この日は500缶が2本に350缶が4本だったかな。
一緒に持参の「日本盛り」の生原酒も飲む。

よくよく見てみるとこれはアルコール分が19~20度、焼酎並みでした。さすが原酒。
組み替えて今度はOBさんと組んで1059、big I 組と対戦。この試合ではbigIさんに右に左に振り回され、ヘロヘロに。遊ばれていたというか遊んでいただいたというか、何とか追いつけそうな所へ打ってくるので必死についていき、やっとの思いで1ゲームを奪取。何とか1:3にしましたが、二日酔いを迎え酒で無理やり抑えている状態の軟弱爺さんは、ここでもう燃え尽きた…
そのまま疲労をためての状態での次の試合はbig I さんと組んで、1059、OBさん組と対戦したのですが一人でひたすらミスを重ねてしまい1:3の負け。最後のゲームは一人で4回ミスしてラブゲーム負け。どうもすいません。
この日は散々な結果でした。なんだかな~
終わってもう一度飲み直しにいつもの「しげすし」へ。どうもわがテニスクラブは体に悪いな~
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「まれ」は横浜へ出てきて残念な内容に…

2015-05-20 07:16:13 | Weblog
NHKの朝の連続テレビ小説は基本は女の一代記なんですが、「あまちゃん」とか「まれ」は時代もほぼ現代の女の子の夢や恋の物語。
「まれ」は「マッサン」からの流れで最初から見ているのですが、能登輪島市での生活は、大泉洋、常盤貴子の父母をはじめとして役者が揃っていてさすがNHK。ドタバタはありましたが毎日楽しく見ていました。
ところが草笛光子演じるパテシエの祖母(これがかっこいいのですが)が出てくるころから何となく現実離れしていくような…
そして「まれ」はパテシエになる夢を追いかけて能登を出て横浜へ。
でも昔食べたケーキの味が忘れられずに、そこの店の就職試験を受けたのに、今はその味ではないと就職を断ってしまい、満足が行く味の店を探す。でもどんな店がいいのかという情報は何も持たずに、大きな荷物を抱えて泊まる宿も当てもなく二十歳そこそこの娘が一人で街をさまようなんて言う設定はあり得ない~たまたま入った店に同級生がいたり、そこの店で食べたケーキに感激して店を見つける端緒になるなんてのはご都合主義極まりです。
挙句に見つけた店はパテシエの気分次第でいつ開店するかもわからないというのもあり得ない~そんな超職人気質のパテシエはいるとは思えないし、仮にいるとすれば人を雇って商売ではやってはいけないでしょう。
そしてとにかく頼み込んで雇ってもらう「まれ」ですが、全く現実感が無く感情移入できません。
ちょうど今BSでは朝7時15分から「あまちゃん」の再放送をしていますが、こちらは最初放送された時には見ていなかったのですが、今見ても本当に面白い。さすが宮藤官九郎。役者も小泉今日子をはじめとして豪華です。7時30分からは「まれ」になるのですが、横浜に来てからはとても見る気にならず今週からはニュースに替えてしまっています。
昔誰かが小説の面白さは、「身につまされること」と「我を忘れること」と言っていましたが、確かに優れた小説はその両者がうまく溶け込んでいます。テレビドラマも一緒でしょう。今のところ「あまちゃん」には「我を忘れる」面白さとともに青春のほろ苦い思い出に「身につまされる」ところもあります。
今の「まれ」には現実感がなくて我を忘れるよりもあり得ないと思ってしまうし、感情移入できないので身につまされることもありません。視聴率はいいみたいですが、今回は私的には外れです。これからも「あまちゃん」の再放送だけを見ることにするつもりです。
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5月16日瑞穂公園テニスコートの後は3人

2015-05-18 07:15:19 | テニス
終わっていつものように歩いて行き、土曜日の夜といえども無事しげすしで席に着くことができました。
二人ですでにビールを1リットル飲んできたので、とりあえずビールではなくてお酒。

明眸の冷酒を2合徳利で。
ファイスブックに今日のお勧めはイワシと出ていたのでイワシの刺身というとファイスブックの宣伝が効いたのかこれが最後の1匹みたいでした。

刺身というかショウガと一緒にたたきにしてありましたが、美味しい。
同じくお勧めで姫サザエというのがあったのでそれもお願いします。一人一つと思ったのですが、小ぶりなのでもう少し出てきます。
焼いている間にお酒が無くなり、今度は喜久水を同じく冷酒で。

器が冷酒っぽいので出てきました。
なかなかサザエが出てこないので、今度はアユの甘露煮を。

これはまだ温かく出来たてです。
結構大きくて、この時期だから養殖ものの走りなんでしょうが頭から柔らかく食べれます。
3人で分けて骨まで食べれるなどといいつつ食べているとやっとサザエが登場。

小さいのが7個出てきました。大き目ので6個にしてもらわないと最後の1つが残ります。と言いつつ私が最後の1個を食べてしまいました。
ここで冷酒をさらに追加。
タコブツも追加です。

3人で5合飲み、コートで飲んだお酒も相まって結構酔っ払い、そろそろ〆に。
この日はバッテラで行きましょう。

最後にスイカが出てきて、御勘定は8320円。一人3千円でおつりは基金へ入れておきました。
ところでここから毎度ながら歩いて帰ったのですが、実家の近くに救急車が止まっている。どうしたかとみてみると中学の同級生の自称雁道のマッケンローがいる。事情を聴くとこれまた同級生のミスターTが嘔吐して倒れたので救急車を呼んだとか。若い時なら飲みすぎだから邪魔にならないようにそこらに寝かしておけとなるのでしょうが、同級生なので当然ながらもう還暦過ぎの身で、先日脳梗塞になりやっとよくなったばかりというので、これは大変です。でも意識はあり名前も言えたので大したことないか。しばらく受け入れ先を探してから中京病院へ搬送していきました。
嘔吐の痕を流さなければいけないので実家へ行ってバケツに水を汲んできて掃除のお手伝い。酔っ払いも歩けば救急車にあたる…
そんなこんなでヘロヘロになって家に帰り着きました。

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5月16日瑞穂公園テニスコート

2015-05-17 12:04:57 | テニス
朝起きたら雨。結構降っている。
でも心配ない。天気予報では雨は9時にはやむはず。
雲は残っていても予報通り9時過ぎには雨はやみました
この日は4時30分からなのでコート状態も何とかなるでしょう。
3時30分過ぎにおもむろに家を出て瑞穂公園テニスコートへ
ところが気勢をそぐようにOBさんからメール「今日のテニス仕事が終わらないので欠席します」どうも忙しいですね。
コートに着くと1059さんが喫煙コーナーで一服しているところ。まだ誰もいないと言っていましたが、手続きはしてありはげ親父が9番コートにポツンといました。
3人だけど乱打を始めます。タケちゃんマンは帰りが遅くなるとバスがないので来ないかな。森の熊さんはまだ体調がイマイチなんでしょうか。あれだけビール好きだったのに未だ飲みには行きませんからね。
しばらくするとヤッターマンが登場。これで何とか4人になって試合ができます。
最初はヤッターマンと組んではげ親父、1059組と対戦。この試合は一進一退の展開で結局2:2の引き分け。最初はこんなもんか。
休憩になると早速ビールを飲みます。ところがこの日は用事があるとかではげ親父が車で来ていて飲まず。1059さんもビールは飲まないのですが、私が持参の日本盛りの本醸造生酒200ml缶は少し飲みました。結局この日は私とヤッターマンでビールの500缶2本を飲みました。
続いてははげ親父と組んで1059、ヤッターマン組と対戦。ここは2人でミスを連発していいところなしの0:4で完敗。これははげ親父との相性の問題か…
ところで1059さんはこの日夫婦で「スギモト」でお昼を食べたとか。ランチを食べたとかですが、冷酒を飲もうとしたら2100円だったそうで、それはちょっと暴利ですよね。300mlの瓶としても普通獺祭でもそんなにしないでしょう。余り高いのですぐやめたとかでどういう銘柄かも見なかったそうですが、いったいどんなお酒か、飲んでみたいものです。
一休みして続いては1059さんと組んではげ親父、ヤッターマン組と対戦。ここでは最初2ゲーム取られたのですが、ここから何とか盛り返して2:2の引き分けに。日本酒とビールで酔いが回っている中、頑張ったほうでしょう。
ここで6時になったのですが、まだ時間がある。それならばと先ほど完封負けしたはげ親父と組んで今度は1ゲーム取ろうということに。
しかし意気込みはよかったのですが残念ながら技術と体力が伴わなかった。またしても0:4の完封負け。このままでは帰れないかととにかく1ゲーム取るまで続けようとなったのですが、ここから2ゲームをしたけれどもこの2ゲームも落としてもうこれ以上傷口を広げるのはやめることに。
コート整備して帰り、用事があるはげ親父を置いて3人でいつものしげすしへ。
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「恋するソマリア」高野秀行

2015-05-16 07:39:14 | 
アフリカの角ソマリアというと、無政府状態でゲリラが跋扈し、海賊の巣窟、故に日本の外務省はソマリア全土を危険地帯のため「退避勧告」としている。
著者は、そんなソマリアを訪れ「謎の独立国家ソマリランド」を上梓。知らぜらる国ソマリアの内情を詳しく紹介。講談社ノンフィクション賞を受賞している。
ソマリアと一言で言っても現在は大まかに言って3つの国に分かれていて、イギリス統治化の影響からか今は独立国家として(と言ってもどこも承認していないのだが)曲がりなりにも民主的な選挙を行い治安も安定している「ソマリランド」と海賊が跋扈している「プントランド」、そしていまだイスラムゲリラや武装勢力が内戦を続けている南部ソマリア(一応ソマリア連邦共和国なる政府はある)がある。著者は「ソマリランド」を中心に氏族社会をうまく組み込んだその統治機構や政治の実際などをレポートしたのだが、実際の庶民の生活にはあまり触れることができず、南部ソマリアには首都モガディショの限られた区域しか(それでも危険なため外国人は屈強なガードマンを雇って行動しなくてはいけなかった)行けなかった。
今回はその後ソマリアへの愛が嵩じてもう一度ソマリアへ行った記録ですが、今回のミッションは普通の人と一緒の食事をして料理をするところも見てみたい、豊かだと言われる南部ソマリアの土地を実際に見てみたいということ。ソマリアのことを報告できる唯一の日本人としての使命感でしょうか。

ちなみにソマリア人は日本にも何人かいて、著者は早稲田の留学生兄妹に言葉を習っていました。ソマリアへの送金も金券ショップ大黒屋(世界的な送金会社ウエスタンユニオンの代理店だそうです)からできるそうです。
ということで勇躍ソマリランドへ向かうのですが、ジブチから陸路首都ハルゲイサへ行くことにしたのだがこれがとんでもない難行苦行。荒れ地の中の道なき道を猛スピードで突っ走る命がけの旅だった。ヘロヘロになっている写真が巻頭に出ています。
ソマリランドでは旧知のホーン・ケーブルTVのワイアップ局長を始めとした面々と再会、
ここから取材活動開始。ハルゲイサ市内では特にボディガードも必要なく自由に動けます。日本にいる時に偶然知った日本車輸出会社の広告を出して流通革命を起こそうと目論んでいましたが、結果は散々。新聞広告を出しても問い合わせのメールひとつなかったとか。如何にいいものでも口コミとかがないと日本と違って新聞広告だけで売れるものではないのでしょう。にしても新聞社もいい加減なのでまともな広告を出すことさえ大変です。
ソマリ人の伝統文化は「詩」で、愛を語るには詩人が重宝され有名なミュージシャンもいるとかで早速インタビューしている。ソマリの音階は日本の和音階と同じだそうで、ソマリ歌謡は妙な懐かしさを感じるとか。
ソマリ人はなかなか家に招くということをしないのだが、今回は家に呼ばれて食事もしている。滅多にお客を呼ばないのだが呼ぶとなると徹底的にもてなすのがしきたりみたいで豪華な食事が次々と出る。でもその場には女子供は同席できないみたい。イスラム圏というのはどうも大変です。
ソマリランドでも、サウジとかカタールの宗教団体が金を出すことによって日々イスラム厳格派が勢力を増してきている。民主的に政権を取ればある日厳格なイスラム教国家になっているかもしれない。そうなるともっと息苦しいでしょうね。
ところで「ハレ」の日の宴会には無事参加できたが、「ケ」の家庭料理にはなかなかたどり着かない。ワイヤップに相談しても「それはすごく難しい」とのこと。いわくソマリ人の男でも台所へは近寄らない。ところがオフィスの管理人一家が敷地の隅で煮炊きしているので家庭料理を教えてもらうことができた。一緒に買い物から付き合いまるで新婚夫婦。煮炊きは七輪で行い、煮込み系が多いみたいだがどれもじんわりと美味しくて、いかにも家庭料理というホッとさせる味とか。でも作り方は量も火加減も適当。まあ、家庭料理ですから。
今回モガディショへ行った時には21年ぶりに公式な政府が誕生したばかりとかで、前回と比べて街は格段と治安が回復していた。市内を出ることなどまったく無理だったのが政府軍の部隊と一緒にだが市外へ出て南部ソマリアを見学することもできた。州知事がジャーナリストを引き連れて装甲車を連ねての半日の行程だったはずだったのだが、なぜかどんどん奥地へ行くことに。南部ソマリアは緑があり、畑もある。川まである。荒れた半砂漠に遊牧民が住む北部と比べると豊かな農地があり農民がいる。だからこそ利権をめぐって内戦が絶えないかもしれないのだが…そんなことに感激しているうちに一行はモガディショに帰ることなくどんどん奥地へ進む。著者は予約していた飛行機に乗り遅れ、さらにはイスラム過激派の待ち伏せ攻撃に遭い、激しい戦闘場面を体感。ジャーナリストとしては望むところなんでしょうが、戦場カメラマンでもなく半日の行程と聞いて何の覚悟もなく参加したのでショックでヘロヘロみたいでした。何とか無事に帰ってきたのですが、それでも著者のソマリア愛は冷めなかったみたいです。
前作は何もかも未知のソマリランドという国を知ることができましたが、この本ではその後日談としてソマリ人の日常生活にも深く触れています。読みやすい文章でサクサク読めました。でもこれからソマリアどうなっていくのでしょう…
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5月4日鶴舞公園テニスコートは無事還付

2015-05-14 07:13:34 | テニス
5月4日は連休中で唯一雨だったのですが、たまたま鶴舞公園テニスコートが予約してありましたが、残念ながら雨天中止となりました。
1週間たったので、さっそくシステムで還付請求したのですが、何と該当なし。
え~、あの日はちゃんと雨降っていたでしょう。
思い出してみると朝からぬかつくような雨で、11時ごろには一旦やんだのですが、またすぐに降り出したはず。
あの程度の雨ならやっている人もいたかもしれませんが、雨は降っていたのは事実だしやっていないのだから還付はできるでしょう。
こういう場合は面倒くさいのですが土木事務所に電話しなくてはいけません。
ちょっとむかつくのですが、ここでけんか腰で電話するとまたクレーマーと思われるので紳士的に電話。何と言ってもちょっと見小野ヤスシさんの名義なので、それなりになりきらないと。
丁寧に5月4日は雨だったので利用しなかったのですが、還付できないのでしょうか?
そうすると電話を別のところに回され、しばらく待たされます。
やっと出た人に同じことを言うと、何か調べて「ああ、雨でしたね。」
じゃあ、なんでシステムで還付できないんだ!と思っていると、すぐに入力しますとの返事。どうも雨天還付をシステム入力するのを忘れていたのか。以前熱田ではこういう場合、番号を言うと土木で還付手続きしてくれたのですが、番号を聞くこともなく、入力したのでシステムで手続きしてくださいとのこと。電話の声では中年のおじさんっぽいのですが、システムのことが分かっているのでしょうかはなはだ疑問な対応でした。
そんな高度なことは考えていないのでしょうけど聞かなければ還付手続きされずにコート代を丸儲けするつもりなのか…
まあ、一応還付できたので良しとしましょう。
でも土木の還付システムは結構システムでは還付対象ではなくて電話しなくてはいけないことがあって何とかならないものでしょうか。
最後に確認しておきますけど決して声を荒げることなく紳士的に電話しました。
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「そこからすべては始まるのだから―大震災を経て、いま」香山リカ

2015-05-12 18:52:05 | 
東日本大震災は、被災した人だけでなく日本人すべてに大きな心理的影響を与えた。
多かれ少なかれ今までの自分たちの生活を考え、見直す契機なったと思う。
この本は精神科医である香山リカが大震災から半年ほどの日本人の心象風景を記載したもの。
いつの間にか、あれから4年たっており、時とともに忘れてしまったもの、薄らいでしまった決意があるのですが、そんな気持ちを改めて思い起こされます。

あの時、被災者の秩序正しく忍耐強い姿は、日本人の伝統的な素晴らしさを改めて世界的に認識させました。これからは自己主張をしないと国際社会に通用しませんと言われていたのですが、世界こそ日本人の忍耐強い従順さを学ばなくてはいけない、日本人は変わらなくてもいいことがたくさんあると思ったのです。
最初の話は、児童虐待もどきを受け、親が亡くなっても悲しくない患者の話。親が年老いてきて死別のことを考えると不安になっていた著者は思わず「うらやましい」と言ってしまったのですが、親が死んでも悲しめないということは親に愛された思い出がないということで、それはそれで悲しいことと言われます。いろいろな別れの場面を経験して別れを悲しめるということは、それだけその人を好きだった、その人に好かれていたという意味。これはとても幸せな涙なんだろう。悲しめる私、泣ける私を誇りに思っていい。それほど悲しんだり泣いたりできるくらい、大切に思える誰かや何かがあったこと、その人や場所と強い関係が築けたことは確かであることを忘れないようにしてほしいと。
五木寛之もよく書いていますが、泣くということは笑うと同じように精神を浄化して免疫力を上げることができるそうです。
実はわたしは義理・実3人の親を送り立場上3回喪主をしているのですが、いつも喪主挨拶の時に泣いてしまいました。へたれで恥ずかしい気持ちでいっぱいだったのですが、この文章を読んで少し救われた気分です。泣ける幸せを改めて感じ、気持ちが楽になりました。私に取ってこの最初の文章だけでも読む価値があったみたいです。
私たちは有り余る物に囲まれ、健康法だの美容だのグルメだのに夢中になっていたのですが、避難所を訪ねていくと被災者たちは何もかもなくしてしまっても、とりあえず生活できていることに満足している。私たちの生活は無駄なものに囲まれていて、今日を生きるために本当に必要なものとか健康というのは、実はとても限られているのかもしれない。それよりも私たちの心の中には、譲り合う気持ち、誰かのために行動しようという気持ちがちゃんとしっかり備わっているということを確認することによって、心が温かくなり、力が湧いてくるのだろう。
震災後にはボランティアで被災地支援に行きたくてもなかなかそうもいかず、役に立つことが何もできずに安全なところで今まで通りの生活を送ることに対する自己嫌悪や罪悪感を感じる人も多かったのだろうが、「今すぐ誰かの役に立たなければ、意味はない」というのはあまりにも短絡的な考え。これまでの仕事を変わらなくてもその活動、働きが目の前の誰かの役に立つのなら、それが回りまわって必ず被災した人たちのためにも何らかのプラスになってくるはずです。まずは今ここに集中して、その中でできることはあるはずなので、やってみようということですか。
震災のような時には思いがけない人間の本性というか品格が出てくるもので、この本に紹介されている例でも、パワハラ上司の意外な頼りがいのある感じに見直したとか、不倫関係の上司が大きな揺れにパニックになって目の前で自宅の妻に必死に電話するとか、帰宅難民になっている部下を放置して自分だけ自家用車で帰ってしまう経営者とかあって、まさかの時の人間の胆力ですね。自分はどうだと言われるとその場にならないとわかりませんとしか言えないのがちょっとさみしいですが… たぶん「落ち着け!」と叫んでいるのですが、一番慌てていたりして…
それはそれとして、大震災で人と人の絆というかつながりの大切さを改めて感じました。やっぱり人間は独りでは生きていけないし、そのためには少しぐらい煩わしいことや面倒くさいことも受け入れないといけないと。激しい恋愛もいいけれど、ゆるやかに場所や時間を共有しながら育てる愛情、自分を自分として維持し、相手の中にある自分との違いを尊重しながら育てる愛情こそが「何かの時に」自分を支えてくれるものになる。う~ん、これは著者が五十路を迎えたから言える言葉かも?
いつの間にか、震災の時に受けたショックも薄らぎ、追い立てられるような世界に戻りつつあるのですが、毎日を迷いながらも、あの時に感じた原点回帰のような気持ちを忘れずに生きていけたらと改めて思わせる本です。
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