怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「日本再生は生産性向上しかない」デービッド・アトキンソン

2018-01-31 07:08:23 | 
以前このブログでも紹介した「新・観光立国論」「新・所得倍増論」の著者デービッド・アトキンソンの新著(と言っても2017年6月ですが)です。
なかなか切れ味鋭い分析で、今回も期待していたのですが、どうも前2作の焼き直しで新味はあまりありません。

個人的には題名からして生産性向上へ向けた具体的提言がたくさん盛り込まれているかと思っていたのですが、そこに触れられているのは第6章から。前半は前の著作でも触れてあったことの蒸し返しみたいなものです。まあ、それはそれで結構面白いんですけどね。
言わんとすることの要点だけを述べれば、日本の高度成長は人口ボーナスと戦災復興に主たる理由があって、勤勉とか手先の器用さとかは確かにその通りなんだけど国際比較してみれば大きなポイントというほどでもない。失われた20年は人口ボーナスが人口オーナスになったのを気づかず旧来の慣行を強みと思って勘違いしたまま続けてきたことによる。結果として今では一人当たりの生産性では先進国の中では下位になってしまっている。ここまでは「新・所得倍増論」でも同じこと言っているんですけど。
ではどうすればいいかというと一つは世界の平均並みに観光収入を伸ばすこと。世界のGDPに対する観光収入は1.61%、日本は0.41%。伸びしろは大きい訳で、今2020に訪日外国人観光客が4000万人目標と言っていますが、2030年の世界の観光客数の推計からは2030年で80200万人の潜在能力があるとか。ここの伸びでGDP50兆円は稼げるとか。
もう一つはサービス業の生産性向上です。工夫して付加価値を高めて単価を上げ、生産性を向上させる。過剰ともいえるサービスを提供して安い人件費でパートを使い凌いでいるのではなく、ITを導入して生産性を上げていかなくてはいけない。日本と他の先進国との間でサービス業の生産性に開きが生じたのは1995年以降のことで、それにはITの活用が関係しているのです。それは過剰なおもてなしは必要ないということですよね。
因みに著者は銀行であんなに人を置いて未だに窓口業務をやらしているのにも納得いかないみたいですが、私も昨年確定申告の不足税を納付する時に銀行へ行くと、納付書の他に伝票を書いてくださいと言われて憮然とした思いがあります。
最後には自民党の二階幹事長との対談があって、アトキンソンさん、これはちょっと提灯持ちが過ぎるのではないでしょうか。
初めてアトキンソンの著者を読む人にはいいですが、まあ、やっつけ仕事で中身は軽いですかね。
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1月27日瑞穂公園テニスコートは忙しい一日でした

2018-01-28 21:39:14 | テニス
冷え込んだのですが、いい天気
この日の午前は瑞穂陸上競技場でミニ駅伝大会なので8時30分過ぎに家を出て自転車で会場へ。
ところが表通りはともかく水曜、木曜に降った雪が裏通りには残っている。
日陰になる通りの南側は結構凍っているところもあるので、できるだけ表通りを走っていくしかない。

それでも無事9時には会場についてやれやれ。

瑞穂陸上競技場の芝生はきれいで青空の下で気持ちいい。
風もあまりなくてコートを脱いで開会式に立っていてもあまり寒さを感じない。もっともこの日は外の仕事なのでヒートテックを2枚重ねに着ていて、準備は万全。
この日の駅伝大会には5人で15キロ余りをタスキをつないで走るのですが、100チーム以上の参加があって観客席には選手と応援の人で結構人が一杯です。

私はスターターの役割で、スタートピストルを任されているのですが、これは鉄の塊なので冷たい。
スタート5分前には渡されて持っていたのですが、全く温まらない。

スタート位置は早い者勝ちで特に場所の取り合いもなく並んで位置について、「バ~ン」
結構耳がボーンとなってしまいます。
1時間余りのタスキをつないでいく熱戦が繰り広げられましたが、最後のチームも繰り上げスタートすることなく無事完走。病気怪我の人もなくてよかった、よかった。

12時までには表彰式も終えて無事終了できました。
帰りにはお昼を食べようといつものしげ寿司へ行ったのですが、ガラリと戸を空けれるとお客は誰もいない。それどころか大将もいなくてちょっと呆然としたのですが大将は戸の空いた音を聞きつけて奥から出てきました。
海鮮丼をいただきましたが、いろいろ刺し身がのっていましたが、この時期はブリが一番おいしいですね。
さて家に帰って一休みしてから着替えて、今度は14時30分からのテニスに瑞穂公園テニスコートへ。実はこの日は夜に高校のクラス会(正確にはクラス会をやるための幹事による準備会)のために1時間ほどで帰らなくてはいけないので自転車でまた行きます。
コートに着くと森の熊さん、1059さん、はげ親父、タケちゃんマン、ヤッターマンといます。
タケちゃんマンは先週都合が悪いと言っていましたが雪のために予定が変わってくることが出来たみたい。ヤッターマンは豪雪地帯の桑名なのでなんとこの日も朝は雪が降っていたとか。日本海から琵琶湖を抜けて雪が流れてくるみたいです。
とにかく乱打を順番に始めます。
お昼過ぎから雲が出てきて風も出てきました。休んでいると寒い。
コートの隅にはかすかに雪が残っています。

一休みしてからじゃんけんして試合に。
最初の試合はヤッターマンと組んではげ親父、タケちゃんマン組と対戦。相変わらずヤッターマンの動きは右へ左へと軽やかで3ゲームを連取。しかし、最後のゲームは私のサーブで何とラブゲームの負けで3:1でした。最後はチャンスボールを気負って打ち込みネットというお決まりのミスでした。
次の試合は同じくヤッターマンと組んで1059、森の熊さん組と対戦。ここは1059さんの最近の得意の小技に苦しめられましたがラッキーショットもあって4:0で完勝
この時点で3時30分になったので私はここで中途退席。お疲れ~
夕方には名古屋駅の素材屋へ。家に帰ってまた着替えてから、一休みしてから金山まで歩いてJRに乗ろうとすると事故でダイヤは乱れていて余裕で到着のはずがギリギリに。まあ、みんなほぼ時間通り集まって高校時代に戻って楽しい時間を過ごすことが出来ました。
東奔西走の一日でした。



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「黄沙の楽土」佐高信

2018-01-24 21:40:17 | 
浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んで以来、中国近現代史に俄然興味を持ったのですが、本格的に歴史書を読むよりも「珍妃の井戸」「中原の虹」「マンチュリアン・リポート」と読み進めるほうが断然面白いし、作者自身、李春雲とかの主人公は架空の作者の創作とどこかで書いてたので、半分以上は本当だろうと思いつつ、精々が新書本で近い歴史を読むぐらいでした。
物語は「天子蒙塵」のシリーズになり、いよいよ張作霖爆殺から満州事変へと進んで行くのですが、ここでは日本軍人の本庄繁とか板垣征四郎、石原莞爾が重要な役割を演じてくる(今は第2巻まで出ていますが、全シリーズと同様に読みだすとやめられない面白さ。早く続きが読みたい。お勧めです。)
あやふやな知識しかなかったので、かねてより石原莞爾については一度全体像を知りたいと思い今回読んでみたのが佐高信の「黄沙の楽土」

山形出身の佐高は石原と同郷ですが、相変わらずの辛口。おかげで郷里では批判をかなり受けたとか。
石原莞爾ついては毀誉褒貶が激しいのですが、その構想力のスケールの大きさと先見性をたたえ天才と評する人も多い。その先見性がゆえに東条英機などに疎まれ、参謀本部から関東軍参謀と飛ばされ京都師団長に事実上の左遷され、早々に退役将校になって郷里山形へ引っ込んでしまうところも、石原がいたなら違う展開になったのではという思いをもたらしているのでしょう。
石原自身はそれによって戦犯として追及されることを免れているのですが、その時の自己弁護は潔いとは言えません。満州事変は関東軍司令官たる自分一人の責任として自刃した本庄と比べると、実際には石原がほとんど一人で企画立案したと思われるだけに、余計無責任に思えます。
石原の構想では最終決戦はアメリカとの戦争で、そのためには満州国の経営に専念して国力を養わなければならない。日中戦争不拡大を訴え、関東軍の暴走を止めようとしていた。
だけど石原が日中戦争拡大を阻止すべく参謀本部の作戦課長として関東軍に乗り込んできた時には関東軍の参謀たちからあんたが中央の命令を無視して満州事変までにやってきたことを我々は模範としてやっているだけと言われてぐうの音でなかったという。このエピソードはこの本の中で何回も出てくるのですが、暴走した石原等を陸軍は何ら処分しなかったことから、やったもん勝ちの前例ができてしまった。あとで本意ではなかった思ったにせよまさに石原が開拓した路線なのです。
石原は陸軍幼年学校、士官学校、陸軍大学とトップの成績で卒業し、酒もたばこもやらず、ドイツ留学中にはナポレオンやフリードリッヒ大王の戦術を研究し、月給の殆どは本代に使ってしまったとか。粘りが身上で大して頭の良くない板垣を操り、本庄の下で日本政府の意向を無視して関東軍を自由に動かしていた。満州国建国によって、五族協和とかあたかも口触りのいい理想的国家ができたかのようであるが、その実態は日本の傀儡。石原の理想は全く顧みられることはなかった。走り出した関東軍は石原の意向を飛び越えて植民地経営にまい進していく。それは石原の志と違うと言ってもその路線を準備して進めてきたのは石原自身であり、それを読み切れなかったとするととんだ智謀です。満州国の実態については想像通りなので縷々書くことはありませんが、王道楽土のスローガンに乗せられて開拓団として満州に赴き悲惨な結末を迎えてしまう日本人にとって、石原は何ということができるのか。やっぱり私の言うとおりにしておればこんなことにならなかったというのでしょうか。そもそも満州は無人の荒野でもなく人の土地に勝手に踏み込んで五族協和の理想などはないものです。
佐高は戦争拡大を阻止しようとした石原を放火犯の消火作業と言っているが、いまだに石原神話が残り神格化しようという人もいるのですが、放火犯には間違いないし、その責任を取ってはいないと思う。
石原の他にも「天子蒙塵」に登場する人物もたくさん出てきて、浅田次郎の小説と合わせて読むにはいいですね。勉強になりました。
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1月20日瑞穂公園テニスコートの後で大吟醸

2018-01-23 07:20:11 | テニス
終わってはげ親父を除いた男性5人でいつものしげ寿司へ。
しげ寿司の入り口には干し網が吊るしてあり、アナゴの骨が入っている。大将に聞いてみると骨煎餅を作るには骨の中に水気が残っているとカリッとしないのでよく乾かさないといけないとか。冬場にはどうしても4~5日は干さないといけないそうです。
この日は5人なので奥のテーブルに椅子を一つ足して座ります。
ちょっと遅れて入っていったらすでに森の熊さん、ヤッターマン、タケちゃんマンの前に三千盛の大吟醸が出ています。

既にビールで乾杯は済ませて大吟醸に移行していました。
つまみも頼んであって、ブリの刺身が出ています。

続いてタコぶつが出てきます。

実は金曜日から歯が痛くてタコぶつをかむと響いて痛いのでちょっと辛い。さらにいつものアラ焼が頼んであるのですが、これはもう少し時間がかかります。
その前にむかごの素揚げを。

タケちゃんマンは初めてみたいでこれは何?食べてみれば分かるのですが、芋の味。
山芋の実です。ヤッターマンの家の庭には鳥が運んできたのか自然に生えているそうですが、タケちゃんマンの家の庭には生えていない?
カンパチの頭が焼きあがってきました。

解体して食べている姿は悲惨でとても写真に写せません。
この日ははげ親父がいないので目玉を食べる人が誰もいません。
大将がサービスでアナゴの腹骨を出してくれました。

美味しいのでちゃんとメニューに出せばいいのにと言ったのですが、メニューに出すほどの量が取れないとか。
いわゆる隠しメニューですね。
もう一品は牡蠣のみそ焼き。一人一つづつということで焼いてもらいます。

柚子の香りがいい。
大吟醸をグビグビ。
一升をみんな飲んでしまうということで、ここでつまみにあん肝を。

見るからに体に悪そうですが、美味いんだな~これが。
もう一品はブリの照り焼き。小さめになりますが一人一切れにしてもらいます。

こうなると大吟醸はもうないのでビールを1本追加でいただきます。
まあ、よく1本で収まりました。
〆はばってらと太巻きのハーフ&ハーフ。これは写真を忘れていました。
フルーツが出てお茶をいただいて終了。

この日のお勘定は17500円。

一人3500円でした。
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1月20日瑞穂公園テニスコート

2018-01-21 22:26:17 | テニス
いい天気です。
午前中に買い物に行ったのですが、風もなくて暖かい。
でも雨の心配は全くないのですが、お昼過ぎから雲が出てきました。
カミさんは額田のお寺の集まりがあるとかで昼前に出て行ったので、お昼に子どもの分と二人分野菜たっぷり(と言ってもほとんどもやしにニラ少々をチャーシューと一緒にバターで炒めたもの)の味噌ラーメンを作って食べました。
後片付けをして一休みしてから13時40分には家を出ます
山崎川まで歩いていくと27日のミニ駅伝大会の交通規制の看板が。

27日はこれがあるので午前中は仕事です。しかし、どうして(財)を消してあるんでしょう?公益財団法人になったので消した?そうしたらテープを張って(公財)と加えておかないと財団法人を取り消されたみたいじゃないですか。
コートにはヤッターマンと一緒に到着。駐車場の入り口にはえみちゃんの車が停まっていて空き待ちしています。
この日は3番コートですが、時間前からはげ親父、ヨイショ、えみちゃん、森の熊さん、1059さん、タケちゃんマンといます。先週雨で中止だったのでみんな力がはいっています。
コートが空いたら早速入れ替わりつつ乱打をします。
暫くするとカバちゃんも登場。この日は9人と大入りです。
前半乱打組と後半乱打組と分かれてじゃんけんして試合に。
私の最初の試合は1059さんと組んでヤッターマン、カバちゃん組と対戦。乱打をしていると分かったのですが、結構風が出てきて、へなちょこボールしか打てない私は風に翻弄されてボールはどこへ行くか風に聞いてくれ。これではいい結果が出せるわけなく1:3の負け。、ああ、1ゲーム取れただけでもいいか。
休んでいると風が冷たいので上着を着ないと。でも桜並木を見てみると固いつぼみが出てきています。

大寒になりますが、春の準備は静かに進んでいます。
次の試合ははげ親父と組んで森の熊さんヨイショ組との対戦。ラブゲームが続く淡白な展開でしたが、最後のゲームはもつれにもつれて結局落としてしまい1:3となって粘り切れませんでした。
人数が多いので休憩時間はたっぷりあって年寄りにはうれしい。合間にカバちゃんのお母さんがタイから持ってきたという竜眼というフルーツをみんなに配ってくれました。

ライチみたいなものですかね。
皮をむいてみると中は白い実。食べると種があります。やっぱりライチっぽいかな。

次の試合はヨイショと組んではげ親父、1059組と対戦。いつもながらのヨイショの激励のない叱咤を浴びつつ、痛風もちには負けてはいけないとそれなりに頑張って一進一退ながら最後のゲームを粘り勝、3:1で勝利
この時点で16時15分なので、休んでいるヤッターマン、森の熊さん、タケちゃんマンは帰り支度を早々にしてしげすしへ行ってしまいます。それならそろそろ終わりにしようかとなったのですが、まだまだ女性陣がやりたりないみたいなので、もう1ゲーム。えみちゃんと組んでカバちゃん、ヨイショ組と対戦。でも連続では疲れも出てきてミスを重ねてえみちゃんに舌打ちされてしまいます。結局1ゲームを落としたところで終了。
コート整備をして少し早めに終了します。



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1月13日東山公園テニスコートの後は久しぶりに「浜木綿」

2018-01-17 06:48:19 | テニス
終わってヤッターマンはこの日帰るというので、タケちゃんマン、森の熊さん、1059さんと4人で久しぶりに浜木綿まで歩いていきます。
さすがに5時前なので待つこともなくすぐに席へ案内されます。
とりあえず生ビール。

は~、うまい。
ここはジョッキをキンキンに凍らせていますので、冷たさが歯に沁みる。
それでは料理を。
まずは定番の餃子を2人前。

すかさず森の熊さんがお得意の八事ソーセージに中華パンを頼みますが、中華パンはまだ早いということで却下。
八事ソーセージだけにします。

エビマヨにしようかエビチリにしようかと迷ったのですが、ここは数が多そうな揚げ物でエビの天ぷらを。

ビールはすぐになくなるので次の飲み物を。
燗酒にしようかという意見もありましたが、ここは焼酎をボトルでいただきお湯割りにすることに。

ボトルは残ったらキープできるみたいですが、ここは残さず飲みましょう。
お湯割りでグビグビ飲みつつ、もう一品で唐揚げを。

はげ親父がいないので鶏料理も遠慮なく頼めます。
唐揚げ8個入りで一人2個。
さらに回鍋肉も。

野菜も多くてそれなりにヘルシーかも。
ここでようやく森の熊さんの希望を聞いて中華パンを頼みます。

結構甘いんですが、そこが森の熊さんのお好みか。
焼酎をちゃんとあけてしまい、最後の〆は香港焼きそば。

ほぼ1時間でこの日は終了。
お勘定は13521円で一人3千円で残りは基金から支払いました。
ここから私はバスで帰るのですが、ちょうど行ったところで30分待ち。仕方ないので八事日赤まで戻って病院のトイレに行き、八事日赤のバス停で待ってバスで帰りました。
  


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1月13日東山公園テニスコート

2018-01-15 07:01:40 | テニス
朝からいい天気
気温は低かったのですが風はない。
どことなくこの間から右足首が痛いのでイマイチ気が乗らなかったのですが、森の熊さんのラケットを預かっているので何があっても行かなくてはいけない。
ということで13時40分に家を出たのですが、途中の水素ステーションで初めて給水素している場面を見ました。

この水素ステーションは出来てから2年ほどたっているはずですが、利用している姿は初めてだったんです。
あれが燃料電池車か。
バスはほぼ時間通り来て妙見町着。
バスを降りて歯医者さんの気温計を見ると6度。やっぱり気温は低い。
コートには、森の熊さん、ヤッターマン、1059さん、はげ親父、タケちゃんマンといます。この日は総勢6人でした。
早速みんなで入れ替わりつつ乱打をやります。
日が差してくると風が無いので体を動かしていると暑くなってきます。
気温を測ってみると10度近くある。

日が差しているうちにじゃんけんして試合を始めましょう。
最初は森の熊さんと組んでヤッターマン、1059さん組と対戦。押され気味でしたが一進一退の展開に持ち込み、何とか2:2の引き分け迄持ち込みました。
次の試合は同じく森の熊さんと組んでタケちゃんマン、はげ親父組と対戦。相手は痛風もちとガラスの肘なのですが最初は一進一退。1ゲームオールだったのですが、最後の2ゲームは連取して3:1で勝利。森の熊さんと組んで久しぶりの勝利でした。
ここで先日痛風の発作が出たばかりのはげ親父はリタイア。両ひざはサポーターでがちがちでかつ右足首も痛風でサポーターで固定。懲りずに早くも酒を飲みだしたそうですが、さすがに足が動かず早々の戦線離脱でした。
ついでにガラスの肘のタケちゃんマンも無理をするといけないとかでここでリタイア。
仕方がないので残った4人で組み替えて試合を続けます。
次はヤッターマンと組んで森の熊さん、1059組と対戦。この頃には私もばねが切れてきてふらふら上に上がったボールを打つのを失敗続き。チャンスをピンチにして自滅。結局1:3の負けでした。
最後の試合は1059さんと組んで森の熊さん、ヤッターマン組と対戦。1059さんは最初のころの試合こそ調子よかったのですが、4試合目になるとスタミナ切れでミスが目立つように。森の熊さんもスタミナ切れなのかスマッシュを続けてミスしたのですが、ここから修正して前に落とすショットを連発して翻弄されました。本人曰く力が無いのでこんなのしか打てないと言うのですが、それに翻弄されるのは何と言えばいいのか。
時間前ですがこれで終了。コート整備して帰ります。
ところで帰る時クラブハウスのドアに平日昼間のコート予約の人にテニスボールプレゼントとありました。

指定管理になると空きのある時間帯の勧誘にいろいろ考えています。





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「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」池谷裕二

2018-01-12 21:13:55 | 
自慢ではないが英語というか語学は大の苦手だ。英語だけでなくて第2言語のドイツ語も苦手だった。
もし英語の偏差値が他の教科と同じならば、東大京大でも大丈夫だったかも(今となっては何とでもいえるので言ったもの勝ちです)しれない。
著書の池谷裕二も英語が苦手。アメリカに留学したのだが言葉の壁は厚くて発音が全くできずに通じない。相手の言うことも理解できない。最初は悶々とする日々を送っていたそうです。
ところがある発見とともにきちんと通じることができるようになったのです。それは、
1:日本人として生まれ育ったのだから今さら英語特有の発音は身につかずカタカナ発音しかできない。
2:それゆえ英語本来の発音からひどくかけ離れたものになってアメリカでは通用しない。
3:カタカナ発音を別のカタカナに置き換えることによって多くの場合は通じるようになる。
英語には日本語では区別できない「子音」があり、母音の数も少ない。もっとも日本語にはあるけど英語にはない発音もあるのでこれはそれぞれの言語特有の特徴ということなんでしょうけど。
因みに言語を覚える能力はおよそ8歳までで、9歳になると急速にその能力は低下するそうです。脳の中にはネイティブの言語に順応した専用回路が出来上がってしまい、それ以外の言語には対応できなくなるのが大脳生理学の立場とか。
さらに言えば第2言語の習得能力は遺伝の影響が強くて、一卵性双生児を使った調査から語学力の70~80%は遺伝で決まっているということです。英語が苦手だったのは努力不足だけではなかったんだ。
日本の高名な大学教授がアメリカで英語で学会発表した時、聴衆のアメリカ人は日本語というのは英語とよく似ていると思ったとか。英語で話したはずなのにネイティブには英語とは認識されなかったみたい。
特に優れた遺伝的要素もない英語の苦手な日本人は、そもそも英語を発音するための脳回路ができていないのだから、開き直ってカタカナを活用すればいいのです。ただし、カタカナをどう活用するかは工夫が必要です。
その秘訣を惜しみなく開示したのがこの本。

この本ではカタカナを活用する発音の法則を示しつつ、初級コース、応用コースと実例を挙げてそれぞれ70回づつ練習しましょうと言っている。それぞれのページにはQRコードがついているので実際に聞くこともできます。
初級コースの最初は
good morning.
これはグッドモーニングと読むのではなくてグッモーネン。英語には日本語のような長音は存在しない。単語の最後の子音は発音しない(実際には弱い音なので聞き取れない)。英語には「イ」の発音がありません。「エ」に近い音なので「モーニン」ではなくて「モーネン」になります。
もう一つあいさつでgood afternoon.
これはグッドアフターヌーンではなくてグラフトヌーン。goodのdはafterのaとくっついてグッダとなります。これを「リエゾン」というそうです。
初級コースはこういったよく使う、かつよく知っている言葉の読み方を法則とともに列挙してあります。
応用コースではもう少し文章ぽいものが出てくるのですが、慣用語としてまとめて覚えてしまうものでしょう。
初級コース、応用コースまとめて50の例文ですのでそれぞれ最低70回は声に出して読んでください。ただし私は図書館で借りてきたのでそこまでの余裕はない。返してから本屋で買おうかと思っています。
実践コースの後には、法則偏としてカタカナ置き換えの規則をまとめて提示してあります。
最初は「最後のLはウ」の法則
ビューティフルではなくてビューレフォウ
最後の子音はほとんど聞き取れないのではっきりと「ル」というと別の単語になってしまいます。しいてカタカナを当てるとしたら「ウ」。だからallはオールではなくてオーウ、callはコールではなくてコーウ
13の法則が列挙してあってそれぞれ単語で練習するようになっています。最後には練習問題もついています。あとは実践あるのみ。
こうやって見てみると今までの英語をカタカナで置いたものとはかなり違います。池谷流のカタカナで読むと何となくネイティブぽい英語になるので不思議です。
ところで「最小限の勉強量で最大の効果を出せるような」効果的な学習法はあるのかというと、残念ながら存在しないとか。
「学習はつらい方が深く定着しやすく、楽に学んだことは砂に書いた文字のようなもの」だそうです。
カタカナ英語は英語が苦手な人が英語を話せるようにするものですが、1日70回の練習を何日も繰り返す必要はあります。
まずは中古でもいいので本を買ってボロボロになるまで練習してください。
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1月8日鶴舞公園テニスコートは雨で中止

2018-01-10 19:55:44 | テニス
3連休の最後のこの日は天気予報通り全国的に雨
朝起きた時には雲が低く垂れこめているのですが、まだ降っていない。
でもテレビのニュースを見ていると大阪ではもう降っている。雲の動きからもうすぐ降り出すのは必至。
案の定、8時ごろから雨が落ちてきました。
前日はいい天気だったのに、コートが当たっている時に限って雨です。
年末紫禁城に行った時にはryuちゃんにも予定を教えてあったのですが、どうもそれがいけなかったのか。
結局雨は本降りになってきてみんなにお知らせするまでもなく中止に。誰からも問い合わせもなかったので連絡もしませんでしたが、この日テニスに行った人はいないでしょう。
折角の成人式なのですが、晴れ着が汚れてしまいます。鶴舞公園へ行くと昭和区の成人式が公会堂であるのでいつも晴れ着を見れたのですが、そういえば今年は工事中なのでどこでやったのでしょうか。
テニスに関しては今年も最先はイマイチみたいな天気でした。
お陰で半日かけて録画してあった「絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス」を全部見ることが出来ました。
ところで、はげ親父は痛風の発作が出たそうで、しばらく戦線離脱かもしれません。元旦に話していたら最近はもう薬も飲んでいないと言っていたのですが、薬をやめたらてき面ということでした。痛い目に合わないと酒をやめられないので馬鹿は死ななきゃ治らないとしか言いようがありません。
まあ、今年もぼちぼち頑張りましょう。
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さよなら大野正樹さん

2018-01-06 18:06:05 | Weblog
訃報は突然でした。
3日の朝にパソコンのメールをチェックしていたらTさんからの連絡でした。
2日の午後に急逝したとのこと。実は元旦にテニスの後、はげ親父、タケちゃんマンと一緒に嘉文へ飲みに行った時、大野さんも一緒に飲みに来ないとメールしたばかり。その時は行けないけど皆さんによろしくと普通に返事をいただいていました。
にわかには信じられなかったのですが、お昼ごろには奥様からも電話がありました。突然のことで何処に連絡していいかわからなかったので、とりあえず携帯に発信履歴が残っているところへ連絡してくれたみたいです。
2日の14時に倒れて名古屋医療センターの救急搬送。懸命に治療したのですが、心電計は反応せずに19時に逝去されたそうです。2日の午前には職場に挨拶に顔を出しているので本当に前兆なしの突然。駐車場から家に帰る時に倒れたそうです。
大野さんとは病院の係長時代からの付き合いで、テニスはしないのですが、我がクラブの合宿にも何回か参加していただきました。
下呂合宿では舞台峠のコートの横でクーラーボックスの番をしながらビールを飲んでいた姿を覚えています。
野間荘の合宿ではコート横の土手で土筆をたくさん摘んできました。
一昨年の12月には高山へも一緒して行きの列車で飲みすぎてホテルに着いた時にはみんなべろべろ、そこから先は記憶がほとんど飛んでいました。
最近は合宿にはご無沙汰でしたが、今でも定期的な飲み会には一緒に痛飲(私だけですが)していました。病院時代は本当にハチャメチャに飲んでいた記憶で御用納めの日はいつもはげ親父も含めて最後の風俗まで一緒でした。
飲み会にはどちらかというと私の方が一方的に誘うことが多かったのですが、都合がつく限り来てくれました。
実は大野さんから4日に年賀状が届いたのですが、そこにはいつも飲み会ありがとうと書いてありました。

ありがとうと言われても、もう誘っても来れないのに、どうしてくれるんだ。切なくて泣けてきます。
近しい人の訃報を目にすると今まで一生懸命作ってきたジグゾーパズルのピースがボロボロ消えていく感じがします。大野さんのピースは大事なところだったのに…
5日は葬儀だったので参列させていただきましたが会葬お礼には奥様の愛情あふれる文章が載っていました。

最後のお別れの時にもずっと奥様は大野さんのお顔を愛しむようにさすっていました。
一緒に参列したタケちゃんマンは大野さんは奥様に本当に愛されていたのだなとうらやましそうでした。
ヘタレの私はこれを打っているだけで涙があふれてきてキーボードを濡らしています。寂しくて、残念で堪りません。
これからは私たちの心の中で生きてください。
「死者を死者と思うなかれ 生者あらん限り死者は生きん、死者は生きん」ゴッホの手紙より
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