怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

小さな恋のメロディ

2022-05-12 16:26:31 | 映画
NHKのBSで昼間に昔の映画をやっていますが、この日は「小さな恋のメロディ」
1971年の作品なので私が高校生のころ。映画館で見て映画音楽のbee zeesの曲とともに記憶の残っていました。
で齢68歳になって観てみたのですが、懐かしさもあるのですが途中でやめられなくてエンドロール迄しっかり観てしまいました。ノーカットでCМなしで見れるのはさすが天下のNHK、うれしいですね。
主演のマーク・レスターとトレーシー・ハイド、どちらも可愛いですけど、トレーシーはすぐに、マーク・レスターも成人してから映画界を去り、堅気?の仕事をしているような記憶です。友人役のジャック・ワイルドがいい味出しているのですけど同級生には無理がある…
パブリックスクールがもともとそうなのか知りませんが、同級生と言っても体格、人種がばらばらで、あまり年齢は関係ないのが普通なのでしょうか。
イギリスは今でもそうみたいですが、階級社会で主人公のダニエルは父親は会計士で母親は女性会活動に熱心と明らかに中産階級以上。メロディは労働者階級で他の同級生もそんな感じ。ふつうは学校を選ぶような気もしますけど、その面でちょっと場違いな感じが漂います。
それにしてもパブリックスクールに通う主人公の年齢設定は11歳。その恋愛話を高校生が見て感心していたとはどんだけ奥手だったのか。

ダニエルとトレーシー、最初はお互いにチラ見するだけだったのが、だんだん意識しあうようになり、音楽室で二人きりになると一緒に演奏して気持ちが通う。まるで日本の当時の高校生の恋愛じゃん。この映画、本国イギリスではあまりヒットしなくて日本でヒットしたというのも分かる様な気がします。
走り出すと止まらなくて二人で学校を休んで海に行く。

当然学校、家族に知れ大目玉を食らうのですが、そこから怒涛のラストに。
最後はお決まりのドタバタ劇で、同級生たちが結婚式をやってくれるのだが、そこに先生の一団が駆け付け、みんな入り乱れての乱闘に。爆弾作りが趣味の生徒の手製爆弾が爆発して先生たちが逃げ出す中、二人はトロッコに乗って去っていく。

bee zeesの曲が本当に画面とうまくシンクロしていて気分は高校生。
ところで、当たり前ですけど、教室に貼ってある世界地図はイギリスが真ん中になっている。教師はいつも紅茶を飲んでいる。いかにもイギリスのダウンタウンという街並みの風景も日本人の私にはへ~でした。60年代。70年代といかにも没落しつつある老大国の雰囲気が文化の厚みとともに出ています。
が降り出し、家で蟄居している時には、懐かしの映画は最高の暇つぶし。
映画って本当にいいですね。
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浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」は映画も小説も堪能

2021-10-14 07:05:45 | 映画
NHKのBSで、「鉄道員(ぽっぽや)」をやってました。

実はこの映画、封切りの時に見ていて、暗い映画館のシートで泣けた泣けた。
その後何度かテレビで放送した時があったのですが、民放だとCМが入りかつ家族のいる前で泣くのも憚られ、子どもが騒いでいる中、風呂へ入れとか布団を敷けとか雑音が行きかうところで見る気も減退して、気合を入れてしっかり見たことはない。
今回は昼間で一人で見ることができたので、思う存分堪能して観ることができました。
そしてやっぱり泣けました。
映画はCМ抜きで一人で静かに見るものだと改めて確認した次第。
高倉健の顎付近のしわを見ると年齢は隠しようがなく、若い頃の回想はちょっと無理があるけど、さすが健さんは格好いい。
石炭産業の衰退と相次ぎ坑内事故、鉄路が永遠に続くと思われていた時代から衰退し次第にローカル線が廃線となっていき、マル生運動と厳しい労働争議、そういった時代背景を肌感覚でわかるのは私たちぐらいが最後の世代かも。マル生が生産性向上運動の経営側の略称なんて今では分からんでしょうし、そこから国労、動労の組織存亡をかけた労働争議と順法闘争なんて言うのは、今は昔としか言いようがない。
そんな中でも、一つ一つの駅務手順を全く手抜きすることなくまじめに職務を遂行する駅員一人しかいない駅の駅長佐藤乙松役の高倉健。鉄道業務に誇りと愛着を持ち、子どもが病気でも仕事を抜けることなく、妻の臨終にも間に合わない。家族のことは「私」のことで、駅の仕事は鉄道員としての「公」のこと。鉄道員としてはまず「公」を最優先しなければいけない。こういう人の働きで、世界一と言う正確かつ安心安全な日本の鉄道網が成り立っていたんだ。不器用な生き方ですけど不器用だからこそ、その姿には泣けてきます。
もっとも、今や「公」の仕事はない身としては、「私」の見たくない現実に向き合いたくないので「公」に逃げ込んでいるという側面もあったのか…否が応でも母の認知症に対応しなければいけなくなった身としては、どこか仕事にでも逃げ込みたくなる時もあるのは正直な感覚なんですけど、自らのゲスさにちょっと恥じ入ります。
ところでこの映画の原作は浅田次郎の短編集「鉄道員」の中の「鉄道員」です。これも読んだことがあるのですが、映画を見た勢いでもう一度小説も読んでみました。
40ページほどの短編ですが、改めて読んでみるとちょっと驚いたのですが、セリフなどが結構そのまま忠実に映画に使われています。

もっとも短編小説なのでこれを2時間の映画にするために原作にないことを加えたり小さなエピソードを膨らましたり。志村けんの出番は映画で付け加えたところですし、その子どものことも原作にはない。それでも結構原作に忠実に原作を映画化していると言っていいでしょう。
因みに最後のクレジット迄しっかり見たのですが、どこに出っていたのか分からなかったのですが、板東英二とか田中要次とかの名前がいろいろ出ていたので、金と手間をかけて俳優も贅沢に使っていることが分かり、さすが映画と感心しました
映画も小説もそれぞれ独立して楽しめますし、観てから読んでも読んでから観ても十分満足できます。
もっとも私的には小説では「鉄道員」収録の「うらぼんえ」が一番好きだったんですけど。鯔背で孫への強い思いと愛情の深さで冥界から出てくる祖父の姿にはこれまた泣けてきます。
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21世紀の資本

2020-05-30 21:42:37 | 映画
5月末までの映画の鑑賞券をもらっていたので、前回「三島由紀夫vs東大全共闘」を見てきたのですが、まだ1枚ある。
という事で再度映画を見に行くことに。
この日は母の歯科受診があったので毎度ながらブチ切れつつ喧嘩しながら付き添いを務めてから、雁道からバスで名古屋駅に。
土曜日なので多少は混んでいるかと思いつつロビーへ行くと閑散としている。
余裕で空いていたのでこの日はHー12の席に。

席は時節柄前後左右ひとつあけてあるのですが、右端は並びが2席なので2席を一人で占拠できます。これは周りを気使うことがなくて快適です。
予告編が始まる頃に席についたのですが、観客は20人くらいかな。
「21世紀の資本」はトマ・ピクティのベストセラー。ハードカバーの結構分厚い本にもかかわらず結構売れて評判になったので知る人ぞ知る。でもこれをどうやって映画にするかというとフランス革命から植民地支配の時代、第一次世界大戦を経て大恐慌、そして第二次世界大戦、現代の金融資本主義、グローバルに展開する資本、そして広がる格差をいろいろな映像(記録映像、映画など)で表しつつ、ピクティ、スタイングリッツ、フクシマ、そしてよく知らない経済学者とか社会学者、歴史学者などのインタビューでつないでいくものです。

ピケティが「21世紀の資本」で論じたのは非常に単純で、各国の長期の経済統計を解析して結果、「資本収益率」は「経済成長率」大きく上回っているという事。結果として格差はどんどん拡大している。
格差が極限まで拡大すると社会がもたなくなって、1%の貴族層が90%以上の資産を独占する社会はフランス革命をもたらし、変わって土地と身分から解放された資本がとどまること知らず植民地収奪戦となり第一次世界大戦へと突き進む。
戦後疲弊したドイツはファシズムに活路を見出し、大恐慌からバブルがはじけたアメリカはニューディールから戦時経済へ。さすがにこの大戦では国家の総力戦となりこれ以上の格差を放置できないように。イギリスではゆりかごから墓場までで有名な社会福祉政策が展開され、修正資本主義の時代となり、中間層が形成されていく。例外的なのだが、膨大な犠牲を払ったこの時には格差は縮小された。だがグローバル化した資本はとどまることは知らず、自由に動き回れるようにレーガン、サッチャーの新自由主義の時代をもたらす。結果、格差はどんどん広がり、中間層はいつの間にか解体されていった。
今はご存じのように格差はますます広がって社会階層は固定化されてしまい、富めるものはドンドン富んでいきます。彼らはそれを自分の実力と理解していますが、単に運がよかっただけの結果かも。持たざる者は這い上がる術もなく貧困を再生産しています。
ピクティは社会の持続性のためにはこの状態は放置できず、相続による格差の固定を防ぎ、資産に課税をし、各国強調してタックスヘブンを取り締まらなければと説く。
色々考えさせられる映画でした。
この映画がフランスとニュージーランドの合作だそうですが、ほとんどNHKのBS1でよくやるドキュメンタリーにありそう。最近暇でよくこういう類の番組よく見ているんです。でもこの類の映画を商業ベースで作るのはすごいというか日本では絶対無理なのでは。フランス映画だから商業ベースで封切りされているのでしょうけど、興行収入は期待できるのか。
この日の観客は20人くらいだったのですが、正直、興行的にはかなり厳しいんでは。多分そのうちBSでやるかもしれないだろうし私的には鑑賞券をもらわなければ絶対に見なかっただろうと思います。いろいろな学者が説くところを字幕で必死に追いかけて読んでいくのは結構大変で疲れました。
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三島由紀夫vs東大全共闘

2020-05-27 21:02:09 | 映画
新聞販売店から抽選でもらった映画の鑑賞券の期限は5月末まで。コロナ騒ぎでもう使えないかと思っていたのですが、今秋から映画館も再開されたので、さっそく見に行くことにしました。
でも今はテレビとか新聞の広告もなくて、これといった新作も公開されていない。
結局、今回選んだのは「三島由紀夫vs東大全共闘」

ネットで座席の状況を見てみても余裕で空いているので、開演30分前に名古屋駅のミッドランドへ。
座席は両横、前後は空けての指定。選んだのはE11番。前から5番目の真ん中の席です。

ロビーはまだまだ閑散としていて、窓から見る名古屋駅前の様子も人は少なめ。

まあ、平日の昼間ですから。
ロビーの売店も閑散としていて、販売中止の物もあり販売品も制限されています。

ちなみにビールは発売中止。なんてこった。
さて映画は1969年5月13日に東大駒場の901番教室での三島由紀夫と東大全共闘の討論の記録を編集したもの。三島由紀夫は千人の東大全共闘が待ち構える場へ警察の警備を断り単身乗り込んでいます。もっとも心配して駆けつけた盾の会のメンバーが待機していたのですが。
最初に時代背景としての記録映像が出てきますが、70年安保を前にした騒乱の時代が映し出されます。なぜか全共闘の映像では革マルの白ヘルが多く出ているのですが東大は革マルが多かった?私は70年に高校進学していてその頃は何もわからないけど、機動隊と対峙する全学連にどことなくひかれる中学生。この三島と東大全共闘との討論はリアルタイムでニュースを見た記憶はあります。
単身乗り込んで討論に挑んだ三島は、それなりに緊張はしていたのでしょうが、その態度には余裕さえ感じる。映像に撮られていることを十分意識してたった一人で対峙している姿を見事に演じている。全共闘相手に声を荒げることもなく自分の考えをユーモアさえ混ぜつつ真摯にかつ誠実に答えています。
しかし両者の議論はやたらと難しい哲学的概念が混じって論点がよくわからない。合間に当時の関係者の証言とともに平野啓一郎と内田樹の解説というか背景説明が入るんですが、これがないと理解できなかったかも。当時はこんな言葉が飛び交いつつ世界を論じていた時代なんだと感じ入ります。相手が全共闘で革命理論に凝り固まったセクトではなかったからでもあるんでしょうけど。
でも三島の歯切れのいい言葉はよくわかりました。認識と行動では行動を評価する。反知性主義を公言。暴力を否定したことはなく、天皇という言葉さえ言ってくれたら君たちと共闘する。
内田樹によれば60年安保闘争から全共闘への原動力は敗戦して属国となっている日本の「反米愛国」運動。その面では三島はアメリカの走狗となっている既成右翼よりも全共闘に親近感を持っている。だからこそ天皇とさえという発言になっている。三島はこの全共闘の中に一人でも二人でもリクルートできたら、できるだろうと思っていたのではないだろうか。
それでは三島にとっての「天皇」とは?具体的な制度ではなく日本人の基底に流れる心で日本をまとめるもの。三島は戦後の天皇に批判的なのだが学習院高等科の卒業で銀時計を天皇からもらっていて、心情としての敬愛もある。天皇個人にはアンビバレントな心情があるみたいです。理屈ではなく日本人として生きていく基盤としての天皇と私的には理解したのですが、よくわかりません。
それにしても、当時はみんなすごくタバコを吸う。三島は両切りピースを4箱持ってきている。全共闘の連中もみんなタバコを吸っている。落書きとアジびらで雑然とした教室と相まって時代を映し出しています。ほとんどが男性で聴衆にも女性はほとんど見当たらない。
この映画で疾風怒濤のあの時代を少し体感した気分になりました。観客は2~30人。当然ながら高齢者が多かったのですが、若い人もちらほらいてこれはちょっと意外でした。
終わって地下のモンシェールで堂島ロールでも買おうと思ったのですが、まだ閉店中。

諦めてすぐに帰ります。
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「カツベン」

2019-12-21 10:03:21 | 映画
年末でも特に変わらない日々を送っているので、暇ができて映画を見に行くことに。
お昼を早めに食べて、ミッドランドで12時55分開始の「カツベン」へ。

30分前について席を確保したのですが、余裕でした。でもミッドランドのシンフォニー豊田ビルは待合がないので30分時間をつぶす場所がない。仕方がないので地下街をぐるっと回ってキルザタイム。
席に着くと平日の昼下がりというので高齢者が多い。隣りの人も私よりだいぶ上みたいで、映画が始まると最初は白黒の画面だったのですが、これは白黒の映画かと呟いていました。そんな訳はないでしょう。
で肝腎の映画なんですけど、映画の黎明期に活躍した活動弁士の世界を描いたもので、未知のことばかりで面白く見ることができました。映画で出てくる無声映画は全部今回作り込んで再現したとか。
でも周防監督作品ということで期待値が高かったので、そこまでではなかったかな。
話の展開が狭い地域の物語で、ちょっと不自然ですし、刑事さんはルパン3世の銭形刑事みたいに一人で動き回るのもなんだかな~。ピストルの弾丸は何発あるのか、最後はすごいピストルの腕を見せているのに、もっと前になんで撃ちあいにならないのか。
細かいところは結構突っ込みどころがあるのですが、暗い映画館で作品に浸っていると気にならずに楽しめるんですけど、見終わって振り返るとう~ん、と思うことなくはなし。
終わって明るくなると果たして観客は7割ぐらいの入りですけど多くは高齢者でした。
何と高校の同級生もいて、私も含めて平日の昼間に暇な人ばかりでした。
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「yesterday」

2019-10-31 08:06:46 | 映画
久しぶりの映画館での映画を見てきました。
今井澈さんのブログで紹介されていたのですが、昔のビートルズファンとしてはぜひ見たいと思った次第。

あらすじは、今井さんのコピペですが、
主人公は売れないシンガーソングライターで、或る夜帰宅中に世界規模でのナゾの大停電。事故を起こしてしまい気が付くと病院のベッドの中。前歯を2本失っただけで済んだ。(ポール・マッカトニーのバイク事故で同じ目にあったのに由来。)
 退院して友人たちに囲まれ、主人公ジャックは思いつくままに「イエスタディ」を歌う。皆がいつもと違って神妙に聞き、終わると「素晴らしい」と絶賛する。要するに停電の間、この世界はビートルズが存在しなかったパラレルワールドに転移していた!
 これに気付いたジャックは、思い出せる限りのビートルズの曲を書き出す。
 ちなみにこのパラレルワールドは「コーラ」「タバコ」それに「ハリー・ポッター」までない世界。最後にジャックは大観衆の前で、これらの曲はジョン・レノン、ポール・マッカトニーなどの「ビートルズ」が作ったもの、と告白、フリーで曲をダウンロードできるようにする。そして幼馴染の女性とハッピーエンデイング。
全編ビートルズの曲が次から次に。
あまり評判になってもいないせいかギリギリに行っても席はどこでもどうぞ状態。悩みつつ前から4番目の真ん中あたりに。

もちろん隣は両サイド空いていたし、前もだれもいない。
お陰で曲を聞きながら心ゆくまで足でリズムを刻むことができました。
この映画ビートルズに対するリスペクトと愛が溢れていて学生時代ビートルズを聞きまくっていた身としては涙もの。
私は実家の建て替えの際にも邪魔だから捨てろという非難囂々の中レコードを守り、おかげでビートルズのアルバムもほとんどもっています。痛恨の極みですがホワイトアルバムは無いんですよね。
当然ながら出てきた曲は全部知っていて、逆に終わってからなぜあの曲が出てこなかったんだとフラストレーションを感じてしまいました。
やっぱり私の世代としてはクイーンよりはビートルズ。
もしビートルズがいなかったとしたらあの素晴らしい曲が世に出ることがないということ。だけどそれ以上にビートルズが音楽(文化と言った方がいいかも)の新しい世界を切り開いた面があって、多分その後のミュージックシーンは大きく変わっていたのでは。
ところで主人公のジャックを売り出すにあたってマーケティング会議を行っているのですが、アルバム名では「サージャント ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド」は名詞ばかりで意味不明、「ホワイトアルバム」は白いだけで何が言いたいか分からない、「アビーロード」は単なる道を車が走っているだけ、と言うことでことごとく却下。う~ん。
挙句の果ては「ヘイ、ジュード」のジュードは誰?となって「デユード(相棒)」に替えられてしまう。
今のマーケティングでは心から溢れてくる作りたいものではなくて売れるものこそ大切、そういうことなんでしょう。
それにしても息子の才能などは全く信じていなくて音楽にも関心のない父親には妙にリアリティを感じて笑ってしまいます。
いや~、久しぶりに楽しめました。この気持ちは65歳以上限定かも。
実家に行ってアルバムをかけまくりますか。
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「あん」と「砂の器」

2019-06-19 20:52:56 | 映画
土曜日は結局テニスに行かずに家でゴロゴロ。
手持無沙汰で、かみさんの見ていた映画「あん」を一緒にしっかり見てしまった。
実は仕事の一環で、年に1回手分けしてハンセン病の療養所に慰問に行くことがあり、まだ若かりし頃に局長のかばん持ちで東京の多摩全生園へ行く機会がありました。確か池袋から西武鉄道に乗っていったような。
当時はまだまだ偏見は残っていて、私も内心はおっかなびっくり。医師でもある局長から今は全く心配ないと言われ、菌は紫外線に弱いから心配ならあとで日向を歩けと言われた記憶がある。お昼に行って所長さんと一緒に昼食を取ったのだが、隣で局長の食べるのを見て遠慮がちに食べていたような・・・その後名古屋出身の入所者の方々と1~2時間ほど懇談するのだが、比較的症状が軽い人が来ると言われたのだが、外見でそれなりの症状が分かった人が多かった。とにかく入所以来隔離状態で名古屋のことについても新聞、テレビで知るしかない。市電が走っていて八高のれんが作りの門があったとか、私の小学生時代の頃の話をしたら話がつながった記憶です。なごやかな懇談で入所者の皆さんから恨みがましい話は一切なかったのですが、療養所の歴史を聞き、入所者の来し方行く末を考えると世間の理不尽さと言われなき差別への無念の思いを身にしみて感じました。
その後療養所には熊本と静岡に行ったのですが、どんどん高齢化が進み名古屋出身の人も減ってきていました。
今ではハンセン病に対する理解も進み、人権回復の声も高まっていますが、あからさまには言われないにしても、まだまだ差別意識は残っていて入所者の人たちが故郷に帰ろうとすると忌避する声が親類縁者からも強いとかいう話は聞きます。
ハンセン病をテーマにした映画では「砂の器」がありますが、確か私が大学生の時に封切りになったと思います。私が多摩全生園に行った時の知識はほとんどこの映画からのものでした。
この「砂の器」は、「あん」と比べると「動」の映画。

記憶をたどると森田健作の汗臭い演技と丹波哲郎の茫洋とした刑事。加藤剛とか緒形拳とかもはや鬼籍に入ってしまいました。刑事は東北に行き島根県に行き、とにかく日本中を走り回り犯人の加藤剛を追い詰めていきます。療養所に入るまで親子で日本全国を放浪する姿には、どこにも誰にも受け入れられずに彷徨するしかないハンセン病患者の悲しみがあふれ出ていました。
そこから最早半世紀近くたった日本を舞台にした「あん」。

街の小さなどら焼きやを舞台に静かに物語が紡がれます。樹木希林が作っている「あん」は手間暇と愛情をかけて本当においしくそうです。そしてあんを作っている樹木希林の嬉しそうな姿。長い間磨いてきた熟練の技が世間の人に認めてもらえる。言葉には出さないけど全身がうれしさを醸し出しています。
ちなみに私が和菓子は苦手であんは基本食べませんけど、そんな私にもおいしさが伝わってきます。
どら焼きはおいしくて大評判となるのですが、やがてうわさが広がり、お客が寄り付かなくなる。どんなに味がよくても言われなき偏見のうわさには勝てません。今では入所者の皆さんも普通に街に出て散歩したりしているし、普通に買い物したり触れ合ったりしているのですが、内心の忌避感を拭い去れないのは残念ながらまだまだ現実かと思います。
どら焼きやをやめた徳江を療養所へ訪ねていくのですが、急に老け込んだ姿には樹木希林の演技を超えた迫力がありました。市原悦子の指が変な具合に曲がっているのですが、どうやったんだろうと言ったら、かみさんにそこへ突っ込むのかと言われましたけど。
ハンセン病を患い偏見にさらされながら、隔離された空間で一生を送らざるを得なかった深い悲しみがじ~んと伝わってきます。
緑が多くて平屋の建物が並んでいるのは見覚えがあって、あとでクレジットを見たらやっぱり多摩全生園でした。
ところで樹木希林の孫が出演しているのですが、イマイチ役としての関係性が分からなく、演技もこの年代でもっとうまい子はいっぱいいるんではと思うのですが、これは樹木希林への忖度?監督の河瀨直美もそこらあたりは大人の対応をしたということか。
原作はドリアン助川ですが、かみさん曰く、こんなふざけた名前の人がこんないい小説を書いたのか。これも言われなき偏見と差別意識かも。
「砂の器」「あん」。動と静の対極的な描き方ですが、どちらも心に残る映画です。
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「祈りの幕が下りる時」

2018-02-25 21:32:12 | 映画
土曜日はかみさんが仕事でいない。テニスは日曜日なので特に予定もない。
久しぶりに映画でも見に行くか。
時間がちょうどよくて今井澄さんの映画評を読んでいたので「祈りの幕が下りる時」にしました。

これは東野圭吾原作の加賀恭一郎シリーズです。そう言えば前に観た映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」も東野圭吾の原作でした。加賀恭一郎シリーズは「新参者」以来結構読んでいたつもりだったのですが、後で調べてみたら10作もあるとか。半分も読んでいなかったみたいです。
この「祈りの幕が下りる時」も最近記憶力減退が激しいので読んだかどうか記憶が定かでなかったのですが、やっぱり読んでいなかった。

ミステリーなのでネタバレするといけないので詳しくは書きませんが、さすが阿部寛は格好いいですね。
でも人を殺すということはそう簡単には行かないと思うのですが、いとも簡単に殺せてしまうんです。
ふつうの人間を手で首を絞めて殺すなんてというのは非常に難しいと思うんですけど。
うつ病で失踪した母が仙台でスナックのホステスをできるというのもちょっと違和感が。でも伊藤蘭のスナックのホステスならナンバー1は確実。少し愛想よくしてもらえれば私なら通い詰めてしまいそう。
通奏低音は父と娘、母と息子、親子の情愛なので、私は親子もののお涙頂戴に結構弱くて好きなんですよね。でも最近は母が結構認知症ぽくなってきて、それでも強情なところはますます進み、かわいげなさにイラつくことが多くて、親子もののいい時期も期間限定なのかなとちょっと冷めています。
まあ、こういう映画は一人で見てスクリーンの世界に浸りきるのがいいですね。
エンドロールの場面で杏と香川照之がちょい役で出て居たり映画というのは意外なところでこんな人がというところもあって、もちろん各場面きちんと作り込んであって、ちゃんと手間暇かけてあります。春風亭昇太はちょっとアクが強すぎて、役ところとしては金田一耕助シリーズの加藤武(刑事でいつも間違って「よし、分かった」という)的な役だと思うのですが、もう少し抑えて。
終わっていつものようにビックカメラに寄ってお酒を買ってきました。
この日は出羽桜の「一耕」と獺祭「等外」

映画っていいですね。
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ナミヤ雑貨店の奇蹟

2017-09-29 07:11:33 | 映画
以前下町ロケットについて書いた時に、読んでから見るか、見てから読むかという話をしましたが、この「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は東野圭吾の原作を確実に読んでいました。ひょっとしたらブログにアップしていたかもと思って調べてみましたが、それはなかったみたいです。
確実に読んでいたのですが、記憶はほとんどない。還暦過ぎて脳はどんどん軟化しているみたいで記憶がそれに合わせてどんどん飛んでいます。
映画を見てもごくごく大まかな筋しか覚えていなくて、見ているうちにそういえばこんな話の展開だったかと思いだす程度。その意味では心新たな気持ちで映画を楽しむことができました。

で、その映画ですが、まずはセットの作り込みに感心しました。昭和の時代の商店街がそのままに出ています。全部セットでは作れないはずとみていましたが、エンドロールを見て豊後高田市の商店街でロケをしたことが分かりました。昭和の雰囲気を残す商店街として有名ですよね。下町の商店街の自転車屋で生まれ育った身としては、この風景は涙が出るほど懐かしい。これだけでもこの映画を見る価値あると思ったほど。欲を言えば現在の商店街はもっとうら寂れて落書きだらけのシャッター街になっているはずなんですが、そこは今や観光名所となっている豊後高田の商店街に求めるのはつらいか。
時折病院の病室も舞台になるのですが、1980年代の病室はちょうどコンソールボックスが普及し出すころで、魚屋ミュージシャンの父親の病室はコンソールボックスがなく枕灯だけ。ナミヤさんの入院時には時がもう少し進んでコンソールボックスのある病室と年代の変遷をちゃんと手抜きせずに映しています。ちょうど1980年代には私は病院の施設係長をしており新病棟の設計にも携わっていたので、芸の細かさに感激です。まあ、実際の病室はところどころペンキが剥げたり壁紙が捲れたりともっと小汚いのですが、そこまでリアルにやるとかえって興ざめでしょう。
映画というのはマニアックなほど細部にも手を抜かないんだと改めて感心しました。
そして山下達郎の主題曲「reborn」が心に染み入りました。さすが達郎。いい曲作ります。
難点を言うと児童養護施設が火事の時逃げ遅れた子供がいたのはベランダの隅。魚屋ミュージシャンが助けに駆け付けるのですが、どう考えてもあの施設は2階建て。部屋に戻って火に巻かれるよりベランダから飛び降りれば確実に助かるはず。飛び降りるというと女子高生が校舎から飛び降りているのですが、4階以上だと命が危ない。だけど怪我だけで済んで意識もある。背景に高い校舎もあったのですがどこから飛び降りたのか。手すりもなかったしな…
ところでこの映画封切り直後でしたが、平日の夜6時からの上映に行ったらガラガラ。1番スクリーンという一番大きな箱だったのですが各列に1人か二人の状態。おかげで泣けるときには憚ることなく目を潤ませることができましたけどね。
6時からというと仕事帰りに急いで駆け付けないといけないし夕飯を食べる余裕もない。結果8時過ぎまですきっ腹でみるということになって中途半端な時間帯ですよね。結局夕飯は見終わってからで一風堂でラーメンを食べたのですけど。まあ、食後でないので眠くはならないのですが、たぶん満腹でも寝ることなく入り込んで見ることができたと思います。
それにしても見終わってもそんな話だったかというくらいで、もう一度原作を読んで見ようかと思ってしまったのは老化現象というしかないんでしょうか。
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「天空の蜂」

2015-09-19 16:14:07 | 映画
休暇を取ってアユを食べに行こうという計画だったのですが、天候不順で中止に。でも当日になったら結構いい天気になったのですが…
今更休暇を取り消すのも何なので久しぶりに映画でも見に行くことに。
何を見るかというと原作を読んでいて結構よかった(このブログにも2012.5.12レヴューを書いています)し、見てきたタケちゃんマンもよかったと言っていたので「天空の蜂」に。

朝一番に行こうと9時30分開始の上映で見たのですが、お客は少なく私の列は2人だけなので真ん中でゆったりと見ることができました。
堤監督らしいスペクトラムでハラハラドキドキで楽しめました。
映像で見る新型巨大ヘリは不気味で迫力満点。全面的に自衛隊の協力を得ているのでしょうがヘリの活躍はなかなかです。
でも映像にするとどうしても迫力ある活劇シーンが前面に出てきてしまい、原作にある考えさせられる部分は映像として表現することが難しいことからやむを得ないのですが希薄になっています。
ヘリに子供が乗ってしまいその救出劇がハラハラドキドキの展開だけに大きな山場になっているのですが、原作からいけばそれ言わば盛り上げるための枝葉のエピソード。もっと知的なゲームがあるのですが、映画の中でそれを盛り上げながら表現することは難しいだけに話の筋がわかる程度に端折ってあります。メッセージー性もうまくみんなに受け止められるようなものにマイルドに処理してあるのでは。映画は視覚に訴え感情に訴えないと面白くないのでそこが限界なのか。
映画としてはハラハラドキドキの迫力満点で楽しめましたが、まだ読んでいない人は映画を見てからぜひ原作を読んでください。
それにしても東野圭吾のこの原作は発表が95年。
福島の原発事故のはるか前にここまで書くことができる力量はさすがです。でも映画化できたのは福島があったからかも。
それにしては最後はちょっと不満が残ります。福島をスルーして震災被害者の救出作業をする姿はあえて避けているような感じがします。
ところで予告編も含めて午前の9時30分から12時まで。午前中の2時間半をトイレに行かないということは膀胱がいっぱいに…
事態はどんどん切迫してくるのですが映画も山場に向けてどんどん盛り上がっていきますので、ここで中座するわけにはいかない。我慢に我慢を重ね、エンドタイトルになったとたん暗いうちから出てトイレに駆け込むことに。そのことも最後に不満が残った一因かも。
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