青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

墨色の世界に溶けて

2015年03月07日 23時19分55秒 | JR

(その石積みに歴史を辿る@新旧戸草トンネル)

信越本線の牟礼~古間間に残る遺構。右側の旧戸草トンネルは、トンネルの断面が小さすぎるために信越本線の電化に伴い付け替えられ、並行して掘られた新線にその座を譲りました。旧トンネルは今でも古間駅から戸草の集落へ向かう道路の一部として活用されておりますが、この区間の開通は明治21年とかなり古く、旧戸草トンネルは130年弱の歴史を刻みながら今にその姿を残している貴重な明治の生き証人。この区間から信越本線の名が消える春に、何を思うのでしょうか。


戸倉上山田温泉のビジホで一夜を明かした後、朝一番は妙高2号を豊野の築堤に撮りに行こうか…などと考えていたのだが、お空は今にも泣きだしそうなどん曇り。これでは露出的にキビしいだろって事で大人しく速度の出ない長野駅での駅撮りにしてしまった。ほんでもってまた駅のホームで駅ソバを食ってしまった(笑)。正直昨日の東口で食ったソバの方が美味かったですけど、冷え切ったホームで湯気をかき分けながら啜る暖かいソバの有り難味というものも鉄道情緒なのかもしれません。


とりあえず長野駅前から車を出し、信越国境方面に向けて車を走らせてみる。長野大通り→SBC通り→北国街道を抜け、牟礼駅前へ。小ぶりながらも風格ある堂々とした木製の駅舎は実にいい雰囲気で、三角屋根の車寄せといい、屋根上に付いた小さな望楼といい、思わず見惚れてしまう優良物件。長野駅からバスも走っているようで、駅前には長電バスが止まっていました。


駅近くの牟礼病院に続く道から築堤の線路を眺めると、長野市街と比べてだいぶ雪深くなっているのが分かります。厚い雲が空を覆い、何だかうら淋しい空気感の中を115系の直江津行きが走って行く。厳しい気候条件の中を走り続けて、遠目にも車体の煤け具合が見て取れるのですが、経営分離後は新潟県側の新会社に新潟車セのE127系が入って来るそうで、115系の出番もさらに減少していくものと思われます。国鉄車両らしい大きめのモーター音が雪原にこだますると、再びの静寂。


牟礼から農道を使って大回りし、妙高1号は戸草で。信越山線でもそれなりに有名な撮影ポイントですんで既に先客多数…集落の小道沿いの雪山に登って撮影する極めて悪いコンディションになるのだが、慎重に緩んだ雪を固めて足場作り。戸隠山に源を発する鳥居川の流れに沿って、予定通りにN101編成の妙高1号が戸草のカーブを駆け抜けて行きます。


JR東日本新潟支社が企画した「ありがとう信越線号」は黒姫~妙高高原間の信越大橋俯瞰で。どうしても一人で回るとメジャーな撮影どころばかりになってしまうのだが、ここは橋のたもとに駐車スペースもあるし撮影キャパもハンパない好立地。カメラをセットして列車を待つも、橋の下から吹き上げて来る風が物凄く強くて寒く、おまけに雨まで降って来た。臨時列車の前走りになる343M直江津行き。


「ありがとう信越線号」は昨日団臨に使われたN102編成での運行。ちなみにこの信越大橋の下が長野県と新潟県の県境であり、池尻川と関川の合流点を一気に渡っている文字通りの国境の大橋。橋の長さは約900mと土木構造物としては巨大なもので、それだけにその橋上からの風景は雄大。これで天気が良ければ…と思わなくもないのだが、みぞれ交じりの寒々しい信越国境の風景もそれはそれで風流なもの。水墨画の世界に溶け込むように、あさま色が国境の隘路を下って行く。


大橋の反対側に移り、今度は定期の妙高4号。バックにこんもりと聳えるのは袴岳(1,135m)、北信五岳の一つである斑尾山に連なる山です。春まだ浅い峠道、漆黒の関川の流れを頼りに、国鉄色の特急車が踏みしめるように登って行く姿…かつては特急あさまの他にも489系ボンネットの特急白山、客車急行能登、越前、電車急行妙高、DC急行赤倉と、思いつく限りの様々な列車がこの道を通る大動脈でした。

国鉄型の特急車を使った妙高号は、そんな時代の残滓と言える存在として上越市と長野市の都市間連絡の任を受けて走り続けましたが、そんな日々も北陸新幹線の開業とともに終わります。新会社への移管後は、長野県側と新潟県側の両会社により系統としても完全に妙高高原で分断されてしまうそうで、それも寂しい話だね。
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好きこそモノの上手なれ

2015年03月06日 22時31分13秒 | JR

(焼肉の 匂い染みつく 短冊に@上越市中郷区)

趣味をやっている時はメシもそっちのけ、腹が減るのも忘れてファインダーの中に入り込んでしまうと言うのはよくある事。ひとしきり団臨あさま号の往路を撮り終え、何となく気分も緩んで一服、ようやく腹の減ったことに気付く山線ジャンキーご一行達…(笑)。方々に散っていた同好の方々がどこからともなく集まって来て、午前中の戦果と情報交換。良かったり悪かったり悲喜こもごもと言う雰囲気ではありましたが、地元では知る人ぞ知るって感じの焼肉屋に連れてって貰いました。店のおばちゃんに「みんな鉄道撮ってる感じでしょ!最近多いのよ!」って言われたんだけどやっぱり見ればわかるもんなのかねえw昼からコンロで煙モクモク焼肉、なんてーのも悪くない。お味も美味しゅうございました。

 

団臨は午後に軽井沢へまた返して行くのですが、直江津から国鉄特急色のN101編成が回送で小諸に向かって下るとの情報が。マニアの鳩首会議とダイヤ分析、その後のスジ読みにより高田で定期の妙高号と交換!と言う結論になったので高田駅へ向かう事に。と簡単に書いてますが、スジの空白で回送を出せる時間帯を読んで交換駅を算定し、どこに来るのかの計算を出すってのは門外漢の私には唖然とすることばかり(笑)。果たして本当に高田駅の2番線にN101編成(回送)が到着した時には舌を巻いてしまったw

 

あさま色と国鉄色の交換風景。妙高3号はN103あさま色、朝に小諸駅にいた編成です。朝にしなのサンライズ号で長野へ行った後、妙高1号→4号→3号→6号→5号と回ってこの日は直江津泊、翌日の早朝の妙高2号で長野に戻って上がりになります。国鉄色のN101編成がこれから小諸まで走り一泊して、翌日のしなのサンライズ号として今日のN103を踏襲する行路に入る模様。と言う事で明日の日中の妙高号は国鉄色のN101になる事が分かるのだが、こういう車輛運用と天気を読みながら皆さんは撮影に励まれているようです(笑)。


N101は国鉄特急型の象徴であるエンブレムが前面に残っており、ファンには人気の高いクルマ。特急エンブレムなんて久々に見たな。豊田区の183にはエンブレムないからねえ。新井での退避中にNO・DO・KAと交換するなんて珍しいシーンも。何だか普段のダイヤにない列車がたくさんやって来るのも、プチお祭り騒ぎっぽいこの週の信越線を象徴するような光景です。
(追記:後で聞けばこのN101編成はこの日朝の妙高2号で直江津から長野へ行くはずだったのが、車輛不具合で直江津から出て来れなかったらしい。修理を行った結果昼過ぎに動かせるようになったので、スジの合間を縫って小諸までの回送を午後に行ったようで、いつもこんなダイヤで回送してる訳じゃないようです)


塗り直されて日が浅いので、そのきれいなお姿を改めて跨線橋上から。後ろの煙突は株式会社ダイセルの新井工場。総合化学メーカーとしてのダイセルの合成樹脂部門の主幹工場だそうな。以前は新井駅からも専用線が伸びて、貨物の発着も頻繁にあったんだよなあ。信越山線の貨物列車と言えば二本木まで行く二本木貨物、新井でダイセル向けの貨物を降ろし、二本木で日曹向けの貨物を降ろしていました。つい最近(2007年)まで走ってたことを考えると勿体ない事をしたとw

 

黒姫山の麓、雪原を駆け抜ける回送N101。さすがに白い雪景色に国鉄色は映えます。出来れば黒姫山を入れて撮りたかったですけど、まあ明日の日中に捕まえられることが確定したのでヨシ。完全に先達様の積荷と化したアタクシ、車窓に広がるお皿に盛ったプディングのような黒姫山を一枚。


返しの団臨は、長野市街の犀川手前で。後ろのゴルフ練習場の鉄塔は気になりますがいい光で通過して行くN102。惜しむらくは直江津で幕大回転してしまったのか正面は快速幕、側面は快速白馬行きと言うパルプンテ状態で登場してしまった事か(笑)。以前臨時あずさを撮りに行った時も正面普通幕、側面普通白馬行きってのがあったんだが、ホントに午前中のあさま幕&側面の直江津あさまと言うのは奇跡的な状態だったんですね。

その後は信越山線を愛する有志の方々が集う写真展などを見学させていただき、この趣味の端くれとして大いに刺激を受けたりする。やはり突き詰めて言うと好きこそモノの上手なれ、このカットを撮りたいと言う執念みたいなものがある意味青臭く匂い立つようでもあり。長野駅東口で美味しい駅そばをいただき本日の締め、誠に一日色々なところにエスコートしていただきありがとうございました。明日は今日のロケハンを生かしつつ自分で回ってみようかな。最初は長電行こうかと思ったんだけど、今回は信越本線集中でw

 

山線最強の友人氏と別れ、車をデポしてある小諸までしな鉄で移動。篠ノ井を出るとすっかり閑散とした車内、ボックスを占領し眠りこけていると、あっと言う間に小諸に着いた。駅の側線には明日のしなのサンライズ号に備えて先ほど見送ったN101がお休み中…明日はコイツを中心に撮ってみようかな。


宿は全く決めてなかったのだが、こんな時間から取れる旅館もなく今宵は戸倉上山田温泉のビジネスホテルに泊まる事に…。宿のユニットバスに入る気はしないので近くの戸倉国民温泉にてしまい湯を。個人的には長野県の温泉銭湯の中では上位5本の指に入る良質な温泉に300円で入れるというコストパフォーマンスが嬉しい。どっぷりと顎まで浸かって疲れを癒し、明日はどこで撮ろうかと思いを巡らせるのであります。
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迷いもなく、けれんもなく

2015年03月03日 22時05分23秒 | JR

(魅力あふれるスイッチバック@二本木駅)

さて、戸倉駅で団臨を見送った我々。ここから先は大きな停車時間もない事から、上信越道を使って大きく先回り。信越国境を越えて新潟県側の二本木駅までやって来ました。妙高山と黒姫山の裾野がせめぎ合う斜面をよじ登るように敷設された信越山線、この駅はその勾配を避けるためにスイッチバックになっておるのですが、駅を出て長野へ向かう線路の勾配の角度にその道のりの険しさが伺えます。

 

信越国境を抜け、港都直江津に向け下って行く団臨あさま号が、ホーム端に集まった撮り鉄たちのシャッター音のシャワーを浴びて二本木駅にゆっくりと進入して来ました。急勾配を下りながら行き止まりのホームに進入するためか、進入速度は25km/hの制限がかかっているそうな。勾配で編成に動きを付けて奥で1枚、そして手前で引き付けて1枚。まずまず思い通りの2カット。


二本木駅に憩うN102編成。ちなみに往時の特急あさま号が二本木駅を停車駅にした事は一度もないため、これはこれでイベントらしい珍シーンなのかもしれませぬ。このホームの向こうには、以前は貨物扱いの専用線とヤードが広がっており、EF62なんかが日本曹達の化成品タキを持って発着していました。うーん、貨物好きとしては実に見たかったシーンだなあ。スイッチバックの貨物列車発着とか興奮するだろそれw


進入をパパッとやった後は駅裏に移動。今度は定期列車の妙高との交換シーン…だったのだが、駅裏の撮影地は雪山の上。昼にかけてこの季節にしては暖かかった上越地方、緩んだ雪に足を取られズボズボと膝下まで埋まりながら撮影場所に辿り着くのに物凄い体力の消耗が発生(笑)。引き上げ線からホームに進入するシーンを撮るのが精一杯…直前に慌てて動いて前もってスタンバっている撮影者の邪魔をする訳にもいかないのでねえw


ホームに仲良く並んだあさま色のN102&N103。N102の顔に信号柱がぶっ刺さっているのもご愛嬌、正直ここにたどり着くまでにヘタヘタになってしまって個人的には構図どころの騒ぎではなかった。友人氏の無駄のない身のこなしを見るにつけ、雪の上の動き方に関してはやはり慣れがモノを言う事を実感(笑)。この後しばらく口数が少なくなったのは、決して機嫌が悪かった訳ではなくただ口が利ける状態じゃなかっただけですw


並びを撮ったら即座に二本木駅からやや離れた田園地帯に移動。二本木の駅は、直江津へ向けての列車はホームを出発した後引き上げ線で折り返してから本線に復帰するので、通常駅の出発と比べると若干の時間を要する事を考えてのチョイスなのでしょう。さすがに山線のプロである友人氏のミッション遂行には一抹の迷いもけれんもない(笑)。ここらへんの撮影地選定は本当に経験値がなせる技と言うか、自分だけで来てたらおそらく二本木では撮れて2カットくらいじゃなかったかな。

線路際の雪山によじ登りカメラを構えると、二本木の駅の方向からN102のタイフォンの音が聞こえて来た。
柔らかな春を思わせる日差しの中、白銀に優美なシュプールを描いて、特急あさまが直江津を目指します。
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どこか知らない、遠くの街へ

2015年03月02日 21時38分10秒 | JR

(昔日の賑わいを偲んで@小諸駅)

さて、それでは週末の信州行についてレポをしてみましょうかね。今回は信州方面にいるこちらの趣味の友人氏と小諸駅前で待ち合わせる事になりました。基本自分はこの趣味に関しては一人でのんびりやりたいようにやっているのですが、ひょんな事から知り合い話してみたら大学時代のバイトの先輩後輩と言う間柄だったというご縁から親しくさせてもらっている数少ない「趣味友」。彼はとりわけ信越本線のどっかで必ず週末どっかで撮っているようないわゆる筋金入りのお好きな方なので、土曜日の一日を勝手知ったるジモの方にぶら下がり、楽してしまおうというスケベな魂胆を快諾していただきましたw

 

圏央道から関越~上信越とスムーズに走り、小諸駅前までは3時間。待ち合わせより早く到着してしまったので、小諸駅前でプラプラ。早朝とは言えモルタルのくすんだ建物が目立つ駅前の風景はいかにもな一昔前の地方都市然としており、「スケッチ文化都市こもろ」と言うキャッチフレーズが何だか物悲しい。碓氷峠から鉄路が消え、新幹線は佐久平を通り、かつての東信の主要都市であった小諸の街も活気がなさげ。朝の長野行き快速に充当されるN103編成が留置線で待機中。

  

小諸が集合場所となった理由は、この日にツアーの団体用臨時列車が軽井沢~直江津を1往復する予定になっており、その車両に189系のN102編成が入るからとの事。N102は長野の車庫から朝に回送で軽井沢に向かうため、ここ小諸でさっきの留置線に置かれていた朝の長野行き快速(N103)と交換しますので、その風景を抑えたいというコダワリの指定ぶりなのであります(笑)。駅員氏に見守られながら小諸駅に滑り込むN102編成は最近塗装を新調し、特急あさま時代に付けていた側面の「■ASAMA■」ロゴが復活しました。かなりやつれた外見のN102とは比べ物にならない艶やかな状態で、ロゴも朝日に映えますな。


抹茶色が特徴の「あさま色」同士の交換を見送った後、今度は軽井沢からの団臨本走行を狙いに行きます。信濃追分~御代田間の浅間山を愛でる信越本線時代からの有名撮影地で迎撃すべく陣を構えるのですが、人ひとり立って一杯の狭い斜面を横に並んでお鉄が30人カメラを構える様は壮観。最近こーいうガチ系から離れて久しかったから緊張しちゃうんだけども、今日は心強い先達がおりますので(笑)。徒然草の時代から、何事にも先達はあらまほしきことなり。


到着してからしばらくはきれいに見えていた浅間山も、時間を経るに従い雲が増え、一進一退する露出と浅間の稜線にお鉄たちのヤキモキぶりたるや(笑)。一緒になって「光線と山と、両方とは言わんからどっちか片方は来いっ!」と念じていると、カーブの向こうから列車が姿を現す。右にバンクをかけて、アウトカーブを颯爽と駆け抜けるN102のヘッドマークには「あさま」の文字が。浅間の稜線は怪しくなってしまったけど、ヘッドマーク付きと言う思わぬサプライズで上々の滑り出し。


正直、その時はコトの次第をあまり理解していなかったのだが、この手の団臨で絵入りのヘッドマークが供されることは少なく(「臨時」が多いらしい)、なおかつ全体的に老朽化が進んだ長野の編成は幕が故障する事が多くてなかなか「あさま」幕が掲示される事はないんだとか。「あさま幕で来たからにはもう追うっきゃない」とヒートアップする先達氏、停車時間のある戸倉駅に回り込んで駅進入を狙い撃ち。「L」の文字こそないものの、正調あさま幕を逆光ながらキャッチ。

  

戸倉上山田温泉の最寄り駅である戸倉駅。戸倉上山田は信州でも有数の歓楽街を持つ温泉地でもあったので、信越本線時代の特急あさまも大多数が戸倉に停車していました。広い駅前通りと、湯客を迎えるアーチの立派さが栄華の時代を物語っているようですな。特急あさまで戸倉に降り立つ観光客、客を迎える旅館のマイクロバスがひしめき合っていたんだろう駅前広場。新幹線の開通は確かに都会との距離を縮めたかもしれないけど、こういうミドルクラスの地方都市の地盤沈下を進めた感じはする。


朝も写した「■ASAMA■」ロゴを、改めてパチリ。復刻ロゴですが、当時と比べると微妙にフォントが細いらしい(笑)。豪雪地帯を走る列車らしく、スカートと台車の二段構えのスノープロウがりりしいですなあ。運転台下のルーバーの武骨な感じもなかなか精悍であります。台車はインダイレクトマウントのDT32、ちょっと高い位置にある細身の台車枠と、突き出た枕張りに特徴があります。コイルばねが外から見えるウイングばねの支持構造は、自分が子供の頃電車の絵を描く時によくお手本にしていた台車でもあります(変な子供って言うなw)。


絵入りのあさま幕もいいけど、側面幕の「特急あさま LIMITED EXPRESS 直江津 FOR NAOETSU」の国鉄フォントも実に味わい深いよなあ。子供の頃読んでいたコロタン文庫の「国鉄特急大百科」。「つばさ」の行き先山形や、「ひばり」の行き先仙台は分かっても、「あさま」の行き先直江津と言うのはどこにある街なのかイマイチ良く分からなかった。上野駅で見た、どこか知らない遠くの街へ向かう特急列車には、私鉄沿線に育った自分の狭い世界の外へ向かうような未知の魅力があった。今思えばあれこそが旅への憧れだったんじゃないかと思ったりもするのだけど。

次回へ続く。
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背番号9のエース

2015年03月01日 23時26分38秒 | JR

(もっとずっと、そばにいたかった@長野駅)

ネタがないのをいいことに、完全放置プレイになってしまったこのブログ。1ヶ月以上何にもしてないでバナー広告とか出て来ても困るので、ちょっくら一泊二日で信州まで行って来ました。春はお別れの季節です、みんな旅立って行くんですと歌われるように、この時期はダイヤ改正と同時に去り行く者への慈しみを込めた餞(人によってはそれを「葬式鉄」と申します)が各地で行われるのが恒例となっておるのですが、まあ今回の遠征もそういう色彩が強くなっていることをまずは平にご容赦いただきたく。

今回のダイヤ改正のトピックスはやっぱり北陸新幹線の長野~金沢間開通でしょうか。北陸新時代の到来を告げる華々しい新幹線の開通と同時に、並行する路線は例によって第三セクターと言う名の切り離しが行われます。かつては高崎から碓氷峠を越え、佐久と善光寺平を通り直江津に抜けていた信越本線も、長野新幹線の開通と同時に碓氷峠の鉄路を閉ざされ、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道と言う三セクに移管されました。そして今回、金沢延伸に伴って長野~妙高高原間が再び「北しなの線」としてしな鉄へ移管され、妙高高原~直江津間は「えちごトキめき鉄道」と言う○○な名前の新潟県を母体とする新会社へ移管されることになります。


かつては上野から直江津までを「特急あさま」として運行し、信越本線のエースとして羽ばたいていた国鉄特急型車両189系。「横軽対策」と言われる碓氷峠を通過するための特殊装備を持った「末尾9」のエースには、碓氷峠を閉ざされた後、長野~直江津の間の都市間輸送列車である「妙高号」として僅かに活躍の場が残されました。しかしながら、新幹線の延伸に伴い、この3月で「妙高号」は廃止。定期列車として毎日その姿を見る事が出来るのも、3月13日までとなりました。


長野駅で並ぶE7系と189系。世の移ろいは必然なれど、威風堂々と北陸へ新風を吹き込むE7系と、褪せた塗装と汚れに長年の労苦が滲む189系のなんと対照的なことか。189系の離脱とともに、信濃路から信越本線が消える春。今回は、そんな189系の姿を追って信越本線を辿ってみました。
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