LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

郷愁感|家

2007-02-25 | lohas的情景
最近の住宅は郷愁感がないと思うのは私だけであろうか。
住まいに対する懐かしい思い出とは、どんな光景だろうか?

消費者の価値観があまりにも多様化して、今の住宅事情はこれといった共通性がないのが特徴だ。
以前は、在来工法で建てられた家が多く、少なからずとも一部屋程度の和室はあった。
和室周りの柱が年月と共に傷つき、十年以上も経過すると新築時の様相は無くなっているのが普通だ。
そういった柱の中には、幼少の頃にいたずら書きした痕や身長を記した痕も残っているのではないだろうか。

最近の住宅は、見出しの無垢の柱を一切使用しないで建てるケースがある。
プレハブメーカーやツーバイフォー住宅はその顕著な例だが、
いわゆるローコスト系の住宅も同様だ。
勿論、絶対に使用しないというわけではないが、同じ柱でも大壁(柱が見えない壁)に使用する柱と、真壁(和室など柱が見えている壁)に使用する無節の柱とでは、コスト面で雲泥の差が出てしまう。
消費者も特に無垢材などにこだわりが無い場合、たとえ和室であっても大壁でクロス仕上げを選択しているケースが多く目立つ。

クロス壁には、何千種類という柄の中から選択でき、ある意味オリジナリティのある空間に仕上げる事が可能だ。
自ら選択した内装が仕上がった時、引渡しと共に湧き上がる感動は一塩だろう。

一方、左官仕上による壁は、最近になって色柄がある程度選択できるようにはなってきたが、それでもクロスの比ではない。
壁そのものは、あまり主張しない。
しかし、真壁は年月と共に風合いを帯び、空間に安定感を与えるのだ。
そこに住まう人をずっと見続けているようにさえ感じる。
そのような意味での安心感・安定感なのかも知れない。

真壁の空間を表面的に構成する左官仕上げの壁、そして無垢の柱。
たとえ傷ついても、煤けてもそこに堂々と存在し続けられる。

真壁のみにこだわらず、そういったものは住宅のいたる所に存在していたような気がする。
杉材を使った縁台、下見貼りの外壁、家の中から出ている煙突。
すりガラスの入った木製の窓。
それらは、傷つき、色褪せ、そこに住まう人と共に歴史を刻む。
こういった事が、そこで生活していた人々を寛容に受け止めるのだ。

人々は、寛容のなかに郷愁を感じるのではないだろうか...。