LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

茶事の心

2007-02-06 | 美の壺的解釈
事務所近くで施工している増改築現場に立ち寄った。
スタッフと今後の工程について打合わせした後、つくばいの設置予定場所で立ち止まった。
そこには、お施主様の祖母がいらっしゃった。

その方は茶道師範で、今回の増改築も当然ながら茶のテイストを非常に重要視されている。
つくばいはデザイナー側から提案されたものだったが、茶の心意気として別のもので代用できるというご意見を頂いた。

その際、つくばいの目的や使い方、また、本格的なつくばいについて話をして下さった。
茶道を志していないと知らないような事が多かったが、それでもなるほどと頷きながら聴き入っていた。

最後に茶事の心について話して頂き、さらに感銘を覚えてしまった。

「茶事の終局の目的は、
亭主は客の心を思いやり、客は亭主の心を推し量り、
互いに真の心の交わりを楽しむ。
そういった心の修養を志すことなんですよ。」

招かれた客が、その茶事の意味について理解する...。
単なる作法、茶器や軸、花の観賞や濃茶・薄茶の味わいだけでないのだ。

何故その茶器を亭主は選んだのか?
その茶事で軸の意味するものは?
当然ながら、会話もその茶事の空気にあったものでなくてなならない。

亭主(ちなみにもてなす側を言い、一般的な主人とは異なる)の心を推し量る器量、そういったものを身に着けなければならないのだ。

まさに目から鱗だった。

茶室建築として意匠的な観点からはある程度の知識があったが、茶の心意気という事までには及んでいなかった。

今回の現場では、デザイナーの感覚、そして伝統的な和の融合がある。
完成まであと一歩だ。


鰍|kajika

2007-02-05 | 男の料理
昨日、久しぶりに??厨房に立った。
しばらく磨いでいなかった和包丁を取り出し手入れを始める。
魚屋で買い求めた「カジカ」をどうするか思案を巡らしながら包丁を研いでいた。

オコゼに似たカジカ。調理するのは初めてだ。
まあ、何とかなるだろうと思い、他の食材と共に冷蔵庫に入れて置いた。
相変わらず家内は、その手の類には一切興味を示さない。
小生の数々調理本にもカジカの名前は出てこない。

図書館で借りていた書籍類を返却するついでに、料理本コーナーに立ち寄った。
しばらくカジカに関する調理方法を探していたら、なんとあるではないか。
「旬の地魚料理づくし」講談社に掲載されていた。

カジカ|鰍
カサゴ目ケムシカジカ科ケムシカジカが学術名らしい。
しかし、ケムシという文字がつくのは尋常でない。
カジカを出刃でさばいていてその意味がわかった。

ノコギリのような歯が上下にあり、その口の中にも歯に似た意味不明なものが数個あるではないか。
歯といい、歯に似た意味不明の物といい、その様はケムシが横たわっているようだ。
全身はまだら模様で、オコゼのようにブルンとたるんでいる。

調理は、家内が外出している間に極秘に進めることにした。
カジカは味噌仕立ての鍋にすることにした。
本場宮城県では、ボッケ鍋と言っているらしい。

出来栄えは?...言うまでもない。
なべ底の汁まですっかり無くなっていた。








陰翳礼賛|in'eiraisan

2007-02-04 | 美の壺的解釈
NHK「美の壺」、今回は建具を取り上げていた。
障子や襖のもつ暖かみ、和やかさ、清楚な感じは、日々我々に安らぎや時には緊張感をも与えてくれる。

西洋のそれとは大きく異なり、職人の繊細な心意気の中に織り成す技は、全て光と空間を意識しているのだ。

谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」では、その日本建築の陰影の美について様々な角度から触れている。
昭和8年のエッセイではあるが、谷崎潤一郎が当時意識していた事が、現在も同様な感覚で捉えることができる。

陰翳礼賛、やはり我々はどこかで日本建築文化を伝承していく必要性があると感じざるを得ない。
自分も同感だが、陰影のもつ感覚はまさに谷崎潤一郎が著述している通りだ。

勿論、時代は常に変化している。
全ての伝統をそのまま実現して行こうという訳ではない。

クライアントに提案する建築も当然ながら押し付けであってはならない。
また、建築コストや利便性も影響するだろうし、限られた建築面積や耐震性能などの問題も出てくるであろう。
現代においてそういった建築を実務的に進めるには、数々の問題をクリアしていかなければならないのは事実だ。

しかし、「陰翳礼賛」、そう言った感覚は少なくとも享受する事ができるのだ...。









入母屋|irimoya

2007-02-02 | 建築と文化
入母屋は、日本建築を代表するような屋根形状だ。
新築・建替時に入母屋にするケースは非常に少なくなってきているが、これも坪ウン万円というような住宅ばかりが増えたからであろうか。
日本建築の伝承という意味では危惧する所だ。
せめても、リフォーム工事で存続させていきたいと感じる。
実際、我々リフォーム現場でも入母屋の建築を手がけている。

入母屋は、切妻と寄棟を合体させたような形状をしており、社寺仏閣や農村部の建築に多用されている。
入母屋の破風hafuの加減で屋根全体のイメージを決めてしまうため、施工者の経験と感性が求められるところでもある。
ちなみに破風とは、三角形の外壁部分の所を言う。

入母屋の破風の形状には、数奇屋sukiya造りのように直線的なものの他に、
照り破風terihafu、起り破風mukurihafu、唐破風karahafuに分類されている。
照り破風は寺社仏閣に多く、破風の左右のがへこんだ形状もの言い、
起り破風は一般建築物に多く、破風の左右が膨らんだ形状のものを言う。

これ以上はかなり専門的な事になるので、この辺で...。