永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(557)

2009年11月11日 | Weblog
09.11/11   557回

三十七帖【横笛(よこぶえ)の巻】 その(5)

 源氏は薫をお抱きになって、

「この君のまみのいと気色あるかな。(……)今よりいとけはひ異なるこそわづらはしけれ。女宮ものし給ふめるあたりに、かかる人おひ出でて、心苦しきこと、誰が為にもありなむかし」
――この子(薫)の目つきは格別のものがあるね。(これは他の子と違うのがちょっと気になるな)明石女御の姫宮のいらっしゃるこのあたりに、こんな美しい人が生まれてきては、行く末に厄介なことが(恋愛など)どちらともに起こるかも知れない――

「あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてむろすらむやは。花の盛りはありなめど」
――ああ、その人たちが大人になる頃まで、私は見届けられる筈はないのに。「春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり」というように、命あってこそだがね――

 と、薫の顔をじっと見つめて言われますので、女房達は

「うたてゆゆしき御事にも」
――まあいやな、不吉なことを――

と、申し上げます。薫は丁度歯の生えてくるときで、筍を握って、よだれを垂らしながらかじったりで、源氏は咄嗟に(歌)を、

「うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきものにぞありける」
――憂き事(柏木への恨み)は忘れられないが、子供は可愛くて棄て難いものだなあ――(「ふし」は竹の縁語。「竹のこ」の「こ」に子を掛ける)

 と、薫を抱いて詠みかけますが、薫は勝手に膝から降りて戯れておいでです。

 月日が経つにつれて、薫が愛らしく、恐ろしいほど綺麗に成長されますので、あのような「憂きふし」すなわち、柏木の罪などは、きっと皆忘れてしまうに違いない、とも源氏は思うこともあるのですが……。

ではまた。