09.11/14 560回
三十七帖【横笛(よこぶえ)の巻】 その(8)
夕霧は故君(柏木)が生前にいつも弾いていらした琴を掻き鳴らしながら、
「あはれいとめづらかなる音に、掻き鳴らし給ひしはや。この御琴にもこもりて侍らむかし。承りあらはしてしがな」
――ああ、あの方(柏木)は、本当に素晴らしい音色で弾かれたものでした。宮のお琴にもきっとあの方の音色が籠っていましょうね。一曲聞かせて頂いて、確かめとうございます――
と、おっしゃると、御息所は、
「琴の緒絶えにし後より、昔の御童遊びのなごりをだに、思ひ出で給はずなむなりにてはべめる。……あらぬさまにほれぼれしうなりて、ながめ過ぐし給ふめれば、世の憂きつまにといふやうになむ見給ふる」
――宮(女二宮・落葉宮)は、柏木の死後というもの、昔の幼い頃の遊び半分の弾き方さえも忘れてしまったようです。……今はもうぼおっとした状態で侘しく過ごしておられますので、琴も悲しい思い出の種と考えておられるのだと思います――
宮も御息所も御簾を隔ててのご対面ですので、夕霧は御琴を御簾の方に寄せて催促がちになさいますが、それ以上は強いられません。
「月さし出でて曇りなき空に、羽うち交わす雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞き給ふらむかし。風肌寒く、ものあはれなるに誘はれて、筝の琴をいとほのかに掻き鳴らし給へるも、おく深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかなかに思ほゆれば、琵琶を取り寄せて、いとなつかしき音に、想夫恋を弾き給ふ」
――月がさっとさし出て、くっきりとした空に、羽をうち交わし飛ぶ雁さえ仲間を離れずにいるその声を、落葉宮は羨ましい気持ちでお聞きになることでしょう。風が肌寒く、ものあわれなのに誘われて、宮は筝の琴をほんの少し掻き鳴らされますのも、いかにも深みのある音色ですので、夕霧は、ますます心惹かれて、後には引けないお気持になって、琵琶を引き寄せてまことにやさしいお声で想夫恋の曲をお弾きになります――
夕霧は、
「おもひおよび顔なるは、かたはらいたけれど、これはこと問はせ給ふべくや」
――想夫恋などを弾きまして、宮のお心をお察ししているようで気がひけますが、それはあなたが私の相手をして和琴を弾いてくださるかと存じまして――
と、しきりに御簾の内の宮をお誘い申しますが、宮はただただ物思いにふけっていらっしゃる。
ではまた。
三十七帖【横笛(よこぶえ)の巻】 その(8)
夕霧は故君(柏木)が生前にいつも弾いていらした琴を掻き鳴らしながら、
「あはれいとめづらかなる音に、掻き鳴らし給ひしはや。この御琴にもこもりて侍らむかし。承りあらはしてしがな」
――ああ、あの方(柏木)は、本当に素晴らしい音色で弾かれたものでした。宮のお琴にもきっとあの方の音色が籠っていましょうね。一曲聞かせて頂いて、確かめとうございます――
と、おっしゃると、御息所は、
「琴の緒絶えにし後より、昔の御童遊びのなごりをだに、思ひ出で給はずなむなりにてはべめる。……あらぬさまにほれぼれしうなりて、ながめ過ぐし給ふめれば、世の憂きつまにといふやうになむ見給ふる」
――宮(女二宮・落葉宮)は、柏木の死後というもの、昔の幼い頃の遊び半分の弾き方さえも忘れてしまったようです。……今はもうぼおっとした状態で侘しく過ごしておられますので、琴も悲しい思い出の種と考えておられるのだと思います――
宮も御息所も御簾を隔ててのご対面ですので、夕霧は御琴を御簾の方に寄せて催促がちになさいますが、それ以上は強いられません。
「月さし出でて曇りなき空に、羽うち交わす雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞き給ふらむかし。風肌寒く、ものあはれなるに誘はれて、筝の琴をいとほのかに掻き鳴らし給へるも、おく深き声なるに、いとど心とまりはてて、なかなかに思ほゆれば、琵琶を取り寄せて、いとなつかしき音に、想夫恋を弾き給ふ」
――月がさっとさし出て、くっきりとした空に、羽をうち交わし飛ぶ雁さえ仲間を離れずにいるその声を、落葉宮は羨ましい気持ちでお聞きになることでしょう。風が肌寒く、ものあわれなのに誘われて、宮は筝の琴をほんの少し掻き鳴らされますのも、いかにも深みのある音色ですので、夕霧は、ますます心惹かれて、後には引けないお気持になって、琵琶を引き寄せてまことにやさしいお声で想夫恋の曲をお弾きになります――
夕霧は、
「おもひおよび顔なるは、かたはらいたけれど、これはこと問はせ給ふべくや」
――想夫恋などを弾きまして、宮のお心をお察ししているようで気がひけますが、それはあなたが私の相手をして和琴を弾いてくださるかと存じまして――
と、しきりに御簾の内の宮をお誘い申しますが、宮はただただ物思いにふけっていらっしゃる。
ではまた。