永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(935)

2011年05月03日 | Weblog
2011. 5/3     935

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(17)

「道の程のはるけくはげしき山路のありさまを見給ふにぞ、つらきにのみ思ひなされし人の御中のかよひを、ことわりの絶え間なりけり、と、すこしおぼし知られける。七日の月のさやかにさし出でたる影、をかしく霞みたるを見給ひつつ、いと遠きに、ならはず苦しければ、うちながめられて」
――京への道の長く険しい山道を辿られて、中の君はかつて薄情だとばかり思っておられた匂宮の間遠いお出ましを、これでは当然だったのだと、少しお分かりになったのでした。七日の月がさやかにさし昇って、あたりが趣き深く霞んでいますのをご覧になりながら、遠い旅路もお苦しいので、つい物思いがちに――

(中の君の歌)「ながむれば山より出でて行く月も世に住みわびて山にこそ入れ」
――眺めれば山から出て空をゆく月もまた山に帰る。私も宇治の山里を出たけれど、きっと世の住み辛さに又ここへ帰ってくるのだろう――

 中の君はお心の中で、

「さまかはりて、つひにいかならむ、とのみ、あやふく行く末うしろめたきに、年ごろ何ごとをか思ひけむ、とぞ、取り返さまほしきや」
――今までの境遇がすっかり変わって、結局はどうなっていくのだろう、と、そればかりが気懸りで、これから先の不安ばかりが募り、今までは一体何の苦労があったのかと、昔を取り返せるものなら取り返したい――

「宵うち過ぎてぞおはし着きたる。見も知らぬさまに、目も輝くやうなる殿づくりの、三つば四つばなる中にひき入れて、宮、いつしかと、待ちおはしましければ、御車のもとに、みづから寄らせ給ひておろしたてまつり給ふ」
――宵も少し過ぎたころに二条院にご到着になられました。これまで見たことも無い立派さで、目にも眩い御殿が三棟四棟と立ち並ぶ中に、御車が引き入れられ、匂宮が一刻も早くと待っておられましたので、ご自身で御車のもとにお出ましになり、手をとって中の君をお降ろしになりました――

「御しつらひなど、あるべき限りして、女房の局々まで、御心とどめさせ給ひける程しるく見えて、いとあらまほしげなり。いかばかりのことにか、と見え給へる御ありさまの、にはかにかく定まり給へば、おぼろげならず思さるることなめり、と、世の人も心にくく思ひおどろきけり」
――中の君のお部屋の御設備など手をつくせるだけつくして、女房たちの局(つぼね)にいたるまで、匂宮がお心を配られたご様子がはっきりと見えて、まことに申し分のない結構さです。どの程度の待遇を受けられるのか、大したことはあるまい、と見られておられた中の君が、このような手厚い待遇で迎えられましたので、宮の並々ならぬ御執心に、世間の人々も中の君のお人柄をゆかしく思い、目を瞠るのでした――

◆三つば四つば=催馬楽「此殿はむべも、むべも富みけり、さき草の、あはれさき草の、はれさき草の三つば四つばの中に、殿作りせりや、殿作りせりや」から。殿は御殿。

では5/5に。

源氏物語を読んできて(934)

2011年05月03日 | Weblog
2011. 5/1     934

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(16)

「皆かきはらひ、よろづとりしたためて、御車ども寄せて、御前の人々、四位五位いと多かり。御みづからも、いみじうおはしまさほしけれど、ことごとしくなりて、なかなかあしかるべければ、ただしのびたるさまにもてなして、こころもとなくおぼさる。中納言殿よりも、御前の人々数多くたてまつれ給へり」
――この山荘内を綺麗に掃き清め、全てのお支度も整い、御車も何台となく簀子に寄せて立ててあります。京からのお迎えに参った御先駆などには、四位五位の者たちが多くいます。匂宮ご自身も、是非お迎えにいらっしゃりたいようでしたが、ことごとしくなっては却って悪い事にもなりそうですので、ひたすら内輪に取り計られて、御殿の内で待ち遠しく気を揉んでおいでになります。薫の方からも数多くの御先駆を挿し向けられました――
 
 中の君の上京には大方の事は匂宮の方からお手配されましたが、内輪の細々したお世話は、みなこの薫が何から何まで手ぬかりなくお計らいになったのでした。

「日暮ぬべし、と、内にも外にももよほしきこゆるに、心あわただしく、いづちならむと思ふにも、いとはかなく悲し、とのみ思ほえ給ふに、御車に乗る大輔の君といふ人のいふ」
――「もう日も暮れそうです」と、邸の内でも外でも御催促申されますのに、中の君は落ち着かぬお気持で、自分はいったいどこへ行くのかしら、と、たまらなく悲しい思いでいらっしゃいますのに、大輔の君(たいふのきみ)という人が――

(大輔の君の歌)「ありふればうれしき瀬にも逢ひけるを身をうぢ川に投げてましかば」
――生きていればこそこういう嬉しい機会にも遭いましたものを、もし世を儚んで身を宇治川に投げていたならば、どんなに後悔したことでしょう――

 と、嬉しさいっぱいに歌ったのを、中の君はお聞きになって、なんと弁の君の心づかいとはこの上もなく違うことよ、とお思いになります。
もう一人の侍女の歌は、

「過ぎにしがこひしきことも忘れねど今日はた先づもゆくこころかな」
――亡くなられた大君の恋しさも忘れはしませんが、今日は何をおいても京へ行くことが嬉しく満足です――

「いづれも年経たる人々にて、皆かの御方をば、心よせましきこえためりしを、今はかく思ひ改めて言忌するも、心憂の世や、とおぼえ給へば、物もいはれ給はず」
――(この二人は)どちらも長年仕えた侍女たちで、みな大君の方を余計に大事にお思い申していた様子でしたのに、今はすっかり気が変わって、大君の事を口にしまいとするのも、何と薄情な世の中よと、思われて、中の君はものもおっしゃれないのでした。

◆心よせましきこえためりしを=心寄せ・まし・きこえ・ためりし・を

5/1・5/3を同時に。