2011. 5/27 947
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(8)
亡き母上の喪もあけましたので、女二の宮の御結婚には何の支障もなくなって、
「さもきこえ出でば、とおぼしめしたる御けしきなど、告げきこゆる人々もあるを、あまり知らず顔ならむも、ひがひがしうなめげなり、などおぼしおこして、ほのめかしまゐらせ給ふ折々もあるに、はしたなきやうはなどてかはあらむ」
――(薫が)ご結婚のことをお願い申し上げれば、(許してやろう)と帝が思召していらっしゃるご様子などを、それとなく告げくれる人もいて、あまり知らぬ顔で気づかぬ風にしているのも依姑地で失礼でもありますので、強いてお気持を引き立てられて、女二の宮を頂きたい気持ちをそれとなくお見せ申される折々もあるようでした。それに対して帝から素っ気ないお返事があろう筈がありません――
「その程におぼし定めたなり、と伝にも聞く、みづから御けしきをも見れど、心のうちには、なほあかず過ぎ給ひにし人の悲しさのみ、忘るべき世なく覚ゆれば、うたて、かく契り深くものし給ひける人の、などてかはさすがにうとくては過ぎにけむ、と、心得がたく思ひ出でらる」
――(帝が)ご婚儀の日取りを、何時何時とお定めになられたそうだと人伝にも聞き、また薫自身も帝の御意向を伺うこともありますが、あの亡くなられた大君を喪った悲しみばかりが思い出され、忘れることができないとは、ああ何と厭なことよ、これ程宿縁の深かった大君が、どうして他人のままで亡くなってしまったのだろう、と、思い続けるばかりで、お心が納まらないのでした――
「くちをしき品なりとも、かの御ありあさまにすこしも覚えたらむ人は、心もとまりなむかし、昔ありけむ香のけぶりにつけてだに、今ひとたび見奉るものにもがな、とのみ覚えて、やむごとなき方ざまに、いつしかなどいそぐ心もなし」
――たとえ取るに足りない身分であっても、大君のご容姿に少しでも似ているならば、心も惹かれようものを(それにもまして、女二の宮が大君に似ていてくれればどんなに良いか)。昔あったという反魂香(はんごんこう)の煙の中にでも、もう一度大君のお姿を見たいものだ、とばかり思い続けていらっしゃって、この尊い姫宮とのご婚儀を急ぐお気持にもなれないのでした――
さて、一方、
「右の大殿にはいそぎ立ちて、八月ばかりに、ときこえ給ひけり」
――夕霧は、さあ、とばかり六の君と匂宮との縁組をお急ぎになって、八月頃にとお願い申されるのでした――
◆昔ありけむ香のけぶりにつけてだに=反魂香(はんごんこう)の故事。漢の武帝が李夫人の死後、その像を描き、方士をして霊薬を焚かせたところ、香煙の間に夫人の姿が現れたという。
では5/29に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(8)
亡き母上の喪もあけましたので、女二の宮の御結婚には何の支障もなくなって、
「さもきこえ出でば、とおぼしめしたる御けしきなど、告げきこゆる人々もあるを、あまり知らず顔ならむも、ひがひがしうなめげなり、などおぼしおこして、ほのめかしまゐらせ給ふ折々もあるに、はしたなきやうはなどてかはあらむ」
――(薫が)ご結婚のことをお願い申し上げれば、(許してやろう)と帝が思召していらっしゃるご様子などを、それとなく告げくれる人もいて、あまり知らぬ顔で気づかぬ風にしているのも依姑地で失礼でもありますので、強いてお気持を引き立てられて、女二の宮を頂きたい気持ちをそれとなくお見せ申される折々もあるようでした。それに対して帝から素っ気ないお返事があろう筈がありません――
「その程におぼし定めたなり、と伝にも聞く、みづから御けしきをも見れど、心のうちには、なほあかず過ぎ給ひにし人の悲しさのみ、忘るべき世なく覚ゆれば、うたて、かく契り深くものし給ひける人の、などてかはさすがにうとくては過ぎにけむ、と、心得がたく思ひ出でらる」
――(帝が)ご婚儀の日取りを、何時何時とお定めになられたそうだと人伝にも聞き、また薫自身も帝の御意向を伺うこともありますが、あの亡くなられた大君を喪った悲しみばかりが思い出され、忘れることができないとは、ああ何と厭なことよ、これ程宿縁の深かった大君が、どうして他人のままで亡くなってしまったのだろう、と、思い続けるばかりで、お心が納まらないのでした――
「くちをしき品なりとも、かの御ありあさまにすこしも覚えたらむ人は、心もとまりなむかし、昔ありけむ香のけぶりにつけてだに、今ひとたび見奉るものにもがな、とのみ覚えて、やむごとなき方ざまに、いつしかなどいそぐ心もなし」
――たとえ取るに足りない身分であっても、大君のご容姿に少しでも似ているならば、心も惹かれようものを(それにもまして、女二の宮が大君に似ていてくれればどんなに良いか)。昔あったという反魂香(はんごんこう)の煙の中にでも、もう一度大君のお姿を見たいものだ、とばかり思い続けていらっしゃって、この尊い姫宮とのご婚儀を急ぐお気持にもなれないのでした――
さて、一方、
「右の大殿にはいそぎ立ちて、八月ばかりに、ときこえ給ひけり」
――夕霧は、さあ、とばかり六の君と匂宮との縁組をお急ぎになって、八月頃にとお願い申されるのでした――
◆昔ありけむ香のけぶりにつけてだに=反魂香(はんごんこう)の故事。漢の武帝が李夫人の死後、その像を描き、方士をして霊薬を焚かせたところ、香煙の間に夫人の姿が現れたという。
では5/29に。