2011. 5/13 940
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(1)
物語は「早蕨」の一年前に遡るところから始まります。
薫(源中納言→右大臣)24歳夏~26歳夏
女二の宮(おんなにのみや)十四歳
(今上帝と、故左大臣の姫君の藤壺女御の間に生まれた女宮)
浮舟(八の宮と侍女中将の君との間に生まれた姫君。中の君の異母妹に当たる)
19歳~21歳
中の君(二條の御方)24歳~26歳
匂宮(兵部卿の宮、明石中宮腹の三の宮)25歳~27歳
夕霧(左大臣)50歳~52歳
明石中宮(今上帝の中宮、源氏と明石の御方の姫君)43歳~45歳
「その頃藤壺ときこゆるは、故左大臣殿の女御になむおはしける。まだ春宮ときこえさせし時、人よりさきに参り給ひにしかば、睦まじくあはれなる方の御おもひは、ことにものし給ふめれど、そのしるしと見ゆるふしもなくて年経給ふに、中宮には、宮達さへあまた、こころおとなび給ふめるに、さやうのことも少なくて、ただ女宮一ところをぞ持ちたてまつり給へりける」
――その頃、藤壺女御(ふじつぼのにょうご)と申し上げる方で、故左大臣の(息女で)女御がいらっしゃいました。今上帝がまだ東宮と申しておられた時分、どなたよりも先に入内なさいましたので、睦まじく愛しく思われて御寵愛は格別でいらっしゃいましたのに、そのしるしとして見えるほどのこともなく、年が経っていきました。一方(その後に入内されました)明石中宮には御子たちも数多くお生まれになり、それぞれにご成長なさっておられますのに、こちらは御子も少なく、女宮ただお一人をお儲けになっただけでした――
「わがいとくちをしく、人に圧され奉りぬる宿世、なげかしく覚ゆるかはりに、この宮をだに、いかで行く末の心もなぐさむばかりにて見たてまつらむ、と、かしづききこえ給ふことおろかならず」
――(藤壺女御は)たいそう残念にも、明石中宮に厭倒されてしまった運命が歎かわしく思われる代わりに、せめてこの姫君(女二の宮)だけでも、何とかして将来の心も慰むくらいにはして差し上げたいと、並々ならず大切に守り育てていらっしゃるのでした――
「御容貌もいとをかしくおはすれば、帝もらうたきものに思ひ聞こえさせ給へり。女一の宮を、世にたぐいなきものにかしづききこえさせ給ふに、おほかたの世のおぼえこそ及ぶべうもあらね、内々の御ありさまはをさをさおとらず」
――(女二の宮は)ご器量もまことに美しいので、帝もたいそう可愛くお思いになっておられます。ただ、女一の宮(明石中宮腹の姫君)をこの世にまたとない第一の宝のように大切にしていらっしゃいますので、この女二の宮は世間一般の信望こそ女一の宮に及ぶ筈もありませんが、内々の御暮らし向きは、たいして劣ってはおりません――
「父大臣の御勢ひいかめしかりし名残り、いたくおとろへねば、ことに心もとなきことなどなくて、さぶらふ人々のなり姿よりはじめ、たゆみなく、時々につけつつ、調へ好み、今めかしくゆゑゆゑしきさまにもてなし給へり」
――(藤壺女御の)故父大臣の御権勢が盛りだったその余勢が、それほどまだ衰えていませんので、格別ご不自由ということもなく、お仕えしている女房たちの衣裳をはじめ、何事にも絶えず心をもちいて、その時々に応じて風流に調え、万事はなやかに奥ゆかしいお暮しぶりです――
その女二の宮が十四歳になられた年のことです。
◆その頃=椎本の巻の頃、薫と匂宮が宇治の八の宮邸にお伺いをたてていた頃。
◆御勢ひいかめしかりし名残り=御勢ひ・いかめしかりし・名残り。
では5/15に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(1)
物語は「早蕨」の一年前に遡るところから始まります。
薫(源中納言→右大臣)24歳夏~26歳夏
女二の宮(おんなにのみや)十四歳
(今上帝と、故左大臣の姫君の藤壺女御の間に生まれた女宮)
浮舟(八の宮と侍女中将の君との間に生まれた姫君。中の君の異母妹に当たる)
19歳~21歳
中の君(二條の御方)24歳~26歳
匂宮(兵部卿の宮、明石中宮腹の三の宮)25歳~27歳
夕霧(左大臣)50歳~52歳
明石中宮(今上帝の中宮、源氏と明石の御方の姫君)43歳~45歳
「その頃藤壺ときこゆるは、故左大臣殿の女御になむおはしける。まだ春宮ときこえさせし時、人よりさきに参り給ひにしかば、睦まじくあはれなる方の御おもひは、ことにものし給ふめれど、そのしるしと見ゆるふしもなくて年経給ふに、中宮には、宮達さへあまた、こころおとなび給ふめるに、さやうのことも少なくて、ただ女宮一ところをぞ持ちたてまつり給へりける」
――その頃、藤壺女御(ふじつぼのにょうご)と申し上げる方で、故左大臣の(息女で)女御がいらっしゃいました。今上帝がまだ東宮と申しておられた時分、どなたよりも先に入内なさいましたので、睦まじく愛しく思われて御寵愛は格別でいらっしゃいましたのに、そのしるしとして見えるほどのこともなく、年が経っていきました。一方(その後に入内されました)明石中宮には御子たちも数多くお生まれになり、それぞれにご成長なさっておられますのに、こちらは御子も少なく、女宮ただお一人をお儲けになっただけでした――
「わがいとくちをしく、人に圧され奉りぬる宿世、なげかしく覚ゆるかはりに、この宮をだに、いかで行く末の心もなぐさむばかりにて見たてまつらむ、と、かしづききこえ給ふことおろかならず」
――(藤壺女御は)たいそう残念にも、明石中宮に厭倒されてしまった運命が歎かわしく思われる代わりに、せめてこの姫君(女二の宮)だけでも、何とかして将来の心も慰むくらいにはして差し上げたいと、並々ならず大切に守り育てていらっしゃるのでした――
「御容貌もいとをかしくおはすれば、帝もらうたきものに思ひ聞こえさせ給へり。女一の宮を、世にたぐいなきものにかしづききこえさせ給ふに、おほかたの世のおぼえこそ及ぶべうもあらね、内々の御ありさまはをさをさおとらず」
――(女二の宮は)ご器量もまことに美しいので、帝もたいそう可愛くお思いになっておられます。ただ、女一の宮(明石中宮腹の姫君)をこの世にまたとない第一の宝のように大切にしていらっしゃいますので、この女二の宮は世間一般の信望こそ女一の宮に及ぶ筈もありませんが、内々の御暮らし向きは、たいして劣ってはおりません――
「父大臣の御勢ひいかめしかりし名残り、いたくおとろへねば、ことに心もとなきことなどなくて、さぶらふ人々のなり姿よりはじめ、たゆみなく、時々につけつつ、調へ好み、今めかしくゆゑゆゑしきさまにもてなし給へり」
――(藤壺女御の)故父大臣の御権勢が盛りだったその余勢が、それほどまだ衰えていませんので、格別ご不自由ということもなく、お仕えしている女房たちの衣裳をはじめ、何事にも絶えず心をもちいて、その時々に応じて風流に調え、万事はなやかに奥ゆかしいお暮しぶりです――
その女二の宮が十四歳になられた年のことです。
◆その頃=椎本の巻の頃、薫と匂宮が宇治の八の宮邸にお伺いをたてていた頃。
◆御勢ひいかめしかりし名残り=御勢ひ・いかめしかりし・名残り。
では5/15に。