永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1036)

2011年12月05日 | Weblog
2011. 12/5     1036

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(7)

「この人追従あり、うたてある人の心にて、これをいとくちをしう、こなたかなたに思ひければ、『まことに守の女とおぼさば、まだ若うなどおはすとも、しか伝へ侍らむかし。中にあたるなむ、姫君とて、守はいとかなしうし給ふなる』ときこゆ」
――この仲立の男はお世辞上手で、抜け目のない性質で、この縁談が破れることを残念がり、先方にもこちらにも困ったことになって、「貴方が心底、守の娘が欲しいとお思いならば、そのようにお伝えしましょうか。まだお若くはいらっしゃいますが、次のお方を、守は大そう可愛がっておいでになると伺っております」と申します――

 少将は、

「いさや、はじめよりしか言ひよれることをおきて、また言はむこそうたてあれ。されどわが本意は、かの守の主の、人柄ももののしく、おとなしき人なれば、後見にもせまほしう、見るところありて思ひはじめしことなり。専ら顔容貌ののすぐれたらむ女の願ひもなし。品あてにえんならむ女を願はば、やすく得つべし」
――さても、初めにお文を上げた浮舟をそのままにして、他に又言い寄るなんて妙ではないか。まあ私の本心は、あの常陸の介の人柄も勿体らしく堂々としているので、自分の後ろ盾にでもなってもらいたいと、思い付いたからのことなのだ。なにも顔かたちの優れた女をとばかり願っているのではない。素性が立派であでやかな女が欲しいと思えば、いくらでも手に入るだろう」

「されど、さびしうことうち合はぬ、みやび好める人のはたはては、物ぎよくもなく、人にも人とも覚えたらぬを見れば、すこし人にそしらるとも、なだらかにて世の中を過ぐさむことを願ふなり。守に、かくなむ、とかたらひて、さもとゆるすけしきあらば、何かはさも」
――だが、暮らしが貧しく、よろず不如意がちなのに、やたらに風雅にふけっている人のなれの果ては、見よいものではなく、他人からも人並みに思われていないのを見ると、少々非難されても、裕福に暮らしてゆきたいと願っているのだ。守に、これこれだと、話してみて、実の娘の婿にしてもよいと、承知してくれるようなら、何のそうしない分けはなかが――

 というのでした。

「この人は、妹のこの西の御方にあるたよりに、かかる御文なども取り伝へはじめけれど、守にはくはしくも見え知られぬ者なりけり。ただ行きに守の居たりける前に行きて、『とり申すべき事ありて』など言はす」
――この仲立の男は、妹がこの西の対の姫君(浮舟)に仕えている伝手から、少々の御文のお取り次ぎを始めたものの、常陸の介には、実はまだ親しく会った事もないのでした。それがいきなり守のところへ出かけて、「申し上げたいことがありまして…」と取り次ぎの者に言わせます――

では12/7に。