永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1038)

2011年12月09日 | Weblog
2011. 12/9     1038

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(9)

 常陸の介は、

「さらに、かかる御消息侍る由、くはしく承らず。まことにおなじことに思う給ふべき人なれど、よからぬ童あまた侍りて、はかばかしからぬ身に、さまざま思ひ給へあつかふ程に、母なるものも、これを他人と思ひ分けたること、と、くねり言ふこと侍りて、ともかくも口入れさせぬ人のことに侍れば、ほのかに、しかなむ仰せらるること侍り、とは聞き侍りしかど、なにがしを取りどころにおぼしける御心は、知り侍らざりけり」
――そのような御文を頂いていたとは詳しくも聞いていなかった。あれは本当に実の娘同様に思ってくださってよい人だが、何分つまらぬ娘が大勢いるので、大したこともない身にそれぞれに気を配って育てているのに、どうやら母親は、私が浮舟を他人扱いに分け隔てをすることよ、と、ひがみ言をいうようで、とにかく浮舟のことに関しては私に口出しをさせないのです。そういうお話があるとは薄々伺ってはいたが、少将が私を頼みにしてのお考えとは全く知らなかった――

 そして、

「さるは、いとうれしく思ひ給へらるる御ことにこそ侍るなれ。いとらうたしと思ひ女の童侍り。あまたの中に、これをなむ命にもかへむ、と思ひ侍る。のたまふ人々あれど、今の世の人の御心、さだめなくきこえ侍るに、なかなか胸いたき目をや見む、の憚りに、思ひ定むることもなくてなむ」
――そうとすれば、実に嬉しいことです。とりわけ可愛がっている娘がいて、大勢の中でも、この娘だけは命に代えてもと思うほどです。求婚なさる方はありますが、この頃の若者は浮気な心の人が多いようで、なまじ、婿をとって却って辛い目を見はしないかと、婿を定める決心がつきかねていたのです――

 さらに、

「いかで後やすくも見給へおかむ、とあけくれかなしく思ひ給ふるを、少将殿におきたてまつりては、故大将殿にも、若くより参り仕うまつりき。家の子にて見たてまつりしに、いときやうざくに、仕うまつらまほし、と、心つきて思ひきこえしかど、遥かなる所に、うち続きてすぐし侍る年ごろの程に、うひうひしく覚え侍りてなむ、参りもつかまつらぬを、かかる御志の侍りけるを、かへすがへす、仰せのごとたてまつらむは易きことなれど、月ごろの御心たがへたるやうに、この人の思ひ給へむことをなむ、思う給へはばかり侍る」
――何とかして良い婿をとって、安心しておきたいと、明け暮れ気にかかっていたところでした。少将殿の御事については、亡き父君大将殿には若い時からお仕えして、よく存じ上げています。私が大将の家来として少将をお見上げ申しておりまして、少将はたいそう優れたお人柄で、臣下としてこういうお方にお仕え申したいと、ひそかにお慕いしておりましたが、その後遠い国々(陸奥、常陸)を巡り歩いて、長い年月を過ごしていますうちに、気恥ずかしく存ぜられまして、つい伺いそびれて、すっかりご無沙汰を重ねてしまいました。少将にそのようなお志がおありになったとは、返す返すかたじけないことでございます。ただ、差し上げるのには何の言い分もありませんが、これまで浮舟を欲しいとのお考えを、私が妨げでもしたように、あれの母親が思うことが苦しくてね――

 と、心を割って細々と話して聞かせます。

◆きやうざく=警策(きょうざく)か?=明敏

では12/11に。