永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1000)

2011年12月21日 | Weblog
2011. 12/21     1044

五十帖 【東屋(あづまや)の巻】 その(15)

北の方は、

「あなおそろしや。人のいふを聞けば、年ごろ、おぼろげならむ人をば見じ、とのたまひて、右の大殿、按察使の大納言、式部卿の宮などの、いとねんごろにほのめかし給ひけれど、聞きすぐして、帝の御かしづき女を得給へる、君は、いかばかりの人をか、まめやかには思さむ」
――まあ、それはまた恐ろしいこと。人の噂では、薫の君は年来いい加減な女とは結婚するまいとおっしゃって、右大臣、按察使の大納言(紅梅の大納言)、式部卿の宮などが、熱心に御本心をお探りになられたのも聞き流して、帝の最愛の姫宮を頂いた方ですもの。あの方はどのような方をお相手になさるのでしょう――

「かの母宮などの御方にあらせて、時々も見む、とはおぼしもしなむ、それはたげにめでたき御あたりなれども、いと胸痛かるべきことなり。宮の上の、かくさいはひ人と申すなれど、物おもはしげにおぼしたるを見れば、いかにもいかにも、二心なからむ人のみこそ、めやすくたのもしきことにはあらめ。わが身にても知りにき」
――薫の君の母宮(女三の宮)のお側に仕えさせて、時折りにでも逢おうとはお思いになるでしょう。なるほど結構な御殿ではありましょうが、それはそれで気苦労の多いことです。兵部卿の宮(匂宮)の北の方(中の君)などを、世間では仕合せな方だと言っていますが、左大臣家の姫君(六の君)のことなどで、御苦労の絶えないのをみますと、どうであろうとも、浮気心なくひとりを守ってくれる人だけが、世間体もよく頼もしいことでしょう。わたし自身振り返っても思い知らされたことです――

「故宮の御ありさまは、いと情々しく、めでたくをかしくおはせしかど、人数にもおぼさざりしかば、いかばかりかは心憂く辛かりし。このいといふかひなく、情けなく、さまあしき人なれど、ひたおもむきに二心なきを見れば、心やすくて年ごろをもすぐしつるなり。折り節の心ばへの、かやうの愛敬なく用意なきことこそにくけれ、歎かしくうらめしきこともなく、かたみにうちいさかひても、心に合はぬことをばあきらめつ」
――亡き八の宮のお人柄は、大そう情け深く、ご立派で奥ゆかしくいらっしゃいましたが、私を人並みにもお扱いにはなりませんでしたので、どんなに悲しく辛い思いをしたことでしょう。それに比べて、今の夫(常陸の介)は特に取柄もなく、無趣味で見どころもない人ですが、ただ一本気で浮気心のないのだけが安心で、長い年月連れ添ってきたのでした。何かの折に当たっての心づかいが、このように無愛想で思慮が足りないのですが、ほかには嘆かわしく恨めしいと思うこともなく、お互いに口げんかなどしていても、納得のいかないことははっきりとさせてきました――

「上達部親王達にて、みやびに心はづかしき人の御あたりといふとも、わが数ならではかひあらじ、よろづのことわが身からなりけり、と思へば、よろづに悲しうこそ見たてまつれ。いかにして、人わらへならずしたてたてまつらむ」
――上達部、親王方とおっしゃるような優雅で気が引けるほどご立派な方のお側にお仕えしますのも、こちらが正妻という地位でなく、私のように物の数にも入らないようでは張り合いもありません。万事は自分の身分に寄るのだったと思えば、何事につけてもこの浮舟が愛おしくてなりません。何とかして世間の物笑いにされないように立派にして差し上げたいのです――

 と、話し合うのでした。

では12/23に。