永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(939)

2011年05月11日 | Weblog
2011. 5/11     939

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(21)

 侍女たちも、

「世の常にうとうとしくなもてなしきこえさせ給ひそ。限りなき御心の程をば、今しもこそ、見たてまつり知らせ給ふさまをも、見えたてまつらせ給ふべけれ」
――通り一ぺんに薫中将の君をおもてなしなさるのはよくありません。あの方の限りも無い御厚意の程を、今こそはっきりとお分かりになられた旨などを、お見せ申し上げるのがよろしゅうございましょう――

 と、中の君に申し上げますが、中の君は取り次ぎ無しになど薫とお話しすることは、やはり気が引けてためらっていらっしゃいます。と、そのところに、

「宮出で給はむとて、御まかり申しに渡り給へり。いときよらにひきつくろひけさうじ給ひて、見るかひある御さまなり」
――匂宮がご出発前のご挨拶に、こちらへお渡りになって来られました。大そう美しく身仕舞いをなさって、見るからにご立派です――

 匂宮は、薫がこちらへ参ったのだな、とご覧になって、

「などかむげに差し放ちてはいだしすゑ給へる。御あたりには、あまりあやし、と思ふまで、うしろやすかりし心寄せを、わがためはをこがましきこともや、と覚ゆれど、さすがにむげにへだて多からむは、罪もこそ得れ。近やかにて、昔物語もうちかたらひ給へかし」
――どうしてそのように薫の君を、遠くにお据えなさったのです。あなたに対してはどうかと思われるほど親身に心を寄せてくださったので、私としては、物笑いな揉め事でも起こりはすまいかと案じられてなりませんでしたがね。かといってそうむやみに隔てがましくなさるのも、かえって罪ですよ。もっと近くにお招きして、昔物語でもなさってはどうですか――

 と、中の君に、おっしゃりながら、

「『さはありとも、あまり心ゆるびせむも、またいかにぞや。うたがはしき下の心にぞあるや』と、うち返しのたまへば、ひとかたならずわづらはしけれど、わが御心にも、あはれふかく思ひ知られにし人の御心を、今しもおろかなるべきならねば、かの人も思ひのたまふめるやうに、いにしへの御かはりとなずらへきこえて、かう思ひ知りけり、と見えたてまつるふしもあらばや、とはおぼせど、さすがに、とかくやと、かたがたにやすからずきこえなし給へば、苦しうおぼされけり」
――「そうは言っても、あまり打ち解けすぎるのもどんなものかな。あれでなかなか油断のならない下心もあるのだから」と、また改めて言い直されるのでした。中の君ご自身は、お心の内で、深く身に沁みた薫の御親切なのに、それを今さら素っ気ないおもてなしなど出来るものではない。薫も言われるように、亡き姉君のお代わりとお見なし申して、これ程に私はよく分かっておりました、とでもお示し申す機会があればよいが、と思いますものの、それでもやはり、匂宮があれこれと、ご不安げに皮肉っぽく申されますので、ほとほと思いあぐねておいでになるのでした――


◆いときよらにひきつくろひけさうじ給ひて=いと清らに・ひきつくろひ・化粧じ給ひて=この時代、男性も紅、おしろいなどで化粧をした。着飾る意味もある。

四十八帖 【早蕨(さわらび)の巻】終わり。
(四十八帖のところ四十七帖とずっと間違っていました。失礼しました)


では5/13に。

源氏物語を読んできて(938)

2011年05月09日 | Weblog
2011. 5/9     938

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(20)

「何くれと御物語きこえ交わし給ひて、夕つ方、宮は内裏へ参り給はむとて、御車の装束して、人々多く参り集まりなどすれば、立ち出で給ひて、対の御方へ参り給へり」
――(匂宮と)お二人で何くれとなく御物語なさって、夕方になりますと、匂宮は内裏に参内なさることとて、御車を仕立てられます。お供の人々が大勢集まって来たりしますので、薫はお暇をして、対の御方(中の君のお部屋)に参上なさいました――

「山里のけはひひきかへて、御簾の内心にくく住みなして、をかしげなる童の、透き影ほの見ゆるして、御消息きこえ給へれば、御しとねさし出でて、昔の心知れる人なるべし、出で来て御返りきこゆ」
――(こちらのお部屋は)宇治の山里の風情とはうって変って、御簾の内も奥ゆかしげに、行き届いた御設備がされています。薫が愛らしい女童で御簾越しにほの見えるのをお召しになって、中の君にご挨拶を取り次がせますと、内から御しとね(円座)を差し出し、山里の昔を知っている侍女でしょうか、出て来て中の君のお返事を薫にお伝えになります――

 薫が、

「朝夕のへだてもあるまじう思ふ給へらるる程ながら、その事となくてきこえさせむも、なかなかなれなれしき咎めや、とつつみ侍る程に、世の中かはりにたる心地のみぞし侍るや。御前の梢も霞へだてて見侍るに、あはれなること多くもはべるかな」
――(こちらとは)朝夕の間もおかずにお目にかかれそうな近さにおりまして、これという用事もありませんのにお訪ねしますのも、いかにも馴れ馴れしいとのお咎めを受けようかとご遠慮申しておりますうちに、あなた様はじめ世間がまるで変わってしまったような気がいたしますよ。こちらのお庭前の梢が、私のところからも霞をへだてて見えますので、なつかしさがこみ上げてきてなりません――

 と、申し上げ、物思いにふけっていらっしゃるご様子が、いかにもお気の毒で、中の君はお心の中で、

「げにおはせましかば、おぼつかなからず往きかへり、かたみに花の色、鳥の声をも、折につけつつ、すこし心ゆきて過ぐしつべかりける世を」
――(なるほど姉君が)生きておられて薫と結婚しておられたならば、自分もこだわりなく往来し、お互いに花の色や鳥の声を折々めでては、少しは気持ちも晴れ晴れとして過ごせただろうに――

 と、今ではもう致し方のないことを思い出されては、

「ひたぶるに耐へこもり給へりしすまひの心細さよりも、飽かず悲しうくちをしきことぞ、いとどまさりける」
――ただただ引き籠って過ごされた山里の暮らしの心細さよりも、(なまじ何不自由のない今の生活の方が、ひとしお切なく)亡き姉君を恋しくも口惜しくもお偲び申すのでした――

では5/11に。

源氏物語を読んできて(937)

2011年05月07日 | Weblog
2011. 5/7     937

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(19)

夕霧は、

「おなじゆかりにめづらげなくとも、この中納言をよそ人に口をしきに、さもやなしてまし、年頃人知れぬものに思ひけむ人をもなくなして、もの心細くながめ居給ふなるを、などおぼし寄りて、さるべき人してけしきとらせ給ひけれど」
――(匂宮へ不首尾ならば)薫と六の君とは同族の点で、特にめづらしげはないとしても、この薫を他家の婿として譲るのが残念さに、いっそのこと薫をうちの婿にしてしまおうか。薫は聞くところによると、年来、内心妻と定めていた人(大君)を喪って、心細く沈んでいるということだから、などと思いつかれて、しかるべき人を介して薫の意向を伺ってごらんになったところ」

「『世のはかなさを目に近く見しに、いと心憂く、身もゆゆしう覚ゆれば、いかにもいかにもさやうのありさまはもの憂くなむ』と、すさまじげなる由聞き給ひて、『いかでか、この君さへ、あふなあふな言出づることを、もの憂くはもてなすべきぞ』とうらみ給ひけれど、親しき御中らひながらも、人ざまのいと心はづかしげにものし給へば、え強ひてしもきこえ動かし給はざりけり」
――(薫のお返事は)「世のはかなさを目のあたりにしましたのも、まことに悲しく、かつはこの身も不吉に思われますので、何としてもそのような結婚などということには気が進みませんので…」と、取りつくしまもない御返事です。そのことをお聞きになって夕霧は「どうしてなのか。この薫までも、こちらが分相応なこととして言い出しているのを、気が進まぬように振る舞うわけがあるとは」と、たいそうお恨みにはなりましたが、親しい御仲とはいいながら、この薫はどことなく人柄に一目おくところがありますので、強いておすすめ申すことはお出来にならないのでした――

 さて、

 花ざかりの頃、薫が二条院の桜をながめておられますと、何よりも先ず、主人のいない宇治の山里のことがお心に浮かんで、あの桜も今頃は惜しむ人もいないまま散っているのでは、などとやるせない思いを抱きつつ、匂宮の御許に参上なさいました。

「ここがちにおはしましつきて、いとやう住み馴れ給ひにたれば、めやすのわざや、と見たてまつるものから、例の、いかにぞや覚ゆる心の添ひたるぞ、あやしきや。されど実の御心ばへは、いとあはれにうしろやすくぞ、思ひきこえ給ひける」
――(匂宮は)近頃はたいてい二條院に落ち着いておられ、中の君とたいそう仲睦まじくお暮らしのご様子なので、それは結構なこととはお思いになるものの、例によって、心穏やかでない焦りが出てくるのも困ったことです。まあしかし、薫の実直なお心としては、こうした中の君の後見人となられた身にとっては、安泰なご日常を嬉しくも思っていらっしゃるのでした――

◆あふなあふな=身の程にしたがって。分相応に。「あぶなあぶな」と読んで、恐る恐るの意にも。

◆さもやなしてまし=さ・も・や・なして・まし=いっそのことこうしてしまおうか(六の君の婿に)

◆ここがちにおはしましつきて=この二條院にすっかり落ち着かれて(匂宮は本来、御所にお部屋を持っていらっしゃるが、祖母の紫の上に可愛がられた頃から二条院を外部の宿にしている)

◆めやすのわざや=見た目には安心

では5/9に。

源氏物語を読んできて(936)

2011年05月05日 | Weblog
2011. 5/5     936

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(18)

「中納言は、三條の宮に、この廿余日の程に渡り給はむとて、このごろは日々におはしつつ見給ふに、この院近き程なれば、けはひも聞かむ、とて、夜更くるまでおはしけるに、たてまつれ給へる御前の人々帰り参りて、ありさまなど語りきこゆ」
――薫中納言は、新築中の三條の宮に、この二十日過ぎにお移りになるおつもりで、この頃は毎日お出かけになって、工事の様子を検分していらっしゃいます。匂宮の二條院とは程近いので、この日も中の君の御到着のご様子だけでも、ほのかに知ろうとなさって、夜の更けるまで三條の宮においでになりますと、薫がお引越しのために中の君に差し上げられた御前駆の人々が帰参して、一部始終ご報告申し上げます――

「いみじう御心に入りてもてなし給ふなるを聞き給ふにも、かつはうれしきものから、さすがに、わが心ながらをこがましく、胸うちつぶれて、『物にもがなや』と返す返すひとりごたれて」
――(匂宮が)大そう熱心にお世話しておられる由をお聞きなさるにつけても、薫は一方では嬉しく思われるものの、やはり自分ながら馬鹿馬鹿しくも愚かしいと胸のつぶれる思いで、「取り返せるものならばなあ」とついつい繰り言をおっしゃっては――

(歌)「しなてるやにほの湖に漕ぐ船のまほなられどもあひ見しものを」
――実際に契り交わしたわけではないけれど、自分こそ中の君とかりそめに共寝をした仲だったのに――

 と、妬ましさに愚痴を言いたくもなるのでした。

 さて、

「左の大殿は、六の君を宮に奉り給はむこと、この月に、とおぼし定めたりけるに、かくおもひのほかの人を、この程より前に、おぼし顔にかしづきすゑ給ひて、離れおはすれば、いとものしげにおぼしたり、と聞き給ふも、いとほしければ、御文は時々奉り給ふ」
――左大臣の夕霧は、この二月に六の君を匂宮にさしあげることにしようと、心に決めておいでになりましたが、宮がこのように思いがけない方を、先を越してと言わぬばかりのお顔つきで、二条の院にお迎えになり大切に据えられて、六の君から遠ざかっておられるので、不快に思われているご様子です。匂宮もそれをお気の毒に思われて、六の君に御文だけは時々差し上げていらっしゃいます――

「御裳着のこと、世に響きていそぎ給へるを、延べ給はむも人わらへなるべければ、廿日あまりに着せたてまつり給ふ」
――(六の君の)裳着の儀を、左大臣家では世間でも評判になるほど立派に美々しく準備なさったので、今更延期するのもみっともなく、世間の物笑いになることなので、二十日過ぎにお着せになったのでした――

◆「物にもがなや」=古歌「取り返す物にもがやな世の中をありしながらのわが身と思はむ」

◆しなてるやにほの湖(みずうみ)に漕ぐ船の……=ここまでが「まほ」の序詞

◆御裳着(おんもぎ)=女性の成人式。この儀を終え結婚可能を表明。年齢には幅があった。裳着の儀に夫となる人に腰結いをしてもらい、すぐ結婚の儀になることもある。六の君の場合、そのような段取りになる予定だったようで、(世間では匂宮との結婚が公然だったので)非常に気まずい成り行きになった。

では5/7に。


源氏物語を読んできて(935)

2011年05月03日 | Weblog
2011. 5/3     935

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(17)

「道の程のはるけくはげしき山路のありさまを見給ふにぞ、つらきにのみ思ひなされし人の御中のかよひを、ことわりの絶え間なりけり、と、すこしおぼし知られける。七日の月のさやかにさし出でたる影、をかしく霞みたるを見給ひつつ、いと遠きに、ならはず苦しければ、うちながめられて」
――京への道の長く険しい山道を辿られて、中の君はかつて薄情だとばかり思っておられた匂宮の間遠いお出ましを、これでは当然だったのだと、少しお分かりになったのでした。七日の月がさやかにさし昇って、あたりが趣き深く霞んでいますのをご覧になりながら、遠い旅路もお苦しいので、つい物思いがちに――

(中の君の歌)「ながむれば山より出でて行く月も世に住みわびて山にこそ入れ」
――眺めれば山から出て空をゆく月もまた山に帰る。私も宇治の山里を出たけれど、きっと世の住み辛さに又ここへ帰ってくるのだろう――

 中の君はお心の中で、

「さまかはりて、つひにいかならむ、とのみ、あやふく行く末うしろめたきに、年ごろ何ごとをか思ひけむ、とぞ、取り返さまほしきや」
――今までの境遇がすっかり変わって、結局はどうなっていくのだろう、と、そればかりが気懸りで、これから先の不安ばかりが募り、今までは一体何の苦労があったのかと、昔を取り返せるものなら取り返したい――

「宵うち過ぎてぞおはし着きたる。見も知らぬさまに、目も輝くやうなる殿づくりの、三つば四つばなる中にひき入れて、宮、いつしかと、待ちおはしましければ、御車のもとに、みづから寄らせ給ひておろしたてまつり給ふ」
――宵も少し過ぎたころに二条院にご到着になられました。これまで見たことも無い立派さで、目にも眩い御殿が三棟四棟と立ち並ぶ中に、御車が引き入れられ、匂宮が一刻も早くと待っておられましたので、ご自身で御車のもとにお出ましになり、手をとって中の君をお降ろしになりました――

「御しつらひなど、あるべき限りして、女房の局々まで、御心とどめさせ給ひける程しるく見えて、いとあらまほしげなり。いかばかりのことにか、と見え給へる御ありさまの、にはかにかく定まり給へば、おぼろげならず思さるることなめり、と、世の人も心にくく思ひおどろきけり」
――中の君のお部屋の御設備など手をつくせるだけつくして、女房たちの局(つぼね)にいたるまで、匂宮がお心を配られたご様子がはっきりと見えて、まことに申し分のない結構さです。どの程度の待遇を受けられるのか、大したことはあるまい、と見られておられた中の君が、このような手厚い待遇で迎えられましたので、宮の並々ならぬ御執心に、世間の人々も中の君のお人柄をゆかしく思い、目を瞠るのでした――

◆三つば四つば=催馬楽「此殿はむべも、むべも富みけり、さき草の、あはれさき草の、はれさき草の三つば四つばの中に、殿作りせりや、殿作りせりや」から。殿は御殿。

では5/5に。

源氏物語を読んできて(934)

2011年05月03日 | Weblog
2011. 5/1     934

四十七帖 【早蕨(さわらび)の巻】 その(16)

「皆かきはらひ、よろづとりしたためて、御車ども寄せて、御前の人々、四位五位いと多かり。御みづからも、いみじうおはしまさほしけれど、ことごとしくなりて、なかなかあしかるべければ、ただしのびたるさまにもてなして、こころもとなくおぼさる。中納言殿よりも、御前の人々数多くたてまつれ給へり」
――この山荘内を綺麗に掃き清め、全てのお支度も整い、御車も何台となく簀子に寄せて立ててあります。京からのお迎えに参った御先駆などには、四位五位の者たちが多くいます。匂宮ご自身も、是非お迎えにいらっしゃりたいようでしたが、ことごとしくなっては却って悪い事にもなりそうですので、ひたすら内輪に取り計られて、御殿の内で待ち遠しく気を揉んでおいでになります。薫の方からも数多くの御先駆を挿し向けられました――
 
 中の君の上京には大方の事は匂宮の方からお手配されましたが、内輪の細々したお世話は、みなこの薫が何から何まで手ぬかりなくお計らいになったのでした。

「日暮ぬべし、と、内にも外にももよほしきこゆるに、心あわただしく、いづちならむと思ふにも、いとはかなく悲し、とのみ思ほえ給ふに、御車に乗る大輔の君といふ人のいふ」
――「もう日も暮れそうです」と、邸の内でも外でも御催促申されますのに、中の君は落ち着かぬお気持で、自分はいったいどこへ行くのかしら、と、たまらなく悲しい思いでいらっしゃいますのに、大輔の君(たいふのきみ)という人が――

(大輔の君の歌)「ありふればうれしき瀬にも逢ひけるを身をうぢ川に投げてましかば」
――生きていればこそこういう嬉しい機会にも遭いましたものを、もし世を儚んで身を宇治川に投げていたならば、どんなに後悔したことでしょう――

 と、嬉しさいっぱいに歌ったのを、中の君はお聞きになって、なんと弁の君の心づかいとはこの上もなく違うことよ、とお思いになります。
もう一人の侍女の歌は、

「過ぎにしがこひしきことも忘れねど今日はた先づもゆくこころかな」
――亡くなられた大君の恋しさも忘れはしませんが、今日は何をおいても京へ行くことが嬉しく満足です――

「いづれも年経たる人々にて、皆かの御方をば、心よせましきこえためりしを、今はかく思ひ改めて言忌するも、心憂の世や、とおぼえ給へば、物もいはれ給はず」
――(この二人は)どちらも長年仕えた侍女たちで、みな大君の方を余計に大事にお思い申していた様子でしたのに、今はすっかり気が変わって、大君の事を口にしまいとするのも、何と薄情な世の中よと、思われて、中の君はものもおっしゃれないのでした。

◆心よせましきこえためりしを=心寄せ・まし・きこえ・ためりし・を

5/1・5/3を同時に。