福島民報月刊誌「ハイッ!みんぽう」続:風のあとさき163を読むと、
福島民報の連載小説「竜は動かず」を楽しみに読んでいる。欧米やロシアが開国を迫る幕末、万延元年、ついに日米修好通商条約締結を余儀なくされ、海を渡り今朝はニューヨークに上陸しようとしている。
エッセイスト大石さんは、明治2年戊辰戦争に敗れた会津藩士たち20数名は軍事顧問ヘンリー・スネルに率いられカリフォルニアに子守り役おけいもいた。彼らの夢は新天地に若松コロニーを建設し、新しい会津を創ることだった。
しかし、入植地は雨の降らない原野で桑や茶は育たず、計画は行きづまりスネル一家は資金調達のためコロニーを離れ再び戻ることはなかったため、おけいと松井松之介は地主ピアカンプ家に引き取られたが、熱病のおけいは18才で亡くなった。死後45年コロマの丘の藪陰から発見された小さな墓がコロニー跡としてアメリカの歴史に名を留めた。
後年日米タイムズの記者がかっての地主の子孫81才ヘンリー老人を探し当て、彼はおけいも松之介も覚えており、借金の方にとった葵の紋の品々も残っており、明治34年65才で亡くなった墓のない松之介が貯めたお金でおけいの墓を建てていた。
この墓がなければ、日本人の入植やおけいという少女が海を渡ってきたことも永遠に知られず、史跡認定などあり得ない筈であり、車いすの大石さんはこの夏この丘に立った。実にリアルな方と感服、さだまし「風に立つライオン」の歌詞とダブルものがある。
福島民報の連載小説「竜は動かず」を楽しみに読んでいる。欧米やロシアが開国を迫る幕末、万延元年、ついに日米修好通商条約締結を余儀なくされ、海を渡り今朝はニューヨークに上陸しようとしている。
エッセイスト大石さんは、明治2年戊辰戦争に敗れた会津藩士たち20数名は軍事顧問ヘンリー・スネルに率いられカリフォルニアに子守り役おけいもいた。彼らの夢は新天地に若松コロニーを建設し、新しい会津を創ることだった。
しかし、入植地は雨の降らない原野で桑や茶は育たず、計画は行きづまりスネル一家は資金調達のためコロニーを離れ再び戻ることはなかったため、おけいと松井松之介は地主ピアカンプ家に引き取られたが、熱病のおけいは18才で亡くなった。死後45年コロマの丘の藪陰から発見された小さな墓がコロニー跡としてアメリカの歴史に名を留めた。
後年日米タイムズの記者がかっての地主の子孫81才ヘンリー老人を探し当て、彼はおけいも松之介も覚えており、借金の方にとった葵の紋の品々も残っており、明治34年65才で亡くなった墓のない松之介が貯めたお金でおけいの墓を建てていた。
この墓がなければ、日本人の入植やおけいという少女が海を渡ってきたことも永遠に知られず、史跡認定などあり得ない筈であり、車いすの大石さんはこの夏この丘に立った。実にリアルな方と感服、さだまし「風に立つライオン」の歌詞とダブルものがある。