2014.1/4~12/23いわき市草野心平記念文学館で米原万里展を昨日8日午後見学した。以前10/10に是非行って見たいとブログ仙岩に載せている。
午後1時過ぎ早いからか2,3人の観覧者、しかし、出るときは沢山の人が見えた。米原万里はロシア語通訳、エッセイスト、ノンフェクション作家で幼少期をチェコスロバキアのプラハで過ごし、ソ連大使館付属学校で学び、通訳からその後の言葉と独特な文化的背景視点に反映されている。
ロシア語通訳から作家へのテーマで、第1章米原万里の生涯1950~2006、卒論、ネクラソフ選集、妹ユリ宛の手紙、嘘つきアーニャの真っ赤な真実。第2章プラハ時代、ソビエト学校ノート、生徒必携日記帳、大いなる遺産。第3章通訳時代、ケースに入れて使い込んだ露語辞典、パスポート、マイナス50度の世界そして同時通訳の写真、ゴルバチョフやエリツインなどと映っている写真など。
第4章作家時代、嘘つきアーニャの表紙画、不実な美女か貞淑な悪女、アイデア帖、缶詰旅行者の朝食、ラーゲリ注解辞典、発明マニア、イラスト原稿、ゲラで「この世のあらゆる難問を解決する119の発明」、人生は生き直せないが原稿は書き直せると豪語して毎回ゲラを真っ赤にして返しているなど。第5章仲間と家族、自ら設計した鎌倉の自宅の図面、猫の心がわかる本、猫と暮す写真と終生ヒトのオスは飼わずを納得し、イラストや設計図面が几帳面なところに正確な筆跡には驚かされる。
年譜を見て部屋を出ると隣室では本の井上ひさし(妹ユリの主人)解説や、関係する画が飾られていた。早食いからか、未婚のためか卵巣がんで亡くなった56才での2006年5/25早い死が惜しまれる。発明マニアのラストは2006.5.21である。
観終わって入口へ館内受付の向かいから「発明マニア」文春文庫を買い求めて帰宅した。途中夏井川にはもう白鳥が20数羽飛来しゆっくり泳ぎ餌など潜って食べていた。
午後1時過ぎ早いからか2,3人の観覧者、しかし、出るときは沢山の人が見えた。米原万里はロシア語通訳、エッセイスト、ノンフェクション作家で幼少期をチェコスロバキアのプラハで過ごし、ソ連大使館付属学校で学び、通訳からその後の言葉と独特な文化的背景視点に反映されている。
ロシア語通訳から作家へのテーマで、第1章米原万里の生涯1950~2006、卒論、ネクラソフ選集、妹ユリ宛の手紙、嘘つきアーニャの真っ赤な真実。第2章プラハ時代、ソビエト学校ノート、生徒必携日記帳、大いなる遺産。第3章通訳時代、ケースに入れて使い込んだ露語辞典、パスポート、マイナス50度の世界そして同時通訳の写真、ゴルバチョフやエリツインなどと映っている写真など。
第4章作家時代、嘘つきアーニャの表紙画、不実な美女か貞淑な悪女、アイデア帖、缶詰旅行者の朝食、ラーゲリ注解辞典、発明マニア、イラスト原稿、ゲラで「この世のあらゆる難問を解決する119の発明」、人生は生き直せないが原稿は書き直せると豪語して毎回ゲラを真っ赤にして返しているなど。第5章仲間と家族、自ら設計した鎌倉の自宅の図面、猫の心がわかる本、猫と暮す写真と終生ヒトのオスは飼わずを納得し、イラストや設計図面が几帳面なところに正確な筆跡には驚かされる。
年譜を見て部屋を出ると隣室では本の井上ひさし(妹ユリの主人)解説や、関係する画が飾られていた。早食いからか、未婚のためか卵巣がんで亡くなった56才での2006年5/25早い死が惜しまれる。発明マニアのラストは2006.5.21である。
観終わって入口へ館内受付の向かいから「発明マニア」文春文庫を買い求めて帰宅した。途中夏井川にはもう白鳥が20数羽飛来しゆっくり泳ぎ餌など潜って食べていた。