ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“自分に正直に・・・”って?(“認知のゆがみ” の矯正に)

2017-06-09 07:09:16 | 病状
 “自分に正直に・・・” 倫理的意味合いを帯びるこの言葉に、皆さんはどんな思いを抱くでしょうか。さすがに自由・気儘を連想する人は少ないでしょうが、見栄を張ったり面子に拘ったりしないことと考える人は結構いるでしょう。あるいは、犯行を黙秘する容疑者に自白を促す際の常套句だと連想する人もいるかもしれません。

 実は、この言葉はアルコール依存症(アル症)者にとって特別な意味を持っています。と言っても、倫理的な意味ということではありません。

 アル症の特徴の一つに “否認” があります。酒浸りになっては出鱈目を繰り返している姿を本人も薄々異常と気付いていても、そうさせるのは周りのせいなどと他に責任転嫁する “他罰的” 考え方もその一つの現れです。再飲酒の繰り返しで、どうしてもアル症から回復できない要因とも考えられています。その根底にあるのが “ありのままの自分をありのままに” 見ようとしない “認知のゆがみ” です。

 ものの見方や考え方は周りの環境によって幼少期から育まれるものですが、その見方や考え方を認知と言うそうです。ですから人はそれぞれ独自の認知パターンを各人が持っていることになります。

 認知パターンに偏りが見られたら、傍の人からは偏っていると容易にわかるのですが、本人にはそれがなかなか気付けないものです。何かへの拘りが心の暗闇に潜んでいて、それに囚われていることが、ものの見方や考え方を知らず知らずに歪めているからです。無意識下のことだけに気付けないのも無理のないことです。

 無意識下の囚われから解放されるには、囚われの正体を暴くことが必要です。言い換えれば、“ありのままの自分” がどんな姿をしている / していたのかをしっかり把握し、それを “ありのままに” 認めることが必要ということです。

 そのためやるべきことは “自分に正直に” なって、自分自身の過去と対話を重ねることだと考えています。

 過去との対話と言っても、あの時あーすればよかった、こーすればよかったと後悔を重ねてばかりいて、結局、結論の出ないグルグル巡りの循環思考に陥ることではありません。解く鍵は触れたくない記憶の中に埋まっています。恐れず過去の自分に向かって問いかけ、決して誤魔化しを許さない覚悟で臨むことです。それが “自分に正直に・・・” だと考えています。

 ところで、人の体験談が正直に語られているものか否かは、不思議と傍から見ていればわかるものです。真に迫ったような話でも、演技ならそれと容易に察しがつきます。では、どんなときなら自分自身で自分に正直になっているとわかるものなのでしょうか?
 
 他人の経験談に思い当たることがあって、その話に共感を覚えると同時に自分自身の経験の意味も理解できたと実感するときがありませんか? 胸のつかえが降りたと言うか、心のモヤモヤが晴れたと言うか、そんな気持ちにさせてくれたのは言葉です。他人の語った言葉が自分の気持ちを代弁し、記憶の奥底に埋もれていたものを掘り出してくれたのです。
 
 “自分に正直に” なるには、これと同じように自分の過去を掘り起こし、モヤモヤした記憶に言葉で形を与えればよいのです。言葉でしか、自分の気持ちや考えを表現できないからです。(他に手段があるとすれば、絵画を含めた映像や音楽などでしょうが、ここでは触れません。)

 私などは、思いを託した言葉がうまく自分の気持ちと合致したとき、頭の中を光が走り、言いようのない満たされた気分になれます。これを私はカタルシスと呼んでいます。私は、“自分に正直に” なれたか否かをこのカタルシスの有無で考えています。残念なことに、言葉を思いのままに紡ぐのは難しく、そんなふうに満たされた気分になれるのは希にしかありませんが・・・。



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コメント (4)
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