そう、あれは1ヶ月前になるかしら電話が鳴ったのは~
「Nさんが(母の事)ケイレンがひどいので病院にお連れしました。直ぐ行って頂けますか」と言う連絡。
もう来る頃だなと予感はしていたものの、こういう知らせは何時も夜遅いのである。
早速、車を走らせ(娘が運転して)集中治療室へ。
病院の中は静かで自分達の足音だけがやけに大きく響いていた。
母は薬が効いていたのか眠っていてケイレンは治まっていたので先ずは安心した。
二人の気配に気がついたのか娘が「おばあちゃん大丈夫?」と聞くと「だあいじょおぶ」(はっきり言えない)とうなずいたもののすぐ目を閉じた。
それから3週間の入院生活が始まり、その間私が予定の無い日には病院通いの日が続いた。
丁度5年前、何不自由なく優雅に一人暮らしをしていた母が‘脳梗塞’で手術をしてから入、退院を繰り返し、今は一人では何にも出来ない状態に(言葉も失いつつある)なってしまった。
その当時広島県の福山に住んでいた母を(その時はすでに入院)妹と交代で通っていたけど交通費もかさむことだから、思い切って私の近くの有料の老人施設に移ってもらった(24時間介護付き)。
世間には白状に映るかもしれないが結局その方が良かったように思う(皆がそれぞれの生活があるので)。
いくら気持ちがあっても一人の人間がすることには限界があるのでね。なるべく、母の元には1週間に一度は母の好きなもの(メロンとかアイスクリーム、ゴマ豆腐等)を持っていくことにしている。
先日、妹が来た時、母は声を出して笑っていた。(母と妹は気が合うのよ)(良かった~笑顔が戻って)
妹はとても上手、母を喜ばすのが...。
妹が言う「あんなに元気で明るく華やかだった人がこんなになってしまって~」
「仕方がないよ」と私。
「何処かの元大臣みたいやな」と二人で笑う。
母の笑顔を見て「今井さん行く?」これって大阪人の合言葉みたい!解るかな?(きつねうどんだすがな)
母はヘルパーさんとお食事にサロンへ、
私達は久し振りに姉妹水入らず南に~GO!
妹さんとお二人でお母様を、とても大切にされているのが感じ取れます。
私は約35年前に母を亡くしました。
今頃になって、「ああもしてあげれば良かった」とか
後悔をすることがあります。
どうぞ、お大切に!!
よかったね、病状が落ちつかれてー
主人の親、30代と、実の姉、40代に看病、やりました。
家の中ペース狂う。(子供はじめ、回り皆が生活が・・)たいへんなの良くわかる。
実の親の面倒はみていません。今できるだけの事してあげてください。実は現在少しでも私に出ることと思い、他人さんの面倒を見させてもらっています。
子が親に孝行できる時、幸せ。良くしてあげてください。
優しいお言葉有り難う
母の事は、きっとこの繰り返しだと思う。やがて自分の身にも起こってくる現実です。今、私は頑張っています(ヘルパーさんにおんぶに抱っこですがね)
やっと60前後になり、気ずた次第。
旦那さんの母も広島県の東広島で一人です。
お互い母が一人なので、いつの日かのために
覚悟が必要ですね。
ピノコさんのブログの文書大切に覚えておきます。
親は何時までも、傍にいて欲しいですもの。
どんなに、一生懸命にお世話しても、決してしすぎってことはありません。ただ、
自分自身が後悔しないように、お母様に、いつも笑顔が見れるように・・それだけです。
私は、今も、後悔ばかりしています。