『健康運動指導士』という仕事を通し、様々な人たちと出会え、人の数だけ多くのことを学ばせて頂いている。しかし、一つだけ共通して言えることは『人間、そんなに強くない』という事実。
もう4年以上も前のことだが、ある健康教育の講師をした時のこと・・・。
M見ちゃんの講義を食い入るように聴いて、メモをとっている女性に目が止る。M見ちゃんは、レジメを作る時、メモが出来るように各項目ごとに余白を十分にあけるようにしているが、その女性はレジメとともに配られた業者のリーフレットの表紙に、筆ペンで達筆にメモっている。 講義を聴くその眼差しも、何となく焦点が定まっていない。
運動実践・・・。やはり、その女性の動きは目に付く。 おなかに力が入っていない。だから骨盤前傾・・・つまり、お尻の出た『へっぴり腰』。体幹と四肢の連動がスムーズでなく、いわゆる『手足ばらばら』の状態であった。
1回シリーズの教室だったので、運動習慣の無い初心者でも簡単に出来るゆるやかな内容だったが、スタミナ切れで途中何度も動きが止まった。
教室終了。たいてい参加者の何人かは、講師のもとに個人的な質問をしてくる場合が多い。その女性も、参加者が全員帰られた後、M見ちゃんのもとに駆け寄る・・・。内容は『M見ちゃんのレッスンを今後受けたいので、どこかでやってないか?』ということだった。
当時、開催していた『健康増進の運動教室』を紹介。 教室に参加された女性の動きは、毎回エネルギーが感じられない。やる気がないわけじゃなく、彼女なりに真剣に取り組んでいる様子。スタミナ切れは毎回・・・。必ず動きが止まる。
ある日、いつものようにレッスンが終了し、後片付けをしているM見ちゃんのもとに、女性が近づいてきた。
「私ね・・・。こう見えても昔はすごかったんですよ。」
ぽつんとつぶやいた。聞くと、ある競技をやっていて、表彰台に何度も上がり、かなり活躍していた選手だったということ。潰れてしまうほど辛い経験が彼女を襲ったのだ。
今は、その教室も終了し、女性と出会うチャンスもなくなった。
M見ちゃんは『頂点』を極めた経験は一度もないが、『頂点』に達した人は、それを維持するのは至難の業・・・というより不可能である。何故なら、時とともに人は年をとっていくのだから。
誰でも『持っているものを無くすこと』『今まで、できた事ができなくなる』という事実に直面することは、本当に辛い。無くした時は、無くしたものに未練があり、無くなった事実を認めたくない。過去を思い出して過去へ逃げ、表面的には平静を装う。簡単に『無くなった事実』を受容できるような強い人はいない。受容ができるようになるには、相当の時間がかかるのだから。
先週、『名古屋国際女子マラソン』をテレビで見た。『Qちゃん』笑顔で沿道に手を振って走っている姿が映った。『Qちゃん』はオリンピック金メダリスト。いわば『頂点』に立った人である。膝にメスを入れ、力の限界を感じて引退したばかり。『ありがとうRUN』だったか・・・。でも本心はまだ、トップ集団で競って走りたいのじゃないのかな?と思うのはM見ちゃんだけ?『Qちゃん』の笑顔が悲しそうに見えたのはM見ちゃんの思い過ごしなのかな?