1960年代の高校時代はとにかく勉強しなかった。かろうじて通学していたが、心の内は当時流行っていたヒッピーそのもので、社会の仕組みや大人の論理をことごとく信用するに値しないものと決め込んでいた。
なので、授業中なのにせっかくの教科書を開くこともなく、好きな本を読み夢想にふける毎日を送っていたのだが、3年生の終わりころ、書道の教師から申し渡された言葉には驚いた。
お前は出席日数が足りないから卒業させない、卒業したかったら、○日までに清書20枚書いてこい、といった布告だった。
サボった授業は書道だけではなかった。英語の若い教師は見るからに生意気だったので、数人でその授業だけさぼって喫茶店で時間をつぶした。次の授業に出るため走って学校の玄関に飛び込んだら、先頭のクラスメイトが英語教師に平手打ちに遭った。しかし、卒業させないと脅かしたのは書道の教師だけだった。
私の筆字は3年間習ったのにまったく進歩の形跡がなかった。今も当時の癖字のままだ。20枚も清書するのは苦痛だったので、半紙に1字か2字しか書かなかったような気がする。留年のかかった罰ゲームさえ適当にあしらったのだが、無事卒業できた。私のために、骨折ってくれた人がいたかもしれないが。(2025.4.9)