黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

フレイル予防

2024年10月30日 21時29分23秒 | ファンタジー
 腹八分目とは壮年時代の戒めであり、老人はフレイル予防のために腹いっぱい食べるのがよろしいと新聞に書いてあった。
 今日は久しぶりに気合いを入れて晩飯を用意した。ジャガイモとひき肉のミルク煮、さば味噌缶とキノコとタマネギのデミグラスソース煮。それに作り置きの卵焼きと豆腐カニカマチーズ焼き、さっき買ってきた鶏肉料理。味噌汁の具はダイコン、ワカメ、ニンジン。
 自分で言うのも何だが、料理を作り続けるうちにかなり腕を上げたと思う。これは食べないほうが・・というのが、このところなくなった。
 今日は締めの納豆が食べられないくらい満杯になった。腹いっぱいと食い過ぎは意味がちがうのかも。(2024.10.30)
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半世紀前からの付き合い

2024年09月25日 23時06分48秒 | ファンタジー
 同じことばかり書いているような気がするが、世の中に音楽がなければ、日常の暮らしを心から楽しめないだろうと感じるのは、私だけではないと思う。
 私にとって長く長かったこの1年を、何とか生きながらえたのも、音楽聴き放題アプリのお陰と言っていい。
 今晩、相対しているのは、スティング、マッコイ・タイナー、エルトン・ジョン、デビッド・ボウイ、ニーナ・シモン、ジョー・コッカー、ウェイン・ショーター、ルー・リード、ジェフ・ベックといった面々。いずれの方々も半世紀前からの付き合いだ。フィールズ・オブ・ゴールドに遊ぶ彼らの姿が見えるよう。(2024.9.)

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補聴器の件は現在進行中

2024年09月20日 00時46分48秒 | ファンタジー
 この1、2年でずいぶん耳が遠くなった。テレビの音量が上がり、ヒソヒソ話が聞こえなくなり、なかでも若い女性の甲高い声が聞き取れないので、彼女らと秘密を共有するつき合いができなくなった。
 その代わり、意見されたり指示されることがなくなった。お好きにどうぞ、ということなら、人の顔色をうかがわずに好き勝手にやれそうなものだが、自制心が邪魔をして相変わらずひとりぼっちで暮らしている。
 それはさて置き、耳鼻咽喉科と脳神経外科を経由して、昨日、補聴器屋さんに行ってみた。
 補聴器を付けると、聞こえはよくなりますが耳の機能が改善することはあり得ません。それでもやってみますか? と補聴器屋さんが言う。耳鼻科医と同じ。
 今さら、じゃ止めます、と席を立つのも大人げない。耳鼻科でやらなかった言葉の聞き取り検査などをして、私専用の補聴器をあつらえてくれた。びっくりするくらい鮮明に聞こえる。雑音がない。1週間ばかり試聴することにした。
 店を出て歩道を歩き出したら、ジャリジャリという聞き慣れない音がする。忘れていた自分の足音。テレビの音量は10段階くらい下がり、タイマーやベルの微細な音が鮮明に聞こえる。何だか若返ったかのような気持ちだ。錯覚もまた楽し。(2024.9.20)

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神田川で声が裏返った件

2024年09月15日 00時17分57秒 | ファンタジー
「かぐや姫」の神田川を久しぶりに歌った。私の持ち歌のひとつで、おそらく100回以上も歌っているので、歌詞がひとりでに出てくるものと高をくくったのが間違い。
 曲が始まり、出だしの2、3小節を歌ったとき、こんなにも切ない歌詞だったことに初めて気がついた。その瞬間、不覚にも胸がいっぱいになり声が裏返った。
「若かったあの頃なにも怖くなかった ただあなたのやさしさ・・」のフレーズにたどり着く前の「小さな石鹸 カタカタ鳴った」辺りで投了。まだ快復したわけではない。(2024.9.15)

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いかにも旧びた寿司屋

2024年08月21日 22時59分32秒 | ファンタジー
 ごく少人数の一周忌法要の会場を、この地に来た直後、一回きり入った店に決めたのは、なぜだったのだろう。私は予約してから、念のため試食しに行った。昼時のメニューから丼ものを選んだのが間違いだったのか、歴史のある老舗なのに、特別な個性は感じられなかった。
 妻が、来たがらなかったのはこういうことだったのか、と遅まきながら思ったが、店を代えるまでの決断はできなかった。代わりになるような店はこの辺りになかったから。
 ところが、行事が2週間ほどに迫ったころ、その店から電話が来た。予約の確認かと思いきや、電話口の女性は、数日後に閉店が決まったと謝罪の言葉をおずおずと繰り返すのだった。想定外の事態だった。思いあぐねた私は、妻の妹の一人に電話した。彼女は、ある寿司屋の名前を口にした。
 妻の妹二人と、店も人も旧びた近傍の寿司屋で昼飯を食ったのは、妻が亡くなった数日後だった。妻はそこの雲丹が安くてうまいと言うので、何度か足を運んだことがあった。葬儀の後、家にいてくれた妹たちと、その店の雲丹を食おうと思い立ったのは私だった。
 なるほど、とつくづく思う。そのことに気づかなかった私に代わって、妻がはじめからその寿司屋に決めていたのだ。(2024.8.21)

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