黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

黒猫とのの冒険 その1

2010年11月22日 15時28分14秒 | ファンタジー
前略
 黒猫とのが私たちの家にやって来たのは昭和六二年十月のことで、今から数えるとすでに二三年の年月が経ちました。
 このブログを始めたのも、懐かしいとのの覚え書きを記録したいという気持ちが、あるとき、お化けのようにどこからとなくわいてきたからなのですが、平成一四年七月の寒い日にとのが静かに息をひきとった場面をいざ書こうとすると、涙があふれるのを抑えられず、何日もの間、熱病にかかった病人のようにじたばたしたものでした。ついに書くには書きましたが、これをブログに掲載したら、今度は全巻完結したような気持ちになりそうでしたので、しばらくためらっておりました。しかし、その部分を抜きにして、とのの一生を語れはしないと意を決し、とのシリーズの始めから校正し直して、もう一度掲載することにしました。一度見た方は退屈されるでしょうがおつき合いください。

一 との登場
 札幌の西側に横たわる丘陵部のふもとから町の中央部を見下ろすと、そこにはまだ明るい陽ざしがあふれていたが、ふもとの住宅街では、三十分も前に陽がかげってしまった。陽ざしがなくなると、日中の空気があっという間に冷えるので、丘陵部をすみかにしている鳥や小さな動物たち、そして住宅街に住む子供たちは、外での活動を切り上げて自分の住まいに帰って行った。二時間ほど前に小学校を出て、日課になっている長い寄り道をしていたえりなも、ソフトボールのグラウンド二面分もある広々とした公園を斜めに横断して、彼女の家まで約百メートルの地点に来ていた。
 昭和六二年一〇月一三日の夕暮れどき、えりなは、公園の片すみにあるブランコのかたわらに、ふたのない小さな段ボール箱があることに気がついた。しゃがんで中をのぞき込むと、せん切り大根の味噌汁をかけたご飯が入った器に並んで、器と同じくらいの大きさの真っ黒な物体を見つけた。その黒いものは、大きな耳をした子猫だった。えりなは、目を閉じてじっとうずくまっている子猫を思わず両手で持ち上げた。手のひらに乗った頼りなげな子猫の体からぬくもりとかすかな震えが感じられ、生きているあかしが伝わってきた。「だいじょうぶ?」と話しかけたが、すぐには反応がなかった。彼女はそのまま放っておくことができず、子猫の体を温めるようにしっかり胸に抱いて家に連れ帰った。
 家に着くと、えりなはすぐ、母親の目の前に子猫を差し出し、「かわいいでしょう、うちでこの子を飼っていいでしょう?」と息を弾ませて言った。
「うちにはヴァロンがいるし、狭い家で二匹飼うのはむりよ。」
 不意をつかれた母親はとっさに言ったが、目の前の真っ黒な子猫から視線を離せなくなってしまった。この猫を外に放り出したら、小さな命がそこで途切れてしまうことは明らかなのに、幼い娘にそんな残酷な言葉を投げつけたことを後悔した。実は、彼女は猫でも犬でも鳥でも、動物はなんでも大好きで、もしも娘が拾ってくる前にその猫を見つけていたなら、見て見ぬふりができたかどうか自信はなかった。とはいうものの、その猫を家で飼う決心がついたわけではなかった。小学校低学年のえりなには、家にいるヴァロンという生後半年ちょっとの猫に加え、もう一匹飼うことがなぜむずかしいのか理解できなかったが、母親の言葉を聞き、手の中の子猫を見つめたままその場に座り込んだ。
 雄猫のヴァロンは、自分の縄張りに入ってきた動物の気配にすぐ気がつき、興味しんしんの面もちで、ため息をついている家族をかき分けて新参猫に近づいた。寒いのか、緊張しているのか、小刻みに震えている幼い猫を見たとき、ヴァロンは抱きしめたいほどかわいいという衝動にかられ、思わずその猫の背中に飛び乗った。
「わぁ、潰れちゃうよ。」と、えりなは、子猫の倍もあるヴァロンをつかんで引き離そうとしたが、ヴァロンは馬乗りになったまま、ぐいぐいと下にいる猫を締めつけた。すると、子猫は「フギャー」と急に大きな声で鳴き、「いやだよ。」というように体を起こし、意外な力強さでヴァロンを振り払った。不意をつかれたヴァロンの体は、鳴いた猫にしがみついたまま、床にデンとひっくり返った。「あら、こんなに元気だったんだ。」と、そばにいた人間たちとヴァロンはほっと安心した。
 子猫の体長はわずか十数センチメートルしかなかったが、そのわりに腹が出っ張っていて、手足が短い、ずんぐりした体型をしていた。栄養状態は悪くなさそうで、捨てられて長い時間経過しているとも思えなかった。二匹がくっついて離れないのを見たえりなは、「ヴァロン、お友達ができてよかったね。」と言いながら、近所に住んでいて、ちょうど遊びに来ていた母親の姉の方を振り向いた。叔母の奈月は、子供のころから犬や猫と身近に接しており、妹の家にいるヴァロンを見てペットがいる生活をうらやましく思っていたのだが、わざわざペットショップから動物を買うところまで、気持ちが熟しているわけではなかった。そのようなとき、小さな猫が現れたことに、何か運命的な出会いを感じていた。家の中の様子が膠着状態になり、誰かが声を上げなければ収まらない雰囲気になった。
「おばちゃんが捨ててきてあげようか。」奈月は強い口調で言った。それは自分自身の揺れる気持ちに区切りをつける言葉でもあった。そして、「おばちゃんにも触らせて。」と、ヴァロンに声をかけて注意をそらせたすきに、さっと子猫を抱き上げて、家から出て行ってしまった。彼女のすばやい行動に、えりな親子はびっくりしたと同時に、内心ほっとした。
 家を出た奈月は、「捨ててきてあげようか。」という言葉に反する行動をとった。決断力に富んだ性格の奈月は、その言葉を言い終えたとき、自分の言葉に励まされるように、その猫を自宅で飼うときっぱり心に決めた。しかし、そう決めたとたん、彼女の頭の中は、夫から猫を飼う了解をどうして得ようかという心配でいっぱいになり、すぐ近くの自分のアパートまでの道のりをどんな格好で歩いたか憶えていなかった。幸い誰にもあわずに家にたどり着いた。

 部屋に入ると、じんわりと暖かい猫の体温が手のひらに伝わってくることに気がついた。猫は捨てられたことや、行く末がどうなるかわからない自身の境遇など、何も心配していないという顔をして眠っていた。その様子を見ると、こんな無垢な生き物を捨てる人間に対する嫌悪感が頭をもたげたが、飼い主の家庭に、何か抜き差しならない事情が起きたのだろうと思い直すことにした。真っ黒な毛全体の汚れをふき、小さな顔についたよだれや目やにを取ると、雌雄の区別はわからなかったが、黄色がかった銀色の虹彩と、明るい場所でもあまり小さくならない黒い瞳とが印象的な、かわいらしい猫だった。切りそろえたように短い毛は、へその部分に少量の白い色を残し、艶のある真っ黒な色をしていた。
 取りあえず食べ物をやらなければと思い、ちぎった食パンに牛乳を漬けて口元に持っていったが、首を横に振って食べようとしなかった。夫の暁彦はいつも仕事で帰りが遅いので先に食事を始めると、子猫はよちよちと食卓に寄ってきて、味噌汁のお椀に鼻を近づけ匂いを嗅ぐ仕草をし、ニャーと鳴き始めた。猫まんまといっしょに段ボール箱に入れられていたというえりなの話を思い出し、味噌汁を冷まし、かつお節といっしょにご飯にかけてみたら、子猫は、小さな体に似合わないほど大きな口を開けて、「おいしいよ、おいしいよ」とでも言っているような声を発しながら、がつがつと食べ始めた。食べ終わると、台所の隅の暗がりで落ち着かない素振りをしていたが、顔をくるりとこちらに向けて尻を下げたかと思うと、大量の小便をした。今度はトイレを用意しなければと、床の液体を含ませたティッシュペーパーを食器入れのプラスチックトレイにのせた。それ以来、誤って押入に閉じこめられるなどやむを得ない場合以外、大小便の粗相をすることはなかった。
 それから数時間がたち、猫といっしょにいることがこれほどまでに心が和み、家の中にぬくもりがあふれるということに奈月は感動していた。一方で、猫との暮らしをあきらめることなど考える余地がなくなった彼女は、猫と対面したときの暁彦の反応がますます心配になった。暁彦は、育った環境によるものなのか、人間の子どもを含め生き物全般に対し、比較的冷淡なタイプの人間だった。
 夜九時を過ぎたころ帰ってきた暁彦に、知り合いの人から電話があったことを伝えると、彼は着替えをしないまま電話をかけ始めた。そのとき、込み入った話に集中している暁彦の方に向かって、背後からよたよたと近づいていく黒い小さな影に二人とも気がつかなかった。その影は、何を思ったか、あぐらをかいている彼の膝の中にもぐり込みまどろみ始めた。彼は、突然はい上がってきた黒い猫に驚いて、電話の内容に集中できなくなり、用件を途中で切り上げて受話器を置いた。
「うちで飼いたいと思うんだけど。」奈月は単刀直入に切り出した。
「どこの猫だい?」
「えりなが、すぐそこの公園で拾ってきたの。」奈月は、たとえ夫がダメと言ってもその猫を手放す気はなかったが、余計な言い争いをしたくなかったので、いつもよりトーンを控えめにして言った。
 暁彦は、そのとき突然、小さかったころの自分が子猫を虐待したという話を思い出した。自分の記憶にはなかったのだが、親の話によると、家にいた子猫を乱暴に抱きしめたり振り回したりしたので、親が見かねてその哀れな猫を余所にやってしまったという。そのことが原因かどうかはっきりしないが、物心ついてからの暁彦は、動物から警戒されていると感じるようになり、動物の扱いに臆病になった。唯一の例外は、十年くらい前、奈月の実家に居候していたころ、そこにいた犬のジュリコだけは暁彦に懐いた。いっしょに暮らしたのは一年程度の短い間だったが、自分たち飼い主の事情によって別の家にもらわれていき、そこで死んだジュリコを思い出すと、いつも心に後悔の痛みが走った。
 暁彦は、自分の膝の中で両脚を丸めて寝る体勢に入った小さな黒猫を見ると、彼の心になぜか懐かしい気持ちがよみがえってきて、自分を信頼しきっている様子のその生き物が特別な存在に感じられた。暁彦が返事をするまで、少し間が空いた。彼は、答えを探しあぐねていたのではなかった。その猫の登場によって自分の心にわけがわからない変化が起きたことに驚いていた。
「きれいにするのなら、いいよ。」
 奈月は、彼の明快な答えを予想していなかったので、その言葉を聞いたとき、何時間か胸につかえていた心配が一気に溶けて、うれしさがこみ上げてきた。名前は奈月の提案ですぐ決まった。雄であれば「わか」、雌ならば「ひめ」にしよう。雄であることは一週間後、やむなく連れて行った病院で判明した。その後、「わか」という発音がしっくりこなかったこともあり、「との」という名前に変えた。(この章了) 

二 とのの発作
 夜遅く、暁彦たちが寝ようとすると、とのがベッドにはい上がってきた。暁彦はとのといっしょに寝るのを嫌がり、居間と寝室との間のふすまを閉め切った。すると、居間の椅子の上に取り残されたとのは、家に来てからほとんど声を立てなかったのに、消え入るような情けない声でいつまでも鳴き続けた。とのは、前にいた家やこの数日間に起きたことを、次々と頭に浮かべていた。色とりどりの小さな猫たちと体を寄せ合って暖かで楽しかったこと、次第に数が減り最後の一匹になったとき、その家の人から、「うちには置いておけないから、誰か優しい人に拾われるんだよ。」と、段ボール箱に入れられたことなどが思い出され、急に寂しい気持ちになった。それに、これまで何度か発作を起こしたことがあり、体調が今ひとつよくなかった。発作が起きる日は、夢かうつつかわからないが、前もって何か恐ろしい目に遭いそうな気持ちがした。心の底からその発作が起きるのが怖かったので、この家の二人にそのことを早く伝えたかった。
 家に来て一週間後、とのは発作を起こした。突然、目の焦点が合わなくなったかと思うと、苦しそうなけいれんが始まり、胃にあるものを吐き、小便、大便をたれ流した。奈月は、びっくりしてすぐ近くの動物病院で診てもらうと、年輩の医者から、時間と費用をかけて治療しても育つかどうかわからない猫をわざわざ飼うことは勧められない、保健所に連れて行った方がいい、と言われたが、あきらめずに別の病院を探した。
 交通の便は悪かったが、評判を聞いて行ってみた病院の検査で、骨の発育不全が原因の発作であることがわかり、投薬や注射などによる治療をすることになった。奈月は、心配性の暁彦に遠慮して、町中で車の運転をしなかったので、それからの数ヶ月間、風呂敷に包んだとのを首から提げ、その上にジャンパーをはおって、毎日バスと地下鉄で通院した。
 暁彦は、とののひどい発作を見て、自分が子供のころ夜驚症だったことを久しぶりに思い出した。体調が悪い日の夜中、夢の中の暁彦は、空気の悪い映画館のような場所で、スクリーンいっぱいの大きな海とその片隅に揺れる小さな船を観ていた。その船の形は正月、枕の下に入れて寝る折り紙の宝船に似ていた。見る間に海は大荒れになり、高いマストがゆっくりと海の中に引き込まれていく。彼は、恐ろしさのあまりスクリーンを直視できず、ワァーと言って飛び起きた。そして、眠ったまま家の中を泣きわめいて走った。錯乱状態から醒めて、不安そうな家族に夢の内容を説明すると、祖母は強い口調で、海へは絶対行ってはいけないと何度も言った。夜驚症の発作はいつのまにか治ったが、彼は、泳ぐことや釣りなどのアウトドアの活動はもちろん、生活全般において自分の行動を規制するような弱々しい子供になった。暁彦は、とのも恐ろしい夢にうなされているかもしれないと思うと、とのへの親近感がわき、いっしょに寝ることにまったく抵抗がなくなった。
 発作が起きていないときの元気なとのは、地下鉄やバスの中で、奈月の服から顔を出し愛嬌を振りまいたので、「わぁ、かわいい」「お利口な猫ちゃんだこと」などと、乗客から声をかけられる人気猫になったが、日に日に体重が増え動作が活発になり、奈月の首筋や腰を苦しめた。しかし、彼女は、とのの元気になっていく姿を見るのがうれしかったので、体への負担や毎日の出費、行き来にかかる時間などはまったく苦にならなかった。とのの発作は次第に軽くなり、数ヶ月ほどで完全に止んだが、発育が一定レベルに達するまでの数年間、朝晩の薬を欠かすことができなかった。 

 幼いころのとのは、骨が弱くてもやんちゃで、高いところから跳び降りた拍子に足がぐにゃと曲がり、「痛いよ。」と、大声で鳴いた。その都度、奈月は心配して病院に連れて行ったが、幸い彼の薄っぺらな骨は折れるほど固くなかったので、しばらくすると痛みは治まった。しかし、薬を飲んでも、骨格がすべて正常な猫のように発達するわけではなかった。大人になっても、下顎の骨は後退したまま、唇がぴったりと閉まらなかったので、真っ黒な顔にはいつも赤い舌がちらりと見えていた。顎だけでなく頭蓋骨全体が普通の猫と違い、明らかにいびつな形をしていたと思う。とのの肉体を構成するパーツの幾つかには傷や歪みがあったが、組み立てられた身体全体を見ると、ずんぐりとした体型を除いて、彼は思いのほかハンサムな猫だった。
 骨の発育不全の影響はとのの動作にもはっきり現れた。大人の年齢に近づいても、ヴァロンのような猫らしいしなやかな身のこなしができなかった。鳥などの小さな動く物を追いかける本能は旺盛だったが、獲物に飛びつくとき必ず一呼吸置いてからドタドタと走るので、すぐに相手に気づかれた。顔見知りの鳥などは、臨戦態勢を取るとのを見ても逃げることさえしなかった。秋の終わりころの弱ったトンボを二、三回捕ったときのこと、奈月に獲物を見せにきたとのの表情は、これ以上ないという喜びに輝き、鼻の穴が大きくふくらんでいた。のんびりした動作の原因は、骨の発育不全ばかりではなかったかもしれない。とのは、目の前で投げ上げられたボールなどを目で追うことができなかったし、遠く離れたものの識別が得意ではなかった。計測したことはないが、視力があまり良くなかったのだろう。
 とのの仕草を見た人から、知恵遅れではと言われたことがある。たとえば、虫が逃げ込んだすき間の前に、忍耐強く何時間でも座っていた。また、大好きなヒモ追いかけっこのとき、息が上がり倒れそうになってもやめようとしないなど、周りの制止がないと限界を超えてどこまでも頑張った。また、身の回りのものへの好奇心が猫一倍強く、きらきらした目をいつまでも持ち続けていたからなのか、獣医師からさえ年相応に見られなかった。暁彦と奈月は、とのの子どもっぽく見える所作などは、とのの若々しい個性の表れだと思っていた。それに、とのの場合、家族二人とヴァロンやごく少数の友達猫に対して、自分の気持ちを率直に伝えることができる猫だった。彼と親しくつき合うと、とても話しやすく理解力に富んでいることがわかった。
 とのの子供っぽさは、幼少期から持病に悩まされて、家族との結びつきが強まったことも影響していたのではないだろうか。とのは何才になっても、母親の奈月には子猫のころとまったく同じように甘えた。とのの遊び心の発達には、どんなに乱暴に遊んでも怒らない暁彦の存在も大きかったと思う。
「今日も帰りが遅いのかな。」いつも不規則な暁彦の帰宅を待つのは大変だったが、眠ってしまったら今夜の遊びがなくなるので、眠たくて顔が床につきそうになると、目をこすりながら起きあがる動作を何度か繰り返していた。そのとき、戸外からバタバタとペンギンが歩くような聞き慣れた足音が聞こえてきた。とのは、研ぎすまされた聴覚で暁彦の足音を捉えると、「よし」と言って体を伸ばし、玄関の前に行き、両手の丸い指を床について正座した。奈月が玄関扉のガタガタという音を聞いたとき、とのはとっくに、彼の寝床にはいなかった。暁彦は、玄関で必ず出迎えてくれるとのが愛しくて仕方がなく、帰宅が夜遅くなっても、根気よくサッカーやレスリングをして遊んだ。とのがやってきてから、暁彦は、自分の周りに多くの動物たちの姿があり、彼らのまなざしが、暁彦の方に向けられていることに気がついた。そのまなざしは好意的なものばかりではなかったが、自分の中に動物たちを優しく見守る気持ちが芽生えたことがうれしかった。
 動物の知恵や知能について解き明かすのは、なかなかむずかしいと思う。数字を数えるカラスや犬、人と会話できるインコ、自分が産んだ子を三匹まで数えられる猫など、賢い動物がいるという検証結果が発表されているが、人が自分の尺度で動物の知能を推定することや、習性が異なる動物同士を比較することは、むずかしいという説が妥当だろうと思う。(この章了) 

三 子供のころのとのとヴァロン
 とのと最も親しく、生涯の友達となった猫が、幼なじみのヴァロンだった。
 ヴァロンは昭和六二年の春に日本海沿いの江差町で生まれ、その年札幌に引っ越してきた。とのより半年、年長のシャム系の雄猫で、ケンカが強くすばしっこい猫だった。彼は小さなころから狩りが得意で、アパートの三階に住んでいたとき、ベランダの手すりに止まった鳥か虫かを襲おうとして足を滑らし、五、六メートル下の地面に落ちたことがあった。部屋にいた家族がびっくりして降りていくと、こわばった様子ではあったが、彼は無事に着地して足を舐めていたという。
 二匹が出会った当初、とのは、二周りも大きいヴァロンに追われて逃げ惑い、九〇リットルの灯油缶の上げ底に開いている縦五、六センチメートル、横十センチメートルくらいの狭いすき間に逃げ込み、そこで居眠りしたり大便を漏らしたりしたが、慣れてくるとファーファーと威嚇しながら、まねごとのようなケンカをした。
「オレが本気を出したらひとたまりもないんだぞ。」と言うヴァロンに対し、「やれるもんならやってみろ。」と、負けん気が強いとのは、ヴァロンの追跡をかわしていた。ほどなく、遊び疲れた二匹が抱き合って眠る姿をたびたび見かけるようになった。出入り自由のヴァロンは時折、とのの家の窓際にやって来て、「行くぞ、との」と声をかけた。発作が治まったとのは、その声を聞くとじっとしていられなかった。動作が鈍いとのは一匹では外出できなかったが、頼もしい先輩猫のサポートで、あちこち冒険して回るようになった。
 とのたちの住んでいた一角は、三〇年以上も経過した古い四階建てのアパートが前後二列に三棟ずつ並んだ場所で、六棟のアパート群の周囲は、無計画に植えられた大きな木々やぼうぼうの雑草に覆われて廃墟の一歩手前のようになっており、彼らには絶好の遊び場だった。当時は、札幌の中心部に近い地域とはいっても、住宅地の中にタマネギや野菜を植えた畑が点在していたから、畑の土をほじくり返して虫を探したり、彼らより背丈が高い作物の陰でかくれんぼしたり、思う存分遊ぶことができた時代だった。
 天気がいい日は少し遠出をして、住宅街の西側の丘に通じる斜面に作られた木の階段を駆け上がって、町の中心部を東に向かって一望できる丘の中腹に陣取り日向ぼっこをした。たまに丘の向こう側の深い森林地帯からキツネの親子が降りてくることがあったが、二匹でいれば怖くなかったし、にらみ合いをするのもスリルがあっておもしろかった。冬になると、ちょうど一六世紀のネーデルランドの画家が描いた絵のような場面に遭遇した。西の丘での狩りに失敗した二匹は、小、中学校の広い校庭でスキーやスケートをして遊ぶ大勢の子どもたちの姿を見下ろし、どんより曇った空と一面の湿った雪に吸い込まれる彼らのくぐもった歓声を聞きながら、帰り道をとぼとぼと歩いた。
 ちょうどバブル経済の絶頂期にさしかかった時期であり、その辺りの住宅街では土地と家が億という金額で売買されていた。億ションというマンションも建った。一方で、庶民的な商店と住居が一体になった古びた下駄履きアパートや、傾いた木造のラーメン屋などが軒を並べていた。階段が大好きなとのは、四階建てアパートの一階に並んだ商店の間を走り抜け、突き当たりの階段を屋上まで駆け上がる遊びを毎日繰り返した。ある日、彼らは、その階段で顔見知りの中年の女性に呼び止められた。若いころ心臓の調子が良くなかったその女性は、犬を飼い毎日散歩することによってずいぶん健康になったのだが、年を取り足が弱った犬に散歩の同伴を断られたので、「君たち元気だね。いっしょに散歩しようよ。」と、ときどき声をかけてくるのだった。とのもヴァロンも人の歩行に合わせることができなかったので、目いっぱい愛想笑いして、その申し出をお断りした。
 ラーメン屋の年取ったおじさんがおごってくれるラーメンの焼き豚の味は、濃厚で格別に美味しかった。おじさんは息子夫婦から、そろそろラーメン屋をやめていっしょに暮らそうと持ちかけられていたが、「道楽でやっているから、売れなくてもいいんだ。」とばかり、野良たちに大盤振る舞いしながら、細々と営業を続けていた。
 とのが住んでいた四階建てアパートには三つの玄関があり、一つの階に八軒の住人がいた。とのも一応猫なので、人間の生活規範より古くからある猫の習性に従い、自分の縄張りを点検しなければ気持ちがおさまらなかった。特に自分の住む階では、毎日ベランダ伝いに、各家庭の様子を窓越しにのぞきながら見回り、窓が開いていれば、部屋の中の様子を探索した。ときどき、部屋の住人と出くわしたが、彼らからは意外にもご苦労さんとねぎらいの言葉をかけられた。後でわかったことだが、暁彦と奈月が前もって各家庭を訪問しお詫びして回っていたようだ。
 しかし、その楽しみは、隣家との境の非常用扉のすき間がふさがれるまでのことだった。暁彦のように、人間が作った細かい基準を嫌い、猫の習性の方が人間の道理よりはるかに優れていると本能的に思う人間には、「なんで、ふさいじゃうの。」という、とのの抗議の声が聞こえるような気がした。まだ幼いころのとのとヴァロンがいっしょに遊んだ思い出は、彼らの記憶にしっかりと刻まれ、永く友情を育んだ。(この章了) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする