今度はタトゥーだと。
毛の少ないヒトが変身するには、二つの方法がある。ひとつは、皮や布などで体を覆うこと。もうひとつは、直接肌にペインティングすること。皮布は保温になるから一石二鳥だけど、暑い地方や水の中では、ペインティングの方が合理的なのだ。つまり、身につける物として、服とタトゥーとの間に、なにひとつ違いはない。
それはともかく、現実に仕事場へ行くのに、とても奇抜な衣装を身につけることはない。たとえば水着やお遊びの服は着ないはずだ。タトゥーをヒト目に付くところに入れて、仕事場や厳粛な場所に行き、いつでもどこでも衆目にさらすのなら、それは非常識であり厳重注意しなければならない。
それに、ヒトは、誰もが職場や屋外で、わざわざ服を脱いだり着替えしたりしないのだから、服の下に隠し持っているだけなら、他の者に不快感を与えるわけがない。ネコ国の国旗国歌法の訴訟で、最高裁判事ネコが、「国旗国歌の面前で、どんな異なる思想を思おうが勝手だ。ただし、表現したら処罰されるのは当然。」と極限の暴言を吐いたことは有名だが、こんなとんでもないネコでさえ、隠しているなら不問にすると言っているのだ。
一般的に、自分の趣味はそれを理解してくれる者同士で楽しむか、あるいは一人内緒で楽しむもの。その範囲を超えなければ、タトゥーが他の趣味・嗜好とどんな違いがあるだろうか。
ネコ国には服なんて面倒なものはなく、みんな色柄とりどりの、それこそタトゥーみたいな毛皮で過ごしている。問題はタトゥーにあるのではなく、そんなことでいちいちヒトやネコを差別しようとする品性にこそあるとしか思えない。なんでこんなことをわざわざ論評せにゃならんのだと、とのはまた憤慨していた。(2012.5.18)